ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

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乗り物を主体にした紀行や情報が『高速バス風土記』『鉄路遙かなり』などにございます。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけましょう!

あの時は、何を焦っていたのだろう、と今にして思う。

 

平成16年2月の話である。

今回の旅の1番の目的は、当時付き合っていたT子の延岡の実家への訪問であるが、夏休みにじっくりと1週間近く滞在する例年の帰省と異なり、週末に1泊2日するだけの慌ただしい旅程だった。

急遽、延岡に所用が持ち上がった、という訳でもない。

 

 

僕の真の目的は、平成2年4月から運行している熊本と鹿児島を結ぶ高速バスに乗ることだった。

 

九州は古くから長距離バスの路線網が発達している土地で、僕も幾度か訪れてはバス旅を楽しんだし、T子との延岡行きでも幾つかの路線に乗っているのだが、たった1本の路線を目的に、遠く九州まで出掛けた経験はなかった。

どうして、熊本-鹿児島線に乗らなければならないと思い込んだのかと言えば、この路線が平成16年3月に廃止されるという一報を目にしたからである。

 

僕がT子にその話をした理由は、よく覚えていない。

彼女は僕のバス趣味を理解してくれていて、しばしばバス旅に連れ出したことは紛れもない事実であるけれども、日常の会話を僕の趣味ばかり話すような真似は避けていた。

それでも、

 

「今度、熊本と鹿児島を結ぶ高速バスが無くなっちゃうんだね」

 

と、何かの拍子に口を滑らさなければ、そもそも今回の旅は始まっていない。

 

「どうしてなんでしょう?あんまり人が行き来しないんでしょうか?」

 

彼女の地元ではないけれど、同じ九州の話題であるためか、彼女は身を乗り出した。

 

「いや、そんなことはないんじゃないかな。特急列車が何本も走っているしね。今度、新幹線が出来るからっていう理由らしい」

 

 

平成16年3月に、新八代駅と鹿児島中央駅の間に九州新幹線が部分開通することは、世間でも話題になっていた。

新八代駅で、博多駅からの在来線特急と乗り換えることになるため、博多と鹿児島を結ぶ構想の九州新幹線が、山陽新幹線に接続して往来も多いはずの博多側ではなく、末端部分だけで先行開業するという特異な方法に、首を傾げたものだった。

 

当然、熊本と鹿児島の行き来も、新八代での乗り換えを強いられる訳であるから、双方の市街地を直行する高速バスの需要が激減するような影響はないだろう、と思っていたのだが、高速バスを運行する事業者は「九州新幹線の開業により運休」と公式に発表している。

将来、九州新幹線は博多-新八代間にも延伸されるであろうし、事業者がそのように捉えているのであれば、一層、高速バスの出番はなくなるものと考えざるを得ない。

乗っておけば良かった、と臍を噛んでいたところだった。

 

 

「あなたは、そのバスに乗ったことがないんですか?」

「うん」

「じゃあ、一緒に乗りに行きません?ついでに、母の実家に寄って下さると、とても嬉しいです」

 

思いもかけないT子の申し出に、僕は耳を疑った。

 

「いいの?」

「もちろんです。私も母に会いたいし。でも、延岡に寄れます?」

「大丈夫だよ。熊本と延岡は、そんなに離れていないから」

 

僕は、勇んで旅程の作成に取り掛かった。

 

今、振り返れば、どうして縁もゆかりもない遠隔地の高速バス路線に、あれほど執着したのだろう、と不思議で仕方がない。

 

 

こうして、僕らは土曜日の朝、スカイマークエアラインズの羽田-鹿児島線に搭乗し、午前中のうちに鹿児島空港へ降り立った。

 

スカイマークエアラインズは、我が国の航空業界における規制緩和政策を受けて、格安運賃を引っ提げて平成10年9月に羽田-福岡線に参入した最初の航空会社で、平成11年4月に伊丹-福岡線と伊丹-千歳線、平成14年4月に羽田-鹿児島線、平成15年4月に羽田-青森線と羽田-徳島線の運航を開始していた。

2人旅であるから、同社の廉価な運賃が大いにありがたかったことを覚えている。

 

 

帰路には、平成14年8月に羽田-宮崎線の就航で航空業界に参入したスカイネットアジア航空が、平成15年8月に開設したばかりの羽田-熊本線の最終便を予約していたので、規制緩和で登場した新しい航空会社の路線ばかりを利用することになった。

 

東京は木枯らしが吹きすさぶ曇りがちの天候であったが、2時間の飛行は終始穏やかだった。

雲の上に出れば、雲海にぽっこりと浮かぶ富士山も見えたのである。

 

鹿児島空港に降り立つと、想像以上に気温が低かったが、それでも冷気に仄かな緩みが感じられた。

 

 

リムジンバスで市内随一の繁華街である天文館まで足を伸ばし、まだ開店している店が少ないアーケードを2人で散策した。

少し早めの昼食をこってりした鹿児島ラーメンにして身体を暖め、路面電車で西鹿児島駅に向かう。

 

本来ならば、T子のために鹿児島見物を織り込むべきであろうが、以前に、彼女の母親と一緒に桜島や城山も含めて訪れたことがあるので割愛し、その代わりに、熊本で観光の時間を取ることにしていた。

 

 

九州新幹線の開業を1ヶ月後に控えて、西鹿児島駅は一新されているだろうと予想していたものの、駅舎を目にした僕は唖然とした。

 

「ありゃあ、こんな風になっちゃったか」

「面白いビルですね。屋上に観覧車があるんですね」

「桜島が見えるのかな。蒲田の駅ビルにもあるよね」

「ありますね、凄く小さくて可愛いのが。私、友達と乗ったことあるんです。あなたは?」

「僕はないなあ。面白かった?」

「うーん、何が見えたっけ。よく覚えていないんです」

 

 

鉄道や高速バスで何度か訪れたことのある昔の西鹿児島駅は、如何にも昭和の建築といった古臭さを残していたものの、最果ての風格と南国らしさが感じられる佇まいで、好きな駅舎だった。

 

今では、入口に幅広の大階段を備えた瀟洒な駅舎に一変しているが、何となく小ぢんまりした印象が否めないのは、屋上に観覧車を乗せた隣りの駅ビル「アミュプラザ鹿児島」の方が目立っているためであろうか。

総体的に、駅なのか商業施設なのか判然としない外観である。

 

 

蒲田駅の「東急プラザ」の屋上にある観覧車は直径10m、1周するのに3分足らずと模型のようであるが、昔ながらの屋上遊園地の面影を残して、今でも地元の人々に愛されている。

 

子供の頃は、遊具の鉄道やカート、各種ゲーム機などが揃っていたデパートの屋上が、貴重な遊び場だったことを懐かしく思い出すが、家族連れでよく出掛けた故郷長野市の「丸光」百貨店に、屋上の観覧車はなかった。

それでも、ハンドルを回してガラス張りの箱の中の車を左右に動かすだけのドライブゲームや、コインを入れるとお堂の中から女性の人形が御神籤を持ってくる装置などは、後のコンピューターゲームよりも明瞭に心に刻まれている。

屋上遊園地で遊んだ後に、家族で「丸光」のレストランに入り、お昼を食べた記憶が今でも懐かしい。

 

「丸光」はその後倒産し、デパートの経営母体は変わったものの、その後、その地に建物自体がなくなってしまった。

 

 

「東急プラザ」蒲田店の屋上も、「丸光」の記憶に惹かれて足を踏み入れてはみたものの、どう見ても子供向けのような外観で、観覧車に乗るのを諦めた記憶がある。

紀行作家の宮脇俊三氏は、遊園地に行けばお猿の汽車にも乗る、と書いていて、童心に忠実で羨ましいと思うけれども、僕にその度胸はない。

最近は、少子化の影響と、吹き曝しで天候に左右されやすい屋上での遊具の管理が難しく、屋上遊園地は激減していると聞いているが、寂しいことである。

 

「アミュプラザ鹿児島」の観覧車は、直径60m、1周14分半と遥かに規模が大きいが、遊園地は併設されるのだろうか。

 

「乗ってみたいですね、あの観覧車」

 

と呟いたT子の希望は、バスを1本遅らせても叶えてあげたかったが、建物の入口は工事用の幕に閉ざされている。

「アミュプラザ鹿児島」の開店は、九州新幹線部分開業の半年後、この年の9月にずれ込んだと聞く。

 

 

屋上観覧車に未練を残しながらも、僕らは、定刻11時36分に駅前バス乗り場に姿を現した熊本行き「ハイビスカス」号に乗り込んだ。

 

この路線を運行する九州産業交通と南九州高速バスは、前者が「きりしま」号、後者が「ハイビスカス」号と、事業者ごとに担当便の愛称を変えているが、経路や停留所は共通である。

いづろ高速バスセンターが始発で、天文館停留所にも寄ってきた「ハイビスカス」号の車内には、十数名の先客が席を占めていて、西鹿児島駅から乗車した乗客も含めて、20名程で熊本を目指すことになった。

 

朝から色々と忙しかったけれども、バスの座席に収まって一息つけば、これで滞りなく熊本に行けるね、と自然に笑みがこぼれた。

 

 

いづろ、とは、高速バスファンになったからこそ知った地名である。

天文館から東へ進んで来た路面電車が北へ左折する「いづろ交差点」で、そのまま真っ直ぐ海岸に伸びている通りを「いづろ通り」と呼ぶ。

漢字で書くと「石灯篭」で、第15代薩摩藩主島津貴久の菩提寺である南林寺の石灯篭が立っていたことが、由来であるらしい。

僕は西鹿児島駅で乗降することが多かったのだが、名古屋行きの夜行高速バス「錦江湾」号だけは、始発地に敬意を表して、いづろ高速バスセンターで乗車した。

 

「ハイビスカス」号もいづろから乗ってみたい、と思わないでもなかったけれど、周囲に何にもなさそうな場所だった記憶があるので、T子に西鹿児島駅を見せた方がマシだろうと考えたのである。

 

 

「ハイビスカス」号が市街地の背後の丘を駆け上がり、鹿児島ICから九州自動車道に入っていく導入部は、これまでに乗車した鹿児島発着の高速バスで、何度も経験済みである。

賑やかな市街地の至近に、このような険しい地形があるのか、と眼を見張る感触も懐かしい。

ここを走ると、鹿児島に来たのだな、と思う。

 

九州自動車道に入った「ハイビスカス」号は、一気に速度を上げ、一面の畑に覆われたシラス台地を快走する。

なだらかな山々の合間に、桜島がぼんやりと浮かんでいる。

 

 

窓外に「鹿児島空港 2km」の標識が過ぎ去ったかと思うと、バスは少しずつ減速して、そのままインターを降りてしまった。

 

「えっ?マジか!」

「どうしたんです?」

「いや、このバス、鹿児島空港に寄るんだ、と思ってね」

「ここ、さっきの空港ですか?」

「うん」

 

鹿児島を発着する高速バス路線が、九州道に設けられた鹿児島空港南バスストップに停車して、乗降扱いをすることは知っていた。

空港ターミナルビルに程近い立地のバスストップで、鹿児島から福岡や大阪、名古屋を行き来する高速バスが空港に寄る意味があるのか、と首を傾げたこともあるのだが、名古屋行きの「錦江湾」号で、種子島から名古屋に向かう家族連れと乗り合わせたこともあるので、それなりの需要はあるのだろう。

 

ただし、近いと言っても、空港ターミナルビルとバスストップは数百メートルほど離れているから、大きな荷物を抱えて歩くのが億劫で、今回も利用するつもりは毛頭なかった。

 

ところが、「ハイビスカス」号は、あろうことか高速を下りてターミナルビルに横づけしたのである。

後で調べてみると、開業の3年後から、鹿児島空港に寄るようになったらしい。

あらかじめそうと分かっていても、起点からの乗車に拘りを持っている僕が、空港から直接熊本に向かったかどうかは怪しいけれども、余計な遠回りをしたのは事実であるから、ここはT子に謝罪するに越したことはない。

 

「空港からそのまま熊本に行けたんだね。ごめん」

「可笑しいです」

「どうして?」

「バスに詳しいあなたが知らなかったなんて、面白すぎます」

「うん、全然知らなかった」

「大丈夫。おかげで、美味しいラーメン、食べられたんですから」

 

前向き思考のT子に感謝である。

 

 

えびのJCTで宮崎自動車道と合流する頃になると、山々が押し迫ってきて、「ハイビスカス」号は鹿児島、宮崎、熊本の県境を成す国見山地と、加久藤カルデラの外輪山が重なり合う峠越えに挑んでいく。

 

えびのICと人吉ICの間の九州道は、平成7年7月に開通したばかりであった。

それにより、九州道の全通のみならず、青森から鹿児島までの約2170kmが、高速道路で途切れることなく結ばれたのである。

 

前後の高速道路が先に開通しているにも関わらず、完成が遅れた区間は、大抵が我が国有数の峻険な地形にある。

東北自動車道碇ヶ関IC付近や北陸自動車道の親不知、東海北陸自動車道の御母衣湖付近、大分自動車道の湯布院付近など、僕も幾つかの区間を並行する一般道を走る高速バスで通過した経験があるけれど、加久藤越えの迫力は抜きん出ていたように思う。

 

 

九州道は、鉄道で言うならば鹿児島本線と同じく九州縦断の役割を担っているが、鹿児島と八代の間は、内陸に敷設された肥薩線に沿っている。

肥薩線は鹿児島本線よりも先に開通したものの、急勾配を登り下りする急峻な地形が災いして、海岸沿いの鹿児島本線にメイン・ルートを譲ったのである。

 

幹線としての役割を終えた線区を、最新の高速道路が先祖返りのようになぞっているのは、建設技術の進歩とともに、肥薩線の経路が距離的に鹿児島本線より短いことや、鉄道よりも車の方が勾配に強いためであろう。

 

肥薩線で断続するトンネル群で最長なのは、延長2096mの矢岳第1トンネルである。

完成したのは明治42年で、我が国で初めて鉄道が開通してたかだか30年に過ぎないという時代であったので、トンネルを極力短くするために、前後の2ヶ所にスイッチバックを設け、更にループ線で標高を稼いでからトンネルに入る線形となった。

軟弱な地質と異常出水に苦しめられ、資材の運搬にも苦労するような山奥での難工事を強いられた矢岳第1トンネルであったが、完成すれば、青森から鹿児島まで鉄道が繋がるという、100年後の高速道路建設と同じ命題が課せられていた。

 

矢岳峠と加久藤峠は、1世紀の時を隔てて、我が国の交通史に名を刻んだのである。

 

 

九州道には、矢岳第1トンネルの2kmほど東に、下り線6264m・上り線6255mという高速道路のトンネルとしては我が国で第6位の長さを誇る加久藤トンネルがある。

 

僕が加久藤越えを初めて経験したのは、福岡発鹿児島行き高速バス「桜島」号に乗車した平成4年10月のことであった。

新宿から福岡までを走り抜く日本最長距離夜行高速バス「はかた」号から乗り継いで、東京から鹿児島までバスだけで行ったのである。

 

九州道を南下してきた「桜島」号は、当時の未開通区間の手前の人吉ICで、国道221号線に下りた。

加久藤越えを挟んで九州道が建設されてから、国道221号線が九州縦断のメインルートを担っていたので、すれ違いにも苦労するような大型車が多かった。

正面に立ちはだかる百貫山と国見山を越えるために、昭和47年に掘削された長さ1808mの国道の加久藤トンネルと、その手前の人吉ループ橋で高度を稼ぐ峠越えは、南九州の山深さを目の当たりにして、息を呑む思いがした。

 

 

復路では、鹿児島発大阪行き夜行高速バス「トロピカル」号で同じ経路を通ったはずであるが、既に眠っていたのだろうか、記憶が定かではない。

平成6年12月に、福岡と宮崎を結ぶ高速バス「フェニックス」号の夜行便で同じ道筋をたどっているが、この時も全くの白河夜船だった。

 

その帰路に利用した鹿児島発名古屋行き夜行高速バス「錦江湾」号は、大阪行きの「トロピカル」号よりも発車時刻が早かったために、オレンジ灯に彩られたループ橋や、狭隘な加久藤トンネル、眼下に広がった街の灯など、夜の峠越えの迫力が「桜島」号よりも強く印象に残った。

 

5度目は、鹿児島と大分を結ぶ高速バス「トロピカル」号夜行便に乗車した時、6度目は、T子と一緒に新宿-名古屋線「中央ライナー」号、名古屋-熊本線「不知火」号、そして熊本から宮崎へ「なんぷう」号へと乗り継いだ2年前である。

 

今回の「ハイビスカス」号は、7度目の加久藤越えということになる。

 

 

尾根と谷が入り組む複雑な地形を、九州道は、幾つものトンネルと橋梁で楽々と渡っていく。

勾配は決して生易しくはないものの、「ハイビスカス」号の走りは微塵も揺るがない。

高速道路による加久藤越えでは、先人たちが歯を食いしばりながら越えた時代を偲ぶことは難しかった。

 

加久藤盆地と、その向こうの韓国岳を筆頭とする霧島の峰々が、窓外を過ぎ去る山裾の間に垣間見える。

平行する肥薩線でも、北海道根室本線の狩勝峠や信州篠ノ井線の姨捨と並ぶ、日本三大車窓の1つに挙げられている区間である。

 

 

「あそこも火山だったんでしょうか。何となく阿蘇に似ている気がするんですけど」

 

と、加久藤盆地を見下ろしながらT子が聞く。

 

「うん、何十万年も前に大噴火を起こして、宮崎から薩摩半島、大隅半島のあたりまで火砕流で埋め尽くしたらしいよ」

「宮崎まで!怖いですね」

「その火口に出来たカルデラ盆地だね」

「でも、素敵な眺めです」

「やっぱり、鹿児島と熊本の間は、鉄道よりも高速バスがいいなあ」

「鉄道はここを通らないんですか?」

「うん、不知火海に沿って、ずっと西を走ってる。昔、特急で熊本から鹿児島まで行った時に、物凄く退屈してね」

「海沿いなのに退屈したんですか?珍しいですね。あなた、海を見るのが好きなのに」

「初めての時と2度目は昼間だったんだけど、あまり覚えていないんだ。3度目は夜だったし、特急で2時間半も掛かったから、飽きちゃったんだね。でも、高速バスだと、夜でも退屈しないのが不思議なんだよなあ」

 

T子は微笑しただけだったが、本当に好きなんですね、と顔に書いてある。

 

特急「つばめ」で熊本から鹿児島へ向かった夜のことが、遣り切れないほどの退屈さの記憶と共に、懐かしく思い出された。

そうか、部分開通の九州新幹線の真価は、在来線で冗長だったこの区間を短絡することだったのか、と思いが至った。

 

 

加久藤峠を後にした「ハイビスカス」号は、人吉ICで高速道路を下り、人吉の市街地へ立ち寄った。

ここで高速道路から離れるのは、織り込み済みだったので動じない。

 

宮脇俊三氏は、処女作「時刻表2万キロ」の一節で、湯前線の列車に揺られながら、

 

『盆地の末端にさしかかり、山が近づいてくると、ようやく球磨川が姿を見せる。

線路が右岸に移ってまもなく、左手から肥薩線が合流し、人吉の渋い家並みのなかに入った。

旅館より寝台車のほうが性に合う私でも、人吉には泊まりたいと思う。

温泉はあるし、鮎の季節にでも泊まったら、ながいこと飲んだことのない焼酎に手が出るかもしれないが、今回もまた人吉に泊まれない日程しか立てえなかった』

 

と書いていて、人吉は気になる町の1つであった。

 

城下町として、また温泉と酒造の町として栄えたものの、文久年間の寅助火事により人吉城と町の大半が焼失し、昭和38年から3年連続で続いた球磨川水害でも、市街地の景観は一変してしまったと言われている。

車窓から眺めれば、確かに渋いけれども、どこか荒削りな雰囲気を漂わせている町並みだった。

 

 

肥薩線人吉駅に近く、バスの車庫と営業所を兼ねている人吉産交停留所で、10分ほどの休憩が設けられていた。

T子と僕は営業所のトイレで用足しを済ませ、鹿児島よりも肌寒い空気に震えているうちに、熊本を11時14分に発って来た宮崎行き高速バス「なんぷう」号が、隣りに停車した。

 

「懐かしいね」

「このバスが、ですか」

「うん、塗装が変わっちゃっているけど、これ、一昨年に君と乗ったバスだよ」

「あっ、熊本から宮崎へ行った時ですか」

「そう」

「じゃあ、私、ここに来たことがあるんですか?」

「あるよ。夜行明けでよく寝てたよね。覚えていないのも無理はないけど、ここできちんとトイレにも行ってるよ」

「やだ、恥ずかしいこと言わんといて下さい」

 

 

「なんぷう」号は、昭和56年10月に、全区間で一般道を使い、所要4時間40分で結ぶ特急バスとして開業した歴史がある。

 

かつては陸の孤島とも呼ばれた不便な土地であった人吉が、今では、「ハイビスカス」号・「きりしま」号や「なんぷう」号をはじめとする高速バスが人吉産交を出入りし、また高速道路上の停留所であるものの、福岡-宮崎線「フェニックス」号が人吉ICバスストップに停車することで、福岡、熊本、宮崎、鹿児島と緊密に結ばれるようになった。

「ハイビスカス」号も「なんぷう」号も、どちらも「人吉 熊本」「人吉 宮崎」と行先標示に書かれているので、人吉での乗降は少なくないのだろう。

 

一方で、肥薩線を経由して福岡・熊本と宮崎を結んでいた特急「おおよど」、急行「えびの」「くまがわ」が次々と姿を消し、八代と人吉の間に運転される優等列車が皆無になった時期もある。

 

 

鹿児島から熊本に向かっている僕らのような利用客にとって、「ハイビスカス」号の人吉産交の停車は、程よい休憩になっているとは言え、余計な寄り道以外の何物でもない。

しかし、九州道が全通した平成7年に、それまで通過していたノンストップ便もわざわざ高速道路を下りて人吉産交に停車するようになり、「ハイビスカス」号と「きりしま」号は、不思議なほど人吉に配慮した運行形態になっている。

 

人吉の人々は、航空機を利用する際に、熊本空港ではなく鹿児島空港を使うという。

同じ県内でありながら、熊本空港に行くには乗り換えが必要で、2時間近く掛かるのに対し、鹿児島空港は直通する高速バスを使えば1時間で行き来できる。

「ハイビスカス」号の鹿児島空港停車にはそのような意義があったのか、と納得した。

 

ただ、人吉市内に乗り入れていた高速バス路線も、少しずつ九州道人吉ICバスストップの停車に切り替わり、唯一、人吉産交と熊本を結んでいた「高速ひとよし」号も、令和2年に廃止されたと聞く。

 

 

13時15分に人吉産交を発車して程なく、「ハイビスカス」号は九州山地から不知火海沿岸に抜け出し、やがて熊本平野に足を踏み入れた。

 

益城ICで九州道を出たのが、午後2時20分頃だった。

東町中央、自衛隊前、県庁前、水前寺公園前、味噌天神、通町筋と、市内停留所をたどる道筋は混雑していて、終点を目の前にしているだけに、もどかしく感じられた。

 

熊本を訪れた時に利用した他の高速バスは熊本ICを使い、松の本、西原、帯山中学校前を経由して、自衛隊前から「ハイビスカス」号と同じ停留所に停まったので、ひときわ長く感じた記憶がある。

益城ICからの経路は、2年前に「なんぷう」号で通ったはずだが、僕もT子も話に夢中になっていたのか、それとも居眠りをしていたのだろうか、よく覚えていない。

T子は、渋滞でバスが滞っても、こんなものでしょう、と悟り切った表情で座っている。

 

定刻14時49分より少し遅れて熊本交通センターに到着した僕らは、路面電車で熊本駅に行き、レンタカーを借りて熊本城や水前寺公園を見物してから、阿蘇の外輪山を越えて延岡に向かった。

 

 

熊本-鹿児島線「ハイビスカス」号・「きりしま」号は、この旅の翌月に、予告通り廃止された。

鹿児島のバス事業者が出資する合弁会社だった南九州高速バスも、同時に解散したので、乗り納めになった。

 

ところが、路線復活の要望が数多く寄せられたため、4年後の平成20年10月に、九州産業交通が単独で「きりしま」号の運行を再開し、後に南国交通と鹿児島交通も参入して、今では1日10往復が運行されている。

 

路線再開の一報を耳にした時、僕は、T子と別の人生を歩んでいた。

今でも、1本の高速バスに乗るために九州を往復した冬の週末の記憶が、ほろ苦さとともに、こよなく懐かしく思い出される。

 

 

 

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