身体はちょっとしたことで変化します。

今日稽古の時に調子が悪くなったのですが、別に大したことではありませんが。

それを稽古のなかで姿勢をしっかり決めることで、さっと変化しました。

剣を使わずに手の構えだけで型を行いました。

中心軸に気が集まり、筋力が背骨に入り不調は消えました。

不思議なことでもなんでもないのですが、姿勢というのは意識も変えてくれます。

不調が起こるときは、緩んでるときが多いです。背骨がねじれてたり、首の筋力が落ちていたり。

なのでそのような不調のときは稽古をやると調律されます。

身体はほんとに面白いなと日々感じます。

久しぶりの投稿になります。

もうひとつのblog『空の気持ち』のほうに記事が偏りました。

またこちらのblogも書いてまいります。

さて、昨年はやはり足首の骨折があり、全力では動けませんでした。

まだ完全には治っていないのですが、すでに稽古は行っています。

そして本日の稽古会です。

年明け初の木曜稽古。

やはりみな正月明けの身体でした。

気になったのは肩と脚の連動が出来ていないこと。
そのヒントをお伝えして、稽古をしてもらいました。

身体はやはり、自己観察力が大事です。

身体のこと、他のこともそうですが、相手を見ることができても、自分を観察することが出来ないと変化出来ません。

上達に必要なのは自分のありのままをしっかりと見ること。

気づくと身体は変わるんです。🙏

それではまた。


さて本日の朝稽古は 

姿勢。

やることはそんなに変わらないのだが、自分の姿勢をどれだけ観察しているかということ。

出来るとか出来ないとかではなく、どれだけ観察をしていて、身体と向き合っているか。

そんな気づきの稽古。

立ち姿勢、数センチ重心を変化させただけで感覚、動き、意識ががらりと変わる。

大きな動きの変化ではない。

数センチの変化にどれだけ気づくことができるか。

ほんとにシンプル。

かんたんな立ち方なのにその奥がとても深く、面白い。

私は今日歩いていて感じた。

私は自分の身体が好きなのだなあと。
動きとか、歩きとか。

身体は動きも心も内包している。

自分の動きを極めよう。

そう感じた。


日々の鍛練、もちろん重要なことだが、それをただこなしてしまうとシャーブさが欠ける、身体の芯から外れる気がする。

だから鍛練は考えながら行っている。

また動きに慣れてくると、上手くなるどころか下手になることもある。

慣れてくると、もうそれ以上のスキルを学ばなくなることがある。
つまり今がマックス。出来上がりですよ、と思ってしまうのだ。

毎回集中力と、真剣さを備える必要があるのはそのため。

できたと思ったら、できない方向に流れるから注意。

気づくこと。

出来ていないところに気づくこと。

自分で見つけること。

誉められることを望まぬこと。

誉めて伸ばすということも確かに必要なことだが、それはおべっかして、その気にさせることではなく、出来ていることにも気づかせるために、気づきを与えていること。

自分で気づく努力をする。

自分と向き合うと、できたかどうかは自分で分かってくる。

出来ない自分を自分で認める。

そうして自分の体をありのままにしっかりと見る!!


技というか、身体が動きを覚えてくると余計な力は抜けてくる。

何事もそうだがその事に集中出来てこそ、そのものを得る事ができる。

足首の骨折がまだ治らないので完全には動けないが、身体はそれでもその中で全力で稽古をしようとしている。

つまり集中できるとは好きであることで、それをさらに深く学びたいと思ったら、そこから自ずと真剣になるものだ。

生徒の摺り足の稽古を見ているだけで、

うわーやりたいなあーーと、思う。

摺り足は地味な稽古で、、これに真剣になれるかたはあまりいない。

だが動かない足首をかかえていると、ほんの少しの動きがいとおしいのだ。

動けないときほど動きたいのだなと思った。

今だから見えてきた身体の動きもある。

不安定なときほど集中力は増すようだ。

半身の動き、重心、足首の使い方、鎖骨の動き、、肩甲骨の動き、、いろいろと気づいてくる。

今はなるべく足を使わぬように、剣を振っているが、いかに全身で動いていたかがわかる。

とにかく今の身体で全力でいく!