皆さん
『修行』
と聞くと
どんなイメージを持ちますか?
恐らく、多くの方が
「キツイもの」
「しんどいもの」
「やりたくない」
というイメージを持たれる方が
多いと思います。
私も少し前までは
その様に思っていましたし
「出来ることなら
『修行』はしたくない
ラクして幸せになりたい
悟りを開きたい」
との様に思っていました(笑)
でも・・・
『日本一修行が厳しい』永平寺の
『修行』の概念を調べていたら
『修行のイメージ』が変わった
ので、今回はそのことについて
綴りたいと思います
さて。
【永平寺】は『修行』が
『日本一厳しい』
と言われているので
どの様な『修行』があるのか?
と思って調べてみたところ
「これが修行」というような
特別な項目はなく
『生活』=『修行』
との様になっている
とのことで
『滝に打たれる』とか
『火の上を歩く』とか
『苦行』的な部類の修行は
ほとんどないのだそう
『何気ない日常生活』が
『修行』そのもので
基本的に
『自分の心を整えること』に
主眼が置かれており、
『坐禅』などは
その方法の1つなのだそうです。
『坐禅』が『修行』なのではなく
『心を整えること』が『修行』だと
『心を整える』のに、直接
心に働きかけるのではなく
日常生活のあらゆる事柄を
『丁寧』に行い
『正して』いくことで
常に「心を整えておこう」とする
というのが【永平寺】の『修行』で
大事にしていることなのだそうです
いやはや、全然イメージと違いましたが
この様に聞くと
『修行』のニュアンスって
ちょっと変わってきません??
ちなみに・・・
朝起きてすぐの『洗面』は
汚れた顔を洗うのではなく
自らを清めることで
他をも清め
全世界を清めていく行為が
『洗面』である
という教えがあります。
これに感銘を受けてからというもの
朝、顔を洗う時に意識していますが
そうすると
全然、世界観が変わるのですよ
あとは『食事』に関しても
細かな教えがあるのですが
※『精進料理』の発祥も
どうやら【永平寺】(曹洞宗)らしい
「食材や器を扱うのも
自分の目の玉を扱う様にせよ」
「食事をすることは仏の命をいただく
ということに他ならない」
「この食をいただくに見合うだけの
行為を行っているか?」
これらを『料理』をする際
『食事』をする際に意識すると
『料理』をする意識も変わるからか
『料理』のエネルギーも変わるし
そのエネルギーの高まった『料理』を
食した後はいただいた分
それに見合った仕事を
丁寧にこなしていこう
という気持ちになれて
なんだか新鮮で気分が良いのですよ
もちろん【永平寺】で修行されている
『雲水(お坊さん)』は厳しい作法にて
実践されているので
「意識が変わるだけで
こうも違ってくるのか?」
と、まだ数日しか実践していませんが
すごく感動中です
っとこう綴ると・・・
「あれ?【永平寺】って
日本一厳しい修行寺
という割には
そんなに厳しくないのでは?」
と感じる方も
いらっしゃるかもしれませんが
ある方が、こう言われていました。
「外側の事象はいずれ慣れる。
慣れれば、それがやがて普通になるから
外側の厳しさは割とどうとでもなる。
自分にとって本当に厳しいもの
となるのは内側。
自分の心に関する事柄なのである。
怠けちゃおうかなと、易きに流れやすい心。
他のことがしたいなと、移ろいやすい心。
イライラを抑えることのできない、乱れやすい心。
そういった
未熟な心を自分自身で整えていく努力を
毎日毎日不断に続けていく。
自分の心に自分で責任を持ち
自分で自分を律していく。
そのように自分の精神を鍛錬していくことは
決して簡単なことではない。
そしてその厳しさこそが、禅における
本当の厳しさであり、禅の修行なのである。」
と。。。
ホント、私も常々思うのですが
人って自分の中にある悪しき部分を
正面から見ることってキツイのです。
だから、多くの人は
すぐに
✔『見なかったふり』をしたり
✔『ポジティブシンキング』したり
✔『人に良く見られよう』と外面を良くしたり
・・・としてしまう
そして、誰もが大なり小なり
『怠慢さ』
『外道さ』
『残虐さ』
・・・などを持ち合わせているけれど
自分の中にあるそれらを見ようとしないもの。
だけど、それらを見なければ
人って『成長』できないし
『成長』がなければ『真の喜び』や
『達成感』も得られにくくなるので
『生きている実感』や
『生きている充実感』を
得られなくなるのですよね
だから、人は出来る限り
『内側』を観ていくこと。
もっというと『ありのまま』に
見つめて・受け入れていくこと。
これがとても大切になってくるのですが
それが難しく感じるからこそ
【永平寺】での『修行』は1番しんどい
と言われているのかもしれませんよね。
そう
【永平寺】は『禅宗』ですが
『禅』って、私が学んだ心理学スクールでも
『禅の授業』があるくらい
『心理』と深い関わりがあります。
※ご参考👇
『禅の修行』に「終わりはない」と言われており
「完成もない」とも言われています。
その様なことを『禅問答』と呼ばれていますが
人生って、ホントそういうものだと思うのですよね。
※非常に興味深い記事を見つけました
だからこそ、少し禅的に意識を向けて
日々行動をしてみると
思ってもみなかった気づきを
得ることも多々あったなぁともね
そして、その気付きには
自分の悩みを和らげる種や
![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
さて・・・
仏教の教えでは
「頭で考えるよりも、まずは実践」
とよく言われています。
本当にね
人生が上手くいかない時(人)ほど
「理解してから、実践したい」
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
そう思って実践出来ないうちは
何も学べないし、悟れないのです。
※参考動画↓
これに該当している人には
ハッキリと申し上げることが多いのですが
この意図が分かる様になるには
色々な『失敗』や『悔しさ』を
経験しないと分からない部分もある。
だけれども、私としては出来れば
そういう苦労をあまりしないで
人生をより良くなって欲しいと思うのですが
それも私のエゴでしかないのですよね(^▽^;)
なので、歯痒い想いをすることも
あるのですが。。。
これも私の『修行』です。
目の前の人の『失敗』などを含めた
『経験』を奪うのも違うので
そういう『経験』している渦中を
見守る『修行』もしていきたいと思っております。
※【永平寺】での私
・・・っとここから『結婚』についても
綴っていきたいので
このシリーズ、もう少し続きます
ご興味のある方は
どうぞお付き合いくださいませ
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