宝永大噴火(1707年)を最後に富士山は、眠り続けている。しかし過去に、富士は何度も大爆発を起こし、周辺に被害を与えてきた。見る者を誰しも感動させるその優美な姿は、そうした過去の爆発が残したものだ(写真=山中湖畔の花の都公園から)。

 


 爆発の痕跡は、富士山の東側に位置する各地の露頭などで確認できる。そうした場所では火山降下物の堆積がはっきり認められるし、地上に表れているものでも例えば関東ローム層は、先史時代の箱根火山と富士山の火山灰が堆積したものだ。

 

歴史時代に入って平安と江戸の3回の噴火
 また富士山麓に広がる青木ヶ原樹海には、流れ出した溶岩がほぼそのまま残っているし、山中湖畔、花の都公園の溶岩跡の展示施設では溶岩に包まれた大木の跡の樹型群を観察できる(写真)。

 

 


 今は静かで、夏山シーズンは毎年、登山者で賑わうが、富士山はれっきとした活火山である。歴史時代でも、3回、大噴火が記録されている。宝永大噴火の前は、平安時代に発生した「延暦の大噴火(800年~802年)」と「貞観の大噴火(864年~866年)」があった。ただ宝永の大噴火以後、現在に至るまで富士山は噴火していない。
 しかしもし富士山が大噴火したら、地元は大惨事になるだろうが、東京でも降り注ぐ火山灰で都市機能が麻痺するに違いない。宝永の大噴火では、100キロ離れた江戸にも火山灰が降り積もった。

 

先史時代には縄文晩期の活動期に3回
 では富士山はどれくらいの頻度で噴火するのか。平安時代の西暦9世紀には間隔もさほど開けず、2回も大噴火を起こしている。
 それ以前は、有史以前となるから文字記録は、ない。しかし降下火山灰の堆積から年代を推定し、3400年前の大沢噴火、3200年前の大室噴火、2300年前後の山頂噴火の3回が突き止められている。
 独立峰である富士山が現在のような日本最高峰に成長したのは、縄文時代前・中期の5600年前から後期の3700年前頃の活動期だ。その後、晩期の3500年前から2300年前には山頂で爆発を繰り返した。最後の噴火が、前記の江戸時代の宝永大噴火だ。

 

本栖湖湖底を掘削し未知の縄文晩期爆発を確認
 では、それ以外は?
 このほど秋田大学や東京大学の調査グループは、富士五湖の1つで水深が最も深い本栖湖の湖底を掘削し、過去8000年間に未知の2回の噴火があった事実を突き止めた(写真)。しかもこの噴火の間隔は、わずか20年間という短期間で起こっていたという。9世紀の2回の噴火もそうだが、富士山は1度、大噴火を起こすとさほど間も置かず、もう1度、大噴火を起こすらしい。

 

 グループは、本栖湖湖底を深さ4メートルまで掘削し、ボーリングコアを採取した(写真)。するとコアに、これまで知られていなかった2回の噴火の跡を示す火山灰層が見つかった。層の中の有機試料で放射性炭素年代を測定したところ、2回の噴火は縄文晩期に当たる2458年前と2438年前と分かった(誤差範囲は略)。実にたった20年で、立て続けに2回、噴火が起きていた。

 

 

西側での爆発の痕跡確認は初めて
 さらに今回の調査で、3400年前とされた大沢噴火は3042年前頃と、従来よりもずっと後に起こっていたことも判明した。
 日本列島の風向きは西から東に吹くので、列島の火山大噴火の火山灰は、東の方向に楕円状に広がる。例えば約2万9000年前~2万6000年前に姶良カルデラの巨大噴火で噴出した大量の火山灰は、一部は東北地方の青森県まで降灰した。
 このように西側には、あまり降灰しない。ところが本栖湖は、富士山の西側にある。過去の爆発の火山灰が富士山の西側の本栖湖で見つかったのは今回が初めてで、既知の3回の噴火で降った火山灰の範囲も、従来推定よりずっと広かったことが明らかになった。
 ただ上記の編年から見れば、富士山大噴火の可能性は、少なくとも僕らが生きている間は小さいように思われる。

 

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