沖縄、サキタリ洞(写真下の上)では、これまで旧石器人化石や貝製遺物など、当時の島嶼旧石器人の生活を覗ける重要遺物が発見されてきたが、9月19日、沖縄県立博物館・美術館などの調査チームによる総括的発表が、アメリカ国立科学アカデミー紀要(PNAS)オンライン版でなされた(写真下の下)。

 

 

 

サキタリ洞の重要性のリポート
 沖縄は、全島がほぼ石灰岩で覆われている。石灰岩層に落ち込んだヒトを含む動物の骨は、アルカリ環境で保存されやすい。火山灰による酸性土壌に覆われた本土と大違いで、そのため本土での旧石器人化石はたった1例(浜北人)しかない。
 これに対し沖縄では、先島も含め、10例前後も旧石器人化石が発見されている。東アジアでも傑出した完全骨格を誇る港川人骨は、その最高の例である。
 その港川遺跡から距離約1キロと近い「ガンガラーの谷」のサキタリ洞で、これまで旧石器人骨片や食物ゴミが見つかり話題となっていたが、PNAS発表で、あらためてサキタリ洞の重要性が明らかになった。

 

日本最古級の人骨化石片
 最も重要なのは、文化層最下層のⅢ層下部出土の幼児部分骨の年代が約3万年前であり、さらに下部の焼けたシカの骨化石などから洞窟居住が約3万5000年前頃にまで遡る可能性が示されたこと、そして途中、Ⅲ層上部(2万3450~2万5480較正年前)、Ⅱ層(1万9635~2万3425較正年前)をへて、最上部Ⅰ層(1万3291~1万6625較正年前)と、継続的な旧石器人の痕跡が確認されたことだ。Ⅱ層とⅠ層では、人骨片も出ている。
 Ⅲ層下部の幼児骨は、沖縄のみならず、国内最古例の可能性がある。これまで最古とされているのは、同じ沖縄の山下町第一洞窟の3万数千年前の幼児骨化石だが、半世紀近く前に古い手法の放射性炭素で年代測定されたもので、今となっては信頼性に乏しい。

 

東アジアに現生人類登場後、ほどなく沖縄に渡島
 Ⅲ層下部の幼児骨だけでなく、さらに古い人類居住の証拠は、何らかの航海手段を使った沖縄への人類移住が、ホモ・サピエンスの東アジアへの登場にほどなくなされた可能性を強めた。ホモ・サピエンスは、良好な居住環境を求めるという点で何一つ当てのない沖縄まで、危険な海を渡海してきた。それこそ、まさにホモ・サピエンスの持つ好奇心以外に考えられない。
 また沖縄のように狭い島嶼環境では、大陸から渡ってきた旧石器人が命をつないでいくのは難しいと考えられたが、今回の調査で、沖縄では継続的に人類が居住されていたことが分かった、とチームは報告している。ただし沖縄よりずっと小さいが、インドネシア、フローレス島では、ホモ・フロレシエンシスが80万年前以上の居住が証明されているから、条件さえ整えば小さな島嶼の小個体群でも生存できることが確証された。

 

Ⅱ層で世界最古の貝製釣り針などの貝文化のアセンブリッジ
 さらにチームが重視する発見として、Ⅱ層で見つかった世界最古の貝製釣り針完成品1点である(写真)。

 

 Trochus属の貝の底部を割り、磨いて作られている。これまで世界最古とされていたのは、東ティモールのジェリマライ遺跡で見つかった2.3万~1.6万年前の貝製釣り針だから、これと並ぶ(11年11月30日付日記:「ティモール海外洋まで舟で漕ぎ出てマグロなどを捕っていた4.2万年前の先史人;ジャンル=考古学、人類学」を参照)。

 

ツノガイ製ビーズなどの装飾品も
 さらにⅡ層では、貝製釣り針の他にも、沖縄旧石器文化の貝製品の豊かなアセンブリッジが観察できる。例えばツノガイ製ビーズなどの装飾品や貝製スクレイパーだ。この貝製スクレイパーを使用痕分析した結果、木や竹などを削るのにも用いられたらしいという。石器原材の乏しい沖縄で、独自に発展した貝文化である。
 また洞窟内で旧石器人の食用となったと見られるモクズガニやカワニナ、オオウナギなどを季節に合わせて利用していたらしいことも分かった(写真)。

 


 なおこれまで掲載したサキタリ洞についての日記は下記のとおり。

 

14年2月17日付日記:「南部アフリカ周遊:チョベ国立公園に溢れるゾウ;追記 沖縄サキタリ洞で旧石器人骨と貝器発見」
13年1月5日付日記:「石器と人骨、そして食物ゴミが同時に出土した1万2000年前の沖縄サキタリ洞遺跡は国内最古;ジャンル=人類学、考古学」

 

昨年の今日の日記:「世界一目指したフォルクスワーゲンの不正はディーゼル車首座メーカーに致命的;経済」