タナ湖を40分ほどクルーズして、島に着いた(写真)。船着場には、早くも子供が現れている。
子供たちが集まり、口々に「ペン」、「ペン」
僕たちは順次、上陸する。そこから、森の中の緩やかな坂道を登っていく。それからは、五月の蠅のように、子供たちがまとわりついてくる(2月4日付日記:「エチオピア紀行(4):『少年』国家エチオピアの子供たちに未来は期待できるのか、現実の傷ましさ」を参照)。
ここが、僕たち外国人ツーリストとエチオピアの子供たちの初めての本格的出遭いとなった。子供たちは、男女を問わず、口々に「ペン」、「ペン」とねだる。空中に字を書く仕草を見せる子もいる。
その後、僕たちは訪れたスポットの至る所で子供たちの「歓迎」を受けるのだが、ほぼ例外なく「ペン」、「ペン」と要求された。キャンディーや小銭よりも、まず「ペン」なのである。その理由は、分からない。自分たちで使うのではなく、これが小遣い稼ぎになるのだろう、と言う人もいた。
「ノー」で通す
僕たち一行は、みんな最低限の筆記具は持っているが、それをあげてしまえばこちらがこれから不自由する。それに、1人にあげれば、もう雲霞の如く寄り集まって来て、収拾がつかなくなるだろう。
だから僕たちは、非情にも「ノー」という一言で通すことになる。
敗戦後の日本で、進駐軍兵士に裸足でボロをまとった日本の子供たちはキャンディーをねだって群れ集った。その70年後の再現である。
コーヒーの木を見ながら丘の上のウラ・キダネミレット修道院へ
緩やかな坂道の途中には、手入れもされないコーヒーの木が茂っていた(写真)。枝には、赤い実がなっている。この実の中に、やがて人々が嗜むコーヒー豆、つまり種子が入っているのだ(2月22日付日記:「エチオピア紀行(16):タナ湖の島で見たコーヒーの木と実、そしてコーヒー・セレモニーの体験」を参照)。
タナ湖の標高は、約1800メートルだ。そこから上がったとしても、プラス100メートル。アラビカ種のコーヒーの木には、絶好の環境である。
目的地は、10分近く歩いた先の丘上にある「ウラ・キダネミレット修道院」である(写真=内側から観た修道院の門)。
昨年の今日の日記:「イスラム世界は混沌、今度はイエメンで2大宗派によるテロリスト集団を含めた三つ巴の戦争」