kawanobu日記/思い知ったかスターリン主義者の恐ろしさを。平和ボケした素人政治家の外交の大失敗が危うくしている国の未来 画像1

 脱力感の後に無力感にうちひしがれ、しかし現代史の重要な一こまを書き留めておかなければ、という思いで、朝の日記をやっとのことでアップした後の昨日の1日だった。朝からの風雨で、さらに滅入りそうな天気でもあった。

スターリン主義者の本質は共産主義イデオロギーの衣をまとったヤクザ
 尖閣諸島をめぐって中国人漁船船長を無罪放免したボケ菅政権の愚挙については、昨日の日記で書き、多くの方々から熱心な書き込みをいただいた。もう思い出したくもない屈辱だが、それでも以下のことは書いておかねばならない。
 そもそもこの問題すら無関心な人たちは論外だが、多少とも社会と政治に関心を寄せる方にはよくお分かりになっただろう。現代中国を支配するスターリン主義者の本質を。
 中には温家宝に期待を寄せるようなことを言った者もいたが、温家宝が身を置き、熾烈な党内闘争で党序列3位に登りつめた集団、スターリン主義党とは、本質は共産主義イデオロギーの衣をまとったヤクザである。ソ連のスターリン時代とブレジネフ時代、北朝鮮と中国の今は、まさにその原理にそって運営されている。東欧とソ連は、民衆叛乱で打倒されたが、中国と北朝鮮だけはしぶとく生き抜いて、今も世界に自分たちの原理を押しつけている。

対日恫喝策は、先週の政治局常務委で決定か
 スターリン主義党は、一枚岩が原則であり、異論派は6.4市民革命(天安門事件)で失脚させられた趙紫陽・党総書記のように、排除される(故趙紫陽総書記については、09年6月4日付日記:「6月4日の中国の蛮行を忘れない:「天安門事件」、「08年憲章」、趙紫陽、『改革歴程』」を参照)。だから、『東欧革命1989年――ソ連帝国の崩壊』にも記述されているように(これはソ連崩壊後に、共産党のアルヒーフから議事録を得て再現されている)、党の最高意思決定機関である政治局常務委会議の結論は、全会一致となる。そしてそこで決まったことは、下級へ、地方へ、速やかに伝達され、すべての国民はそれに従う。異論は、許されない。
 党の決定は無謬だから、決して過ちはない、という大原則もある。だからスターリン主義者は、1度得た物は2度と返さないし、譲歩は一切しない。戦後世界で領土を広げた国家はスターリン主義中国だけであるという現実はダテではないのだ。
 今回の問題勃発後、次々とレベルを上げて繰り出された恫喝措置と温家宝の言動から見て(共同開発で合意している東シナ海の海底ガス田「白樺」の一方的掘削も始まった模様)、おそらく先週という早い段階で、週1回開かれる中国共産党政治局常務委員会で対日恫喝政策が決定されていた可能性が高い(船長の逮捕は8日だった)。

「政治主導」のかけ声だけの素人政権には勝てない戦いだった
 したがってこの決定は、ぶれることはない。窮地に陥った時は、政治局常務委であらためて方針転換する決まりで、党内序列3位の温家宝がどうこうできるものではなかった。できるとしたら、1位の胡錦涛だけである。
 以上であるから、スターリン主義国との紛争は、始めた以上は決して敗れてはならないのだ。もし戦う自信がなかったのなら、中国人船長を検察庁送りなどせず、逮捕直後に他の漁民をそうしたように、強制送還すべきだった。ちなみに04年に尖閣諸島に上陸した中国人たちも、直ちに強制送還している。
 そうすれば、苦い思いは残っても、まだここまで無惨な敗北をしなくてすんだ。最悪のこの敗北が、いかに高い代価を払うことになるかは、船長が釈放されると、待ってましたとばかりに中国外務省が発表した「謝罪」と「賠償」要求である。スターリン主義者は、ヤクザと思考は同じだから、譲歩すればそれに乗じてかさにかかってくる
 つまり、外交も政治も全くのド素人の民主党政権が「政治主導」という名で日光いろは坂を無免許運転しているような現状が招いた必然だった
 後世の歴史家は、あの時が中国による日本植民地化の決定的転換点だったとふりかえるかもしれない。今は、そうでないことを祈るだけだ。

バラマキスト民主党政権発足前に懸念したこと
 昨夏の総選挙でバラマキスト民主党が大勝した時、目の前が真っ暗になったが、その当時、次のことを深刻に懸念した。
 ①バラマキてんこ盛りの詐欺フェストに沿って、国内的には財政規律を欠いた野放図なバラマキを行い、反企業的政策を進めることで景気後退も引き起こす。
 ②理念だけが先走った外交も安保も素人集団が困難な外交を担えるか。回復不能な大失敗をやらかさないか
 さらに国会とテレビカメラの前では威勢のいいこと、耳当たりのいいことだけを言ってきて、統治能力を欠いた連中の危機管理のなさを、真剣に憂慮した。
 案の定、宮崎の口蹄疫問題では、初動で失敗し、大騒動を起こした。口蹄疫で大量のウシとブタが殺されたが、自然災害でなかったので、人命が失われなかったのは幸いだった。もし東海沖地震や東京直下型地震が起こっていれば、彼らは何をしたらよいのか右往左往するだけで、その間に大勢の犠牲者が出ただろう。

国内でも外交でも大失敗の連続の果て
 ①の懸念は、昨年の予算編成でさっそく行き詰まってしまった。そして戦争直後の1946年以来、64年ぶりという税収を上回る赤字国債を発行して何とか取り繕った。財政再建の道は、これでさらに遠のいた。おまけに子ども手当も、高校授業料無償化などの設計が雑だから、外国人の不正受給やテロリスト養成機関とも言うべき朝鮮高校も対象にされた。
 ②と連動するのが、クロ鳩が昨夏の総選挙中に喚いていた普天間基地移設を「最低でも県外」という安保の大失敗である。筋の分かった者なら誰もが無理筋と考えた粗雑で空疎な理念が空回りし、案の定、普天間基地移設は暗礁に乗り上げ、日米関係はささくれだった。いたずらに盛り上げた沖縄県民の期待感も、無惨に裏切られた。
 その中で昨年12月、当時の幹事長の汚沢が手下の議員を140人以上も引き連れて、拝謁外交に北京に行った。
 この2つの外交の失敗の延長上に尖閣諸島の敗北があることは、すでにこの日記で何度も述べた。

69年作成の中国公式地図では尖閣諸島は日本領の扱い
 この外交上の大失敗は、国家の主権を売り渡したに等しいので、内閣総辞職ものである。
 もう尖閣諸島沖で、領海侵犯する中国漁船は取り締まれない。先の船長は、中国で英雄となったから、それに続こうという連中が必ず出てくる。尖閣諸島に上陸されたら、もう拘束できないだろう。あえて拘束する自信があるか、ボケ菅内閣に問いたい
 そう遠くないこの行く末は、尖閣諸島の中国軍の占領、である。北方領土と竹島のように、もう2度と帰ってこない。何しろスターリン主義者は1度手にした物は返さない、からだ。
 今さら言っても、仕方のないことだが、中国の増長を放任した歴代自民党政権の責任も重い。
 68年まで中国は、尖閣諸島が日本領(当時は沖縄本島などとともにアメリカの施政権下にあった)であることに異議を唱えたことは1度もなく、自国領だと主張したこともないのだ。中国が初めて自国領だと言い出したのは、尖閣諸島の近海に海底油田が発見された以後の72年である。実際、ネタ元は不明だが、アメリカ高級紙「ワシントン・ポスト」は、中国は1969年に作成した機密扱いの公式地図で尖閣諸島を日本領と扱っていた、と伝える。

宮沢政権の責任も重大
 92年に中国は領海法を制定し、南沙群島、西沙諸島などとともに一方的に尖閣諸島を自国領に編入した。この時、中国は6.4市民革命(天安門事件)の余波で経済低迷に苦しんでいた。海軍力も、まだ幼稚な段階だった。今となっては遅いが、この時、日本政府は断固とした抗議を中国に行い、領土保全を担保するために気象庁や海上保安庁職員を常駐させる措置をとっておくべきだったのだ。
 だが日本を半国家状態に縛り付ける戦後レジームの中で、自民党政権は長く惰眠を貪っていた。特に92年当時の宮沢政権の責任は、重大である。ちなみに現在の自民党総裁の谷垣禎一氏は、旧宮沢派(宏池会)派閥を承継した派閥ボスである。
 それを思うと、日本の未来は、どこから見ても明るくはない。せめてバラマキスト民主党とボケ菅内閣が今度こそ支持率を落とし、政権再交代の芽が出てくるのを期待するだけだ。しかし反民主党の核となる自民党の総裁が谷垣氏なのである。情けなくなってくる。
 写真は、ソウルにあらば、行って祈りを捧げたい今の心境のカトリック明洞大聖堂。ここで朴正熙独裁政権時代、反政府運動を弾圧されていた民主化運動活動家が信者とともに独裁への抵抗ミサを行っていた。

昨年の今日の日記:「鈴木宗男、外務委員長のトンデモ人事に見る民主党の傲慢:中村喜四郎、新党大地、刑事被告人」