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ソウルで見た朝鮮戦争の悲惨と朝鮮統一の唯一の機会の時:国連軍、朝鮮特需
 戦争記念館は、ソウルの繁華街、明洞の南山を挟んだ反対側にある。明洞で日本人客1人を降ろしたから、記念館に着いたのは、もう1時に近かった。さすがに腹が空いてきていて、何も見なかったに等しいのに、早くも足が重い。

非武装に近い状態で北朝鮮に急襲された朝鮮戦争開戦
 それでも館内に入って、展示を見ていくと、充実ぶりは凄い。朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と呼ぶ)を主に展示しているが、目で見て分かるようにジオラマや映像がふんだんに使われている。特に戦後、韓国が日本から独立し、その後、北朝鮮によって侵略された一連の経緯は、日本語解説も充実し、飽きさせない。
 メモも取る時間もない駆け足参観だったけれども、開戦前夜の韓国が、強盗同様の北朝鮮に対し、いかにノーテンキにかまえていたか、よく分かった。まず軍装備が北朝鮮に対して、圧倒的に劣勢だったのだが(例えば韓国軍は戦車なし、航空機は練習機のみの22機だったのに対し、北朝鮮軍は戦車240両、航空機はソ連製の最新機211機を保有していた)、それ以上に北朝鮮による南進が開始された1950年6月25日の前日は、韓国軍は休日扱いで、兵士は兵舎を空にして実家の田植えに出払い、ほとんど裸同然だったという。

鴨緑江の水を飲む韓国軍の印象深い写真
 そこを北朝鮮は陸上で2地域、海上でも東海岸から、不意打ちに出た。韓国軍の応戦態勢も整わないうちに、あっという間にソウルは占領され、3カ月もたたないうちに韓国軍と直後に参戦した国連軍は、朝鮮半島の南西端の釜山まで追い詰められたのである。
 けっきょくこの仕掛けられた侵略戦争は、アメリカ軍主体の国連軍による「仁川上陸作戦」の成功で反攻態勢が整い、その勢いでソウルを奪還、国連軍は平壌もまたたくまに落とし、ついには中朝国境の鴨緑江まで金日成一派の軍を追い詰めた。韓国軍兵士が鴨緑江の川縁で、渇いたのどを潤すべく鴨緑江の水を飲んでいる写真は、ひときわ印象的だった。
 これですめば、朝鮮半島は統一され、今日のような北朝鮮の核武装もなく、日本も拉致被害者を出さずにすんだのだが、ここに中国軍が「義勇軍」と称して介入した。中国軍は人的損害を厭わない人海戦術で、国連軍を押し戻し、国連軍はソウルを再び放棄し、36度線近くまで戦術的に後退した。ソウルは、2度、北朝鮮軍に占領されたわけだ。

遠くアフリカからも参戦した国連軍
 その後、兵站線の延びきった中国・北朝鮮連合軍は国連軍の再反攻にさらに北へ押し返され、膠着状態に陥る、ということになるのだが、その様子がドキュメンタリー映像で見られるようになっているのは感動的仕掛けである。
 当事国の韓国を除いて、世界各地から21カ国が国連軍に参加したが、各国兵士の軍服を着せた等身大の人形がズラリと展示されていたのは圧巻だった。それで、初めてアフリカのエチオピアや南アからも派兵していたことを知った。当時、アフリカの独立国は、この両国とエジプトくらいだったろう。
 おそらくアメリカからの見返り援助を当てにしての派兵だったろうが、それにしても第2次大戦以来の最大の侵略行為に対し、遠いアフリカから兵を送って世界平和に貢献した両国の勇気に経緯を表する。

「朝鮮特需」で日本は戦後復興へ
 日本は、どうだったか。
 その時、アメリカ軍の出撃基地は提供したが、人的貢献はしていない。そしてアメリカ軍は、大量の軍需物資を日本から調達したため、日本は「朝鮮特需」という空前の好景気に沸いた。これで戦後の荒廃した日本は、一躍経済離陸を遂げた。日本は、韓国とアメリカ軍の血の犠牲の上に戦後復興を遂げたのである。
 人的貢献もせず、成果だけはいただくという、アメリカやヨーロッパからその後繰り返し批判される日本の国際協力の不名誉な振る舞いは、朝鮮戦争から始まる。したがってこの記念館で日本のプレゼンスはゼロである。ちなみにもし韓国が北朝鮮によって武力赤化統一されていたら、今の日本の平和と安全はなかったはずだ。
 写真は、焼け野原となったソウルの市民の日常生活を表したディオラマ。今日のソウルの現代的街並みは、2度、北朝鮮軍に占領され、灰燼に帰した中から再建されたものなのである。

昨年の今日の日記:「ロシアの闇と闘うのか、メドヴェージェフ大統領の怒り:オリガルヒ、ゴスコーポラツィア、プーチン」