The Stone Roses/ Stand Still (Bootleg CD, 1991) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 先週から続きまして、1989年のストーン・ローゼズをめぐる記事の第3弾。完結編の今回はブートレッグのCDの話です。
 ストーン・ローゼズが1989年10月に日本でおこなったライヴを収録した『Stand Still』。
当ブログでブートをトピックにするのは初めてではないでしょうか(追記: 大嘘でした。こちらの記事で、Lost Lennon Tapes vol.2について書いてました)。

 前回と前々回の記事でローゼズのデビュー・アルバム『石と薔薇』のことを書いて、ちょっと熱くなりすぎたと反省しているので、今回はなるべくリラックスして行きます。と言っても私のことですから、どれだけ抑制できるのか自信はありませんが、頑張って肩の力を抜きます。あ、頑張らんでいいのか。

 このブートCDが出たのは1991年だったようですが、1990年の初頭に買ったのだと思い込んでいました。
 というのも、私は90年の2月に東京までローリング・ストーンズのライヴ(こちらも大々的な初来日)を観に行き、帰りに立ち寄った西新宿のレコード屋でストーン・ローゼズの12インチ・シングルとブートのLPを買ったのです。『Stand Still』もその際に入手したのだと勘違いしていました。
 ちなみに、そこで買った12インチはローゼズが『石と薔薇』よりも前にリリースしていたSo Youngで、ブートLPは89年5月にロンドンのICAシアターで録られた音源。
 京都から訪れた21歳の私には西新宿のあのレコード屋街は蟻地獄で、エリアを出たとたんに憑物が落ちたかのようにガックリときました。でも、それらの12インチやブートを獲た満足感のほうが上回っていました。その記憶に、いつのまにか『Stand Still』が紛れ込んでしまったのだと思います。

 よくよく考えたら、89年の10月下旬に日本でおこなわれたライヴが、4か月もたたないうちにブートで出回るのは、当時としてはちょっとサイクルが早い気がします。ストーンズ級のビッグ・ネームならともかく、ローゼズは駆け出しの新人バンドでした。やはり、91年に京都か大阪で見つけて入手したのです。
 ジャケットに流用されている写真は、先に『ロッキング・オン』の90年1月号の表紙として使われていいました。宣材のアーティスト写真でしょう。でもそれが表紙を飾った『ロッキング・オン』にはローゼズのライヴ評が大きく扱われていて、私には彼らの初来日の思い出と強力に結びついています。
 ブート業者があの表紙を知っていたのかどうか、そこまでリサーチするものなのか。まあ、偶然。ただ、『Stand Still』のジャケットは当時のローゼズ・ファンのツボをとらえていたと思います。

 89年のストーン・ローゼズの日本ツアーは、川崎クラブ・チッタ(10/23)、五反田ゆうぽうと簡易保険ホール(10/24)、大阪毎日ホール(10/25)、それに日本青年館(10/27)の計4回でした。最終日の日本青年館は追加公演で、若いロック・ファンの需要が主催者の予想を超えていたのです。
 『Stand Still』に丸ごと収録されているのは、簡易保険ホールか日本青年館での音源だと言われているようです。私はどちらの回も観ていないのでなんとも言えないのですが、自分が行った大阪毎日ホールでないことは確かです。大阪で曲間に客席から飛んだ「変やぞ!」のヤジが入っていません。
 このCDでのセットリストは下記のとおりで、ファースト・アルバムから選ばれた8曲(Elephant Stoneも含む)にStanding Here、Where Angels Play、Sally Cinnamonを足した11曲、および1曲目(I Wanna Be Adored)への導入のSE。オーディエンス録音で完全にクリアではないけれど良好です。

1.Intro
2.I Wanna Be Adored    
3.Elephant Stone
4.Waterfall
5.(Song For My) Sugar Spun Sister
6.Made Of Stone
7.Standing Here
8.She Bangs The Drums
9.Where Angels Play
10.Shoot You Down
11.Sally Cinnamon
12.I Am The Resurrection

 私が持っているCDには盤面に

Promotion 

Not For Sale

 と記されています。ブート業者もプロモ盤を得意先の専門店に配るものなのですね。

 レーベル名はどこにも記載されておらず、カタログ番号は「1024-2」。ケース裏にはI Am The Resurrectionの終盤でイアン・ブラウンがパーカッションを叩いている写真が使われています。

 タイトルのStand Stillの言葉は、5曲目のSugar Spun Sisterを演奏する前にイアンがそう呟いていて、「そうやって、じっと立ってろ」か「おまえら、じっと立ってんだな」と客に言っているように聞こえます。そこが海外のロック・ファンにも想像しやすい日本のオーディエンス像らしいということで、タイトルに採用されたんじゃないでしょうか。
 
 その日の客はstand stillな状態だったのか。このCDに収められたライヴを私は観ていないので、大阪での様子を思い出してみます。
 
 前々回にも書いたように、89年に『石と薔薇』をロックとダンス・ミュージックの融合として日本で受け止めていた人はほとんどいなかったはずです。『石と薔薇』は傑作ですが、アピールしたのはザ・スミスやアズテック・カメラやエコー&ザ・バニーメンのファン層で、当時はそういう音楽のリスナーがハウスも聴いているというのは珍しいことでした。
 ところが、会場の毎日ホールに入ると、客入れのB.G.M.は大半がハウスとヒップホップでした。「これ、メンバーが選んでんの?」という声がどこかから聞こえたりしました。
 アンコールをしない旨は前もって『ロッキング・オン』で読んで知っていたので、入口の貼紙を見て、「あ、ホントにしないんだ」という程度に確認しましたが、B.G.M.には私も違和感をおぼえました。まさかそんな私が1年後にはハウス系の12インチ・シングルを買い集めているなんて、その時は想像もしていません。
 開演までは、みんな適当にしゃべったりしながら、全体としては和やかな雰囲気で待っていました。椅子席だったし、私は座って鑑賞するライヴになるかもしれんな、と思いました。ホントにそういう、文化系のネオアコ/ギター・ポップな空気が漂っていたのです。

 やがて客電が落ち、B.G.M.がサウンド・エフェクト色の利いたコラージュに変わるや、全員が立ち上がりました。すると、ライトがステージから客席に向かって放たれ、それがグルグルと頭の上をかすめて行きます。そこにI Wanna Be Adoredのマニのベースです。ジョンのギターは耳ざわりなノイズを伴っていました。そしてレニのドラムのアタックがアルバムとは段違いに強い。
 ライヴなのだから、アルバム以上の音量で体にぶつかってくるのは当然です。でも、それとも違っていました。とくにドラムはシンコペーションが細かく入っていて、ぜんぜんネオアコ/ギター・ポップには響きません。そこにイアンやクレッサの奇妙な動作。「変やぞ!」のヤジにも理はありました。


 文芸サークルに入部したはずなのに、いきなりパー券のノルマを押しつけられた、みたいなものでした。

 Elephant Stoneはアメリカ盤のCDに収録されていたし、私のように輸入盤のCDシングルを追加して買った人もいたでしょうから、あのメロディーに没頭できます。しかし、イアンの歌は音程がフラフラだし、ギターの調子は悪いし、なんか違うな、なんか違うな、と訝りつつも、レニのスティックさばきとキックの技に驚嘆しているうちに、4曲目のWaterfallが終わりました。
 この東京公演のブートCDでは、その次のSugar Spun Sisterの曲前でStand  still!の言葉が飛び出します。もしイアンのコメントがオーディエンスの反応への戸惑いだったとしたら、これはクラブ・チッタの翌日、ホールでの初日となった簡易保険ホールの音源ではないでしょうか。確証はないのですが、どうもそんな気がします。

 このCDが発売された1991年は、ロック・ヒストリー上でも特筆すべき時期でした。9月にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がリリースされて、グランジと称されるバンドが一気に注目を集めた年です。
 2月にはダイナソーJr.の『グリーン・マインド』があったし、その前年にはソニック・ユースの『Goo!』も出ており、さらに前にも胎動や兆しを遡れるのですが、アメリカでの新しい動きが太い幹となって顕在化したのは91年の後半でした。
 私はそこで、ローゼズに始まるマッドチェスターが終わってゆくことを実感しました。いま振り返れば淡く短い夢でした。いや、どこかで薄々その予感はしていたのだけど、私はビートルズとグラウンド・ビートという大好きなサウンドがミックスされた心地よさに浮かれていました。だからマッドチェスターを思い返すのは個人的にはけっこうな苦さがつきまといます。また、『ネヴァーマインド』が世に出る直前に発表されたプライマル・スクリームの傑作『スクリーマデリカ』には、(あのアルバムはマッドチェスターではないのだけれど)私には「最終章」または「年鑑1990/1991」のイメージを持っています。

 ただ、人の心はそう急激に変わるものではなくて、おそらく『Stand Still』もマッドチェスター熱が温存されている中で買って聴いたのだと思います。
 90年、91年と、私はローゼズの雨後の筍みたいなバンドを山ほど聴いていたものですから、それなりにシーンを俯瞰できるようにもなっていました。少なくとも、89年よりはローゼズ初来日時の音に驚いたりせず、むしろ来日公演の後でリリースされたFool's Goldを新たな足場に、毎日ホールでの体験を捉え直しました。その視点をもって聴くと、興味深い箇所がいくつも発見できるブートでした。

 

 Fool's Goldがレコーディングされたのは89年の夏の終わりごろだそうです。彼らは8月12日にブラックプールで、9月23日にはスペインのヴァレンシアで、ライヴをおこなっています。「夏の終わり」というのはその間かもしれません。いずれにせよ、来日する前のことです。
 YouTubeでそのヴァレンシアの音源を聴いてみると、『Stand Still』と演奏は大きく異なってはいません。5日後の9月28日のイタリア・ミラノでの音源はというと、I Am The Ressurectionの終盤でレニがかなり強く激しいシンコペーションを叩きだしています。しかし、これもまだFool's Goldの表情と同じではありません。

 ところが、『Stand Still』での演奏には聞き逃せない箇所があります。10曲目のShoot You Downです。
 アルバムではチルアウト的な感触とオリエンタルなペンタトニックが印象に残るこの曲の頭で、ジョン・スクワイアのギターがなかなか演奏に加わってきません。大阪でもこうだったのかは忘れましたが、このShoot You Downのみにそういう演出を盛り込むとは考えにくいです。なにか機材のトラブルでも起きたのでしょうか(だとしたら、日付を特定する手がかりになります)。
 その場を繋ぐのがレニのドラムです。ギターが入ってくるまで、ずっとシンコペしたビートを叩き続けています。
 これ、ブレイク・ビーツに使えます。

 私は『Stand Still』を初めて聴いたとき、この部分で目から鱗が落ちる思いがしました。

 もちろん、ドラマーの機転としては珍しいケースではありません。しかし、Fool's Goldを通過した耳に、この部分のドラミングは『石と薔薇』の仕様とは違って聞こえました。

 それで『石と薔薇』でShoot You Downを聴きなおしてみると、やっぱりそのドラムもブレイク・ビーツっぽいんです。ほかの曲もよく聴くと、レニのプレイにはロック・ドラムとは異なるニュアンスが感じられます。ただ、『石と薔薇』ではそれが前に出ていなかったし、リスナーの耳もそこに敏感ではなかったのです。

 7曲目のStanding Hereでは、ジョンのギターが少し『セカンド・カミング』の方向を目指して鳴っており、レニはリズムをツカツカタンと刻んで、メロディーの音符の長さを細切れに砕くようなプレイを聞かせています。彼が凄いのはそれでもローゼズの曲を歌ごころで支えているところです。

 そのStanding Hereや9曲目のWhere Angels Playは、来日公演のあった89年の10月には私が知らなかった曲でした。アルバム未収録だったからです。それに11曲目のSally Cinnamon。これも『石と薔薇』以前のシングル曲で、把握していませんでした。
 先述したように、Elephant Stoneはアルバムのアメリカ盤を買えば漏れなく入っていました。でも、Standing HereはShe Bangs The DrumsのシングルB面だったし、Where Angles PlayがI Wanna Be Adoredのカップリングに選ばれたのは1991年の再発シングルからです。Sally Cinnamonも知らない人が多かったでしょう。 


 Where Angles Playなんかは、毎日ホールで初めて聴いて、「ポップでいいな。60年代の誰かのカヴァーかな?」と気に入った曲で、翌90年に西新宿で買ったICAシアターのライヴ・ブートでタイトルを知りました。

 今の世の中では考えられない情報の遅さですが、そんなものでした。というか、これでも早いほうだったんです。
 『Standing Still』を91年に買ったのだとしたら、そうしたグッド・メロディーは私のローゼズ像からわずかに薄れていた頃合いです。なにせローゼズは90年7月にOne Loveというシングルをリリースし、それがグッド・メロディーとグラウンド・ビートのグルーヴが絶妙に溶け合う曲だったものですから、Where Angels Playの♪バ~ンバ~ン♪だけでは満たされなくなっていました。『石と薔薇』がダメだったと言いたいのではありません。そこに1990年を間にはさんだ1989年と1991年の違いがあったんです。

 

 もしもあの初来日でローゼズが、リリースを翌月に控えたシングル、Fool's Goldを演奏していたり、すべての曲をグラウンド・ビートの流儀で突きつけていたら、私たちはどう反応したのか。

 それはもう、呆気にとられて口をポカーンと開くしかなかっただろうし、観客によっては「こういうのを期待してたんじゃない」と不満をおぼえる人もいたでしょう。

 まずは『石と薔薇』を、アルバム以上にシンコペーションを強調した演奏で届けてくれたことは、当時の日本のファンにちょうどよい先行き加減だったのです。あれは充分にスリリングで「変」なライヴでした。『Stand Still』を聴くと、そんなローゼズと私たちの歩幅について思いを巡らせます。

 そして、大阪で「変やぞ!」と叫んだ人、今どうしているんだろう?という事も、私が89年のローゼズを振り返るたびに必ず付いてまわる感慨です。あの「変」な感じを彼はどう消化したのだろう、今でもおぼえてるんやろか、などと。

 

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