The Stone Roses/ One Love (single, 1990) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 ストーン・ローゼズ?なんて冴えないバンド名なんだ。1989年の夏の手前に『ロッキングオン』誌で彼らの存在を知ったとき、まずそう思いました。
 ローリング・ストーンズが4年ぶりの新作(『スティール・ホイールズ』)をレコーディング中、と伝え聞いたのがその頃。また、1989年はガンズ&ローゼズが日本でもブレイクしている真っ最中にありました。ストーンなローゼズということは当然ワイルドなロックンロール・バンド…には見えないなぁ、メンバーのこの出で立ちは。ゲーセンにタムロする子供みたいな風貌。”ストーン・ローゼズ”なんて、田舎の中学生が人生で初めて組んだバンドにつける類の名前じゃないか。
 
 そして1年後。
 1990年の5月に、その冴えない名前のバンドはイギリスのスパイク・アイランドで行われたライヴに3万人近い観衆を集め、私はそのニュースが載った『NME』紙を、マッシュルーム・ヘアに心斎橋アメリカ村で買ったバギー・パンツに指先まで袖口に隠れるパーカーを着て、辞書と首っ引きで読みふけりました。
 
 断っておきますが、私はミュージシャンの着ているものをマネる人間ではありません。いかにもロックを聴いていそうな服装は、むしろ好まない。でも、その私のポリシーを人生でたったの一回だけ狂わせたのが、1989年から1991年くらいまでに起こった「マンチェスター・ブーム」であり、その精神的支柱だったストーン・ローゼズでした。
 こういうファッションごとは、馴れない者が生兵法でやるとブザマです。どこか感性の寸法がチグハグで、じつに痛い。私も相当イタい人に映ったはずです。さすがにそれくらいの他人の視線の温度は測れました。なにせ80年代が終わったばかりで、レニー・クラヴィッツの恰好が珍しがられていた時期ですから、そんな土管みたいなジーンズを履いていると街なかでも浮いていました。
 だけど、そんなのどうでもよかった。マンチェスターから、リーズから、新しい報せがいつも届く。生まれたてのロックが毎日を転がしてくれる。ダサいくらい、なんだ。ガマンしろ(『あまちゃん』の名台詞)。私は22歳の、「サイタマノラッパー」ならぬ「キョウトノマンチェ」でした。
 
 One Loveはストーン・ローゼズが90年の7月にリリースしたシングルです。前年の秋にWhat The World Is Waiting ForとFool's Goldをカップリングしたシングルが出てから、8か月ぶり。長かった(そして、この後の4年が気が遠くなるほど、もっともっと長かった)。
 
 1990年の7月までに、ペイル・セインツやサンデイズやシャーラタンズやインスパイラル・カーペッツやハッピー・マンデーズやライドやジーザス・ジョーンズなどのUK新世代組が、次々とシングルもしくはアルバムを発表していました。新顔ではないプライマル・スクリームやスープ・ドラゴンズなんかもここに入ります。そして、それらの動きの発火点となったのがローゼズでした。
 当のストーン・ローゼズは、89年10月の来日以降、1月に昔所属していたレーベルと揉めてオフィスにペンキをぶちまけた件で逮捕されたほか、音楽的なニュースがなかなか入ってきませんでした。その事件のきっかけとなったシングルSally Cinamonがファンのお腹を間食で満たしたくらい。
 あとは釈放されたイアン・ブラウンのコメントとか、ストーンズのオープニング・アクトのオファーを蹴ったとか、まぁいかにも鼻息の荒さが嬉しくさせるエピソードもあったけれど、そういうお騒がせで盛り上がるには、まだなにも積み上げてはいないだろう?という思いも私は持っていました。その点ではガンズ&ローゼズのほうが立派だ、とも。
 
 けれど、前述した新しいバンドが雨後の筍のように出て来て、停滞していたイギリスのロック・シーンを動かし始めたおかげで、間接的にローゼズの存在の大きさは常に意識していました。グラウンド・ビートとワウ・ギターのミックス、それに囁くように揺れる線の細いヴォーカルでイギリスのロックが塗り変わっていくと、ローゼズが変わらず”マッドチェスター”の中心にいることを実感したものです。
 そのローゼズがスパイク・アイランドでの大規模なライヴを成功させて、ニュー・シングルOne Loveがリリースされる。
 
 じつを言うと、スパイク・アイランドのほうにはあまり関心がありませんでした。今とちがってニュースが日本に入ってくるまでにタイム・ラグがあったし、そもそもスパイク・アイランドがどこなのかも知りません。日本のローゼズ・ファンには日本独自の「ローゼズ受容史」ともいえる受けとめかたの流れがあり、とりわけ初来日の余波が残っていたこの90年と91年は、私もふくめて、イギリスの「レイヴ・カルチャー」という重要な面を省略した形で受容されていました。
 
 One Loveのほうは、期待を裏切らないシングルでした。
 ファースト・アルバム『石と薔薇』の後にFool's Goldのクラブ仕様のファンク・ビートで驚かせて、おなじミニ・アルバムに収録されていたWhat The World Is Waiting ForとGoing Downのギター主導のメロディアスな傾向で安心させた、その次のシングルとして、ファンがグローブを構えて待ち受けるところにボールを落としてくれたのがこの曲。
 ファースト・アルバムよりブルージーながら、そのブルース感覚はポップでもあるしサイケデリックでもあります。Fool's Goldをロック王道の型に近づけて整えて、より明快なコーラス部分とハーモニーでローゼズのフレッシュなメロディーを際立たせます。『石と薔薇』以上に重くうねるマニのベースが、ところどころドアーズっぽいフレーズをはさみながら曲をドライヴさせていきます。ジョンのギターもこれまた『石と薔薇』とは趣きを変え、Fool's Goldで引き始めた線を太書きする。彼が4年後のアルバム『セカンド・カミング』でギター小僧化する予兆もすでに聞き取れます。
 
 ニュー・アルバムが楽しみになるシングルでした。
 彼らは自分たちが舵を取ったインディ・ロック/ダンスの動きにあきらかに自覚的であり、どちらの要素も強化しつつ激しく融合させ、ローゼズにしか作り得ない新時代のグルーヴのポップなありようを研ぎ澄まそうとしている。これからのロックは、こんなふうに酩酊感たっぷりのグルーヴとギター・サウンドで、潜りながら揺れて踊っていくのだ、そう思いました。
 
 でも、そうならなかったんですね。
 そうならないんだ、と思い知らされたのは、翌年にダイナソーJr.とニルヴァーナそれぞれの新譜を聴いてからです。その2つの爆撃をくらって、しかも日本にいて「マッドチェスター」の「マッド」たる部分がよくわからないまま受容していた私は、徐々に新世代UKロックへの熱が冷めていきました。
 オーセンティックにまとまったOne Loveにも冷静に向き合うようになりました。その結果、『石と薔薇』とFool's Goldに満ちていた、「このグルーヴは、このサウンドはなんなんだろう?」と問いかけたくなる謎がOne Loveでは目減りしているように感じられたのです。いい曲だし充分にチャーミングだけれども、本当はFool's Goldでの試みをさらにダンサブルに尖らせた音楽が聴きたかったことにも気づいてしまいました。
 
 One Loveに続くはずだったセカンド・アルバムが届くには1994年の終わりまで待たねばならず、当然というか、その『セカンド・カミング』にこの曲は収録されていませんでした。
 いくつか出ているベストものに居場所を確保しているものの、1994年までの長い時間を振り返ると、この曲には私の「ローゼズ受容史」における最初の消失点として消化しきれない思いが残っています。あまり言いたくないことだけど、「マッドチェスター」の終焉がここから始まっている印象もあります。
 
 それでも、One Loveの12インチ・ヴァージョンの終盤で全体をリードしていくマニのベースを聴くたびに、胸の高鳴りを抑えきれなかったのも事実なのです。
 ロックの地軸がアメリカに移り、絶望と混乱を叩きつけるグランジの強張ったサウンドが瞬く間に世界を覆いつくし、自分もそれにリアルな刺激を感じるいっぽうで、私はローゼズのシェイキーなグルーヴを捨てきれませんでした。
 もしかしたら、私はOne Loveに、「とっ散らかっていない『スクリーマデリカ』」のような音を期待していたのかもしれません。もっとも、「とっ散らかっていない『スクリーマデリカ』」なんて語義矛盾みたいなものだし、まだあのアルバムはリリースされていなかったのですが。
 
 きっと、スパイク・アイランドを体験したイギリス人や、あの夏の「太陽よりも高い」空気を現地で呼吸できた日本人からは、なにが「マッド」だったのかも知らずにそんなことを言うなんて、と失笑されるでしょう。あの頃、イギリスは、ホントに遠かった。後年になって貴重な証言を見聞きするたびに、そう思わされました。
 けれど、たとえそれが想像の及ばないことが起こっている遠い場所でも、ストーン・ローゼズの音楽はいつもそばにありました。それはElephant Stoneの入っていなかった日本盤CDだとか、ジョン・スクワイアのドローイングが毎回ジャケットを飾るシングル盤とか、『ロッキングオン』や『クロスビート』だとか、初来日公演の会場で買ったレモンの描かれたTシャツだとか、どれもありふれた売り物にすぎませんでした。
 でも、それらは私にとって煌めきに満ちた特別なものだったのです。私は「キョウトノマンチェ」にすぎないバッタモンだったけれど、♪You can have it all. Easy, easy♪と結ばれるOne Loveのコーラスの突き抜けるような昂揚感は、あの夏、私の中にも確かに存在していたのです。
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