グラウンド・ビートとマッドチェスター<後編>Fool's Goldとその余波 part 1 | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 前回の記事では、1989年にイギリスのクラブ・シーンから登場したSOUL II SOULがインターナショナルな成功をおさめ、その音のスタイルを踏襲したグループが次々と出てきたこと、そしてここ日本でそうしたサウンドが”グラウンド・ビート”と呼ばれてクラブDJに支持されたことについて書きました。また、SOUL II SOULのデビュー・アルバムから約半年後にストーン・ローゼズがFool's GoldとWhat The World Is Waiting Forをカップリングしたシングルを発表し、とくにFool's Goldにはダンサブルなグルーヴが強調されていたことにも触れました。

 今回は1989年末から1991年までのマッドチェスター系のシングルを可能な限りイギリスでのリリース順に追いながら、Fool's GoldがUKロックにもたらした影響を振り返ります。
 取り上げるのは全部で30曲。この中にはローゼズのFool's GoldとOne Loveも含まれます。
 日本では、マンチェスター以外のバンドもマッドチェスターとして括られていました。この記事でも、89年から90年にかけて『ロッキング・オン』誌が大雑把にイギリスの”新世代バンド”と呼んでいた、あの感覚でまとめていきます。
 ただし、そうした”新世代バンド”ではあっても、ライドやパワー・オヴ・ドリームスやザ・ハイなどは選んでいません。ここではFool's Gold系のグルーヴを伴っているかどうかを基準にしました。
 そうなると、ライドやマイブラやラッシュは選にもれてしまうんです。ザ・ハイは、見てくれこそマンチェでしたけど、音はわりと素直なギター・ポップでした。パワー・オヴ・ドリームスなんかは「バギー・ジーンズ履いて、E食ってレイヴして、バカじゃねぇの?」みたいなことを歌っていました。ラーズやワンダー・スタッフのように独自の道を進んでいたバンドも除外してあります。
 そんな30曲を聴き返して痛感しましたが、ハッキリ言って玉石混淆です。いま聴いてもカッコいいものもあれば、いま聴くとトホホな気分を催させるものもあります。それら全てをひっくるめて、懐かしがったり新鮮に感じたりしていただければ幸いです。

 まず、Fool's Goldについて長めに書きたいと思います。
 この曲は1989年の夏の終わりに、コーンウォールのソウミルズ・スタジオで2週間を費やしてレコーディングされたそうです(*英『Independent』紙のサイトによる)。
 それに先立つ7月、マンチェスターのレコード・ショップでローゼズのシングル、She Bangs The Drumsのサイン会が開かれ、お店から集客のお礼にとメンバー一人ずつにレコードがプレゼントされました。イアン・ブラウンとマニとレニは大喜びでアメリカのハウスのシングルを選び、ジョン・スクワイアはボビー・バードのI Know You Got Soul(1971年)の12インチを持ち帰りました。彼はそのレコードの内容を知らず、ジャケットのデザインに惹かれたのです。

 ボビー・バードは十代の頃にジェイムズ・ブラウンと刑務所で出会い、ともにファンク・ミュージックの礎を築いたシンガーです。I Know You Got SoulにもバードとJBがソングライターのクレジットに名を連ね、JB'sがバックの演奏をつとめています。
 そして、この曲のドラムをサンプリングした同名のヒットを1987年に放ったのがエリックB&ラキムでした。前回の記事で、彼らのデビュー・アルバムに収録されていたPaid In Fullのドラム・ループ(音源はチャック・ブラウン)がSOUL II SOULのグラウンド・ビートの元となったことを書きましたが、エリックB&ラキムの同じアルバムにはI Know You Got Soulも入っていたんです。
 ジョン・スクワイアがレコード店にもらった12インチは1988年にイギリスのUrbanというレーベルから出た盤で、B面に収録されていたのが、やはり1971年のJBのヒット曲、Hot Pantsのドラムをループした"Bonus Beats"でした。このループはパブリック・エネミーのシングル、Fight The Powerでも用いられていました。PEのFight The Powerがリリースされたのは、ローゼズのサイン会がおこなわれる1か月前です。

 このHot Pants (Bonus Beats)のドラム・ループの上にレニがシンコペーションを重ねることで、ローゼズのFool's Goldの土台が作られました。イアン・ブラウンは「JBのFunky Drummerを下敷きにした」と語っていますが、タンバリンの音からするとHot Pants (Bonus Beats)と勘違いしたものと思われます。
 そこにジョンが単音のギター・リフとワウ・ギターのフレーズを重ね、マニがベースでYoung MCのKnow Howという曲を参考にした隙間の多いクールな音のスペースを設けて、イアンが淡々と囁くようなヴォーカルを乗せました。
 ここで興味深いのは、ジョン・スクワイアが単音で弾く♪ラ↑ラ、ソ#ファソ#ファソ♪のギター・リフが、あたかもサンプリングのループであるかのように聞こえることです。
 ローゼズがこの曲で試みたのは、ファンクの直接的な導入というよりも、ヒップホップやハウスのセンスを通したロックだったのです。彼らはJBをなぞろうとしていたのではなく、JB'sの熱量がカット&ループされることによって得られるクールネスにダンサブルなトリップ感を見出したのだと私は思います。そしてそれはSOUL II SOULのグラウンド・ビートが放っていたダンサブルな酩酊感からも遠くはありませんでした。
 さらに、このFool's Goldのドラムと単音ギターはRUN DMCが1990年の9月にリリースしたシングル、What's It All Aboutでサンプリングに使用されているのです(Kick The Frama Lamaでもテンポを落として使われているとの説あり)。RUN DMCがローゼズやUKロック・シーンを知っていたかとなると怪しいのですが、なにかしらのエッセンスを捉えていなければサンプリングに用いることはないでしょう。

 と、ここで注目したいのがFool's Goldのカップリング曲のWhat The World Is Waiting Forです。前回の記事でも書いたように、私はFool's Goldに比べてこっちがファースト・アルバムでのローゼズに近く、より安心感をおぼえました。メロディーにブリティッシュなポップさがあるし、ジョンのギターにはこの後にOne Loveを経てセカンド・アルバムで爆発するブルージーなフレージングが聞き取れます。当時の私はFool's GoldよりもWhat The World Is~のほうにファースト・アルバムの続きを感じました。
 日本で来日記念のミニ・アルバムとして発売された盤のタイトルにも、Fool's GoldではなくWhat The World Is Waiting Forが選ばれていました。それが初来日前後での私たちの気分だったのですが、現在ではその重要性においてFool's Goldのほうが高く評価されています。いわば、『時をかける少女』と『探偵物語』の関係性ですね。
 ところが、よく聴いてみると、What The World Is Waiting ForのドラムのサウンドもFool's Goldの方法で作られており、タンバリンの音などから察するに、ここにも前述のドラム・ループが使われているようです。「ファーストの続きだ~」と安心している場合じゃなかったんです。
 そう考えてファースト・アルバムに遡ってみると、Shoot You DownやWaterfallでも、レニはキック・ドラムを入れるタイミングを後ろにずらして、付点のついたニュアンスをリズムの底部に盛り込んでいるのがわかります。ローゼズは、じつはサイケでフォーキーでビートリーなファーストの時点で、ファンキーな跳ねを内包していたのです。

 Fool's Goldのあと、イギリスのロックではローゼズの試みに共振するかのようなサウンドが大流行し、とりわけ90年と91年のシーンはその色に覆われていました。
 もっとも、すべてがローゼズを起源とするわけではなく、実際には同時多発的にいろんなバンドが自分たちなりに模索した結果だったのでしょう。でも、日本にいてこれらを最新のUKロックとして聴いた耳には、ドラムがズンズンタッ、ツカツカ、タンと鳴ってタンバリンやマラカスがシェイキーに揺れて、ギターはワウ踏みまくりで、ヴォーカルは囁きに近い草食系、そんな音で溢れかえったみたいでしたし、どうしたってそれらの源にはローゼズのFool's Goldがあるとしか思えませんでした。
 それは、良くも悪くも、です。なぜなら、最初のうちこそ「僕らの新世代ロックだ!」と喜んでいたのが、段々と「またこういう感じか!」と食傷気味になっていったからです。リズムのニュアンスもレニとマニのバッテリーほどユニークなものは少なく、徐々にファンキーなうねりからロックによくあるシンコペーションへと陳腐化していったとも言えます。そしてそうなったときに、新人ゆえの引き出しの少なさが露呈してアルバム一枚がもたないケースもありました。
 というわけで、私はマッドチェスターを全肯定はしていませんが、それでもあれは私の青春のグルーヴ・ミュージックでした。今でも、なにも考えずに手足でリズムを取ると、ごく自然にBPM=120くらいでツカツカタンします。
 そんな個人的な青春ツカツカタン、いよいよ曲単位で追ってみます!

 ・・・が、字数制限があって、一気に載せるのは無理みたいなので、このページは1989年と1990年。1991年は次のページにまわします。


1989年


<11月13日>
Stone Roses/ Fool's Gold


 ローゼズのライヴを観た人は、「ドラムがこんなに凄いのか!」と驚きました。初来日体験組は、なおさらそうでした。彼らが日本を発った後に届けられたこの新曲に、ライヴで体験したレニの演奏を反芻した人も多かったでしょう。私もその一人でした。レニを知るまでは学校の先生が遠足でかぶっているような印象しかなかったバケット・ハットも、オシャレなアイテムとして認識するようになったものです。ちなみに、半年後にインスパイラル・カーペッツが来日した会場ではそれを身につけているファンがいました。


<リリース日不明(たぶん12月?)>
Candy Flip/ Strawberry Field's Forever


 てっきり翌90年の2月ごろに出たシングルだと思いこんでいましたが、89年に出ていたのですね。おそらく12月です。
 ビートルズとハウスを掛け合わせてホワホワした歌を乗せただけの流行りもの、という見方をされていたし、そういう部分もあったとは思います。でも、このドラムもJBなんです。Funky Drummer使いなんですよ。

 そういえば、リンゴ・スターのドラムも、ニュアンスに富んでいてロック的にファンキーですよね。つまり、ファンキー&サイケって、ビートルズのカヴァーとしては的を射てるんですね。


1990年

<2月>
Primal Scream/ Loaded


 89年のセカンド・アルバムに入っていたI'm Losing More Than I'll Ever Haveのリミックスです。
 まあ、このヴァージョンを12インチシングルで初めて聴いた時のワケのわからなさと言ったらなかったですね。異物でした。
 それまでもリミックスものはエイティーズで知っていたけれど、それらは長尺版だったんです。けれどプライマルのこれは、全然べつのもの。何コレ?ダブなの?という。
 しかも、プライマルはまだ『スクリーマデリカ』をリリースしていませんでした。その前のアルバムはガレージ・ロックだったし、さらに前はギター・ポップ。で、いきなりこのハウス組曲みたいなヘンなヴァージョンを聴かされたら、そりゃあ驚きます。だいいち、ハウスにもほとんど免疫がなかったようなものだったし。
 ここから『スクリーマデリカ』が出る翌年9月までの間にマッドチェスターが本格化して、少しずつ、このリミックスの持つ意味が飲み込めていきました。
 私は前回と今回の記事でマッドチェスターとグラウンド・ビートの関係に重きを置いているのですが、この時期のプライマルはアシッド・ハウスでしょうね。ツカツカタンとも、そんなに重ならない。
 だけどこのシングルは超重要。これと(同じくプライマルの)Higher Than The Sunがなければ、マッドチェスターはあんなに盛り上がらなかったし、振り返ってこんなにせつなくもなかったと断言できます。


<4月>

Happy Mondays/ Step On


 これ、カヴァーなんですよね。オリジナルはジョン・コンゴスの1971年のヒット曲。しかし、これは見事にマッドチェスター・アンセムとして知られるようになりました。
 ローゼズ、インスパと並んでマッドチェスター3大バンドの一つに挙げられるハピマンですが、日本での知名度は決して高くありませんでした。それは彼らのルックスにポップ&キュートなセンスが皆無に近かったのと(ヤカラ臭がハンパなかった)、彼らの音楽を育んだレイヴ・カルチャーが日本には情報として伝わっていなかったからです。

 加えて、ギター主体のロックを求める人にはあまりにダンス・オリエンテッドすぎた。ローゼズはスミスからの流れで迎えられていたし、インスパはジャムやストラングラーズのファンを刺激するものがあったのに、ハピマンはそこまで日本のロック・ファンに優しくなかったんですね。あと、この時期に来日しなかった。
 でも、そこがハピマンのハピマンたる所以でして、ハウス発のグルーヴをロック・バンド(+ダンサー)の編成でダーティに悪辣に繰り出すことにおいては彼らの右に出る者はいませんでした。その意味ではもっともマッドチェスターらしいバンドだったし、フロアで得た興奮をフロアの流儀で返すダンス・ミュージックとしての強度もローゼズを凌いでいたと思います。だから、ロックがグルーヴの重要性を再認識する時代になると必ず評価されるバンドなのです。
 ショーン・ライダーのヴォーカルにはイアン・ブラウンっぽさが微塵もないですね。これもポイントです(どっちもヘタだけど)。 


<5月14日>
Charlatans/ The Only One I Know


 シャーラタンズはデビュー時に”インスパイラル・ローゼズ”なんて揶揄されていました。オルガンとヴォーカルがそれぞれの先行バンドに似ていたんですね、それでバカにされていたというか、すぐ消えるだろうと軽視する向きもありました。でも、曲は最初からよかった。どの曲にも、ダンサブルなリズムとモッドなオルガンに対してキャッチーかつ緊張感のある簡潔なメロディーがついていて感心させられました。
 とくにこのThe Only One I Knowのメロディーは優れています。英トラッド・フォークを焼き写したような哀感でいっぱいの旋律ですが、それを起承転結の盛り上がりを排除して淡々と聞かせています。このセンスはFool's Goldのメロディーに近くもあるけれど、リズムも含めて、もっとわかりやすい場所に着地させています。ローゼズがついた餅をシャーラタンズがツカツカタンとこねた事で、座して食うバンドが後に続きやすくなったのではないでしょうか。
 ただ、このバンドの本領発揮はもう少し後ですよね。95年ごろ。


<5月>
Saint Etienne/ Only Love Can Break Your Heart


 ニール・ヤングの名曲のカヴァー。サラ・クラックネルという女性シンガーの不安定な歌声がキュートな味わいを醸し出すグループで、サラ・レコーズあたりから出ていたネオアコに近いところも多いんですよね。そこにSOUL II SOULのBack To Lifeからドラムをサンプリングするという、1990年にはものすごくコンテンポラリーで、失敗したら失笑を買いかねないことをやって、大成功しています。途中で入るドラム・ブレイクはレッド・ツェッペリンのWhen The Levee Breaksです。
 いろんな音楽が元の意味性を取り払われてネタとして使われるのは、当時の私には納得いかない感じもしたんですけど、そこに光るセンスを楽しむことをおぼえると、この曲なんかはホントによく出来ていると思えてきます。

 

<6月25日>
James/ Come Home(Flood Mix)


 私、ジェイムズの紫色のパーカーを持ってたんですよ。二の腕に銀色でJamesってプリントされてあるヤツ。
 それはともかく、彼らはマンチェスター出身の歴史の長いバンドで、1990年のアルバム『ゴールドマザー』がイギリスで大ヒットを飛ばしました。で、89年にリリースしたシングルをFLOODにリミックスしてもらったのが、このヴァージョンです。
 この2つのヴァージョンを聴き比べると、マッドチェスター系なるものがわかります。オリジナルでは元気よくロック的に躍動していたドラムの手数が整理されて、グラウンド・ビート的なツカツカタンに集約されているんです。ギターのワウとベースも強調されています。とくにワウ・ギターは序列が急に上がりました。そして、元からあったキーボードのリフレインがハウスの鍵盤みたいな役割でリズムを刻んでいます。
 いっぽうでジェイムズはSit Downという唱和性の塊のようなシングルを発表しており、これは彼らを代表する曲となりました。

 Come Homeの2つのヴァージョンとSit Down。ジェイムズは掘り下げるとじつに面白いバンドでもあります。

 

<7月2日>
Stone Roses/ One Love


 90年5月27日にスパイク・アイランドでの大規模な野外ライヴを成功させたローゼズがリリースしたシングルです。日本の雑誌には翌6月下旬~7月頭に発売された号で報じられたことになります。
 私を含めて日本のファンにとっては、よく知らない土地で開催されたライヴのニュースよりも、ローゼズの新曲を聴ける喜びのほうが大きかったと思います。この頃になると、『ミュージック・マガジン』以外の洋楽ロック雑誌はローゼズに好意的だったし、レコード会社もこのシングルのリリースには意欲的だったはずです。日本盤にはポストカードが封入されていました。
 この曲の特徴を表すと、唱和性ということがキーワードになります。Fool's Goldで開眼した新しいグルーヴを発展させつつも、メロディーの感覚はファースト・アルバムに戻っていて、オーソドックスとも言える起承転結の展開を保っています。そのことが、個人的にはFool's Goldから後退した印象を与えもしました。私としては、もっと徹底的にリズムだけで攻めてほしかった気もします。
 しかし、この曲の起承転結は気持ちよかった。コーラスでスカッと空が晴れ渡るような爽快感がじつにブリティッシュで好ましかったし、イアンの歌は囁きが堂に入って、「待ってました!」と言いたくなりました。ドアーズっぽいフレーズをうねらせるマニのベースもいいし、レニのツカツカタンは続くセカンド・アルバムを夢見させてくれたものでした。
 そして、ジョンのギター。ドライヴに磨きがかかってブルージーでもありました。ただ、彼がセカンド・アルバムであそこまで主役を張るとは、この段階では予想できませんでした。
 いずれにしましても、セカンド・アルバムはもうすぐだと信じて疑わなかったんです。ああ1990年・・・。

 

<10月>
EMF/ Unbelievable


 チャラい連中が集まって、流行りもののインディー・ロックで当てて女にモテようとしている。実際はどうか知りませんが、EMFはそんなイメージを振りまいていました。とにかくチャラかった。そして、そこが彼らの魅力でした。
 マッドチェスターとして括られるバンドでアメリカでも売れたのは、このEMFとジーザス・ジョーンズだけです。アメリカ人にしてみれば、ハウスとロックを融合したイギリスの若手バンドなんて知ったこっちゃなかったでしょうし、ロック好きの若者だったら、やがてグランジと称されることになるバンドのほうにリアルを感じていたと思われます。ストーン・ローゼズもアメリカではカレッジ・チャート以外では無名だったんです。
 じゃあ、なんでEMFとジーザス・ジョーンズはウケたのか。ギターがハードでヴォーカルがシャウト寄りだったからです。ロックはギターがガンガン鳴って叫んでいてナンボ、みたいな物差しは根強い。そこにダンサブルな要素がのちのミクスチャー・ロック、つまりラップ・メタルの先取りみたいな目新しさを呼び寄せたんです。
 EMFの音楽は、ジーザス・ジョーンズのように音楽的な見識や研鑽の結果としてのパンキッシュなダンス・ビートとは違っていました。もっとミーハーだったし、ひょっとすると何も考えていなかったかもしれない。ひどい言い方をすると、バカみたいだった。ジーザス・ジョーンズのファンに「EMFがいい」と言うと笑われました。
 でも、そこが良かったんです。1+1=2を黒板に大書するような明快さがありました。パーティーで流すにも最適な曲。マッドチェスター系のロックで、こうやって大西洋を越えて消費される普及版を生んだだけでも、EMFは一定の評価を与えられてしかるべきです。


<11月26日>
Farm/ All Together Now

 ”カノン進行”です。♪雨は夜更けすぎ~に~♪と替え歌しても合います。音の質感がクラブ・サウンドと接触しているのに、こういうコード進行だとダサくなっちゃうんですよ。
 ”カノン進行”自体は由緒正しい形式なのですが、ダンスよりも歌ものに向いていると思います。この曲のサビなんか、唱和性はすごく高い。そういう面ではいいなと感じるのだけれども、何回聴いても歌が始まると♪きっと君は来な~い♪に引っ張られるんです。で、山下達郎は偉大だよなぁという感想が生じてしまう。
 それ以外はすべて悪くないんですけどね。とくにアレンジやドラムの音のデザインはとてもいい。このザ・ファームはGroovy Trainのほうが好きですが、マッドチェスター的なツカツカタン度はこっちが上です。

 

<リリース日不明(たぶん3月ごろ)>
Soup Dragons/ I'm Free


 出たぁ!という感じですね。スープ・ドラゴンズ。ストーンズ初期の曲をカヴァーしてます。
 ”便乗”という言葉がよく似合うカヴァーでした。元々、スードラはバズコックス系の知的ともバカとも受け取れるヤンチャな音が良かったんですが、見事に時代のサウンドへ魅惑の変身。そして、そのウサン臭さというか尻の軽さがいかにもスードラ節で、私は好きでした。インディーのバンドは真面目なので、こういう味がなかなか出せないんです。その点、これはハッピー・マンデーズにも通ずる不真面目さと、ジュニア・リードのトースティングをフィーチャーして、こんがりと焼けた黒さに魅力がありました。
 マッドチェスターの”スカリーズ・ファッション”で私がパッと思い浮かべるのは、ローゼズでもインスパでもなく、こいつらです。

 

<リリース日不明(たぶん春?)>
Dream Academy/ Love


 ジョン・レノンのカヴァーで、曲の途中から、やはりレノンの#9 Dreamのカヴァーに移るつくりです。そしてドラムはこれもJBのFunky Drummer使い。
 ドリーム・アカデミーも80年代には叙情的なフォーク・ロックで北の街の暮らしを歌ったりしてたんですが、こういうのをやってみたくなったんでしょうね。想像するに、イアン・ブラウンのヴォーカルがイギリスの草食系のロック・ヴォーカリストを鼓舞した部分が大きかったんだと思うんです。あの囁き声でダンス・ミュージックをやってもいいんだ、という。
 しかし、イアン・ブラウンは音程こそフラフラですが、声質にはロック的な癒しをたっぷり持っているシンガーですからね。そのへん、ドリーム・アカデミーは弱いかなと当時から感じておりました。

 

<リリース日不明>

Real People/ Window Pane

 流行りとはこういうもんです。もうちょっと我を張れよと言いたくなりますが、猫も杓子もツカツカタンでした。しかし、個性に乏しいですねぇ。
 ギター・ソロなんかは、なかなかグルーヴィーな線を狙っていて好ましい。でも、全体が今で言うところのテンプレ化を起こしています。こういうのが増えてきたんです。

 

<リリース日不明(たぶん後半)>
World Of Twist/ She's A Rainbow


 ストーンズのカヴァーです。検索すると1992年のシングル扱いになっているようですが、それはリミックスのほうで、元々はThe StormというシングルのB面に入っていたのです。
 1990年はストーンズが久々のワールド・ツアーを行った年で、日本にも初めてやって来ました。このシングルもそうした空気をどこかで意識しながら聴いていました。
 プロデューサーはファクトリーのマーティン・ハネット。マッドチェスターと60年代の相性のよさも改めておぼえます。

 

<リリース日不明>
Moonflowers/ Get Higher


 彼らはブリストルのグループで、音楽的にもマッドチェスター系の枠内におさまりきらないのですが、このGet Higherはそれでもドラムのパターンや音響にあの時代と共振するものがあるので、ここに挙げることにしました。
 いやしかし、ムーンフラワーズについては、とにかく一度でいいから聴いてほしい。マッドチェスターと類似するリズム・パターンでも、ムーンフラワーズのそれは奔放でワイルドで活力に満ち溢れていました。
 サックスが入っているのでアシッド・ジャズの要素も感じますが、のちのジャム・バンドの伸びやかな演奏にもっと近いでしょう。バンド名はサンタナからの影響でしょうか。
 面白いもので、ライヴで叩きあげてきたバンドは4小節を聴けばそれが伝わります。すべてが必然、すべてが有機的に結びついて音楽を回転させるのです。ムーンフラワーズはそれを誇るバンドで、もっと同時代に評価されるべき存在でした。出色であります。

1991年編は次ページで!)

 

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