The Stone Roses/ What The World Is Waiting For ( | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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(この記事は、2007年に以前のブログに書いたものの改訂版です)
 
 
 ストーン・ローゼズは、本国イギリスでは、「80年代の最後を飾ったバンド」として語られるようだ。それはたぶん、彼らを育んだ(らしい)マンチェスターのレイヴという風俗があって、その前段階にあった(らしい)「セカンド・サマー・オヴ・ラヴ」と称されたムーヴメントから見たとき、ロックとダンス・ミュージックをサイケデリックというセンスで融合した彼らの音楽と、ウェアハウスを背景にして広がった(らしい)人気が、80年代の終結点としてとらえられていることなのだろう。
 しかしここ日本では、今すべて「(らしい)」として書いたことすら当時は知らされておらず、彼らのファースト・アルバムは、90年代の幕開けを告げた一枚として考えられている。
 
 なんて、もっともらしいことを書いたけど、私は、ストーン・ローゼズについては筆が進まなくなってしまう。
 1989年にそのファースト・アルバムが発売されてから、少なくとも、彼らがスパイク・アイランドで2万人以上の観客を集めた1990年まで、私はこのアルバムを毎日聴いていた。
 一枚のアルバムを繰り返し聴いた回数となるとストーンズの『グレイテスト・ヒッツ』(デッカ/ロンドン)に譲るだろうが、自分の中でつねに動力として回転し続け、生活のさまざまな局面でその音がもたらす至福に追いつこうと感覚を研ぎすましていた濃厚さという点で、これをしのぐアルバムはない。私はこのレコードを生きた、と言ってしまえる。
 たかがロックのレコードなのだが。
 
 ストーン・ローゼズは、また、ロックがニューウェイヴから次のコーナーにさしかかったとき、それ以前を支えていたリスナーと、それ以後のリスナーを隔てる断層でもあった。
 平たく言うと、彼らの音楽は当時の若者に熱く支持されたが、1989年の時点でいろんなロックをすでに経験していた世代からは、ケチョンケチョンにけなされた。
 
 彼らの音楽というのは、ある種、単純でもあった。いかにもブリティッシュな甘く清々しいメロディーとハーモニーがある。バーズみたいなギターがある。サイケデリックなリヴァーブがある。ニュー・オーダーの打ち込みみたいなドラムがある。レゲエ/ファンクの好きそうなベースがある。
 少し前までは、こうした嗜好性をそのまんまに表現することを好しとしない矜持があった。それがニューウェイヴという音楽の特長でもあったのだろう。
 
 ニューウェイヴのあとにイギリスから登場した清冽な若者音楽というと、ザ・スミスである。
 これは、過激なことを、内実、外見ともにできないような脆弱なダメ若者たちが、ひたすらダダをこねてあらゆるものにイヤイヤをし続けることで遠心分離のようなパワーを生み出す、という屈折の極みのロックであった。
 ニューウェイヴから聴いてきたロック・ファンの多くが、ここで離れて行った。
 その次にきた断層がローゼズだ。ローゼズは、スミスに代表されるような、アンチに対するアンチに対するアンチに対するアンチ・・・つまるところ、アンチの合わせ鏡を、ナルシシズムと変わらんじゃないか、アホくさっ!とばかりにあっさりと否定し、自分たちのお気に入りの音楽を屈託なく混ぜっこして鳴らしたのである。
 
 折から、イギリスの若者のあいだには、イビザ島あたりを経由して、新種のドラッグとハウスという新種の快楽主義音楽が蔓延しだしていた(らしい)。ストーン・ローゼズの音楽は、こうした動きと密接に結びついていた(らしい)。
 らしい、らしい、で申しわけないが、1989年にはまだインターネットはおろか、DJがお皿をまわすクラブですら東京以外の地方には活発ではなかったのだ。
 89年の10月25日に私は大阪毎日ホール(!椅子席だった)で彼らのライヴを見たのだが、そのときにわけがわからなかったことの一つに、客入れ客出しのBGMがあった。ヒップホップとハウスだったのだ。
 その頃に、ロックのライヴを見に行ってそんな音楽を聞かされるなんてことは、まずなかった。ちなみにお客さんのファッションは、みんなハウス・オヴ・ラヴみたいだった。
 
 というような塩梅で、ローゼズのバックグラウンドをめぐる情報がようやく整理されだしたのは、彼らが沈黙期に入りだした92年くらいからのこと。その全盛期をイギリスの若者と同じように体験した日本人はホントに少数だったはずだ。
 
 ライヴは1時間弱。アンコールをしない旨が、会場の入り口に立て看板で書かれてあった。
 客電が落ちるとジャングルのようなエフェクトが流れ、真っ暗になったステージからサーチライトのような明りが客席めがけてグルグルまわる。他にめぼしい照明はほとんどなかったように記憶する。
 そこに、なぜかバウハウスを思わせたI Wanna Be Adoredのイントロのベースがズンズンズンズンと流れ、おまえラリリすぎやろうとツッコミを入れたくなるようなひどいギターと、アゲアゲにアッパーなドラムが炸裂して始まった。
 
 レニのドラムはすごかった。あぁこのバンドの要はこのドラムか、と悟った。 8ビートを叩いて流してゆくときも、タメをあまり持たせず、キックもシンバルぜんぶ含めて、パーカッションのように解釈して叩いている。
 とくにキックのノリの軽さとスネアの音のクリアさに特徴があって、よくバウンドする。 ハイハットをマラカスのように織り交ぜるセンスなどをとっても、ロック・ドラムというよりダンス系のノリだ。
 ただし、オカズの派手な展開はキース・ムーン命、という感じが微笑ましくもあった。
 こういったレニの美学は、やや後になって私がハウス系の12インチを聞くようになってわかったことで、その時点では新しいということしかわからなかった。
 それに、彼らのファースト・アルバムでは、プロデューサーのジョン・レッキーに問題があったのか、ハウス的なハネる躍動感には乏しかった。もっとも、旋律に魅力があったから、日本であそこまでウケたのだろうけど。
 
 今回取りあげたCDは、初来日記念のミニ・アルバム。当時の最新シングルFool's Goldが収録されている。この曲こそ、今のべたようなハウス的躍動感を大々的に取り入れた画期的なマスターピースである。
 
 
 その他のGoing Down(歌詞にジャクスン・ポロックが出てくる)やWhat The World Is Waiting Forもよかったので、早くセカンド・アルバムを聞きたかった。
 いや、ホントに早く聞きたかった。
 でも彼らの2作目が発表されたのは、ファーストから5年後だった。
 

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