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戸惑う子どもたち

児童養護施設の少年―その2


児童養護施設には、いま約3万人の子どもが暮らし、それぞれの近くの公立学校にかよっている。




元校長先生のブログ-児童養護施設の少年―その2




もともとは終戦直後の混乱期、親をなくした子どもたちのための「孤児院」だったのだが、様相は激変してしまった。作家井上ひさしは、自伝的小説『41番の少年』の中で、キリスト教系の養護施設の修道士(職員)に次のように言わせている。


「むかしは両親のいない子どもが圧倒的に多かった。」「……つまり、昔はここへ来なければ飢え死してしまうという切羽つまった事情の子どもが大多数だった。ところが、今は、親たちから邪魔者扱いされてやってくる子どもが多いのですね。」1972年の作品だから、もう40年も前から「孤児院」は変化し始めていたのだろう。今では、「児童虐待からの避難」が6~7割となってしまっている施設もある。入所させた親に、金銭的な負担を負う義務はない。


どんな入所理由であれ子どもの多くは、自分の将来を思い描くことができず、自己肯定感を低下させていく。ある中学校では、入学の時点ではトップクラスの成績だった施設暮らしの生徒が、卒業時には、体育以外ほとんど「1」となってしまったことがある。捨てられた、という思いを引きずっていたのか、「夢」を持てずに3年間を過ごしてしまったのだろうか。ただし、自己肯定感の低下はいま、いわゆるフツーの子どもの中にも蔓延しつつある。共通項は何か。家庭でフォローできることは何か。


青少年問題研究所による2008年の調査によると、「自分をダメな人間と思うか」という質問に対して「そう思う」と答えた中学生が56パーセントもいる。高校生に至っては、「自分ダメな人間と思う」回答率が65.8パーセントにも及ぶ。これで「生きる力」は向上させられるのだろうか。「学力」や「豊かな心」は身につけさせられるのか。「子どもの自己評価を高めさせる。自己肯定感を持たせる」このあたりがポイントになるだろう。


「その子はどんな悪いことをして、施設に入れられたんですか?」と、友人に質問されたことがある。児童養護施設と少年院か何かを混同しているようだ。世間にはこんな誤解があるのだから、あの「タイガーマスク現象」とその報道は、子どもを取り巻く実態の一端を、少しでも世に知らしめる役割を果たしてくれたと思う。


だが、児童養護施設を「卒園」してからが、またたいへんである。高校を卒業すると、法律によって施設を出なければならない仕組みになっている。ひどいケースでは、これまで金銭的な負担を負わず預けっぱなしだった親が突然現れて、「労働力」として子どもを引き取ってしまうこともある。


幸いNPO法人が、施設を卒園した子どもたちのために、空き家になっている一戸建てなどの物件を探し、何人かでルームシェアさせるという活動も生まれてきた。長期の休みのたびに我が家で生活してきた「腹にパンチ」のあの少年も、まもなくその時期を迎える。


井上ひさしは、児童養護施設で過ごした経験があり、それをバネに優れた作品を書いてきた。また、親の顔も知らずに乳児院に預けられ、その後児童養護施設から大学に進み、いま茨城県で市長を務めている人もいる。『ひとりぼっちの私が市長になった』(草間吉夫著・講談社)に詳細が書かれている。我が家に来るあの少年も、アルバイトで資金を貯め、大学めざしてがんばっている。我々大人が、少年から学ぶことも多い。


幸い施設の職員も「ここで暮らす子どもたちには、身近に希望となるモデルや憧れの対象が少ない。だから大事なモデルケースを作りたい。」とその少年と私たちをも励ましてくれている。物心両面での応援が必要だ。さまざまな形での「タイガーマスク」に期待する。


どんな境遇にあってもがんばれる子どもには、いくつか共通点がある。そのうちの一つは、気持ちの上で「寄りかかることができる大人」「信頼できる大人」「憧れの対象となる大人」がいることだ。どこの家庭でも、同じことが言えるだろう。




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