元校長先生のブログ
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第四章「大人にできること」

「誰も知らない」―人と人とのつながりが消えていくー(3)

 

 

 

 隣近所の つき合いも同じだ。我が家は、10年ほど前に17軒の建売住宅に移り住んだ。ここでも、年に1回「納涼親睦の会」をしている。親睦の会は、路地にテーブル や椅子を並べて、30人ぐらいが集まる。市道だから、厳密に言えば違反なのだけれど、この日ばかりはご勘弁で、幸い車も入ってこない。



元校長先生のブログ-「誰も知らない」(3)





 

 小学生か ら90歳の高齢の方まで、まさに老若男女が顔を合わせ、「1年ぶりですね!」と挨拶を交わす人もいる。一時は「親睦の会は不要」との意見が大勢を占めそう な気配もあったり、今年はお休みという年もあったりしたが、「あの会、やらないのかなぁ。」とつぶやいた小学校5年生の子どもの声に後押しされて、毎年行 うつもりだ。

 


 「誰も知らない」状態や「無縁社会」を、拡大させてはならない。子どものコミュニケーション能力を減退させてはならない。そのために大人は何をなすべきか。まずは自分自身が他と交わり、人と人とのつながりの大切さを実感することが重要だと思う。

 

 

 

 昭和30年代に、次のような落語があった。

 

(場面は、東京山手線の高田馬場駅切符売り場)

 


お客(ここは高田馬場駅なのに)「高田馬場一枚ください!」

 

駅員(そんな切符はあるわけないのに)「え~っと。・・・その切符は売り切れました。」

 


 言葉を発 しないと切符が買えない時代の落語であり、今では自動券売機とPASMO・SUICAだから、駅員と客とのやりとりの話そのものが成り立たない。現代では コンビニでもスーパーでも、無言のまま物が買える。一日中言葉を使わなくても、とりあえず生きていけるような「無言化社会」となってしまっているのであ る。「無縁社会」と「無言化社会」は、かなり近い距離にあるだろう。

 


さらに輪をかけて、携帯メールやパソコンメールの普及である。メールは、そこに言葉があるからまだいいという側面はあるが、やはり直接の対面会話には及ばない。だから、子どもの(大人の)コミュニケーション能力の低下は、言語能力の低下を伴うことになる。

 


 家庭でも 隣近所でも学校でも、言葉の復権を目指さなければなるまい。文部科学省というところはコロコロ方針を変えて、その度に現場の校長や教員は苦労しているが、 今回の学習指導要領改訂の重点に掲げられている「言語活動の充実」は、(読むことや書くことも含むが)子どもたちの、そして社会全体の、言葉の貧困という 切実な状況を反映させたものと理解できる。

 


 人と人とのつながりのためにも、顔突き合わせた会話の大切さを改めて思う。


元校長先生のブログ-「誰も知らない」(3)


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