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第四章「大人にできること」

「誰も知らない」-人と人とのつながりが消えて行くー(1)

 

 2010年に大阪で、二人の幼児を餓死させる事件が起きた。この「幼児置き去り事件」は、「子どもなんていなければよかった」「自分の時間がほしかった」と身勝手に考える親による「子どもの遺棄」=児童虐待事件として世間を騒がせた。しかし、この出来事に至るまでには、もう一つ大きな問題が横たわっていると、私には思える。



元校長先生のブログ-誰も知らない(1)





 23歳の母と幼児二人が住んでいたマンションのこの一室に、誰が住んでいたのかを誰も知らなかったのである。同じマンションの住人も知らないばかりでなく、管理人でさえもがこの3人の存在を知らない。住民登録をしていないから、行政も把握できていない。23歳の母のその父親は、九州に住んでいる。携帯電話で時おり連絡はとっていたようだが、自分の娘と孫がどこに住んでどんな暮らしをしていたか、知らなかったと言う。


 『誰も知らない』という映画がある(2004年・是枝裕和監督)。「母子家庭の4人のきょうだいは、学校にも保育園にも行かず、ひっそりとマンションの一室で暮らしている。そんなある日、母親が20万円を置いていなくなってしまう。長兄は周囲の誰にも知られないようにしながら、健気に弟や妹の面倒をみるのだが・・・。」そんなストーリーが、記録映画のように淡々と描かれる作品だ。


 現実が先か映画が先か?よもや大阪の23歳の母親が、この映画を真似たわけではあるまい。「誰も知らない」という点であまりにも似ていることに改めて驚く。


 

 2010年の同じころ、東京都足立区で、111歳の男性が実は30年も前に亡くなっていたという、とんでもないニュースが報道された。遺体のある部屋に、家族が「何十年も立ち入っていない。」と答えている。近隣の人も、気付かなかったと言っている。近所づきあいは、どうなっていたのだろう。


 続いて東京都杉並区では、都内最高齢であった「はずの」113歳の女性が、実は既に亡くなっていたことが判明した。70歳代になる息子と娘はともに「母がどこに住んでいるか知らない。」とインタビューに答えている。


 都会のコンクリートジャングルでの出来事かと思っていたら、そうではなかった。どこの役所も調査に大わらわとなり、全国の高齢者所在不明はいったい何百何千となるのか。これがきっかけとなって、既に亡くなっているにも関わらず戸籍から削除していない「超高齢者」の問題もクローズアップされた。その数なんと23万人!この国はいったいどうなってしまったのだろう。


NHKでは「無縁社会」という言葉を作り出して、この問題を調査・報道し始めた。自分の住んでいる地域で「無縁社会」の現象が始まっているとするなら、人と人とのつながりは極めて薄いということになる。そうなると「地域の教育力の低下」は、もはや地域の教育力の「崩壊」と言ってもよい状況だ。




そんな中で生きる子どもは、人と人との関わりの大切さを学ばないまま育つ。絆とか連帯意識が薄れた環境で生活しているのだ。最近の学校教育の大きな課題の一つに、「子どものコミュニケーション能力の低下をどうするか」というものがある。教員採用試験の論文にも出題されているくらいだから、事態はかなり深刻と見るべきだろう。学校だけで解決できることではない。



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