第四章「大人にできること」
「誰も知らない」―人と人とのつながりが消えていくー(2)
私は1980年代新婚のころ、東京都区内の賃貸マンションに住んだことがある。7階建ての大きなマンションだった。隣の部屋に、若夫婦と5歳ぐらいの男の子が住んでいて、男の子をしょっちゅう夫婦二人の私たちの部屋に呼んで、遊んでやったりしていた。
ところが、いつの間にか隣の家族は引っ越していってしまった。「いつの間にか」というのは、私たちの知らない間に、ということである。その上、これまたいつの間にか、別の家族が隣の部屋に住んでいる。何か一言あってもいいのではないかと思うのだが、それが都会であり現代なのだな、と釈然としないまま納得せざるを得なかった。何せそのマンションの中で知り合いと言えば、隣のその家族だけで、私たちも他の住人については、まさに「誰も知らない」状態だったのである。もう30年近くも前の話だ。「無縁社会」とまでは言わないにしても、大人社会のコミュニケーション不足、絆や連帯意識の欠如は、私自身も含めて、もうこのころから始まっていたと考えるべきだろう。
しかし、嘆いてばかりはいられない。子どもを育てるにあたって、娘の保育園は新たに貴重な人間関係の輪を作り出してくれた。そのころ、妻は小学校教員、私は中学校教員だった。
娘は、生まれて8ケ月で保育園に入園した。いわゆる「0歳児保育」である。私の勤める学校が、自転車で15分の所にあったため、娘を連れて朝の登園をさせるのは、私の任務だった。そんな姿を保育士(当時は保母さんと呼んだ)は見ていて、「父母の会の会長をやってもらえないか」と声をかけてくれた。
部活指導などで忙しく、その申し出を断ることになったが、いい機会となった。「断る代わりに必ず私が適任者を探しますから。」と見栄を切り、たくさんの母親や父親と話をすることができたのである。同じクラスではない親とも仲良くなった。
同じクラスの親とは、仲間意識が強く結束も生まれる。たとえば、妻も私も娘のお迎え時間に間に合わないときなど、同じクラスの親仲間にお迎えを頼んだりする。偶然にも夫婦そろって宿泊研修が重なってしまった折には、娘を仲間の家に泊めてもらうということもあった。もちろん、その逆もある。
飼い主同士が仲良くなると、犬も仲良くなるそうだ。それと同じで、親が仲良くなると、子ども同士も仲良くなる。結婚して関西に移り済んだ保育園の元担任の先生に会うために、卒園して10年も経つ高校生になった元「園児」たちが、新幹線に乗って「先生に会いに行くツアー」を10人くらいで組んだこともある。元保育士は、感激で大泣きだったと聞いている。高校生だって、心と結束があればこのくらいのことはできるのだ。
その下地になったのは、年に一度の親の集まりだろうと思う。親の集まりのつもりで始めたのだが、自然に子どもも参加してしまう。毎年10家族以上が手製の料理を持ち寄って集まり、子どもの成長を確かめ合ったり、近況報告をし合ったりしている。世話になった保育士さんも来てくれる。もう20年以上も続いており、そろそろ「孫」を抱いた子どもたちも参加しそうだ。こうした行動が世の中を動かすとはとうてい思えないけれど、せめて少しでも、小さな絆や心をつなげる連帯意識を、次の世代に引き継いでいければと願っている。

