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第三章「学校に関わりを」

授業中に発言しない子は積極性がないのかーその(2)

 

 ひとつには、性格の問題があろうかと思う。「元気だけれど落ち着きがない」と言われるその子どもに、「落ち着け!」と説教したって仕方がない。落ち着かない態度が、他人に迷惑をかけたり多動性の傷害だったりしない限り、それでいいのではないか。無理に落ち着かせようとしたら、ストレスは溜まるだろうし、大事な「元気」もなくなってしまうだろう。




元校長先生のブログ-授業中に発言しない子ーその(2)




一方「口数が少なくおとなし過ぎる」と悩む親もいる。「おとなしい」のが、なぜいけないのか。無駄口ばかりたたいて目立ちたがり屋を目指す子どもより、内面ではうんと成長している場合もある。


 『奇跡』(是枝裕和監督)という映画の批評の中で石飛徳樹氏は「外見と内面は異なる。暗い人間が悲観主義者で、明るい人間が楽観主義者というわけではない。」と、登場人物の小学生について書いている。また、「人はあまり悲しくなると笑い出すものである。」と、その悲惨な体験に基づいて言った小説家もいた(金達寿)。「笑って誤魔化すしかなかった」というなんとも痛ましいいじめの被害者の心境にも通じるだろう。子どもを外見の様子だけで、その価値や心の奥底を断定してしまうと、思わぬ間違いが生じることもあるのだ。


 小学5年生から中学2年生までの女子20人を招いて映画『聴こえてる、ふりをしただけ』(今泉かおり監督)の試写会が行われたそうだ。小学校5年生の女の子が突然母親の死に直面する設定の映画である。上映後、新聞記者がその子たちに感想を聞く会があった。


「だれも手が挙がらない。指されても、目を伏せて固まったままの子もいる。ぎこちなく時間が過ぎた。なぜだろう。終わってから聞いてみると、『親がいない子の目線で考えたのは初めて。わかるって言えなかった』とぽつぽつ話す子がいた。


 家に帰ってから母親に『親がいなくなることを想像したら、しゃべると涙が出そうでしゃべれなかった』と話した子もいた。」

と、その経緯を記事にしている(朝日・各務滋氏)。その記事の結びはこうだ。「黙っているからといって子どもは何も感じていないわけではない。」


授業でも同じである。家庭でも同様のことが言えるのではないか。親や教師は、子どもの表面的態度だけで判断するのではなく、子どもの内面を探って評価したいものである。


 中学2年の女の子を持つ親から、相談を受けたことがある。通信簿の所見欄(担任の先生からのメッセージ)に、「おとなしくてまじめ過ぎるのが心配です。」と書かれたというのである。答えを解ってはいながら、授業中に自分からは手をあげないのも先生には不満らしい。「まじめ過ぎる」という指摘は、その学校がいわゆる「荒れた学校」で、その子がその雰囲気の周囲から浮いてしまうことを心配したのだろうと想像できる。「荒れた学校」では時として「まじめ派」が孤立したり揶揄されたりすることがあるからだ。が、それにしても、「まじめでおとなしい」のが、なぜいけないのか。


「一人ぐらいウチの子のような子がいてもいいと思います。まじめでおとなしい子を大切にしてください。」そのように家庭からの返信欄に書かせて、通信簿を学校に返した。先生はたぶん理解してくれたことと思う。


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