世界地理シリーズの第6弾です。
アフリカの国々は、私自身馴染みがないこともあり取り上げてこなかったのですが、大陸別にみると国の数が一番多いので、とりあえず多少とも馴染みのある地域から取り上げることにします。
国連によると、アフリカは北、西、中部、東、南部の5地域に区分されます。
(訳語の中部と南部に「部」が付いているのは、中央アフリカ共和国と南アフリカ共和国という国があって混同しやすいからでしょう。)
今回は、東アフリカのうち北部を取り上げます。
エチオピア Ethiopia、ソマリア Somalia、ジブチ Djibouti、エリトリア Eritrea、スーダン Sudan、南スーダン South Sudan
国名の順序は、この地域の中心であるエチオピアが先頭で、その東側のソマリアから反時計回りに並べています。
なお、スーダンは国連の区分ではエジプトなどと同じ北アフリカに属すのですが、日本外務省の定義ではサブサハラアフリカ(サハラ以南アフリカ)に区分しています。
同緯度のチャド、ニジェール、マリは国連の区分でもサブサハラとなっているので、スーダンも同様の扱いでよいと思います。
東アフリカ北部7か国の首都、面積など
国名 首都 面積 人口 一人当たりGDP 独立など
エチオピア アディスアベバ 110万km2 1億3,000万人 1,500ドル ―
ソマリア モガディシュ 64万km2 1,800万人 730ドル 1960年 伊,英
ジブチ ジブチ 2.3万km2 110万人 3,900ドル 1977年 仏
エリトリア アスマラ 12万km2 370万人 ― 1991年 エチオピア
スーダン ハルツーム 180万km2 4,800万人 540ドル 1956年 エジプト、英
南スーダン ジュバ 62万km2 1,100万人 490ドル 2011年 スーダン
スーダンと南スーダンを除く地域は、アフリカ大陸から東側のインド洋に向かって突き出しているように見えることから、「アフリカの角(つの) Horn of Africa」と呼ばれます。
6か国のなかで面積が最大なのはスーダン、次がエチオピア、人口が最大なのがエチオピア、次がスーダンです。
スーダンの面積は、アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸第3位の広さです。(南スーダンの独立前は第1位)
エチオピアの人口は、近年日本を抜いて世界11位となり、またアフリカ諸国のなかではナイジェリアに次ぐ2位です。
(3位がエジプト、4位がコンゴ民主共和国で、ここまでが人口1億人以上)
この地域は、人類最古の文明が栄えた古代オリエントに近いため、古い歴史をもちます。
エチオピアとその東のソマリア、ジブチ、エリトリアの地域は、対岸のアラビア半島、特に南部のイエメンとの交流がありました。
古代エチオピアを支配した王朝は、シバの女王とソロモン王の末裔を称していました。
一方、スーダンの地域はナイル川の上流となることから、古代エジプトとの関係が深く、ヌビアと呼ばれていました。
宗教は、キリスト教のカルケドン公会議(451年)で主流派と分立してエジプトを中心に発展したコプト正教の流れが、イスラム教の波が押し寄せても生き残り、1959年にエチオピア正教が分離独立し、さらに後者から1998年にエリトリア正教が分離独立しています。
一方、ソマリアやスーダンは、イスラム化されました。
エチオピアは、インド南部と同緯度ですが、国土の大部分がエチオピア高原を中心とする標高 2 000 m ~ 4 000 m の高地で、冷涼な気候です。
紅海とアデン湾から北部のアファール三角地帯と呼ばれる低地、さらにエチオピア高原を通ってケニアのトゥルカナ湖へと続くアフリカ大地溝帯が国土を南北に貫いています。
東はソマリア、北東はジブチ、北はエリトリア、北西はスーダン、西は南スーダン、南はケニアに接しています。
エリトリアの独立以来、内陸国となっています。
標高が高く降雨が多いために、激しい浸食により非常に深い谷や崖が多い地形であり、これが外国からの侵略を防ぐ一方、交通インフラの整備と国土の開発を阻害する要因ともなっています。
80以上の異なる民族が共存する他民族国家で、最大のオロモ人が3割強、アムハラ人が3割弱であり、これらを含め大部分がアフロ・アジア語族(昔はセム・ハム語族と呼ばれた)に属します。
エチオピア帝国の建国からメンギスツ政権の崩壊まで政府の中枢を握ってきたのはアムハラ人で、現在も公用語はアムハラ語であり、印欧語族言語とアラビア語のどちらも公用語となっていないアフリカ唯一の国です。
宗教は、キリスト教徒が約6割、ムスリムが3割強で、前者は大部分がエチオピア正教会に属します。
帝政時代はエチオピア正教を国教としていましたが、現在の憲法は政教分離を定めており、国教を禁じています。
エチオピアは、アフリカ最古の独立国とされます。
13世紀から20世紀後半までソロモン朝エチオピア帝国が続いてきました。
近代エチオピアで特筆すべき人物は、1930年に即位した皇帝ハイレ・セラシエ1世です。
彼は、大日本帝国憲法を範として1931年憲法を制定し、また世界各地の黒人に大きな希望を与えました。
しかし、以前からエチオピアを狙っていた後発帝国主義国のイタリアは、ファシストのムッソリーニの時代1936年にエチオピアを植民地化します。
第二次世界大戦の勃発により東アフリカでは連合国側のイギリスが枢軸国側のイタリアを駆逐し、ハイレ・セラシエ1世は1941年イギリス軍とともにアディスアベバに凱旋します。
ハイレ・セラシエ1世は、1963年、エジプトのナセル大統領、ガーナのエンクルマ大統領らとともにアフリカ統一機構(Organization of African Unity, OAU)をアディスアベバで設立します。
しかし、東部オガデン地方の反政府闘争、旱魃による多数の餓死者、オイルショックによる物価高騰などにより首都のデモ騒乱から陸軍が反乱を起こして、1974年にハイレ・セラシエ1世は退位させられます。
その後、軍事政権は社会主義国家を宣言してソ連の半衛星国家となり、さらに1977年からはメンギスツの独裁が続きました。
1991年、エリトリア人民解放戦線などが首都アディスアベバに突入して、メンギスツ政権を倒し、エリトリアの独立を宣言し、エチオピアの新体制もそれを承認しました。
1998年以降エリトリアとの国境紛争が続きますが、2018年に和平が達成されます。
しかし、2018年には政府と反政府勢力の間で内戦が起こり、現在まで続いています。
それに加えて、構成する各民族間の衝突も続いています。
ソマリアは、インド洋とアデン湾に面し、北西はジブチ、西はエチオピア、南部でケニアと接しています。
気候は、沿岸部は高温多湿ですが、内陸は砂漠です。
国民の85%がソマリ人とされます。
公用語はソマリ語とアラビア語です。
イスラム教が国教で、国民の95%がムスリムであり、そのほとんどがスンナ派です。
帝国主義の時代に、北部がイギリスの植民地に、南部がイタリアの植民地となりました。
1960年にどちらも独立して、南北統合したソマリアが発足しました。
1969年の軍部クーデターでバーレ少将が実権を握り、社会主義国家宣言、一党独裁体制、エチオピアとの戦争などがありました。
1988年から内戦が勃発し、1991年には反政府勢力が首都を制圧してバーレを追放しましたが、各勢力の内部抗争により南北が分裂し、同年北部の旧英領地域がソマリランドとして独立を宣言しました。
内戦が続き、国連PKOの介入などもある中、北東部は自治宣言を行いプントランドを樹立しました。
氏族・軍閥・宗派などさまざまな勢力が対立する群雄割拠状態となり、2006年からイスラム勢力の首都占領、エチオピア軍の侵攻、それを支援する米軍の空爆などが続きました。
現在も、プントランドを含む中南部は連邦共和国政府が統治しますが、北部のソマリランドは独立状態にあり(国際的には未承認)、また主に南部にイスラム急進派の支配地域があり、大きく3分割されています。
しかし、連邦共和国支配地域も自治地域に分かれていて統一されているとはいえず、また国内避難民や近隣諸国への難民が多数発生しています。
さらに、ソマリランドとプントランドが面するアデン湾では海賊行為が多発しています。
内戦で経済は壊滅し崩壊状態であり、世界最貧国の一つに数えられ、外国からの援助に依存しています。
ジブチは、紅海とアデン湾に面し、北西のエリトリア、西のエチオピア、南のソマリア(ソマリランド)と接しています。
19世紀末にはフランス領ソマリランドとなりましたが、独立したのはアフリカ諸国のうちでは遅く1977年のことです。
ジブチ港の貿易とジブチ・エチオピア鉄道の収益に依存する典型的な中継貿易国家とされます。
近年ではソマリア沖の海賊の活発化により、諸外国が続々とジブチに基地を設けており、その利用料収入もジブチ経済にとって重要となっています。
そのため、世界最貧国水準の国がほとんどのこの地域では、経済は比較的マシな方です。
エリトリアは、紅海に面し、西はスーダン、南はエチオピア、南東部はジブチに面しています。
中央を通る大地溝帯を境にして、東部は半砂漠地域、西部は肥沃な大地となっています。
公用語の規定はありませんが、ティグリニャ語とアラビア語が実質的な公用語となっており、また歴史的経緯からイタリア語と英語も広く理解されます。
宗教は、キリスト教(主にエリトリア正教会)が約6割、イスラム教(主にスンナ派)が約3割。
元々エチオピア帝国の領土だった海岸部をイタリアが1890年に分離させた地域です。
第2次大戦後の1952年、エチオピアとエリトリアは連邦を組みますが、エチオピアは1962年にエリトリアを併合して州としました。
独立戦争の結果、1991年にエチオピアから独立しました。
アフリカで2番目に若い国とされます。(世界で一番若いのは南スーダン)
1998年からエチオピアとの間の国境紛争が始まりましたが、2018年には終結しました。
政治面では、一党独裁が続いていて、共産主義的政策をとっています。
スーダンは、アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いでアフリカ第3位の面積を有します。
2011年に南スーダンが分離独立するまでは、面積でアフリカ大陸最大の国でした。
国土の大部分は広大な平原で、中央をナイル川とその支流が貫通し、北部はヌビア砂漠、南部はステップ気候となっています。
首都ハルツームで、エチオピアからくる青ナイルと南スーダンからくる白ナイルが合流してナイル川となり、北のエジプトに向かって流れていきます。
北はエジプト、北西がリビア、西がチャドと中央アフリカ、南が南スーダン、南東がエチオピアとエリトリアに接し、また東側は紅海に面しています。
国民は、wikiによると非アラブ黒人が約5割、「アラブ系」(アラブ化した黒人や黒人との混血を含む)が約4割とされます。
宗教は、イスラム教が人口の約7割で、他はアニミズムなどの伝統宗教やキリスト教です。
19世紀にはエジプトの支配下におかれますが、1840年にはそのエジプトがイギリスの保護国となります。
1899年からエジプトとイギリス両国による共同統治下に置かれました。
スーダンでは1954年に自治政府が発足し、さらに1956年に独立します。
1955年~1972年、北部のアラブ系イスラム教徒と南部の非アラブ系黒人民族の間で第一次スーダン内戦がありました。
内戦はいったん終結しましたが、1983年にイスラム法導入に反発して第二次スーダン内戦が勃発し、2011年に南スーダンが独立しました。
スーダンでは、1989年のクーデターでバシール准将が政権を奪い、その後長く軍事独裁政権が続きました。
南スーダンとの関係以外でも、内戦、外国勢力の介入が続きました。
2019年の軍部クーデターによりバシール独裁政権は終焉を迎えますが、その後もクーデターや内戦が続いています。
上記のような理由で経済は荒廃し、最貧国水準にあります。
南スーダンは、北はスーダン、東はエチオピア、南東はケニアとウガンダ、南西をコンゴ民主共和国、西は中央アフリカと接している内陸国です。
ウガンダからスーダンへ南北に白ナイル川が流れ、その回りにはスッドという大湿地帯が広がっていて大量に蒸発するため、ここで白ナイルの流量は半減します。
2011年にスーダンから独立し、現在、国連が承認したなかで最も新しい独立国です。
最初の表に人口も掲載してありますが、wikiによると2023年時点で国民の1/3が避難していることや定住しない遊牧民も多くいるため、正確な人口は把握できていないとされます。
南スーダンの宗教は、人口の6割がキリスト教、3割がアニミズムなどの伝統宗教となっており、これが北のスーダンとの歴史的対立の原因となってきました。
経済は、独立前の南北内戦と独立後の内紛により荒廃して、特にインフラ整備が進んでおらず、2023年時点で世界191か国中下から3番目の最貧国水準です。
最後に、これらの国々の不平等調整済み人間開発指数(IHDI)、民主主義指数、脆弱国家指数、世界平和度指数を掲げておきます。
生活水準の国際比較(2024/7/22) | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp) (IHDIと平和度指数)
民主主義指数あれこれ | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)
失敗国家指数 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp) (脆弱国家指数)
東アフリカ北部7か国の民主主義指数など
国名 IHDI 民主主義指数 脆弱国家指数 平和度指数
エチオピア 147位 0.324 116位 3.37 独裁 12位 98.1 144位 2.845 低
ソマリア ― ― 1位 111.3 153位 3.091 極低
ジブチ 140位 0.341 134位 2.70 独裁 48位 81.6 119位 2.374 低
エリトリア ― 152位 1.97 独裁 26位 92.1 136位 2.748 低
スーダン 145位 0.331 144位 1.76独裁 2位 109.3 162位 3.327 極低
南スーダン 165位 0.222 ― 3位 109.0 161位 3.324 極低
これらの数値で見る限り、この地域は一言でいって最悪です。
「―」となっているのは、数字もとれないほどひどいということでしょう。
脆弱国家指数の1位~3位はこの地域が独占していますね・・・
世界平和度指数の最低は163位のイエメンなので、下から2番目がスーダン、同3番目が南スーダンです。
歴史を読んでも数字を見ても気が滅入ります。だからアフリカは扱いたくなかったんだ・・・
★ 一昨日の9月4日(水)、永瀬拓矢九段が藤井聡太王座に挑戦する第72期王座戦五番勝負第1局があり、やや変則的な角換わりとなりましたが、124手で後手番の藤井王座が勝利しました。防衛に向け幸先のよいスタートです。
この日は、新宿に用事があって出かけ、その後でたまたま時間の合った映画を2本観ました。「劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:Re:」と「きみの色」です。どちらも青春音楽もので、私は「ぼっち・ざ・ろっく!」はテレビで観ていたのですが、山田尚子監督の「きみの色」の方が感動できました。家に帰ったら将棋はまだ互角で、そこから藤井王座がどんどん押していったので、効率よく時間を使えたことになりますが、さすがにくたびれたせいか夜すぐに眠くなり、将棋の解説動画の視聴は翌日に回しました。
翌5日(木)に別の用事で会った女性に映画の話をしたところ、彼女のお連れ合いが映画関係の仕事をしているとのことで、盛り上がりました。
★★ 今日のロジバン 不思議の国のアリス222
ni’o ca lo nu .abu cusku lo di’u valsi kei lo jamfu be .abu cu sakli
[新段落] そしてこの科白を口にしたとたんに足が滑りました。
cusku : 表す/言う/表現する,x1(者)は x2(内容)を x3(聴衆)に x4(媒体)で。-cus-, -sku- [言語・メッセージ] 口言葉に限らない。
di’u : いま言ったこと。代項詞KOhA2類
valsi : 言葉/語彙だ,x1は x2(意味/効力)を有する x3 (言語)の [言語]
jamfu : 足だ,x1は x2(本体)の。-jaf-, -jma- [生命・動物・身体部分] 「tuple 脚」との違いに注意
sakli : 滑る,x1は x2を。-sal- [動作・自己移動・活動的]
主述語は { cu sakli } で、そのx1が { lo jamfu be .abu } 「アリスの足」で、主述語の前に同時間制節 { ca lo nu .abu cusku lo di’u valsi kei } が挿入されています。
間制節内の主述語は cusku で、そのx1は .abu 、x2が { lo di’u valsi } 「今言った言葉」です。
こういう場合は、終止詞 kei があると区切りが分かりやすいですね。
以前出てきた vreta 「寄りかかる/横たわる」は [動作・自己移動・均衡] 、sakli 「滑る」は [動作・自己移動・活動的] で対照的です。
出典は、
lo selfri be la .alis. bei bu'u la selmacygu'e (lojban.org)