裁錦會詩草 第294回(2021年11月開催)から。
旧七帝大の卒業生を会員とする学士会の「學士會会報」第949回 2021-IV p.100~102に掲載されたものです。
今回は、月を詠んだ詩2編に加えて、時節に合わせた詩も取り上げます。
> 翠蕖 市川 桃子
月夜嘆 月夜の嘆き
高天萬里夜将闌 高天 万里 夜将に闌ならんとす
仰望西風飛露寒 仰ぎ望めば 西風 飛露 寒し
一別嫦娥経幾世 一たび嫦娥に別れて幾世を経ん
驕誇后羿思無端 驕誇の后羿 思い端無からん
(註)◇九つの太陽を射落とした后羿は、その功績によって西王母から仙薬を賜った。妻の嫦娥はその仙薬をぬすんで月に昇った。后羿は毎夜月を見上げて妻をしのんだことだろう。
韻は、闌寒端が上平声十四寒。anの音です。
市川桃子さんは大学教授で、おそらく中国古典文学専攻、李白に関する著作などがあるようです。
生年などは不明。
号の翠蕖は、読みは「すいぎょ」だと思いますが、蕖の意味が分かりません(T_T
この詩は月の女神となったという嫦娥伝説を取り上げています。
嫦娥伝説については、次の記事をご覧ください。
漢詩「嫦娥」 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)
また、市川桃子さんには嫦娥伝説を含む月の伝説を4つも取り上げた次の詩があります。
中秋の月の漢詩2編 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp) (前半)
難しい字もあるので、まず全体の読みを書いておきます。
>こうてん ばんり よるまさにらんならんとす
あおぎのぞめば せいふう ひろ さむし
ひとたびじょうがにわかれていくせをへん
きょうかのこうげい おもいはしたなからん
意味の分かりづらい語を見ていきます。
「闌」は「らん」と読み、「たけなわ」の意。
「驕誇」は「きょうか」と読み、おごり高ぶって大言を吐くこと。
「思い端無からん」は、分かりませんでした。
詩の本文中には月が出てきませんが、月を中心に据えて意訳してみます。
いい加減ですいません。
>月が空高く上り、地上を果てまで照らして、夜は今まさにたけなわだ
月をあおぎ望めば、西風に夜露が飛んできて寒さを感じさせる
嫦娥と別れてから、何年過ごしたことだろう
英雄となった后羿も、月にいる妻嫦娥を思う気持は半端ではなかったに違いない
古典である李商隠の詩は嫦娥の思いを詠っていますが、今回の市川さんの詩はその夫である后羿の思いを取り上げています。
目の付け所を変えていて、なるほど、と思います。
ただ、女神になった嫦娥の方が人間のままだった后羿よりずっと多くの夜を過ごしたはずですが。
次も、秋の月夜を詠んだ詩です。
> 公津 三村 公二
秋夜偶成 秋夜偶成
月照空柯秋轉寂 月は空柯を照らし 秋 転た寂か
風吹破屋夜偏寒 風は破屋に吹き 夜 偏に寒し
孤蛩牀下吟将藎 孤蛩 牀下 吟 将に尽きんとす
側耳啾啾慰老殘 耳を側つれば 啾啾 老残を慰む
韻は、寒殘が上平声十四寒。
起句(第1句)と承句(第2句)は、月照と風吹、空柯と破屋、秋と夜、轉寂と偏寒がきれいに対応していて、対句(ついく)となっていることが分かります。
対句の場合は、起句が踏み外し(韻を踏んでいない)でも構わないというルールです。
これもまず読みを示します。
> しゅうやぐうせい
つきはくうかをてらし あき うたたしずか
かぜははおくにふき よる ひとえにさむし
こきょう しょうか ぎん まさにつきんとす
みみをそばだつれば しゅうしゅう ろうざんをなぐさむ
「偶成」は、詩歌などがふとでき上ること。また、その作品。
「柯」は、「か」と読み、枝のこと。
「空柯」で枯れ枝と理解しました。
「転(うた)た」は、どんどん進行してはなはだしくなるさま。いよいよ。ますます。
「寂か」は「しずか」と読むのでしょう。
「孤蛩」は、「こきょう」と読み、一匹のコオロギのこと。
「牀下」は、「しょうか」と読み、ベッドの下のこと。
「啾啾」は、「しゅうしゅう」と読み、小声でしくしくと泣くさま。
> 秋の夜にふとできた作品
月が枯れ枝を照らして、秋の静けさはますます深まっていく
風があばら家に吹いて、夜はただただ寒い
一匹のコオロギがベッドの下で鳴いているが、鳴き声は今にも消え入りそうだ
聞き耳を立てれば、虫の鳴き声は、老いぼれたわが身を慰めてくれる
最後は、昨年のノーベル平和賞を詠んだ詩です。
ちょうどロシアのウクライナ侵略が問題となっているので、プーチン独裁政権に屈せず、真実の報道を続けている記者のノーベル賞受賞を取り上げたいと思います。
> 白觚 森脇 逸男
讃諾貝爾平和賞受賞両氏
諾貝爾平和賞受賞両氏を讃える
眞實追求記者任 真実を追求するは記者の任
跟隨権力莫其心 権力に跟隨するは其の心莫し
二人受贈平和賞 二人平和賞を受贈す
獨裁政愚敎自今 独裁政の愚 自今に教う
(註)○跟隨(こんずい)… 人の尻に付き従う。
◇令和三年度のノーベル平和賞は、フィリピンとロシアで報道の自由を掲げ、逮捕も辞せず、弾圧に耐え、強権的な大統領を批判する報道を続けているジャーナリスト二氏に贈られた。全世界のジャーナリストを励まし、勇気づける受賞だ。
韻は、任心今が下平声十二侵。inの音ですね。
森脇逸男さんのお名前でググると、読売新聞社で論説委員や社会部長、編集局次長などの要職を歴任された方がヒットします。
ジャーナリストのノーベル平和賞受賞を題材にした詩なので、この方で間違いないでしょう。
1931年生まれなので今年91歳です。
号の白觚はおそらく「はくこ」と読み、觚は中国古代の殷周時代の青銅製酒器とのことです。
跟隨は自注がありますが、「跟」は「かかと」の意。
「莫し」は、「なし」。
「自今」は、「これから」。
次はいい加減な意訳です。
> ノーベル平和賞を受賞した両氏を讃える
真実を追求するのが、記者の任務だ
権力におもねるのは、記者の任務を果たす意思がないということだ
(権力におもねらなかった)二人は平和賞を贈られた
独裁政治の愚を、これからも世界中に教えてくれるだろう
これまで掲載した漢詩一覧 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)
★ 今日のロジバン
.ei binxo lo ka’e frili pilno be lo ka stace .e lo ka lazni
「エイ ビンㇰホ ロ゚ カヘ ㇷリリ゚ ピㇽ゚ノ ベ ロ゚ カ ㇲタシェ エ ロ゚ カ ラ゚ズニ」
[義務] 正直という性質と怠惰という性質を容易に使える者になる。
正直と横着とが自由自在に使へるやうにならなければならない。(山頭火『行乞記(二)』)
binxo : 成る/変身する,x1は x2に x3(条件)の下で。-bix-, -bi’o-
frili : 簡単/容易だ,x1(事)は x2(者)にとって x3(条件)において;x2は x1をたやすくこなす。-fil-
pilno : 使う/用いる,x1は x2(道具/機械/者)を x3(目的)のために。-pli-
ka : 性質抽象。抽象詞NU類。-kam-
stace : 正直/誠実/率直だ,x1は x2に対して x3(事柄)に関して。-sac-
lazni : 怠惰/怠ける,x1(者)は x2(動作/仕事/努力/事)に関して;x1はx2を怠る
山頭火『行乞記(二)』の地の文のguskantさんによる訳です。
主述語は binxo で、そのx1はなく、x2が { lo ka'e frili pilno … } です。
縛位詞 be 以降は、pilno のx2です。
出典は、