裁錦会詩草 第282回(2019 年11月19 日(火) 開催)から。
旧七帝大の卒業生を会員とする学士会の「學士會会報」第941回 2020-Ⅱ p.92 に掲載されたものです。
今回は、 中秋(仲秋)の名月を詠んだ2つの作品をご紹介します。
最初は、仲秋の月を観て、月の伝説をいくつも思い出したという詩です。
> 仲秋觀月懷嫦娥 翠蕖 市川桃子
呉剛桂木伐重生 呉剛の桂木伐(き)れば重ねて生ず
白兎還丹舂已成 白兎の還丹舂(つ)きて已に成る
永待所思遙望見 永く思う所を待ち遥(はるか)に望見す
蟾蜍咽咽洩哀聲 蟾蜍(せんじょ)咽咽(えつえつ)と哀声を洩らす
(註)嫦娥=夫がもらった西王母の不死の薬を盗んで月に逃げ、月の仙女になった。
呉剛=仙術を学んで過ちがあり、月に流され桂の木を切りつづけている。
兎=月にいて杵で臼をつき、仙薬を作っている。 所思=恋人。夫。
蟾蜍=ヒキガエル。月の精とされる。
(余説)幾千年を一人で過ごす嫦娥は、きっと、残してきた夫を恋しく思っていることだろう。
七言絶句です。
韻は、生成聲が下平声八庚。今の日本語ではいずれも「せい」ですが、昔の中国語では ”seng”と発音したのだと思います。
起句(第1句)と承句(第2句)は、呉剛と白兎、桂木と還丹、伐と舂、重生と已成が対応していて、対句となっていることが分かります。
市川桃子さんは大学教授で、おそらく中国古典文学専攻、李白に関する著作などがあるようです。
生年などは不明。
裁錦会の現在の幹事です。
近年、女性の名前では「子」が付く名前が激減していますが、その中でも「桃子」はまだ人気があって、若い女性でも何人もお見掛けします。
(将棋の女流棋士では、中村桃子さんと加藤桃子さんがいます。)
号の翠蕖は、読みは「すいぎょ」だと思いますが、蕖の意味が分かりません(T_T
一番最初の「呉」の字は、下が「大」になっています。
呉剛は、「ごごう」と読みます。
桂は、日本のモクセイのこと。
「舂」という字は、春とよく似ていて紛らわしいのですが、春の下の「日」が「臼」になっていて、意味は臼でつくこと。
嫦娥伝説の詳細については、次の記事をご覧ください。
漢詩「嫦娥」:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12475837168.html
この詩は、嫦娥、呉剛、白兎、蟾蜍と、月に関する中国の伝説を全部盛ったような内容で、十五夜の月を歌い上げるのにふさわしい豪華さです。
読み方は問題ないと思うので、いい加減な現代語訳を示します。
仲秋に月を観て嫦娥を懐かしむ
呉剛が桂の木を切っても切っても切り口が合わさってしまう
白兎が臼でついていた仙薬はすでにできあがっている
嫦娥は地上に残してきた夫を恋しく思って、数千年間地上を眺めている
月の精のヒキガエルは嫦娥の思いを受けて哀れな声をもらす
次は、せっかく準備したのに曇って中秋の月が見られなかったという詩です。
> 中秋不見月 憨亭 大木 康
梨子葡萄籠裏充 梨子 葡萄 籠裏に充つ
白芒三兩蕩微風 白芒 三両 微風に蕩(ゆ)る
唯期對月勸杯酒 唯(ただ)期す 対月杯酒を勧むるを
可惜淸光雲霧中 惜しむべし 清光 雲霧の中
こちらも七言絶句です。
韻は、充風中が上平声一東。
大木康(おおき・やすし)さんは1959年生まれなので、今年61歳。
中国文学・文化学者で、東京大学東洋文化研究所教授。
著書多数。
号の憨亭は、読みは「かんてい」だと思いますが、憨の意味が分かりませんでした。
籠裏は「ろうり」で、「かごのうち」。
三両はここでは「三つ二つ」で、ススキの本数。
3行目の読み下し「対月杯酒を勧むるを」は「月に対して杯の酒を勧むるを」でもよいと思いますが、李白の「月下独酌」を踏まえています。
漢詩「月下独酌」:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471786255.html
市川幹事の「跋語」に解説が載っているので、引用して訳に代えます。
>秋の楽しみは、冴えた夜空に美しい月を見ること。大木会員は、丸い月が見られるようにと、丸いナシやブドウを準備しました。定番のススキも二、三本、風に揺れています。盃を片手に、月と一緒に酒を飲もうと待ち構えていたのに、この年の中秋に、月は雲の中に隠れて出てきませんでした。
>花見に行ったのに花が咲いていない、人に会いに行ったのにその人を訪ね当てられない、という、不在をうたう漢詩の分野があります。月見に月が見えないというこの「中秋不見月」も、不在を主題とする作品です。
★ これまで掲載した漢詩一覧:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12589872784.html
古典と現代と合わせて全部で25編以上あります。