漢詩「嫦娥」 | 宇宙とブラックホールのQ&A

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2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

 作家夢枕獏さんの人気シリーズ『陰陽師』の文庫最新刊『玉兎 ノ巻(ぎょくとのまき) 』を読んでいたら、「嫦娥(じょうが)(へい) 」という短編に晩唐の詩人 李商隠の「嫦娥」という詩が出てきました。

 天文に関わる漢詩なので、この機会に載せておきます。

 (天文の古典的な漢詩は大体知っていると思っていたのですが、これは初見です。自惚れていましたね(^^;)

 

 李商隠(りしょういん) は、812年~858年、9世紀の唐の官僚であり詩人です。

 それほど有名ではありませんが、漢詩の歴史には必ず出てくる名前です。

 嫦娥(じょうが) は中国神話に出てくる月の女神です。

 

 今回は、漢詩より前に嫦娥伝説をご紹介します。(以下、夢枕さんの記述を要約します。)

 太陽の本体は、実は火のカラスです。

 太古、このカラスが10 羽もいて、同時に天に昇ったので、地上は日照りが続き、作物は枯れ果てて、人々は困っていました。

 そこで、時の皇帝(ぎょう) は、弓の名人である羿(げい) に命じて、9 つの太陽を射落とさせました。

 ところが、殺された火のカラスたちの父親である上帝が怒って、羿とその妻・嫦娥を神籍から抜いて、ただの人間にしてしまいました。

 羿も嫦娥も不老不死ではなくなってしまったので、羿は崑崙山(こんろんさん) に行って西王母(せいおうぼ) に不老不死の霊薬をもらいました。

その霊薬を二人で分けて飲めば人間として不老不死になるだけですが、一人で全部飲んでしまえば再び天に昇って神となることができます。

 嫦娥は薬をもって一人で月に逃げ、この霊薬を全部ひとりで飲んでしまい、月の女神になったということです。

 (才能も実績もあるのに家庭生活に恵まれなかった羿さんに、深く同情します(^_^)

 

 嫦娥   李商隠

  雲母屏風燭影深

  長河漸落暁星沈

  嫦娥応悔偸霊薬

  碧海青天夜夜心

 

 七言絶句です。

 韻は、深沈心が下平声十二侵。

 

 読み(くだ)しは、夢枕獏さんに従います。

  雲母(うんも)屏風(びょうぶ) 燭影(しょくえい) (ふか)

  長河(ちょうが) (ようや)く落ち 暁星(ぎょうせい) (しず)

  嫦娥(じょうが)(まさ)()ゆべし霊薬を(ぬす)むを

  碧海(へきかい) 青天(せいてん) 夜夜(よよ)の心

 

 単語の意味ですが、

 「雲母の屏風」は、雲母が薄くはがれる性質をもつので、雲母の薄片を貼ったきらめく屏風でしょう。

 「燭影」は、ろうそくの影。

 「長河」は、銀河、銀漢などと同じく天の川の意味。

 「漸く」は、だんだんと。

 「暁星」は明けの明星ともとれますが、特定せず、明け方の西空に消え残っている星々とすればよいでしょう。

 「碧」は青緑。

 「碧海」と「青天」は対照させていて、ともに永遠なるものの象徴です。

 

 次は、詩の私なりの現代語訳です。

  雲母を散りばめた屏風に、ろうそくの光がつくる影が映る

  天の川はだんだんと西の地平線の下に隠れていき、消え残った星々も次々と沈んでいく

  月の女神嫦娥は、霊薬を盗んだことを悔やんでいるに違いない

  翠の海を見下ろす、青い空に浮かぶ月にいて、夜ごとの想いはどんなものだろうか

 

 寝室の光景から始まり、夜明け前の空の様子を描き、月の女神の心境に思いを寄せています。

 今ここから、広大で永遠に続く海と空にまで、時間的にも空間的にも広がっていく、うまい詩だと思います。

 

 本当はもっと深く読み込まないと、李商隠の詩はきちんと解釈できないのかもしれませんが、この先は読者の皆さまお一人お一人にお任せしたいと思います。

 ググるといくつかのサイトにこの詩が載っているので、関心をもった方はそれらをご参考にしてください。

 

 

 これまで掲載した漢詩一覧:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12589872784.html