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演劇人生

今日を生きる!

朝からヘリコプターの音がうるさい。

東京ミッドタウンのグランドオープン取材ヘリに違いない。

あゝ、テレビのニュースでも取り上げている。

いま飛んでいるヘリからの画像を流しているようだ。

昼から覗きに行くか・・・

そう思いながら、例の「そして、河童は消えた」の芝居の続きを書く。

腹が減った。

ミッドタウンの中にも食事のできる店があるらしい。

散歩がてら行ってみよう。


マンションの横から直ぐのところにある階段を昇れば、

ミッドタウン・ガーデンである。

陽光の下、子ども連れが多く、楽しそうだなァ!


Oh! なかなか素適じゃないか。

早朝の散歩に持って来いかもしれない。


樹木は少ない感じがするが、東屋風の休憩所があったり、

その前は池にがある。

池には、3~400メートルは続くだろう人工の渓流から水が流れ込んでいる。


ガーデンテラスからミッドタウンウエストに入り、

カジュアルダイニングで、何か食べようと入るが満席。

隣りの店も延々たる行列で…諦めた。


外へ出て、ホットドッグでも買って、渓流でも眺めながら頬張ることにしよう。

…が、ここも行列。


しかたなく、池に向かう。

「うん・・・? この池は河童の棲家にいいかも知れない」と思う。

一泊数10万円、いや100万を越える料金で宿泊する客への、

リッツ・カールトンからのスペシャルサービスとしてどうだろうか?

宿泊客が、窓から見下ろすところで、宴会を開いている河童の姿が見える


…しかし河童にとっては気詰まりだろうなァ。

気の休まることはないに違いない。

やっぱり、河童の棲める場所は人里から離れた方がいい。


さ、おれも99ショップにでも買い物に行こう。

ミッドタウンで食事をするなんて、ガーデン池の河童以上に、オレには似合わない。

自転車に乗って、新宿か四谷行きだ。

・・・というわけで、麦飯に鯛のあら汁、たっぷりの葱入り納豆に、温泉卵、

鮪の煮付けに、キムチの昼食兼夕食を食べる。

河童の話をちょいと離れて・・・


婚礼司会を始めて30年以上になる。

司会者として関わることの出来たカップルも、

3,000組をはるかに越えていて、

4,000組には達していると思う。


バブルの頃は、日に3組の婚礼司会をこなし続けていた。

一日に、府中 ⇒ 高崎 ⇒ 船橋の3組の司会をした(?)ことがある。

思い出してもゾッとするようなタイムテーブルで引き受けていた。

最後の船橋では、会場から、「1時間くらい遅らせておくよ」と言ってもらって

引き受けた司会だが、結婚する二人には、いい迷惑だったに違いない。

しかし、ひと組ひと組、手を抜くことはせずにやっていたつもりだ。


僕の司会で結婚したカップルには幸せになって欲しい・・・

常にそう思いながら、お開き後、二人と握手を交わす。


きょうも浦和のホテルで、来月中旬挙式のカップルと打合せをしてきた。

サロンの担当者は、どうしても伊藤さんに頼みたいというお二人だと

話してくれたが、お目にかかると直ぐ、「これ、二人からのお礼」と、

十万石まんじゅうの2段重ねの菓子折を頂いた。

「どんな司会かも分らずに、先づけでこんなことをなさるものでなありませんよ」

とは言ったものの、甘いもの好きな僕には殊のほか嬉しいことであった。


「うまい・・・うますぎる」の、棟方志功の絵で知られる十万石である。

帰ってすぐ、封を切った。十数種類の菓子の詰め合わせだった。

途端に、河童を思い出した。

「これ、河童に食わせたても、『うまい…うますぎる』に同感してくれるだろうか・・・

他愛のないとこを考えながら、始めに定番の、“十万石”の饅頭から・・・

棟方志功氏も食べたに違いない饅頭だ。

なかなかなものだ!

お茶が欲しい、などとひとり言を呟きながら、2個を頂く。

さくらんぼのゼリーや、あずき入りのゼリー寄せ風の甘味を味わった。

うれしいお土産だった。


昨夜の授賞式のパーティでの食べすぎがもとで、

きつさを感じながらズボンを履いて行ったが、

なお一層のきつさを感じて、ジャージに履き替えた。

・・・もう一つ、と思ったが気合を入れてとどまった。


本当は、今日打合せをしたお2人の話を書こうとしてコレを開いたのだったが、

菓子の話で終わりそうである。

生きる命と死ぬ命の話を二人にした。

書けば長くなりそうである。

お二人との話は、次へまわそう。


そして、河童の作品づくりを再開しよう・・・

3月27日、日本文化芸術財団恒例の「日本文化藝術振興賞」表彰式に出席。

漆芸家の室瀬和美氏、陶芸家の杉浦康益氏、

能楽師の亀井広忠氏(葛野流大鼓方)、作曲家の武智由香氏

外国人留学生・研究者助成金は、造形・視覚デザインのキム・ボンス氏(大韓民国)

上方舞研究の、SABINE STADLER(サビネ シダトレェ)氏(29歳、スイス)だった。


この中で、能楽師(太鼓方)の亀井氏の演奏で観世栄夫氏が「勧進帳」を謡った。

「えッ、この年齢で、この声…ビックリマーク

実は、鼓の亀井氏の受賞記念の演奏の鼓も素晴らしかったが、

観世氏に食われた感じは否めない。素晴らしかった。

僕が民藝に入ったばかりの俳優教室で、

若い観世氏の授業を受けたことがある。

あれから30数年…

観世氏に「若々しい声」と言って感動を伝える人もいたが、

僕は、謡の艶に感動し、背景に安宅の関を描いていたと言おうとしたが、

「素晴らしい声をお聴きして感動した」

としか口に出なかった。


一時能楽界から現代演劇や、映画、オペラ等の分野に転身し、

20年くらい後に復帰し、能役者として廃曲を復曲上演などを続けてきている。

幾つだか年齢は知れないが、80歳はこしているはずだ。

日々の鍛錬がそれを保っているのは勿論だろうが、

芸を愛する心があってのものと感じた。

来年は、足も、もっと弱っていることだろうが、

また会えるのを楽しみにしたい。


さて、河童の話だが、この財団が予定している親子劇場に提案しようとする作品だ。

では、何故河童か・・・ということになるのだが、僕にはわけあってのものだ。

この続きは、またボチボチ書いていきたい。

今日は、これから浦和に行く。

よそ見ばかりしていて、なかなか筆が進まないが、帰宅して、再度取り掛かるときは、

浦和往復の中で見聞きすることが、何らかの形でプラス要因になってくれるか・・・?

期待して、「行ってきま~す!」

河童の話題は尽きるところなし…である。


ちょいと横道にそれるが、

きょう赤坂の乃木坂通りを自転車で通っていると、油が切れている違いない、

ギイー、ガチャ~ン、ガシャガシャと音を立てながらすれ違った自転車があった。

「お~ッ!」

乗っている人を・・・いや、人ではない。

紛れもなく河童じゃないか!

振り向くと、頭のてっぺんには皿がある!

「うお~ッ…か、河童だッ!」

・・・本当は、六本木6丁目か、西麻布辺りに住んでいる、些か河童に似たお方で、

以前にも見かけたことがあるのです。

ところが、今日は殊更に河童に見えてしまったというだけのことなのです。

すいませんショック!


このところ、河童を入れ込んだ芝居を書いているせいに違いない。

スーパーに買い物に行っても、根拠も無いのに、つい胡瓜に手が伸びたりもする。

回転寿司に入って、いつもは目も行かない“かっぱ巻”にも手が伸びる。


ところで、テレビなどにも登場する西遊記だが、

沙悟浄は河童のいでたちだったことに気づいた。

あれは中国の物語りじゃないか・・・

とすると河童の由来は中国なのだろうか…

そう思って調べてみると、

沙悟浄の姿は、日本でつくられたものと判明した。

水辺に住む大男らしいのだが、

三蔵法師のお供をしているのは猿や豚の妖怪である。

一人人間を入れるよりは、

川の近くに住ンでいたという沙悟浄を妖怪の代表格の河童にしてやれ

…と、誰かが考えたに違いないのだ。

ましてや、河童といえば、大きくても小学生程度の身長だ。

大男といわれる沙悟浄が河童であるという説は、

ここでもろくも崩れ去る。


謎は謎を呼ぶ河童の正体である。

河童で始まったこのブログ…

しばらくは河童づくしでいこうと思う。


河童が想像上の動物かどうかは、不明ということにしておきたい。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)の一つという意見が多いが、これも確証はない。


魑魅(ちみ)とは山林の気であったり、

岩や石の精、あるいは物の怪(け)などを指すらしい。

魑魅なる動物は陸地でも、山に近いところに住んでいるようである。

では魍魎(もうりょう)なのだろうか…かなりの近さを感じるが、

にわかに頷くわけには行かない。

中国には、魍魎という水中の精がいるらしい。

年齢は不祥だが、3歳児くらいで、赤い眼をして、長い耳を持っているという。

だが胡瓜を食べる話は探せなかった。

どちらかと言えば、死んだ人の肝臓を食べるらしい。

…とすると、似て非なるもの…結び付けるには疑問が多すぎる。

また、河伯という水神の説もある。

河で溺れ死んだ人の霊が、水神になり、

水の精である美しい女性を連れて河川を巡り歩いていると伝えられている。

この河伯が河童の伝説の源であるという説だが、

日本に渡って来る理由が、どこにあったかを考えると疑問が残る。

わが国と同じように、農耕文化の発達した中国から渡来した説と、

純粋にわが国生まれだという説も存在するのだ。


壇ノ浦の藻屑と消えた武将も多かったが、命からがら逃げたもの達も、

源氏の追討に合い、運尽きて自害して果てた魂が、

河伯(河童)となって九州地方に棲みついたという説である。

落武者の怨霊が河童に化した話は、九州各地に伝わっている。

薩摩地方に、川内(せんでェ)ガラッパなどと呼ばれる河童伝説もある。


河童の呼び名は多種多様だ。

ただ、一つ、二つの呼び名が、土地土地の訛り(なまり)で

名称が飛散したものでないのだけは確かなようだ。

ちょっと調べただけで、九州薩摩地方では、ガラッパなどという。

他に、河童 河伯 カワッパ ヒョウスボガワッパ

スイコ セコ セコボウ ヒョウスヘ ヒョウスベ 
オシッコサマ シイッコサマ 川原ワラシ ガタロ

カワタロウ ガタロウ カワノトノ カワヤロウ…と、

実にたくさんの呼び名を頂いている。

これは、河童伝説が、その地域に根ざした存在であったことを

意味しているように思えてならない。

…が、それが何処であっても、

秘密のベールに包まれたままであることも事実だ。