演劇人生 -250ページ目

演劇人生

今日を生きる!

友人から仕入れた話ですが、昨日その友人から電話が来た。


「おれの話を随分翻案しているじゃないか。おれの名前を入れてないから勘弁しておくが」

というものだった。ご免なさい。…今回は、更に翻案部分が上昇するかも・・・


親はびっくりして、


「河童だと? それも手水に入り込んで、おしっこをしている娘の大事なところを・・・」

娘は急いで、

「いいえ、大事なところは無事でございます。触られたのはお尻…尻っぺたです」

と抗議をしたとかしないとか。


怒り心頭に達した両親は、早速菩提寺の和尚に相談しました。


「ふむふむ…」


眼をつむり、…時々は薄目をあけ、うつむいている娘の横顔をチラチラ見ながら聞いていた和尚、

「嫁入り前の娘だ。尻を撫でられたくらいで、まだよかった」


そして、長い顎髭をなでながら身を乗り出し、

「腕を切り取られた河童は直ぐ見つかる。第一泳ぎに困っているはずだからな」


早速荒川に行き、顔見知りの河童に問うてみようと言います。


付き合いの広い和尚は河童にも知り合いがいたのでした。

娘を連れ立って、風呂敷に包んだ河童の腕を小脇に抱えた和尚と、

親達は荒川の岸辺に立ちました。


和尚は大きな声で、

「屁の河童ッ!」と叫びました。


すると、岸辺の葦がザワザワとしたかと思うと、

皿を頭にのせ、濃い緑色をした河童が、ニュ~ッと顔をのぞかせました。


和尚は、

「やあ、川の民よ、元気でござったか」

と声をかけました。


そしておもむろに懐から胡瓜を出して、

「朝摘み胡瓜じゃ。もう年だから、ゆっくり噛んで食ってくれ」

といい、

「実は、かくかく然々でな、この娘が健気にも切り取った腕を持って来た」


風呂敷をひろげて、それを見せると、河童は直ぐ合点が行った様子で、

「上甲河童の腕だ」

と言い、頭の皿に溜まった水を指先につけ、

パチンッ(例の亡きPマキ氏の“指パッチン”に近い)と指をはじくと、

水面を何かが走り、程なく、担架に横たわる河童を連れてきたのです。


「あッ、この顔・・・」

娘が言いました。


「わたしが切りつけた時、一瞬ですが見えた顔がこの人です…いいえ、この河童ですわ」


そう言うと、

「あなた、痛かったでしょう? ここに腕を持ってきましたが、くっつけるのに今でも間に合いますか?」

何という優しい娘さんではありませんか。


「あなたのお尻の撫でかたは素晴らしいわ。いつの間にやら、撫でられるのが待ち遠しくなっていたのよ」

和尚も親も慌てました。


「これ娘、何を言う!」


口を塞ごうとしましたが、娘はそれを振り切って話し続けます。


「でもね、あなたは河童、わたしは人の子よ。このまま先に進んでも、恋人にも夫婦にもなれない」


娘の目には涙が浮かんでいました。


「この世に生きとし生けるもの、全ての命はひとつです。それを人間だ、カッパだと分け隔て、

愛しいと思っても、恋をすることも、夫婦にもなれない。これはとっても悲しいことです。

でも神様が、そのようにお決めになったのでしたら、それに従うほかはございませんわ。

上甲河童さん、あなたにお尻を撫でられて、わたしきは幸せでしたわ。でもね、あのように

して撫でられたい河童の女は沢山いるはずよ。だから、あなたのあのテクニックを河童の

女性に使うべきだわ。でも、それも一人きり!…いいこと? これをお約束して下さらない?」


これには上甲河童も感動したのでしょう。


「お嬢様・・・こんなに嬉しいお許しのお言葉を頂けるとは。思いもよりませんでした。

これからは心を入れ変え、河童の男として、しっかりしたアイデンティティ確立につとめます。

またこのご恩は生涯忘れるものではございません」


と、担架から起き上がり、

片手をついて、深々とお辞儀をするのでした。


「じゃァ、バイバイ!」

娘は何事もなかったかのように帰って行きます。


「はい、ありがとうございました!」

後姿を眺めながら、手水の中から手を伸ばし触った、白桃のようなお尻が浮かんでくるのを

必至に堪えながら、水中に顔を沈めるのでした。


ブクブク、ブクブク・・・・


さて、

その日の夜、

娘は何事もなかったかのように、

「お父さま、お母さま、おやすみ・・・」


の挨拶をして手水に入り、

相も変らぬ元気な音を立てて、

「シャ~ッ!」

と、お小用を済ませるのでした。


ある日のことでございます。

習い事に行った娘は、友人との話に花が咲き、

ついつい遅くなったために、

友達の家の使用人に送ってもらうことになりました。


「お嬢様、お気をつけてくださいまし」

足元を提灯で照らしてもらい、そろりそろりと歩いておりますと、

突然、使用人の男が抱きついてきたのです。


「これ、なにをする!」

出そうとした声は、男の手で口をふさがれて、うめき声にしかなりません。

力任せに押し倒され、裾を掻き分けた男は、無理やり押し挿ろうとします。

もがきにもがいて抵抗しますが、非力な娘の力ではどうにもなりません。


…と、その時、

「うッ!」とひと唸りしたかと思うと、男はのけぞるように後に倒れました。

「いまだ!」

娘は必至で、家へ走り帰りました。

「お父さま、お母さま・・・」


今さっき、かくかく然々で・・・と話す娘の顔を見ている親が、

「鏡を見てご覧」

…といいます。

出された鏡を見た娘は驚きました。

夢中で走ってきたので、痛さも感じなかったのですが、

顔には大きな傷がついていて、血が滴り落ちていたのです。


「うわ~ッ!」


…そうです。口元から耳にかけて、大きな傷が走り、殴られたような痕もついています。

なんとも言いようのない、凄まじい形相でした。


数日が経ちました。

包帯にグルグルまきにされた顔ですが、治療の限りを尽くして、

今日が包帯を取る日なのです。


「痛くはございませんか?」


お医者がやってきて、おもむろに外していきます。


取り終わって、鏡をみた娘は、絶望の悲鳴を上げました。

「うわ~ッ!」


その声は、十里四方に響きわったったと言われています。


無残なものでした。


口の端は引きつり、眼は半ば塞がり、閉じようにも閉まらない口からは、

よだれが垂れていました。


明るくて朗らかで、鈴を転がしたような声もきかれなくなりました。


娘は、表に出ることもなく、部屋からも滅多に出てきません。


庄屋の家には、毎日重苦しいものが漂っていました。


そのような、或る日のことでございます・・・


≪続く≫

土地によって、河童伝説は様々です。


友人から仕入れてきた話です。


中山道沿いに、桶川宿、北本宿、鴻巣宿…そして熊谷宿などの宿場町がありまたが、

それぞれの宿場に、少しずつアレンジしたような筋で河童にまつわる話が残っています。


鴻巣といえば雛人形ですが、中山道沿いだけではなく、陸奥、出羽などからも買い付けに

来るほどの質の良い雛を送り出していたようです。誕生した娘に鴻巣雛を買えるのは、

地方でも裕福な家だったようですが、碓氷峠を越えて、わざわざ買いに来るお大尽も

あったという古文書もあります。鴻巣市の「雛歴史館」には、倉を改造した展示室に、

貴重な“享保雛”や“古雛”が、所狭しと展示されています。

一見の価値はあります。


さて、河童の話ですが、

中山道沿いにある庄屋の家で起きた事件に始まります。



庄屋には、稀に見るような美しい娘がおりました。


「お父さま、お母さまお休みなさいませ」

きちんと座り、真っ白な手を重ね置き、鈴を転がしたような美しい声で挨拶をします。


親が自慢するも無理ないことと、近所の誰でもが認めるような娘でございました。


挨拶を済ませて、手水(ちょうず)に行き、着物の裾を捲り上げ…

(これはいくら美しくかろうが、そうでなかろうが大差のない行為ではあるが)

お小用をするのでありました。

「しゃ~ッ」

…と元気な音を確かめながら、かすかな鼻歌などを歌っていると、

お尻をサラッっと撫でられたように感じます。


「きゃ~ッ、誰か来てッ!」…と絶叫するかと思いきや、


「・・・・?!」

声一つ出さず、かすかに首をかしげて、手水を出たのであります。


「気のせいかしら・・・」


娘は、そう思いながら、寝所に行き、ぐっすり寝入ってしまいました。


翌朝、目を覚まし手水へ入り、お小用を足しましたが、何の異常もございません。


「やはり、気のせいだったかしら」


いつの間にやら、夕べのことはすっかり忘れて一日を終え、


「…お休みなさいませ」


の挨拶を済ませ、スケジュール通り手水に入り、

着物をはしょって、しゃがみこみ、お小用を出しました。


「・・・うん?」


何と、またまた昨夜と同じような感触がお尻にあります。

優しく、遠慮がちに、いとおしそうな触りかたで、

サラリ、サラリと撫でてくるのです。

いやな感じがしないとはいえ、手水の下から、

誰とも分らぬ手で舐めるように撫でられて、

そのままにしておくわけには参りません。


娘は、そっと前かがみになり覗こうとした途端、パタッと止んで、

それっきり尻は撫でられませんでした。


娘は、それ以上深追いはせず、

「明日こそ、何とか手の正体を確かめてやろう」

そう決断するや、5つと数える間もなく寝入ってしまいました。


まあ…この娘、よほど肝っ玉が据わっていたのか、

尻の撫で方が絶妙だったのか…

今では、確かめる術はありませんが、

いずれにしても度胸がよかったに違いありません


夜が明け、手水に行っても、いつものように何事もございません。


さあ、夜になりました。


娘は、一方では、尻を撫でられるのを待ち受けるよな自分の気持を振り払いながら、

今夜こそ正体を暴いてやろうと、勝手から懐に包丁を忍ばせて手水に入りました。


「しゃ~ッ!」


何事もないような元気なお小用の音を響かせていると、

またまた例の感触をお尻に感じます。


「来たな!」


娘は懐の包丁を握り締め、ひょんとお尻を持ち上げるが早いか、

手水の中に包丁を突き入れました。


「ぎゃ~ッ!」


叫び声がしたかと思うと、

・・・ポトリ、切り取られた毛深い腕が目の前に転がっています。

そして、その切り口からは、緑色の血が流れ出ています。


なんと、それは河童の腕でした。


どうして分るかと申しますと、三本指で、指と指をつなぐように、

水かき様な物がついていたからでございます。


「お父さま、お母さま、このような手に、わたしは毎晩のように尻を触られていました」


娘は打ち明けました。


≪つづく≫

空飛ぶかっぱ? Oh・・・空飛ぶ河童?

河童生存説が、数年周期で浮かび上がるのは何故か。

北海道の定山渓谷では河童サミットが開かれているらしいが、

河童の参加のない中で行われているサミットであると聞いて驚いた。

主要国首脳会議のサミットが、主要国から誰一人出席していない中で、

行われている会議のようなものだし、主要国…という抽象的な名前より、

より具体的な「河童」というネーミングを冠にしていることに疑問を覚える。


が、地域振興、観光開発の利に供しているとすれば、

河童としては意に添わないとは…言い切れないようにも思える。



≪ここからは、フィクションとしての創作性が強くなりますので、

 真偽の程を詮索するためのお問合せには一切お応えできません≫


近々、数百年という年月を地下に潜行している河童の首脳と秘密裏に会う。

この機を利用して、わたしの発見した「河童地下潜行の理由」の

真偽を問いただし、河童についての人間側情報の数々と、

我々が調査した河童の性格分析等を突きつけてみたい。


①・河童の頭部にある皿状のくぼみの果たす機能について


  この機能がもとで全滅を危惧し、地下に潜ったという説は本当か

  ※この機能の1つに、皿で沸かした湯を飲むことによる効能がある

   「河童ものがたり」プロジェクトティームが発見した驚異の事実…

   効能とは:

   その人間は、1,000年長生きするということである

  

これが事実ならば、河童は永久に地下潜行を余儀なくさせられるだろう。


また、その効能によって、数百年の昔から行き続けている人はいるのか

   いるとすれば、何処の誰か

 皿が乾くことによって正気を失い、力が失せ、死に体になるというが真偽は

   その理由と史的根拠は


②・手と足の指と指の間には、水かきのようなものがあるが、


  スキューバダイビングツールに与えてた影響について

  ・その回答によるが、実用新案や特許についてどう思うか

  ・指の本数を様々に言われているが真実は

  ・北海道に「飛ぶ河童」のモニュメントがある

   飛べるのか


③・一種青臭く、生臭い体臭があるといわれることについて


  ・その真偽と、消臭技術について

  ・何時も保たれている潤い成分は何か


④・河童の性格について


  ・直ぐに誓いを立てて、ほとんどの場合は、口頭ではなく、証文を残す理由

  ・義理堅く、感謝の気持には清流に棲む岩魚などの魚をプレゼントする理由

  それも、存命中は欠かさず続ける理由

  ・人間に騙され易く、何度騙されても信用してしまう理由

  ・騙そうとしていながら、同じようなことで何度も騙されている

 ・学習能力がないのか


⑤・如何なるものにも「河童属」も「河童族」の記載はないことについて


⑥・金銭には見向きもしないが、欲はないのか


⑦・昔の話に、人間の娘に惚れた♂河童の話が残っているが、 

   仲間の中に、混血は存在するのか


⑧・背中についている、亀の甲羅に似たものは脱ぐと裸体になるので

   人前(河童前)では脱がないと聞くが、ほんとうか


⑨・芥川龍之介と親交があったか。同じに水木しげるとはどうか。


質問が多すぎて、数回の会談を余儀なくされるかもしれない。


しかし最後には、「我々人間に対して言いたいこと」だけは聞いておきたいと思う。


※魯迅に「狂人日記」がある。あの主人公の男と自分は厳然と異なることをここに付け加えたい。

山形県米沢市の白布を源にして、

人面県を蛇行して流れる川が最上川である。


“五月雨を 集めてはやし 最上川”

その流域に、僕のふるさと、天童市がある。


子どもの頃に母の話の中に、

最上川の河童の話を聞いたことがある。


あまりにも小さい頃なので、“猫えんざら

(いなければ)よがんべ(よかんべ)”

という話と攪拌されてしまった部分があるのだが、

少し整理してみた。



最上川のほどりの村さ、庄屋さんがえだど。

 ⇒最上川のほとりの村に庄屋さんがあった。

ほのうづさ、うづぐすい 娘がえだど。  

 ⇒その家に、きれいな娘がいたそうだ。

あるどぎがら、なしてだが        

 ⇒ある時から、どうしてか、

顔えろ青ぐなてよ ままもかねす     

 ⇒顔色は青くなり ご飯も食べないし、

がんしょなくてよ 朝も おぎらねんだど 

 ⇒元気が無くて 朝も おきられないのだって。

なして こだいなだ…て聞いてみだど   

 ⇒どうして こんななの…と聞いてみたって。

すっど ただ かぶりふるだげだってなだ 

 ⇒すると ただ 首を横に振るだけでした。

「すかだねェ祈祷ス頼むがな」はて、   

 ⇒「仕方ないから 祈祷たもうか」と、

なったてんだな             

 ⇒なったというのです。

ほすて、巫女の話スによるど、      

 ⇒そうして巫女の話によると、

偉いボサマばがら 呪文となえでもらえ  

 ⇒偉い和尚さんを頼んで呪文を唱えてもらえ


<疲れたので普通に>

というこだった。

早速お寺に行き、「かぐかぐ すかずか」と話したそうだ。


「河童が人さまの娘を欲しがるとは身の程知らず!」


カンカンに怒った和尚と、親父が河童の住むという川に向かった。

すると・・・


「Oh!」


娘が若い男と川べりに座って、親しげに語りあっているではないか!

『こら~ッ 河童奴、こともあろうに、人間の女に惚れるとは!』

『…懲らすめてけるッ!」

と、親父は持っていた鎌を思い切り振りかざした。

和やかに、しっとりした話をしていた河童は驚いたのなんの、

慌てて川に飛び込んだ。


ドボ~ン!


偉い和尚さんは、「こりゃ河童、お前は所詮河童だ。

河童は河童の女子が一番だ。

人間の女子に惚れるとはもってのほか!

すぐに娘にかけた術(じゅつ)ば解けッ!」


と言うなり、

『おん あぼきゃべ ろしゃの まかぼだら・・・」

ありがたいお経を唱え始めた。


そしておもむろに、

『さもなくば、明日のうちに、この川の水みんな堰き止めて、

お前等の皿ば干上がらせるぞッ」と、大きな声で言ったど。


そして翌日、親父と和尚が川に行ってみると、


『Oh!』


改めてビックリ。


丁寧な字で、

『庄屋様、和尚様、申すわあげありません。

二度と再び人様にご迷惑をかけません』

と書かれた、詫び証文が置いてあったということです。


河童が人を騙す話は少ないようです。


山形のこの話は、珍しいように、

大抵は河童のほうが“お人よし”ですし、

人に非難されると、素直に、すぐ謝りを入れ、

お詫びに銭を持ってきたりします。


そして義理堅く、何年でも、

命の続く限り贈り物や恩返しを絶やしません。


愛すべき性格を持ち、

静かに生きようとしていながら、

ついつい人間社会の喧騒や、

殺伐とした争いに巻き込まれ、

犠牲になった河童も多くいたのです。


それに、河童には驚くべき秘密が隠されていました。

コレは大発見です。

<続く>

5歳の子を連れて結婚するMさんへ

Mさん、こんばんは。


二度の結婚をし、二度離婚し、初老の域を越えた僕です。
このような僕が、自らの経験を顧みつつ婚礼に関わり続けています。


結婚1ヶ月近く前に、お二人と会って披露宴への臨み方等を話します。
勿論、司会者ですから進行の話もしますが、婚礼への関わり方が、
お二人にとっては、最大のテーマだと考えていますから、

結婚とは何だろうか・・・このような話が中心になります。

先ず感じることは、結婚前のお付き合いが何年であろうと、
相手を本当の意味で分るのは、お互いに結婚後のことだと思います。
何年となく、全く別の環境で生活をしてきた二人だということを理解する
…この全てを知り合い、不安感を拭い去った上で結婚するなど不可能です。

「結婚前は、両目をあけて相手を見て、結婚後は片目をつむって…」
という祝辞をする方がいますが、全く逆の考えが必要だと思います。
結婚後は、確り両目をあけて、相手のいいところを探すことです。

これは、なるほどと思った、三浦綾子さんのことばの受け売りです。
脊椎カリエスで、身動きの取れないギブスベッドで仰向けに寝続け、
7年間・・・その後も心臓病や帯状疱疹、癌、パーキンソン病と、
病に冒され続けた綾子さんと結婚した旦那さんは、綾子に負担になる
出産はさせられないとして、欲しい子どもも作らない約束を交わしました。

これは特殊な例だとおっしゃる方もあるでしょうが、当たり前の
二人でも、お互いに乗り越えなければならない条件は必ず存在します。

共通のものがあるとすれば、お互いに、生まれたときから、
生きる命と死ぬ命の両方を授かって生きて来た二人が、
残る人生を共にするために結婚しようとしている…
という事実だけのように思うのです。

明日も今日も生きているので、明日も明後日もと思いがちです。
しかし常に死ぬ命を携えて、あなたも、あなたのダーリンも今あるということなのだと、

僕には思えるのです。これは僕も、みんなも同じです。

このことを考えるとき、相手がかわいそうだなどと思うことが必要でしょうか。
これからの生涯を、共に生きようとする人の大切さの再認識だと思います。

手を握り合える幸せを、お互いに確認し合うことではないでしょうか。

何かを期待する以上に、今の一刻一刻を噛み締めて生きること…
それこそが、本当にお互いに求めていることではないのですか?
幸せは求めるものではなく、一緒に創っていくもの…
これから先に残されている、お2人共通の課題だと思います。
Mさんが、真剣に考え、理性に照らそうとしていることは素晴らしいし、

その気持はダーリンにも十二分に通じているのでは?

去年、小学生の子ども二人連れの女性と、初婚の男性との婚礼司会をしました。
男性は、新婦には10年子育ての苦労をさせ、自分はイイトコ取りで済まない
…と言っていました。僕はその時も、これと同じような話をしました。

今年の正月には、4人揃った笑顔の写真の賀状を頂きました。


あなたは二度目の結婚を恥じ、結婚するダーリンを可哀想だと言っています。

僕には、そのようにしか考えられないMさんが可哀想に思えます。

子どもをつくっていながら離婚せざるを得なかったのは不幸に違いありません。

でも、それを不幸のままにしないために再婚を選んだのではないのですか?

<続く>