ビートルズ Dear Prudence を聞いて…思った深いこと
『ディアー プルーデンス』は英語も苦手な高校生の頃は、無政府主義のプルードンを歌った曲だと勝手に思ってた。爆 プルードンは今、調べると、読む価値はあるのかもしれません…。苦学の人です。
「財産、それは盗奪である」
は、いいね…… こんな事は、私がよく紹介してきた森の民や、サモアの人達も知っている。
昔、フィジーに行った時、ガイドさんから、言われた。
「島の人が、あなたの物を、勝手に持ち出しても、怒ったりしないでね。これは、道具はみんなの物という文化があるからなんだ」と。
先日たまたま、YouTube で Dear Prudence が目に止まり、聞いてみた。なんかこのMV好きです。
で、「Prudenceって誰よ??」ってなる訳です。(勿論、プルードンだとはもう思ってないよ。笑) 詳細はコチラ。丸投げ。
この記事を読むと、「あぁ…悟りを開く前に狂っちゃう人いるんだよね…」禅ではこれを禅病と言います。白隠の禅病は有名です。
でも、真相は違っていました!
Prudence からの感想はコチラ!!
ビートルズの面々は、悟りを邪魔する、オセッカイな奴らでした。笑!
●これは興味深い…………
結局、目の前で起こっている現象など、人それぞれの霊格と経験に応じた「解釈に過ぎない」って事です。これを仏教で「唯識」と言います。
キルケゴールが「真理は主観である」と言ったのは、永遠に正しいのです。
『チベットの死者の書』でも「全てのものは汝自身である。空なるものである」と言っています。
目の前の現象に対し、その霊格に応じて、解釈が違うので、ひいては争いや戦さも起こります。
霊格という部分では、プルーデンスの方が絶対に高い!!
中国や日本の古典をよく読むと、高僧の奇人変人ぶりが紹介されたりするのですが、凡庸なビートルズには、プルーデンスの霊格の高さが理解できなっかったのです。
私でも、バカにされる事があります… まぁそれは仕方がない…霊格の問題なのです………
ビートルズは、「Look around, round, round」と言いますが、around なんか見たって仕方がないのです………(私の中ではSNSもaroundだと思っている)
プルーデンスは常に「center」を求めたのです。(『亡くなる心得』では頼光の「無言の行」)
勿論、若い内は、「around」を見、経験することは大事ですが、ある程度、経験や、若くても素養のある人は常に「center」に興味があるのです。
私の20代の頃の絵はこの考え方なのです…
私の書籍群は、常にこの「center」を求めて来たものです…
(特に『亡くなる心得』と『Talking with Angelsーコート・ダジュールの天使達-』は、「center」について書いています。
実に、皮肉な事に「center」について語ると、この世や出版界は、可哀想なプルーデンスだと思ってしまうのでしょう……この重要な2著が、自費出版せざるを得なかったこの世の薄汚く霊格が低い現実……穢れ過ぎなのです……嘆……ビートルズとプルーデンスと同じ現象なのです )
とは言え、ビートルズをバカにしている訳ではなく、この自然に触れるという事はとても大事な事で、
ハンセン病に苦しんだ、歌人、明石海人がものすごい句を残しています。
「薔薇が咲き 日が差し それが見えている こんなことさえ ただごとなのか」
全然、ただ事ではなく、これは、現世、自然界のスバラシサです。
ポールはこの時、こんな歌を書いています。
ここで私が気になるのはこの歌詞です
「Find me in my field of grass」
そう、実は私は、何にでもなれ、どこにでも居るのです。
●何者も神よりわたしに近いものがないのは、わたしが生きていると同じく確かなことである。神はわたしがわたしの自己に近いよりももっとわたしに近い。わたしの生命は神がわたしの近くにいる、わたしの中に現存していることに依存している。そのように神は一つの石の中に、一本の丸太の中にもいられるのだが、ただ彼らはそれを知らないだけだ。
これは、インディアンも知っていた……版画家の長谷川潔も知っていた。『コート・ダジュールの天使達』で書いた。
私のブログで自然関連が3〜4つ続きましたが、ただの道楽ではないのです…私はたまに、採集や釣りに行くたび、このビートルズの2曲を口ずさんだりします。
当然で、ジャレド・ダイヤモンドの引用をするまでもなく、 森を潰す文明は必ず亡ぶ
奇しくも、本日紹介したビートルズの2曲。
ヨガ、マスターの、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー に出会ってからの啓示です。
やっぱり、音楽のシャーマンとして、ビートルズは見逃していない事が解ります。
ちなみに、コレを書くにあたり、ジョン・レノンの『Jealous Guy』は、元々、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに出会った時に書いた『Child of Nature』であったことも知りました。
『Jealous Guy』のようなクダラン歌より、本来の『Child of Nature』の方が良かったのに…
And the dream I had was true
夢は霊界につながるもので、ちゃんと予知夢として知っていました。
Where the wind that never changes
Touch the windows of my soul
気付き始めていたのに……
Across the Universe も参照。Across the Universeの方が名曲。
小忙しいのに、何で、ウダウダと書いてしまうのか… ただし、とても大切な事だと思うから… (これも、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの力かも…笑)
岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝
「財産、それは盗奪である」
は、いいね…… こんな事は、私がよく紹介してきた森の民や、サモアの人達も知っている。
昔、フィジーに行った時、ガイドさんから、言われた。
「島の人が、あなたの物を、勝手に持ち出しても、怒ったりしないでね。これは、道具はみんなの物という文化があるからなんだ」と。
先日たまたま、YouTube で Dear Prudence が目に止まり、聞いてみた。なんかこのMV好きです。
で、「Prudenceって誰よ??」ってなる訳です。(勿論、プルードンだとはもう思ってないよ。笑) 詳細はコチラ。丸投げ。
この記事を読むと、「あぁ…悟りを開く前に狂っちゃう人いるんだよね…」禅ではこれを禅病と言います。白隠の禅病は有名です。
でも、真相は違っていました!
Prudence からの感想はコチラ!!
ビートルズの面々は、悟りを邪魔する、オセッカイな奴らでした。笑!
●これは興味深い…………
結局、目の前で起こっている現象など、人それぞれの霊格と経験に応じた「解釈に過ぎない」って事です。これを仏教で「唯識」と言います。
キルケゴールが「真理は主観である」と言ったのは、永遠に正しいのです。
『チベットの死者の書』でも「全てのものは汝自身である。空なるものである」と言っています。
目の前の現象に対し、その霊格に応じて、解釈が違うので、ひいては争いや戦さも起こります。
霊格という部分では、プルーデンスの方が絶対に高い!!
中国や日本の古典をよく読むと、高僧の奇人変人ぶりが紹介されたりするのですが、凡庸なビートルズには、プルーデンスの霊格の高さが理解できなっかったのです。
私でも、バカにされる事があります… まぁそれは仕方がない…霊格の問題なのです………
ビートルズは、「Look around, round, round」と言いますが、around なんか見たって仕方がないのです………(私の中ではSNSもaroundだと思っている)
プルーデンスは常に「center」を求めたのです。(『亡くなる心得』では頼光の「無言の行」)
勿論、若い内は、「around」を見、経験することは大事ですが、ある程度、経験や、若くても素養のある人は常に「center」に興味があるのです。
私の20代の頃の絵はこの考え方なのです…
私の書籍群は、常にこの「center」を求めて来たものです…
(特に『亡くなる心得』と『Talking with Angelsーコート・ダジュールの天使達-』は、「center」について書いています。
実に、皮肉な事に「center」について語ると、この世や出版界は、可哀想なプルーデンスだと思ってしまうのでしょう……この重要な2著が、自費出版せざるを得なかったこの世の薄汚く霊格が低い現実……穢れ過ぎなのです……嘆……ビートルズとプルーデンスと同じ現象なのです )
とは言え、ビートルズをバカにしている訳ではなく、この自然に触れるという事はとても大事な事で、
ハンセン病に苦しんだ、歌人、明石海人がものすごい句を残しています。
「薔薇が咲き 日が差し それが見えている こんなことさえ ただごとなのか」
全然、ただ事ではなく、これは、現世、自然界のスバラシサです。
ポールはこの時、こんな歌を書いています。
ここで私が気になるのはこの歌詞です
「Find me in my field of grass」
そう、実は私は、何にでもなれ、どこにでも居るのです。
●何者も神よりわたしに近いものがないのは、わたしが生きていると同じく確かなことである。神はわたしがわたしの自己に近いよりももっとわたしに近い。わたしの生命は神がわたしの近くにいる、わたしの中に現存していることに依存している。そのように神は一つの石の中に、一本の丸太の中にもいられるのだが、ただ彼らはそれを知らないだけだ。
これは、インディアンも知っていた……版画家の長谷川潔も知っていた。『コート・ダジュールの天使達』で書いた。
私のブログで自然関連が3〜4つ続きましたが、ただの道楽ではないのです…私はたまに、採集や釣りに行くたび、このビートルズの2曲を口ずさんだりします。
当然で、ジャレド・ダイヤモンドの引用をするまでもなく、 森を潰す文明は必ず亡ぶ
奇しくも、本日紹介したビートルズの2曲。
ヨガ、マスターの、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー に出会ってからの啓示です。
やっぱり、音楽のシャーマンとして、ビートルズは見逃していない事が解ります。
ちなみに、コレを書くにあたり、ジョン・レノンの『Jealous Guy』は、元々、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに出会った時に書いた『Child of Nature』であったことも知りました。
『Jealous Guy』のようなクダラン歌より、本来の『Child of Nature』の方が良かったのに…
And the dream I had was true
夢は霊界につながるもので、ちゃんと予知夢として知っていました。
Where the wind that never changes
Touch the windows of my soul
気付き始めていたのに……
Across the Universe も参照。Across the Universeの方が名曲。
小忙しいのに、何で、ウダウダと書いてしまうのか… ただし、とても大切な事だと思うから… (これも、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの力かも…笑)
岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝