桜翁稲荷大明神の考察と、その不思議な力 | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

桜翁稲荷大明神の考察と、その不思議な力

 『まんが日本昔ばなし』で、私がとても好きで気になるお話の中で『桜大明神』というのがあります。実に哀愁のあるスバラシイ話です。
 動画などを貼付けるとスグ、怒る人が居るので、自分でしらべてね。笑

 お話の舞台は、私が住んでいる場所から、日帰りで行けない所ではないですし、何より私が興味を魅かれるのは、あまた日本には狐狸の昔話があるなかで、「ちゃんとその昔話の史跡が神社として現在も残っているという事実!」

 狐話の史跡が残っている…というのは、意外と珍しいパターンであり、たいがいの話は、狐に化かされただけの現地証拠の無い話で終わるものがほとんど。

● さて、そこで現在も神社までもが残ってる…という事になると、
 「当時、本当に、爺さんに化けた狐が存在したのだろうか ???」
 という疑問が自然に沸き上がるものです………?
 神社を作るなんて、当時はよほどインパクトのある事件だったハズですから!

 そこで私は考えました。
 まず、「現代的な考察では、」おそらく、当時の西宮今津には老狐が居て、6軒もの作り酒屋を正に『日本昔ばなし』が語るように「如才なく」食べ物や、ある時はお酒などもめぐんでもらい渡り歩きながら生きていたのではないか…という仮説。(この場合あくまで狐であり老人ではない)

 ウチの昔の飼い猫もそうだったのですが、お隣の家では、ウチとは違う名前で呼ばれ家まで上がり込んで、かわいがってもらったりもしていました。笑 狐や猫のたぐいは家々を巡り、かわいがられる、そうした器用さはあると思うのです。

 正に何軒もの家で、時にはお酒ももらい「如才なく」生活していた狐だったのでしょう。

 その狐が、ある時、あろうことか愛情をかけていたはずの人間の仕掛けたネズミ獲りが原因で死んでしまう…
 可愛がっていた酒屋の主人もかなりショックだったはずで、そもそも狐は昔から商売繁昌に繋がるお稲荷さんや神の使いとも考えられているわけで、哀れと伴に、まず畏怖の念で神社まで作ったのではないだろうか………可愛がっていたのなら尚更なのです。 (酒樽で死んでいるので、お酒の味を覚えさせた当人の責任も感じたかもしれません)

 この事件が、人慣れした狐話に尾ひれが付いて、碁まで打つ狐の爺さんの昔話になったのではないか…
 以上が「現代的な」私のこの神社作りまでの昔話の考察です。


●しかし、また一方で、私が持っている蔵書の中には、狐狸のたぐいは、「実際、ヤツラには化ける能力が存在する」と主張する書籍があり、史実や記録も交え語っているのです。
 (この書籍は、私の次ぎの作品に関わる内容の書籍なので、書名は公開しませんが…)

 そこに記されている狐狸の化け記録も1つや2つではなく、けっこうあるんですよ…驚
 特に明治中期頃まで、こうした記録が沢山存在します。
 そこである解説者は、「やはり自然の気と相まって狐狸の能力は増幅し実際に化ける能力が存在したのではないか…」と言うような意味の考察をしています。

 そういえば、柳田国男も、実際の狐の能力を目撃しています
 また小泉八雲は「電気と汽車と数学の世界は、むなしく、冷たく、空っぽです…」と語っており、この視点で考えると、決して詩的比喩ではなく、明治以降の自然破戒と供にこの化ける能力が無くなってしまった…とも考えられるのです。

 そしてさらに、中国の古典怪談にも実に狐の話が多いのです。
 中には仙人級の徳を積んだ狐も多数おり、この桜翁と似た印象を受けます。
 そして、八雲が奇しくも語ったように、夢の清の時代が終わり、「電気と汽車と数学の世界」に近づくと、この狐の話はピタリと無くなるのです。勿論、「数学的」中国共産党も大きな要因ですが。

 嘘みたいな話ですが、『平成狸合戦ポンポコ』みたいな記録が、断片的にですが過去の日本にも存在するのです。
 
 こんな記録の数々に出会うと、当時(おそらく江戸時代)桜翁の狐も実際にお爺さんに化けたのではないか……??と、私は思うのです。

 現在の私の桜翁に対する印象は、
 化けなくて、可愛がられた狐の仮説が 4割
 実際に爺さんに化けた仮説が  6割  です。

 実際に化けることができる説を有力視していますヨ。笑!


● では、私が感じた、その桜翁の不思議な力について…
 以前、西宮へ行く用事があり、家に戻ってきてから、用事の目的地が『桜大明神』の神社の至近だった事を思い出し、「ついでに参っておけば良かった…」ととても残念に思ったことがあるのです。

 たまたま一昨日、再び、西宮方面へ行く所用ができ、「今度は絶対訪れてみるぜ!」との決心の元、伺いました。
 私の興味は、パワースポット的なものもありますが、やはり民俗学的興味です。
 どうしてこんな神社が出来たのかがとても気になるところです。


 お社が2つありまして、手前の大きいのが「桜翁大神」。後ろの小さいのが「奥之院」とあります。
 おそらくですが、「奥之院」が以前の社で、大きい方が建て替えではないか??

 一旦話は逸れますが、実は私、「お稲荷さんとはあまり相性が良くなくて」あまりお稲荷さんへは参りません。
 理由は眷属の神様は、意地悪な神様も多いからです。

 そう思うようになったきっかけは、一つや二つではありませんが、象徴的な記憶では、昔、「拝み屋」という眷属を祀る婆さんが居て(昔は各地に居た)、「占はめちゃくちゃ当たるよ!」との友人の誘いを受け、占ってもらった事があるのです。
 しかし、どーでもいい私しか知らない事実は確かに言い当てるのですが、肝心の答えて欲しい未来のテーマについては一言も喋らず、「後は自分で決めろ!」と答えられすごくイラッとして帰った事を覚えています。

 この眷属は、やっかいで、一回訪れたくらいでは、教えてくれないんですよ。
 確か7回くらい通わされ、その都度お金も請求され、7回通ったその結果が「自分で決めろ!」ですからね。

 こさらに、この言葉から解るように、この眷属は、とても口が悪い…(神として徳が備わると、もっと言葉はきれいになるはずです)
 こんな命令口調の口の悪い婆さん、(取り憑いた)眷属はイヤダナ…と直感したものです…

 後に江原さんもTVで言ってましたが、眷属は、意地悪なヤツも居るのです。注意しなければなりません…

 もう一点、この眷属について思う事は、私は既に当時は天使を撮影しており、霊格が、そこそこ上がっていたので、眷属の力ではとても太刀打ちできなかったのではと思っているのですが…(今じゃ仏も担当ですから。笑)

 眷属はピンキリでしょうが、霊格の低い眷属も居ます。でも低いからと言って決して侮ってはいけなくて、この拝み屋の例のように、私しか知らない事実を言い当てるくらいの能力は普通にあるものなのです。

 
 そんな私ですから、この桜翁は「どうだろう??」とは思い参拝。
 確かに、神社は簡素ですがイヤな気がしません!
 イイ感じの神社です。


 でも、この写真を撮っている時に小さな事件は起こりましたヨ。笑
 幼児がやって来たのです。
 幼児はこんな鳥居のトンネル、好きじゃないですか。
 私がこうしてカメラを構えていると、子供の方から、画面に入って来てしまい、私の方へ走って来ました。
 こういう時って、子供のいい表情が撮れるもので、思わずシャッターを切ったのです。
 すると背後から別の子供が、「この人、○○クンの写真撮ったよ!」と
 お母さんに、デカイ声でチクってるじゃないですか!!!!驚!

 今の子供はそうなんでしょうね… 子供の写真撮ってるオッサンがいたら不審者で通報しなさい!という教育なのでしょう…涙…

 仕方ないので、私は苦笑しながら「オイオイ!勝手に不審者扱いするなよぉ~!」と反論すると、お母さんは、事態をのみ込めたらしく、ニコニコしながら黙礼して去って行きましたが………

 でも、その瞬間、「この桜翁さん、こういう歓迎の仕方をするんだ…!」驚 とは直感したものです!!!!!
 子供や老人は純真で、あの世に近い人種なだけに狐の霊力で操り安いのです。
 「子供を使った狐らしい洒脱なイタズラと言うべきか」………


 まぁ元々、警戒していたので、こんな事で動じる私ではありませんが…
 でも正直、「こういう、やり方をするのね…」とは感じましたヨ。
 そもそもが『桜大明神』の動画のイントロを思い出して下さい!
 犬に石をぶつけてますよね!
 『まんが日本昔ばなし』は、たまに原話を変えてしまう事もあるのでアテにはならないのですが、これを作画をした人は(何か降りてきたのか)このシーンは眷属を知る上で絶妙だと思うのです…眷属はそういう事をするのです。 本当の神様なら、犬に石をぶつけたりは「絶対に」しませんから!! 
 犬が怖いのなら本来、犬に危害を加えずどかせるはずですし、そもそも、まだ恐れという想念に左右されているところが神としてはまだまだなのです。(結局、桜翁は食欲にも左右されましたから)

 私も、イタズラで小石をぶつけられた感じでしょう…笑


 まぁ、それは良しとして、お隣の浄願寺に、詳しいお話を御存知ないか?と訪ねてみました。
 『笑とる仏』の取材の時もそうだが、やはり古い話はお寺さんに聞くのが一番です。

 お忙しい中、奥さんらしき方が出られて恐縮でしたが…
 『日本昔ばなし』以上に詳しい逸話は知られておらず、ただこの浄願寺は江戸時代、元文5年創建(1741年)だそうで、この神社は、利口な狐ということで「知能の神様」であり、油揚げへの欲求で身を滅ぼしたことから「己に勝つ」という意味で信仰があついのだそうだ。
 ちなみに桜翁稲荷大明神の敷地は、昔から浄願寺の敷地らしい。

 (私は家に戻ってから、「元文」という元号を調べてみたが、その時の天皇は「桜町天皇」と言います。
 うぅん……?もしかしたら同じ「桜」という名から当時「桜翁」と関係があるような気もしないではない????ちなみに元文という元号は5年で終わってるはず)


 お寺を後にして、最後に神社の外観を撮って帰宅。空が青くていい日でした。

 

●でも、これで事件は終わらない。もう一つの事件は家に帰ってからでした!

 疲れて、寝ていたら夜中3時頃、目が覚めたんです。
 その時 「お供えはいただきましたよ…」って言葉が頭の中にバーンと入ってきました!驚  こういう事はよくある


 実は、西宮に行く前日の夜に、膝の悪い母の為になればと思い、豚のスジ肉と大根、厚揚げの煮込みを仕込んで、ストーブの上に置いて出発したのです。

 ここのところ親子共々、1日2食生活なのですが、母はたまに昼飯を盗み食いするので、笑 「まぁ、それくらい、いいか」とは思ってはいたのですが、ナント、私が西宮から帰ってきたら、母は、鍋の厚揚げだけを、全部食べてしまっていたのです! (それも、結構な量、あったのですが…)

 さすがに、まんべんなく盗み食いする分には、私は咎めませんが、よりによって厚揚げだけが全滅!という状況に私も、楽しみにしていただけに腹が立ち、母を叱ったものです。 正直、こんな限定的な盗み食いのパターンは、初めて!
 私の母は年齢で若干、認知症が入っているのです。
 なので母は『厚揚げなんて食った覚えがない!」とも言い張るし、ちょっと大変…苦笑

 そんな小イサカイがあっての夜中3時の「お供えはいただきましたよ…」でしょ。
 その瞬間に気付きましたよ!!!!!
 『お昼に厚揚げを食ったのは、母ではなく桜翁だ!!!!』と!!!

 油揚げで身を滅ぼすほど大好きなんですから…
 (だからこそ、母は食った覚えが無いと言い張るのでしょう…)

 それに気付いた瞬間、私は夜中のベットの中で「コエェ(恐)~~~~!!!!」
 苦笑しながら呟いてしましたよ… 実際の恐怖というよりは、あぁ解った!って感じですけどね。
 先にも記したように、彼らはあの世に近い、純真な子供や老人を操るのです…

 私が恐怖ではなく余裕なのは、まだこの現象も桜翁のイタズラの範疇だと直感しているからなのです………
 (誤解をさける為に記しますが、現実的には勿論、厚揚げを食べたのは母ですよ。
一瞬、狐が取り憑いていたからこそ、母は食べた覚えがないと主張するのでしょう)

 以上のように眷属は、妙な力だけは持っているんですよね。

 もし、お参りをするなら、心してお参りしてくださいね。
 私自身は桜翁に対し、勿論、敬意ははらっております。
 願掛けもしたので、「お供えはもらっていただいた以上」笑 願がもし叶ったら、またお礼参りはしたいと思いますよ。

 叶わなけりゃ、ただのイタズラで終わりだね…笑

 こうして私のブログ最長級に長々と時間をかけ書かせるのも、桜翁の仕業のような気さえするのです。
 きっとこの神社は何か力があるハズです。それほど私にとり、少々インパクトのある出会いでした。 だからこそ気になり、呼ばれていたのかも??
 そして、他の人々にも効力があったからこそ、多くの赤い鳥居が奉納されているのです。
 この神社は今後もっと大きくなる直感はしますが…
 合う、合わないは別問題ですけどね。笑

 元々、私は狐系、合わないのですよ。
 安倍晴明もお母さんは葛葉という狐でしょ!
 清明神社にお参りした時、ビックリしたもの。笑

 これから桜の季節。伺ってみるのは、いかがでしょうか?笑
 動画4:35から始まる桜翁の独白がとても好きなんですけどね…

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