間違って伝えられている 東尋坊の昔話 | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

間違って伝えられている 東尋坊の昔話

 相変わらず、『まんが日本昔ばなし』が大好きな私なのですが、最近見たこのお話は、どこにも救いが無くて、とても印象的でした。
 民話のいいところは、こうした全く救いの無いことを子供や大人にも伝えているところだと思うのです。これは、すばらしい教育です。
 現代のアニメやドラマのように、「がんばれば何でも出来る」とか、勧善懲悪的な思想が蔓延するのは、かえって社会的に不健康だと思います。人生そんなに単純ではありませんから。

 そんな事を思いながら、何気にこの話の原典を調べてみたのですが、実は、全然話が違っていました!
 ネットで調べても東尋坊は本当は高僧なのに、未だ悪者扱いで、少々、可哀想になってきたので、東尋坊の汚名返上の意味もあり、この記事を書きました。

 まずは、間違った『まんが日本昔ばなし』を、おひまな~ら見てみてね。知らずに見ると、なかなか衝撃的ですヨ。笑。 『とうせん坊』

 でも、この民話は、間違っています!
 私の調べたところでは、東尋坊は本当は、名僧で、本名、次郎市といいます。
 室町時代、永享(1400年頃)の頃の人だそうで、子供の頃は、確かに粗暴な性格でしたが、自ら発心して、檀家だった福井市の勝縁寺に入ったそうな。
 それから比叡山に登り、諸学を修めて名僧の誉れあり、福井、勝山市の平泉寺に招かれ、東尋坊という宿坊に住んでいたので、その名前が通っているそうです。

 ところが、平泉寺には悪僧たちが居て、寺領をだまし取る計画をたてており、その計略を知った東尋坊が悪僧達に、「仏に使える身のなすべきことではない」と訓戒したそうです。
 だから東尋坊をじゃまに思った悪僧どもが、安島(あんとう)の浦というところに、東尋坊を酒盛りに誘い、酔ったところを突き落とし殺したというのが、本当の話らしいですよ。

 この出典は、『日本の民話 6巻 北陸』研秀出版  という古本で、この詳細な地名、人物説明からも解るように、非常に民話を誠実に伝え研究している本です。
 しかも、この話の最後に、

●『この話は、いっぱんに東尋坊が悪業の限りをつくすので殺されるという筋で知られているが、実は昭和になってから変形されたもので、ここでとりあげた話が東尋坊伝説の原型である。』

と、わざわざ註まで付けているので、この話で、ほぼ間違いないでしょう…。

 『まんが日本昔ばなし』では角川書店となっていたので、きっとこの絵本作家が、脚色してしまったか、既に、脚色以前に誰かが変えて出版し、広めてしまったのかもしれません。

 『まんが日本昔ばなし』は、割と、脚色されている場合もあるんですヨ。
 例えば、同じ福島県の『言うなの地蔵』は、動画ではほのぼのした話ですが、本当は、通り魔殺人のエゲツナイお話で、きっと当時の絵本作家が、刺激の無いように脚色してしまったものと思われます。何でも刺激がきついとか、殺人だからといって、人生の暗部を隠してしまうところに社会的な不健康さを感じます。 いつも思いますが、子供は大人が思うほど、子供や幼稚でもありません。
(『言うなの地蔵』の話の筋を説明すると、長くなるので、御興味のある方は、ネット等で調べてね。 勿論、オリジナルの話の方がいいでしょう。)


 話を東尋坊に戻すと、このように原型の話も「救いが無い」んですよね…。
 
 でも、人生、絶対そうですよね。当然ですが、悪いヤツが勝つこともあります。正しいことを言ってる者が殺されることもあります。私の世に出なかった幻の3冊目の天使の写真集も、正にそうでしたから…。京都の悪質出版舎に海に投げ込まれたのと同じです。

 事情も知らず、私の友達のフリをしていたバカな人間からは、まるで人生の達人のような顔で、
「そんな不幸を招いた、あたな自身にも問題がある。相手は自分の鏡だ」

と、マヌケな人生論を得意げに説教した人もいましたが、心がけが良ければ、不幸が来ないとする考え方は、普通のデリカシーのある人間が考えれば解りますが、マヌケすぎます。鏡が狂っていたらどうしようもありません。(どうやら、なんでもマニュアル化したがる、アメリカにもそんな考え方が流行っているそうで、憂慮するところです。人生心がけだけで良くなれば苦労しませんよね。この理屈だとキリストの磔刑も説明できません。)

 でも、心がけは確かに大事で、因果応報で招く不幸は勿論ありますが、不幸は当然、サイコロの目のように理由もなく襲ってくることもあります。天災や相手から来る交通事故もそうですし、この東尋坊の原典のように、正しい者が殺されることも当然あります。
(同じ民話繋がりだと、有名な『キジも鳴かずば撃たれまい』という、止むに止まれぬ不幸なお話もありますよね。子を思う親の気持ちを前に、アンタの心がけが悪いから不幸になったんだ!なんて無神経なヒドい言葉は普通かけられませんよ…。)

 こうした人生のどうしようもない部分を民話が、ちゃんと伝えている姿勢がいいですね。
 それを踏まえた上で、

 いつかも書きましたが、たとえ救いが無くとも、「平気で生きる」姿勢や、ウンウンと押す姿勢が大事だと、現時点での私は思っています。

 実は、一番タチの悪い人種は、この『まんが日本昔ばなし』の動画にあった、悪業をしていることにも気付かない「村人」とも言えます。
 こうした自分の間違いにすら気付かず善人気取りの浅はかな人間の、無神経やデリカシーの無さが、どれほどの人を傷付け、殺してきたことか…。
 いや、そもそも、この2つの話のギャップのように、善人ずらした童話作家により、本来、高僧の東尋坊を悪人にしたてあげてしまうのですから…。東尋坊もあの世で、さぞかし口惜しい思いをしていることでしょう…。
 そんなことを思うと、このニセモノのお話も、いろいろ考えさせられるものがありますね。

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