#616 【あの頃を探して】 コジマ加須店 ~燦々と輝く太陽の笑顔~ | 関東土木保安協会

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先日、J-CASTニュースにて、コジマ電気の太陽のイラストを描いた看板の希少さを話した「昭和日記」さんのツイートがニュースになっていました。
同社の発表では、今現在で僅か数店舗が関東圏で残るのみとなっているようです。
島忠ホームセンター加須店の漢字体に魅せられた私は、その足で国道のバイパスから南にある旧道へと向かいました。
ここにあるのが、コジマ加須店です。
 

 
北関東YKK戦争。
群馬のヤマダ・栃木のコジマ、茨城のカトー(現ケーズ)の3社が行っていた熾烈な価格競争は、俗にYKK戦争などと呼ばれました。
私も、小さい頃家に届く折込チラシを見て育ったものですが、そのチラシには各社の「他店より高い場合はチラシを持ってくれば値下げします」という強烈なメッセージが掲げられてありました。
どの来店客もその複数のチラシを元に店に向かい、店員と交渉し安価で家電を買ったものです。
「先着●名限り」という目玉商品が特売で出るのも戦争の特徴でした。
僅か数人限りが1円や5円でテレビなどの大物家電が買えるとあって朝早くから、場合によっては駐車場に徹夜で並ぶ猛者もいたものです。
懐かしいですね。
 
 
コジマは熾烈な北関東のライバルとの戦争の中、80年代~90年代と全国へと店舗を広げていき、1997年には家電量販店で売上高日本一を達成します。
この1997年以降も勢いは止まらず、90年代末~2000年代初頭にかけ関西、東海、四国、九州と遠い西日本へも展開を進めました。
しかしながら、やはりライバルは手ごわかったのです。
その最中の2002年、王座の地位をヤマダ電機に受け渡すと、他のライバルらの猛追により、王者の貫禄も薄れてくるのでした。
2012年にビックカメラの子会社となると、既存店舗はコジマ×ビックカメラというダブルネームの店舗になっていき、今までの太陽マークは姿を消していくことになりました。
 
 
情報通り、加須店には往年の太陽マークが残っていました。
そういえば、茨城の水戸店だったかと思いますが、店舗上の太陽マークがウインクしていた記憶があります。
あれは当初笑顔マークと併存して設置されていたらしいのですが、私が知る限りでは90年代後半で既に水戸店くらいしかウインク太陽が残っていなかった記憶です。
燦々と輝く太陽の脇には必ずキャッチコピーが書いてあったものです。
「安値世界一への挑戦」。
コジマはこの目標を会社の成長と共に変えていて、古い店舗では「安値日本一への挑戦」と書かれていたりします。
ビッグカメラ色でリニューアルされた店舗には、このメッセージは書かれていません。
 
 
コジマも古くから店舗を展開していただけあり、90年代以降初期の店舗は面積も狭く外観も古めかしく陳腐化していくことになります。
このため、各地に大型化した新しい店舗が建てられていきましたが、それらには「NEW」のサブネームが付きました。
ここ加須店も、入口の上には「NEW加須店」の名前が残ります。
公式サイトを見る限り、「NEW」の名前はついていないようです。
 
 
加須店を見ると、正方形の大きなタイルを敷き詰めて、アクセントとしてコーナーなどに熱線反射ガラスを用いたよくある近代的なコジマの店舗です。
遠目でキラキラと反射して綺麗なんですよね。
今では、90年代のノリに乗っていたコジマを一目で感じさせる、そんな往年の姿の一つになってしまいました。
既にこの「NEW」スタイルのコジマの店舗ですら閉店、解体が行われたところもあります。
 
 
ロードサイドへの店舗展開。そして大型ショッピングモールからネットショッピングへ。
消費活動のスタイルが様々に変化して今に至る中で、家電量販店もショッピングモールにテナントで入る選択をしている店舗も多くあります。
あれだけ街中にありふれていて、混んで賑わっていた店舗形態が、まさか20年経たずしてだいぶ変化したものです。
 
 
ロードサイドに広がる、賑やかないくつものチェーン店の看板。
今まで無くなっていく姿を黙ってみていた一人ですが、太陽マークが少なくなった今、ふと改めてこの輝きを目の前にして、今以上に華やかだった道路沿いの光景が浮かび上がってくるのでした。
 
それ一つが、時代を語るアイコンとなる。
企業ロゴという近代遺産を記録する大切さ、大事にしたいものです。
 
 
 
<参考>
 
 
・ゆるキャラグランプリ公式サイト:コジ坊