今日は

神野向遺跡

かのむかいいせき。

 

アクセスは

JR鹿島線「鹿島神宮」駅徒歩10分。

東関東自動車道「潮来IC」より15分。

※写真は2月下旬撮影

 

 

神野向遺跡(かのむかいいせき)(鹿島神宮境内附郡家跡)

茨城県鹿嶋市宮中

鹿島神宮境内附郡家跡神野向遺跡の写真

 

 

神野向遺跡

鹿島郡役所跡のことで

 

鹿嶋市の

南部地域に所在する

国の指定史跡

鹿島神宮境内附郡家跡

ひとつ。

 

 

 

神野向遺跡①

鹿島神宮境内附跡神野向遺跡の写真

 

 

鹿島神宮境内附郡家跡とは

 

『常陸国風土記』にある

「香島天之大神」を構成する

鹿島三社

 

鹿島神宮境内

→【東国三社】鹿島神宮①(由緒)

→【東国三社】鹿島神宮②(遺跡と樹叢)

→【東国三社】鹿島神宮③(レイライン)

→【東国三社】鹿島神宮④(表と裏の鳥居・要石)

→【東国三社】鹿島神宮⑤(御手洗池・鹿園など)

→【東国三社】鹿島神宮⑥(境内摂末社など)

→【東国三社】鹿島神宮⑦(東の一之鳥居)

→【東国三社】鹿島神宮⑧(西の一之鳥居)

 

坂戸神社境内

→【茨城】坂戸神社①(鹿島神宮境外摂社)

→【茨城】坂戸神社②(あめのこやね)

 

沼尾神社境内

→【茨城】沼尾神社(鹿島神宮境外摂社)

 

および

鹿島郡家跡の総称。

 

 

 

神野向遺跡②

鹿島神宮境内附跡神野向遺跡の写真

 

 

奈良・平安時代の

郡の役所を郡家

といい

 

鹿島神宮の南

約1.5kmに位置。

 

約73,600㎡の範囲が

国の指定を受けており

 

国指定の

郡家跡としては

最大規模を

誇ります。

 

 

 

神野向遺跡③

 

 

『常陸国風土記』

によると

 

鹿島郡の郡家は

はじめ

沼尾の地に

ありましたが

 

710年前後に

現在の

神野向に移り

 

900年頃まで

機能していたそう。

 

 

 

神野向遺跡④

 

 

郡庁域正倉域

大きく分けられ

右平成29年度現地説明会資料 国指定史跡「鹿島神宮境内附跡郡家跡」正倉域(倉庫群)確認調査

※外部サイトへ飛びます

 

1980年から

行われた調査で

郡庁・正倉院

厨家相当施設が

検出されており

 

郡庁は

政務や儀式を行う

中枢部であり

3期にわたる

建て替えが

確認されています。

 

 

 

神野向遺跡⑤

 

 

約54m四方の

回廊を巡らし

 

大規模掘立柱建物からなる

前殿と正殿を

前後に配置している点は

 

全国的にも

珍しい形態で

国衙の縮小版

といえるそう。

 

 

 

神野向遺跡⑥

 

 

鹿島神宮は

古代から

大和朝廷の

東国・蝦夷地進出の

重要な拠点であり

 

御祭神の

武甕槌神は

武神であり

 

藤原氏の氏神

として

崇敬されていた

とのこと。

 

 

 

木漏れ日

木漏れ日の写真

 

 

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春分まであと2日。

宇宙を味方に♡

 

 

 

 

 

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