大吟醸酒『コロナに負けるな』
新型コロナの自粛ムードで、外食も殆ど無くなったが、とある日、待ち時間の関係で随分予定が狂ってしまい、昼食には全く久しぶりのソバ屋さんに立ち寄った。入口には手をかざすと自動的に噴霧液の出る消毒瓶が置かれ、店内各所にも対策がなされていた。
なじみのカウンターに座ってふと前を見ると、アマビエのイラストが刷り込まれたラベルを貼った酒瓶が置いてあった。そのラベルをよく見ると『コロナに負けるな』とあり、「純米大吟醸―episode2始動―」となにやら意味ありげな文字も見える。ラベルの下方には、聞き覚えのあるお酒の銘柄が並んでいた。
このお店は、飲み屋ではないが食事のときビールやお酒を出すこともあって、幾らかの酒も準備はしているようだが、目前の瓶は封切りしたものでもなく、いかにも魔よけのアクセサリーで置かれていたようにも見えた。
その銘柄の一つ「東洋美人」は、何時かロシアのプーチン大統領が飲んで有名になった萩市の澄川酒造場の日本酒である。ひと時、水害に見舞われ、あわや廃業かと報道されたこともあるが、最近は山口県の名酒である。私は、あまり酒好きでもないが、やや甘口の東洋美人は好みではない。しかしこの連名が気になって家に帰って調べてみた。
この「エピソード」の発想は、新型ウイルスの影響で、外食自粛ムードが広がり県内でも売り上げが減少し仕込み量を減らすなどの酒造蔵が出たとき、萩市と阿武町の酒造会社6社(阿武の鶴酒造と他はいずれも萩市の岩崎酒造、澄川酒造場、岡崎酒造場、中村酒造、八千代酒造)の話し合いで、新たな需要喚起につながればと「東洋美人・壱番纏」や「阿武の鶴」「長陽福娘」など各社6種の酒を均等に混ぜアルコール度数を15.8に調整した第一弾720ml入りの瓶3000本を作り昨令和2年(2020)7月に販売した。
ここで紹介するのは、その第2弾であり、先ず原材料には萩産の酒米「山田錦」と「山田錦から造られた米麹」を使用することにこだわって、本来は酒の味に影響する麹の作り方やタンクのもろみをかき混ぜる方法も違う、六つの酒造会社の杜氏6人がそれぞれの技を各工程で話し合いながら個性を生かした作業を進めたというお酒を製造したというのである。
山田錦特有のうまみがあり、さらに全体的に甘みを持った透明感のある味わいに仕上がり、販売を受け合う酒店からの前評判も高く予約も相次ぎ、このお酒は、アルコール度数15.5%、720ml入りの瓶で1980円(税込み)。同昨令和2年11月から6000本が販売された。アマビエをデザインしたラベルは、萩市の居酒屋「MARU」を経営する小祝敦さんが描いたとあった。
これらは、インターネットからの情報だが、澄川酒造場の澄川宜史さんは「杜氏6人の個性の結晶といえるお酒になった。チャレンジする意味で製造量も増したし、日本酒を増やすきっかけになれば‥今後も協力し合って味も香りも新しい酒造りをするつもり」と挨拶されている。
ふと目にした大吟醸酒『コロナに負けるな』は、発売から1年近くなってはいたが、コロナ禍にあえぐ酒造業界の杜氏たちが、叡智を集めた業界存続を願っての賜物であることを知った。伝統銘柄の多い山口県内の杜氏たちの協力体制は、長州維新魂ともいえようか。それは今後の新酒造りにも大いなる活力になるだろうと思った。
写真はソバ屋のカウンターで見た大吟醸『コロナに負けるな』のラベル
俵山温泉(2)-2
俵山温泉の、主な泉源は「町の温泉」と「川の温泉」で、泉温が39℃~41℃、アルカリ性でpH9.9。
昼間の温泉街は、一見以前と変わりなく、ほぼ2階建ての木造旅館が軒を連ね、素朴で質素な雰囲気、およそ40軒の宿に自家泉源の内湯があるのは一軒だけと聞く。ほかの宿泊者は、タオルをぶら下げ旅館の下駄をはいてカラコロとこの道筋を歩いて公衆浴場「町の湯」を目指す。(以前あった川の湯はかれこれ10年以上前に閉鎖されたようだ)
この日、街中は静かであっても、旅館の前に鉢やプランターに育った花がいっそう華やかに見えた。中には「今日も元気です」と旗をかざしたお宅もあった。
「町の湯」は、かけ流し、循環式一部併用と言われているが、玄関を入ると正面に大きな白猿の絵がかかっている。すぐ左側に飲泉場があって2ツのカランがあり、備え付けの小さな紙コップで源泉を飲むと、胃腸病、肝臓病に良いというのだが、別に特別な病気でないとしても入浴前に1杯の源泉を飲んで温泉に浸るのが流儀である。
入浴料は、大人480円(子供220円幼児150円)。湯につかると、アルカリ泉特有のぬるぬる感に全身が包まれるが、それはねっとりとまつわるものでは無い。
浴場に大きく掲げられた注意事項には、温泉が湯治場の名残なのか「温泉療養は、最初の入浴回数は1日当たり1回程度としその後は2回ないし3回とする。必要期間はおよそ2ないし3週間。湯あたりの場合は回数を減らす。入浴時間は、温度にもよるが3ないし10分、長くても20分・・・・」などなどとある。
この日は、正午前で30分ばかり滞在したが、浴場で会った客は「こんにちは!」と挨拶しても沈黙の男性客5人だった。少しの世間話が出来るのも大衆浴場の楽しみなのだが皆さん遠慮気味、どうやら地元の方ではないようだった。(コロナ禍、沈黙で良いのかも知れない)
温泉街の各所に、嘉永2年(1849)藩を辞した村田清風が湯治療養をしたときの俳句「蛍火や学びの窓は朝間まで」「奢る世は宇治の新茶の深山まで」などを解説入りの標識が掲げてあった。節倹の清風が、なお学問への情熱をにじませ、当時の賑やかで活況の様子が伺えるものだった。
泉質の良い素朴な温泉街、これ以上に猫がたむろし寂れて欲しくないところである。
写真は俵山温泉街と村田清風の句碑
俵山温泉(2)-1
最近は運動不足の関係からか足元のものを拾うにも腰の調子が悪い。
世はコロナ禍と言うけれど、大衆浴場であっても、かけ流し神経痛にも良いという俵山温泉、少しでも混雑を避けて、平日の火曜日に出かけた。
下関市の東部を流れ瀬戸内海に注ぐ木屋川は、幹川流路の延長は43.7㎞であり、その源流は長門市の俵山地区の渓谷であり、温泉街は、本州脊梁山地西端の一位岳や大笹山などに囲まれ、そこにひっそりとある。長門市にはもう一つ大型のホテルやリゾート温泉旅館などが立ち並ぶ湯本温泉があり、こちらを流れる音信川は日本海に注ぐ。
俵山温泉は、平安時代の中頃、延喜16年(916)に見つかったとされている。『山に入っていた猟師が世にもまれな1匹の白いサルを見つけて矢を射たが急所を外れて取り逃がした。翌日、白猿のものらしい血痕を見付けた猟師が後を辿ってみると谷川でサルが傷を洗っているのを見かけ今度こそはと矢を放つと、白いサルは白煙と化し紫色の光に包まれた雲に乗ってさらに山奥に向かうお薬師さんの姿が見えた。猟師が谷川に降りてみると暖かい湯がこんこんと沸き出していた』というのが由来である。
温泉街の名物「三猿まんじゅう」はこの伝説をもとに考案され、代表的なお土産になっている。
俵山温泉は、温泉研究家の松田忠徳氏がこの温泉で湯治されたことがあって、その泉質の良さから「大分県別府の鉄輪温泉とともに西の横綱と位置付けた」こともあって話題になったこともある。昭和30年(1955)国民保険温泉地に指定されている。
俵山温泉街のバス停近くの路上には、数匹の猫が道の真ん中を占拠して、車はそれを避けて通らなければならないほど人通りもない。
正面に見えるお店は、三猿まんじゅうの老舗・重村日進堂だったが、近づいてみると廃業していた。まんじゅうの器械にはカバーがかかり、その壁には「元気な心に繁盛の芽が伸びて行く サトウハチロウ」と書かれた色あせた軸が掛かっていた。その三猿まんじゅうは、向かいのお店・福田泉月堂でも造られているのだろうが、その日はお休みとなっていて、とうとうこの日は買いそびれてしまった。
写真は俵山温泉街入り口、正面が三猿まんじゅうの看板を掲げた老舗だった


