近江国分寺跡 その1(滋賀県大津市) | 三日月の館

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場所    滋賀県大津市4 北大路2丁目16-23

 

後期近江国分寺は大津市にあったと云う。

 

最寄駅はJRと京阪石山駅。

国道1号線粟津町交差点を南下。

北大路御霊神社。

大友皇子を祀る。

さrに南下して北大路交差点を右折して西へ。

西方寺。

境内に近江国分寺のものと伝わる礎石がある。

鐘楼。

基壇にも転用されている。

交差点へ戻ってさらに南下。

大津市立晴嵐小学校に突き当たる。

ここに国昌寺があり、弘仁11年(820)以降近江国分寺となったと云う。

敷地内に碑が建っています。

学校敷地の東側は少し高い。

こっちかな。

碑以外は解らなかったです。

あまりウロウロ出来ないので後にします。

東海道新幹線と名神高速道路を越えてさらに南下。

国分2丁目の住宅街。

民家の玄関前にへそ石があります。

この辺りに淳仁天皇の保良宮があったといわれ、その礎石との説があります。

近江国分寺の礎石として使おうとしたが、ここに放置されたとの説も。

近江国分寺跡まで戻って、新幹線沿いを東へ。

ポリテクセンター

ここが国昌寺跡で、後期近江国分寺があったとの説も。

そして寛仁元年(1017)近江国分寺の南東にあった近江国分尼寺の類焼で焼失してしまったと云う。

三田川を渡って瀬田川へ。

瀬田の唐橋を渡る。

瀬田川を見る。

石碑。

石碑の裏は俵藤太百足退治伝承の地と書かれています。

年表。

瀬田川対岸から近江国分寺跡を見る。

落城した瀬田城前を通過。

石碑は建てられていましたニコニコ

名神高速道路の南側を東へ登って行く。

登り切った所から近江国分寺跡の方を振り向く。

(マンションが瀬田城跡)

ここに瀬田廃寺跡があります。

塔跡の基壇とか。

最澄が得度し、延暦4年(785)に焼失するまでの近江国分寺がここにあったとの説があります。

石碑。

石碑の説明板。

礎石1。

礎石2。

礎石3。

名神高速道路を渡る。

金堂跡は名神高速道路建設時に消滅してしまったとかむかっ

塔と金堂と講堂が一直線に並んでいたと云う。

ここが講堂跡かな?

境内の北側も東海道新幹線の建設で消滅。

何だかなぁ~

未だはっきりしない近江国分寺跡でした。

 

(おまけ)

 

石山駅の北側。

(右側のカーブしている所は東レ工場への廃線跡。)

この辺りの字名は堂の前。

京阪の線路を越えた所に国分寺があります。

本尊は薬師如来。

この国分寺は江戸時代に膳所藩主により建立されたのが始まりと云う。

境内入り口のもう一つの碑。

境内には巴御前の供養塔が建っている。

そして、碑の横の説明板。

何と、ここに国分尼寺があったと云う。

(後白河法皇が建立しているので、平安後期ですが…)

国分寺の裏、

別保国分寺之薬師…と書かれた石碑が埋まってる。

粟津国分尼寺が焼失した後、兼平寺が建てられ、その後国分寺が建立された。

また、北側には中世別保城があったと云う。

国分尼寺跡に国分寺…

ややこしい。