建部大社(滋賀県大津市) | 三日月の館

三日月の館

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所在地  滋賀県大津市神領1丁目16-1

主祭神  日本武尊・大己貴命

創建    (伝)第12代景行天皇46年

 

日本武尊を祀る、近江国の一の宮です。

 

1.ヤマトタケルの西征。

ヤマトタケルノミコトは父(第12代景行天皇)の御子:小唯命(オウスノミコト)として生まれます。

父はオウスノミコトに朝廷に従わない西国の九州・熊襲建(クマソタケル)兄弟を征伐するよう命じました。

熊襲建兄弟の館を見つけたミコトは、女装して熊襲の女たちに混じり宴に紛れ込み、熊襲兄弟が酔ったところで忍ばせていた短剣で熊襲兄弟を討ちました。

熊襲兄弟を討った事から強者の称号である「タケル」の名をもらい、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の名で呼ばれるようになりました。

 
2.ヤマトタケルと草薙の剣。

西国征伐から戻ったヤマトタケルノミコトに景行天皇は東国征伐を命じます。

途中、伊勢神宮に立ち寄り叔母のヤマトヒメから神剣:天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)と、火打具を授かりました。

駿河の国に達したミコトに国造(クニノミヤツコ)たちは「沼に住む荒ぶる神に困っております」と、野に誘い出され四方から火を放たれました。

退路を断たれたミコトは、ヤマトヒメから授かった神剣で草をなぎ払い、火打具で向かい火を放って野火から脱出します。

後に火で焼いた事からこの地を焼津(やいず)静岡県)といい、草をなぎ払った神剣は草薙の剣(クサナギノツルギ)と呼ばれるようになりました。

 
3.后・オトタチバナヒメの入水。

更に東へ進んだヤマトタケルノミコトは、次に相模の国から船で海路を進み上総の国へ渡ろうとしました。

しかし、海が荒れ船を進めることが出来ずにいると、同行していたオトタチバナヒメが、「私が海に入って海の神を鎮めましょう」といって自ら荒波に身を投じたのです。

すると、たちまち荒れ狂っていた海は静まり、無事に対岸に着くことができました。

 
4.ヤマトタケルと伊吹山の神。

東国を平定し尾張の国に戻ってくると、今度は伊吹の山に悪い神がいると聞き付けたヤマトタケルノミコトは、神剣:草薙の剣をミヤズヒメに預けて征伐に向かいました。

伊吹山に登る途中、牛ほどの大きな白い猪に出会い

「これは山の神の使いだな!帰り道で相手になってやろう」

と大きな声で威嚇してやり過ごしました。

すると突然激しく雹(ひょう)が降り出し行く手をはばまれます。

実は白い猪は山の神の使いではなく、山の神だったのです。

怒りを買い雹(ひょう)に打たれて衰弱したミコトは、やっとの思いで山を脱出し故郷の大和の国を目指します。

 
5.ヤマトタケルと白鳥伝説。

大和の国を目指し歩き続けたヤマトタケルノミコトは、「足が三重(ミエ)に曲がり固い餅のようだ」と嘆いた事からその地を三重(みえ)といわれるようになりました。

更に体調を悪くしたミコトは国しのびの歌を詠みます。

「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし」

と詠み、伊勢の能褒野(三重県鈴鹿市)でついに力尽き息を引き取ります…

妻や子供たちが駆け付けると、ミコトの魂は白鳥となり能褒野から河内の志紀(大阪羽曳野)へと飛び立ちました。

今も白鳥伝説として語り継がれています。

 

旧東海道から。

この辺りの町名は神領。

建部大社の門前に位置し、その神料田(神領)にんったことに由来。

旧社標。

昭和23年(1948)建部神社から建部大社へ名を改めた。

参道。

境内図。

古い境内図。

漫画の由緒書。

一の鳥居。

進んで直角に北へ曲がる。

二の鳥居。

古い由緒書。

大津絵御利益縁起。

建部大社のまつりと大津の豆知識。

幻の千円札。

建部大社のあゆみ。

参道東側に参集殿。

大神正盈の碑。

参道西側に手水舎。

手水鉢。

エンコより自噴している。

奥に松の木。

近江国一の宮。

車のお祓い所。

御手洗。

休憩所も兼ねていて、古写真があった。

戻って、社務所。

神門。

風鈴。

おおつ光くんがお出迎え。

神門から境内を見渡す。

授与所かな。

閉まっていて、50年前の船幸祭のパネルが掲示してありました。

反対側。

拝殿へ。

三本杉。

お参り。

拝殿から境内を見渡す。

境内東側へ。

桧山神社遙拝所への参道。

神池。

休憩所?

末社 桧山神社遙拝所。

説明板。

説明板を読んでなかったので、桧山神社へ行きそびれた笑い泣き

小燈籠。

参集殿東側への出口。

倉庫。

神輿庫かな?

末社 大野神社。

大燈籠。

説明板。

末社 武富稲荷神社。

社殿。

末社 八柱神社。

神宮遙拝所。

彌栄の御神木が置かれている。

説明板。

倉庫。

宝物殿。

本殿東側の摂末社群。

末社 箭取神社。

末社 弓取神社。

摂社 若宮神社。

摂社 藤宮神社。

神馬舎。

鎮守の森。

水神社。

絵馬所。

絵馬がびっしり。

拝殿へ。

本殿と権殿。

幣殿。

右の狛犬。

左の狛犬。

本殿の裏側へ。

菊花石。

特別天然記念物。

菊紋壺。

社宝。

奥へ進むと桧山神社へ行けるのかな?

拝殿まで戻って、境内西側へ。

豊穣満帆の庭。

願い石。

本殿西側の摂末社群。

摂社 聖宮神社。

賽銭箱。

摂社 大政所神社。

末社 行事神社。

末社 蔵人頭神社。

西側に婚儀殿。

春秋愛花の庭。

水琴窟。

頼朝公の御出世水。

婚儀殿入口。

水盤。

境内を出る。

最後に御朱印。

境外社があるそうです。

5km先に別宮 毛知比神社。

6km先に若宮 新茂智神社。

観音寺城の南東、箕作城の東麓の元の鎮座地に建部神社がるそうです。

機会があったら行ってみたいです。