久野城(遠江国) | 三日月の館

三日月の館

yahoo!ブログのアメブロ版です。

登城日 2011年 2月 9日(水)晴
難易度 ☆☆☆
場所   静岡県袋井市鷲巣字上末本

 

東名高速からチラ見することが出来る城郭です。

 

イメージ 1

【久野城址】

本城は、当地域の在地領手久野宗隆が構築したものであるが、その年代は、明応年中(1492~1500)とも、永正年中(1504~1520)とも言われている。
宗隆は今川氏に属し、多くの戦功を立てたが、孫宗能は、永禄11年(1568)徳川家康の旗下に入り城主となり、掛川城・高天神城攻撃、小牧長久手の戦いなどに戦功を立てている。
天正18年(1590)家康の関東転封に伴い、宗隆は下総(千葉県)に移封され、代わって松下之綱が丹波(京都府)より入りて城主となる。
その後、松下重綱・久野宗隆(再任)・久野宗成・北条氏重にいたるまで、8代凡そ150年間の居城であったが、正保元年(1644)廃城となる。
四方に堀をめぐらし『藩翰譜』に「当国第一の要害にして、たとい何万騎を差し向けても落つべくも見えず」と書かれている。
今でも当時の井戸・空堀・土塁跡を残し、また城跡・東堀・西堀・北堀・高見などの地名によって当時がしのばれる。

昭和54年3月
袋井市教育委員会 久野城址保存会

 

可睡斎からウォーキングコースが整備されています。

https://livedoor.blogimg.jp/kanezane2/imgs/4/2/423d4886.jpg

矢印に従って進みます。

イメージ 2

道中にも案内板があります。

イメージ 3

可睡斎から約20分で久野城へ着きました。

イメージ 4

縄張図。

イメージ 5

まずは大手から。
大手は東側にある。

イメージ 6

大手口。

イメージ 7

東堀を渡る。

イメージ 8

かつてはもっと大きな堀だった。

イメージ 9

隅櫓跡。
松下之綱の頃に建てられたと云う。
松下之綱は、かつて頭陀寺城主として今川氏に仕えていた頃、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の主君であった人物で、徳川家康の関東移封時に、過去の恩からここ久野城を与えられ、大名に取りたてられた。

イメージ 10

南の丸。

イメージ 11

この辺りは曲輪と堀跡が良く解る。

イメージ 12

上空から見ることが出来たらはっきり解かるのだろう。

イメージ 13

南の丸から二の丸を見る。

イメージ 14

久野城の西側。
西堀が広がる。

イメージ 15

主税屋敷付近。

イメージ 16

西の丸。

イメージ 17

西の丸から本丸を見る。

イメージ 18

西の丸から見た北の丸。

イメージ 19

北の丸へ。

イメージ 20

北堀を見下ろす。

イメージ 21

北の丸。

イメージ 22

北の丸から西の丸を見下ろす。

イメージ 23

東の丸へ向かう。

イメージ 24

左側に土塁。
遊歩道は横堀跡。

イメージ 25

竪堀。

イメージ 26

東の丸。

イメージ 27

東の丸から大手を見下ろす。

イメージ 28

大手に戻った。

イメージ 29

東堀跡。

イメージ 30

東の丸から見た本丸。
本丸へ向かう。

イメージ 31

三の丸へ。

イメージ 32

三の丸。

イメージ 33

三の丸から見た本丸。

イメージ 34

二の丸。
土塁が残る。

イメージ 35

二の丸の南端に高見がある。

イメージ 36

二の丸から本丸を見る。
久野城址の看板は東名高速からも見える。
チラ見して事故を起こさないように!

イメージ 37

本丸へ。

イメージ 38

井戸。

イメージ 39

覗いてみる。

イメージ 40

本丸。

イメージ 41

久野城さようなら。

イメージ 42

なかなか良く遺構が残っているのですが、上から見ないと良く解らない。
ここまで整備するなら、堀は水堀にしてくれたらもっと解かりやすいだろう。

 

(おまけ)

 

久野城なんていう銘菓が売られているらしい。
どんなお菓子なのでしょう?

イメージ 43

お土産に買ってみては。