17 弘前城 その2(青森県) | 三日月の館

三日月の館

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登城日 3回目 2011年 5月 2日(月)雨 
           2011年 5月 3日(火)晴
難易度 ☆
場所   青森県弘前市下白銀町1

 

弘前城はさくらの名所として有名です。
今年は、弘前城築城400年。

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JRは、青森デスティネーションキャンペーン中。

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ですが、当然自粛ムードで観光客は激減。
行こうかどうしようか迷いましたが、直前に東北新幹線が復旧したこともあり悩んだあげく行くことにしました。
早朝の弘前駅からスタート。

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弘前駅前公園遊歩道も桜並木が満開。

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弘前は『りんごのまち』でもあります。

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かじられたりんご・りんご・りんご…

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土手町のアートシャッターを見ながら中央弘前駅方面へ向かう。
弘前昇天教会聖堂。
早朝から鐘が鳴り響く。
アーメン。

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あらまし。

辻坂を上る。

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説明板。

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新寺構の土手。

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土手を渡った所にあるのが最勝院。

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所在地  青森県弘前市大字銅屋町63
山号   金剛山
宗派   真言宗智山派
本尊   金剛界大日如来
創建   天文元年(1532)
開基   弘信

 

説明板。

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【最勝院由緒、沿革】

最勝院(以下当院)は具には金剛山光明寺最勝院と号す。
この名称 の起源は、『金光明最勝王経』という仏教教典に由来し、五穀豊穣、 国家安泰等の深い願いが込められている。
総本山は京都市東山の智積院、宗派は真言宗智山派の密教寺院である。
本尊は金剛界大日如来、 秘仏として猫突不動明王、牛頭天王、聖天(歓喜天)、五智如来等を祀る。
天文元年(1532)、高僧弘信上人が、堀越城外萩野の地に三宇 の伽藍を造営し開基した。
慶長14年(1609)二代津軽藩主信枚が高岡の新城(現在の弘前城)を築いた折、当院第六世日雄が地鎮の
法式を執行し、慶長16年(1611)新城の鬼門に当たる田町へ移転し弘前八幡宮別当となり、そこに十二ヶ寺の塔頭寺院を擁していた。
また、津軽藩永世祈願所に定められ、寺禄三百石を賜り、手厚い保護を受けた。
幕府からの預人慶光院と、江戸寛永寺開山の天海は、相談の上寛永3年(1626)に京都五山、鎌倉五山にならって当地における津軽真言五山の制度を定めたと伝えられる。
最勝院、百澤寺(岩木町百沢の現在岩木山神社)、國上寺(碇ヶ関村)、橋雲寺(岩木町)、久渡寺(旧小沢村)がそれである。
当院はその筆頭に位置し、領内総寺社を統轄する総録に定められ、更には修験、座頭、巫女等を支配し、社人頭を通じて領内の社人をも支配した。
当院には、領内壱千百三十三社の明細を記した重要文化財『神社微細社司由緒調書上帳』が現存し当時の権勢の程を窺わせる。
明治3年(1870)神仏分離令により支配下の多くの寺院を合併して田町より当地へ移転した。
その頃まで当地には、大圓寺という真言宗の寺院があったが、その大圓寺は大鰐町蔵館の高伯寺と合併しそこへ寺格を移転した。
当院は五重塔や本堂、諸堂、境内地など旧大圓寺の総てを受け継ぎ、寺院としての発展の中で境内整備を為し現在に至っている。
当院の境内では、弘前市教育委員会の発掘調査により縄文時代後期の土器類や住居跡が多数出土している。
これにより往古よりこの地に人が住み、また信仰の為の霊地として崇拝を受けていたと考えられる。
正面の仁王門の金剛力士像は旧百澤寺の山門に安置されていたものと伝えられる。
また、現在の当院護摩堂は旧大圓寺の本堂である。
明和9年(1772)に奉納された本尊牛頭天王尊がそのままに、当院護摩堂に奉安されており、旧暦六月十三日はこの牛頭天王尊のご縁日(例大祭)として善男善女が多数参拝し、大変なにぎわいが藩政時代より連綿と続けられている。
また、正月の元朝祈願参拝者数は、弘前市最大の規模となっている。

真言宗智山派
金剛山 最勝院

 

新仁王門から見た参道。

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鐘楼と本堂。

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水屋と本堂。

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水屋上部には喜怒哀楽の鬼達。

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天井には梵字。

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龍神。
天井の梵字が水面に映る。

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本堂の様子。
あれ~牛頭天王だ。

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隣の本坊へ行ってみたが、蘇民将来のお守りが無かった。
本尊も牛頭天王ではないという。

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本堂脇に立つ空海。
最勝院は真言宗の寺とのこと。

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隣の護摩堂。
最勝院が明治3年にこの地に移転してくる前にあった大圓寺の本堂と云う。
大圓寺は神仏習合の寺で、ここに牛頭天王が祀られている。

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その名残りとして、最勝院の境内の隣に今でも八坂神社がひっそりと鎮座している。

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御由緒。

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新仁王門のそばに建つ最勝院の五重塔。

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国の重要文化財。

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新仁王門前の桜。

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最後に御朱印。

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最勝院を後にして弘前城新寺構へ。

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寺が建ち並ぶ。
国指定史跡。

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長勝寺構へ。

出城としての機能を持つ。
入り口は桝形。

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土塁も築かれていた。

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黒門。
長勝寺構の総門の役割をしていた。

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栄螺堂(通称六角堂)。

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西茂森禅林街。
曹洞宗の寺院33ヵ寺が建ち並ぶ。
同一宗派によって造られた寺院街は全国にも類例がなく、国指定史跡となっている。

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突き当りにあるのが長勝寺。

 

所在地  青森県弘前市西茂森1-13-8
山号   太平山
宗派   曹洞宗
本尊   釈迦如来
創建   享禄元年(1528)
開基   大浦盛信

 

三門。
国の重要文化財。

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嘉元鐘。
国の重要文化財。

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正面の本堂、脇の修復中の庫裡はいずれも国の重要文化財。

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庫裡の反対側にあるのが蒼龍窟。

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中の様子。
三尊像の脇に五百羅漢が建ち並ぶ。

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境内奥に津軽家霊屋。
こちらも国の重要文化財。

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最後に御朱印。

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長勝寺を後にする。

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空堀跡を北へ。

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横に長勝寺構の土塁が残存。

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大行院跡に、狛うさぎのある天満宮が鎮座。

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境内のしだれ桜。
県天然記念物。

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城下を見下ろす。
長勝寺構は周囲を断崖絶壁に守られ、東は高い土塁と空堀によって遮られた要害だった。

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土塁を上から。

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土塁を潜っていよいよ桜満開の弘前城へ向かいます。

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つづく