村野瀬玲奈さんのところを覗きに行ったら、今年もハイペースの記事アップ。ご健闘は慶賀の至りですが、記事名についている「コメント者」(勝手な造語ね)に懐かしい名前があったので、読みにいきました。
2025/01/05
「批判したがらないZ世代の美徳」?? - 村野瀬玲奈の秘書課広報室
のコメント欄。
日本で「批判」はどのように教えられているか
その通り。私たちは「批判」の意味を伝えることに失敗している。しかし、そもそも正しく教えられていないのだから、若者が悪いのではなく教える側が悪いのだ。
・・・そう言わざるを得ない例を1つ紹介します。
(これから時々、コメント欄で今回のような「紹介します」を書かせていただきたいと思っています。誰かの何かの参考になったら幸いです)
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光村図書の中学3年国語の教材に「「批評」の言葉をためる」という竹田青嗣の書いた小文があります。
これがですね・・・まあヒドイんですよ。
何がヒドイって、「批判」の意味が一般的に使われている意味とまるで違うんです。
全文はこちら(下の方です/著作権の関係?でPDFしか見つかりませんでした)。
https://www.kansai-u.ac.jp/kyoshoku/student/guideline/assets/index/2019/jr_japanese_2.pdf
PDFを見られない方のために、以下に一部書き出します。
「中学生の間で耳にするこんな会話も、言葉が十分たまっていないために、好き嫌いの「批判」があるだけだ。「批評する言葉」にまでは成熟していない。しかし成長するにつれて、こうした感情的な「批判」は、少しずつ「批評」になっていく。」
「単なる好き嫌いの「批判」ではなく、ここには好きと嫌いの理由が入っている。好き嫌いの理由がきちんと言えるようになると、「批判」は「批評」に近づく。批評とは、自分なりの価値判断の根拠を明確にして、物事を評価することである。そのためには、自分の考えを的確に表現できるだけの言葉をためている必要があるのだ。」
ねっ、ヒドイでしょ。
いま私の文を読んでいる方で、「批判は感情的で好き嫌いで理由が入ってない」なんて考えている人、一人もいないですよね。
ここらへん、市販の教科書ガイドにはどう解説してあるんだろう、困っただろうなあと思って見てみたら、「~と筆者は考えている」「~と筆者は言っている」と「筆者は」をやたらと強調している。
そう、教科書ガイドは(好意的に見ると、苦肉の策として)この小文を「批判と批評の意味を学習する」ための教材ではなく、「筆者が「一般的な意味とは異なる意味」で用語を使用した文を筆者の定義に従って正しく読む」ための教材として位置づけているのです。
でもねえ、普通の中学生にそれはムツカシイって。
実際の授業は、たいがい「少々ニガテ」くらいの子に合わせるものなんだから。
で、「少々ニガテな子向けの授業の風景」は、きっとこんな感じ。
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=PvKRi4tZ0fY&t=0s
ねっ、地獄でしょ。
こんな教科書/授業で「批判」の意味を教えているんです。
そりゃ子供たちは「批判は悪」だと思いますよ。
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我が家では、娘にこの小文(と“ひろゆき”の発言集)を読んでもらった後、①「批判」が通常とは異なる意味で使われていること ②「 」には「筆者の定義するところの」という用法があること ③とはいえ「批評」を「批判」と読み替えても少々おかしな感じであること を伝え、この本を読むといいよと1冊の本を渡しました。
その本については機会があれば。
2025/01/06(23:48) funaborista
何回か村野瀬さんのコメント欄でやりとりのあった funaboristaさん。
当方のコメント欄にもいらしてくれたこともあります。
掲出したのは、竹田青嗣氏の文章を「批評」あるいは「批判」しているコメントです。(ここでは、「批評」の「批判」もクリティーク、とルビを振ってお読みください)
「批判」も「批評」も日常で使わないことはない言葉ですけど、好き嫌いレベルの「言あげ」は「批判」と呼ばれ、理由を言語化できる言説になると「批評」と呼ぶに値するって、言語現象として日常によく観察されっるなんてことはないと思いますけど。
どっちかっていうと「批判」という語は、生硬い語感。「批評」という語は、「専門的」とか「上から目線」とかを感じさせることはあるけど。
ネットでの事あげを考えると、批評というのはそんなにプラスの印象の語彙ではないと思います。
だって、みなさん、「それはたんなる『印象批評』だよ」って結構きやすくいうじゃないですか。
わたしの語感ですけど、「批判」というのは「物言いがきつい」感じを与える「ことば」で、「批評」というのは、「言あげのための言あげ」感が漂う単語というイメージ。
「批判」が好き嫌いにとどまる発話だってことは首肯できません。「悪口を言う」時に使うことはあろうけど、他人を悪く言う時には、理由はたくさん並べたてるものでしょう。
考えてみてください。―「あの人はなんだか虫が好かない」と義母は、クリーニング屋を批判した―なんて文章を書く人、かなりレアだと思いますけど。
どっちかというと、こういう場合はまだ「批評した」てほうが違和感が小さいと思うのが、わたしの語感。
「批評」を「批判」より高次の言語活動だというのは、「批評文」を生業にしている立場からのバイアスではないかと、混ぜ返したくなりますね。