プールサイドの人魚姫 -98ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


メール 携帯電話やパソコンが必須アイテムになっている昨今。人と直接話しをするのが苦手な人には便利な道具であるが、そればかりに頼っていると大事な会話のコミュニケーションがとれなくなるので注意しよう。これ等のアイテムは使い方によっては人を傷つけ破壊するマシンになる。先日起きたいじめメールの送信。新聞で報道され表面化したのはごく一部で、おそらく似たような行為は日常的に行われているだろう。日本語の乱れ方は今に始まった事ではないが、人を平気で侮辱する言葉「死ね」「学校に来るな」「キモイ、ウザイ」など、軽々しく平然と言ってのける子どもたちの態度はそのまま現代の大人たちを映す鏡でもある。大人社会になればいじめは嫌がらせと置き換えられるが、何処にでもある日常会話の中に溶け込んでうっかり口から出てしまった言葉が人の心を切り裂くのである。言った本人はそれほど悪意は持っていないにしろ、受け取り方は個々で変わってくる。例えば私は心臓病と心の問題を抱えているが、私と同じ病に侵されている人が私と同じ考えを持っているとは断定出来ない。私は心臓病についてそれほど深く悩んだり落ち込んだりはしない。だが、ある人にとってはそれが人生の一大事で明日が来ないのではと思い悩むこともあるだろう。いじめに合う子どもはやり場のない耐え難い苦しみを背負い込み、人に相談すら出来ず悩み、結果的に最悪な自殺へと手を伸ばしてしまうのだが、私がいじめを克服したのと同じようにいじめる側にその辛さを体験させてやればよい。時には殴り合いの喧嘩も必要だろう。奇麗事で済まされない、いじめの悲惨な実態は今や誰もが知るところとなった訳で、教育委員会や自治体もそれなりの動きを見せ始めてはいるが、いじめた者を登校禁止などと言った処罰は教育の立場から見れば相当歯車がかみ合わない処置である。子どもを差別してはいけない、いじめる子もいじめられる子も同じ心の教育をしなくてはならない。いじめる子ほど淋しがり屋で孤独な思いをしストレスを感じている。それをグループで共有し、いじめと言う共通のテーマでゲームの如く遊ぶのである。劣等感の塊でもあり、間違った優越感に浸り笑顔で自分の本心をごまかすのである。劣等感は人成長させるために欠かせない要素なのだが、間違った表現方法に傾いてしまう傾向が今の子どもたちに巣食っている心の闇。子どもの世界は大人が考えているより複雑に絡みあっている。昔はもっと単純で真っ直ぐな気持ちを持っていたが、現代社会の抱える問題が子どもたちをも犠牲にしているように思えてならない。


ベビー 日本は健全な国でもないし、健全なる政治家もいない。ましてや国民も健全と呼べる人は少ないかもしれない。健全の定義は曖昧だが、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」なんていう差別用語のような言葉さえある。但しこれはローマの詩人が作った風刺であり、背景には皮肉がたっぷり込められているのも事実である。このストレス社会で健全に生きることなど不可能と思えてならない。問題発言満載の国会は実に滑稽である。子どもを二人以上産むことが健全?誰か柳沢伯夫厚生労働相の口にタオルでもねじ込んで発言を止めさせた方がよい。それでも辞職しない、させない安倍総理は相当無神経である。本気で少子化問題を捉えている大臣としては余りにも配慮に欠ける発言であるし、与党・野党を問わず女性議員たちが何故このようなセクハラ大臣をのさばらせているのだろうか?古い体質に覆われた保守大国、その中でも静岡県は最も保守的な県である。私の故郷だからあまり言いたくはないが、関東・関西に挟まれ、温暖な気候。のんびりした茶畑や蜜柑山、海の恵みと山の幸に囲まれていれば、県民性も少しぼやけてくるのかも知れない。そんな県民性が産んだ柳沢大臣だけに優柔不断の性格は直らないのだろう。健康体で産まれてくる事に越したことはないし、母親になる喜びは男性には絶対味わえないものがある。痛みの中で最も苦しいのが陣痛だと言われる。しかしその痛みと共に母性が沸騰するのだろう。生まれつき病気を抱えて誕生する子どももいるが、医療の進歩で救われる赤ちゃんも多い。日本が少子化に向かった原因を理解すればもっと早く的確な解決方法は見つかるだろう。真の腐った政治家の手によってこれまで歩んで来た日本。それを今更政治家にとやかく言われる筋合いなどない。こんな日本に誰がした?税金だけはしっかり取り上げて仕事をさぼる政治家や役人ばかりいるから先の見えないトンネル列島になってしまったのである。

自爆 シーア派とスンニ派、両者間の宗教対立は激化するばかりである。今朝の新聞の一面に載った自爆テロの記事。それと同じくしてヒラリー議員が大統領になればイラク戦争に終止符を打てるとも書いてあったが、そう簡単に事を収め、彼らの大儀を話し合いで決着をつけるなど至難の業だろうと思う。アメリカ主導の下に始まったイラク問題は宙に浮いたまま何ら進展を見ない。それどころから情勢は混迷を増し悪化の一途を辿っている。ブッシュの掲げた対テロ戦争は本来オサマビンラディン率いるアルカイダに向けられていたが、今回のような自爆テロにアルカイダは関与していないと思われる。中東に於ける宗教対立は今始まった事ではなく、権力を握る為に一部の軍人たちが宗教を戦争の道具として扱っている。人種の数だけ神は存在するが、人を殺してよいと説いている神は何処にもいない。愚かな人間だけが自分たちの戦いを聖戦と位置づけ、命を捧げてまで自爆テロに走るのだ。フセイン死すともイラクに平和は訪れない。ここにアメリカの大きな誤算が生じたのだ。否、もしかするとこれも想定内だったのか?イラク戦争を長引かせたところでアメリカに何の利益ももたらす事はなく、米軍の死者が増えるばかりであるが軍需産業だけは伸びる一方である事も事実。さて、日本国内はどう対応しているか、イラク問題は蚊屋の外。所詮よその国での揉め事と高みの見物といったところか。確かにサマワへの自衛隊派遣など国際的な援助・協力は果たしてきたものの、サマワからの声は砂漠の砂埃に消え、国民の下には届かない。安倍内閣は今それどころではなく、自分の足元が揺らぎ始め他の国に眼を向けているほど余裕はない。宗教ほど使い方を間違えると厄介なものはなく、結果的に自分の首を絞め、気が付けば隣人も争いに巻き込ませてしまう最も身近な武器かも知れない。

八百長 一部の週刊誌が発端となって広がった朝青龍の八百長疑惑。昨年の夏に行われた世界タイトルマッチ亀田興毅対ランダエタ戦を思い出した人も多いだろう。八百長が行われる背景には色々あるが、誰が一体得するのか。例えば賭け試合だったりすると暴力団が絡んで来たり、結構物騒な話しに発展する事もある。スポーツ界では私たちの眼が及ばぬところで裏家業の人たちが暗躍しているのも事実であり、あるある大事典ではないが捏造は日常的に行われているだろう。週刊誌も売り上げが命であり、ネタが尽きれば根も葉もないところからスキャンダラスな記事を思い付き、世間を騒がせて売り上げアップを狙うもの。そうでもしないと誰も読んではくれない。真実は二の次でとりあえず誰かを標的にしてしまえば、後は好き勝手に巧妙な文章で話題を作り上げてしまうのである。記事の内容に振り回される相撲協会や関係者、そして最もダメージを受けるのが標的にされた力士たち。次の場所にその影響は大きく現れ、いつもの相撲はとれずにどこか動きもぎこちなく精彩に欠けてしまうのである。八百長などそう簡単に出来るものではないが、相撲の世界では星を買ったり売ったりしている場合はあるかも知れない。素人に分かるような試合はまずしないだろうが、後になってあの取り組みはいかさまだったかも知れないと言われるような事では困るので、迫真の演技をする訳である。
わたしが見た過去の相撲で一つだけわざと負けたと思われる取り組みがあった。昭和49年頃だったと思うが、第54代横綱の輪島対大関貴ノ花の一番だった。輪島と貴ノ花が親友だった事は相撲ファンであればご存知のはず。この二人はライバル同士でもあったが、天才力士と異名を持つ輪島と方や角界のプリンスと呼ばれ女性ファンも多かった貴ノ花。二人は同時に大関に昇進したものの、貴ノ花は大関が精一杯で、9勝6敗と常にファンを冷や冷やさせる相撲内容が多かった。その場所は確か角番だったと記憶している。もし負ければ大関転落という状況でかなり苦戦していた。そして横綱輪島との取り組みでより切りで貴ノ花が勝ち、何とか大関の地位を保つ事が出来た訳であったが、その試合で輪島の負け方が非常に不自然に思えたのである。わたしの思い込みなのかも知れないが、輪島が親友の為にわざと負けたように思えてならなかった。この試合について何処からも疑惑の取り組みだという声は上がらなかったが、これも一つの八百長だったのかも知れない。大切な友人を助ける為に星ひとつあげたと考えるなら、敵に塩を送った上杉謙信だとも言えるのではないだろうか。


 

顔

安倍総理本人は一生懸命やっているつもりでも、その取り巻き大臣たちの常識を逸脱した発言が安倍内閣を白蟻の如く食い尽くす…。先日問題となった柳沢厚労相の「女性は産む機械」、信じ難い言葉に絶句。それでも辞めさせない安倍首相も心中穏やかではないはず。公の場を私物化する政治家が目立つ昨今ではあるが、過去に置いてこれほどでたらめな政治家集団はなかったと思う。言葉の使い方も知らない人にこの国を治めることなど到底無理というもの。安倍政権の支持率は過去最低になったものの、それでもまだ40%近くの国民が希望を捨てずにこの難破船にしがみ付いている。その背景には他に頼る政党が見当たらないのも事実で、日本の政治レベルは世界最低ではないだろうか。いつまでも自民党にへばりついている公明党さんよ、そろそろ目覚めた方がよいのでは?野党から見れば政権をひっくり返す大チャンスだと言うのに、小沢率いる民主党の頼りなさ。こんな状態だから既成概念をぶち壊すようなそのまんま東が当選するのも無理はない。政治に対し真摯に取り組む姿勢が全く見受けられない状況に、エリート政治家はもう要らないと国民が気付き始めた時、大きな波が日本を揺り動かすのかも知れない。それは貴方の判断と無関心を捨てさること、政治に傍観者はもう要らない。

 


宮崎 今最も注目を浴びているのは宮崎県知事のそのまんま東氏だろう。その彼の初仕事は鳥インフルエンザ。数日前にも発生し鶏が数多く処分された矢先にまたも養鶏場を震撼させる連続の発生、しかも今回は毒性の強い高病原性鳥インフルエンザH5N1型と判明。茨城、岡山、そして宮崎と各地に飛び火する病原体は見えぬ恐怖を人間にまざまざと見せ付けている。しかしながらこれ等の病原菌に対して正しい知識を持ち対処しておけば何も恐れることはないのだが、抵抗力が乏しくなった現代人にとって見れば未知の脅威でもあり、いつ人間に感染するかも解らない突然変異のミクロ媒体である。鶏を狭い籠に押し込め、薬品漬けの餌を与えて自然界のからくりから逸脱した人間自身が生み出した産物でもあり、自業自得ともいえる。馬や牛などと同じ様に放し飼いが出来、混じり気のない純粋な餌を与えて置けば病気に強い鶏が健康な卵を産み、運動量の多い引き締まった鶏肉が手に入る。成長を早めるような化学薬品を餌に混ぜて与えては結果的に、人間界の傲慢な節度のない大量消費という問題点が見えてくる。朝の訪れを告げる鶏の鳴き声がもう止めてくれと人間に訴えているように思えてならない騒動ではないだろうか。

閉店 不二家に限らず、叩けば埃の出る企業は数多くある。しかしながらそれが表に出ないのは、企業統治が施されコンプライアンスに(法令遵守)力を入れ社員に徹底させているからである。私が携わっている仕事は前職と同じCSR(企業の社会的責任)ISO14001(環境保護)内部統制という事で自分の会社を監視する立場の部署に席を置いている。不二家にも同じ様な部署はあった筈なのだが上手く機能していなかったからこのような不祥事を招いてしまったのである。今最も苦しい立場に置かれているのはおそらく不二家の社員たちではないだろうか。今まではその輝かしいブランドで営業活動もスムーズに出来、誇りを持って名刺交換も出来たのだが…。一度不利なレッテルを貼られてしまうと、それは後に亘って長く大きな損害となって企業のダメージに跳ね返って来る。1996年に起きた「電通事件」を覚えているだろうか?過酷な過重労働によって入社1年を少し回った24歳の青年が、うつ病にかかり自殺を遂げてしまった事件。これによって電通は社会的評価の低下という不利益を負う事となったが、いまだにこの傷を負ったまま電通社員は声を抑えつつ営業をしているようだ。名刺交換をすると「あの事件の…」という言葉が返って来るのである。この事件をきっかけに企業は従業員の過重労働への配慮の重要性、健康への配慮の必要性を強く認識させられる事となり、メンタルヘルスケアにも力を入れるようになったのである。不二家が今後どのような形で社会的信頼を取り戻すか見通しは立っていないが、消費者から愛されるブランドの確立がどれほど大切か、他の企業も寝ぼけた眼が一斉に目覚める事件である事は間違いない。手作りから大量生産へ移行した食産業も多くそれだけに食の安全性が如何に大事か消費者の意見に耳を傾けながら美味しい食品を生産して貰いたい。

納豆 納豆が日本に伝わったのは奈良時代以前、中国の僧侶達が漢方薬として用いていたものであり、食用と言うよりはどちらかと言えば薬に近い存在であった。健康食品として家庭の食卓に並ぶ納豆であるが、ビタミンKが豊富なため心臓に機械弁を入れている私にとっては生死に関わる食品でもある。主治医から「絶対食べないように」ときつく言われており、淋しい思いを20年近くに亘り味わっているがこれはワーファリン(抗凝結剤)飲んでいる限り続くのである。
フジテレビが放映していた人気番組「発掘!あるある大事典」様々な題材を使い視聴者に眼からうろこが落ちるような情報を提供してくれたが、何やら捏造問題を起こしたようで、なんと番組が打ち切りという事態に陥ってしまい志村ケンや関係者を悲しませている。何も打ち切りまでしなくとも良いのにと個人的には思っている。人間が作り出すものに完璧なものはないし、元々TVが真実を歪曲して伝えている事は今更始まったことでもなく、湾岸戦争やイラク、アフガン戦争などマスメディアはTVを通して視聴者に旬のニュースを伝えて来たが、その場で起こっている現実が真実かは判断出来ない。米軍にとって都合の悪い内容はカット、或いは編集され私たちの眼に届く場合もあり、後になって疑問を抱く記事はそこら中に紙くずの如く散乱し、敵を欺こうと情報戦を繰り返すのである。このような混沌とした状況下で一体何が真実なのかは我々には知る由もない。見た物をそのまま信用するか、自分の頭で再度確認し調査してみるか、それは個々の問題意識に関わってくる。納豆がダイエットに効果があると信じている人にはその効能は顕著に現れ、全く信じない人には期待出来る効果は残念ながらない。それは何故か?人間の身体をコントロールしているのは食物でもなければ薬やサプリメントでもない。脳である。ダイエットに関して過去記事で散々述べて来たので重複する部分もあると思うが基本は自分の身体を知る事である。健康診断を受け、もし病気が見つかればダイエットどころではない。特に女性は太っている事に先入観を持っており、痩せる=美しいという定義にはまりこんでしまっている人が見受けられる。脂肪が人間にとって欠かせないのは言うまでもないが、脳の栄養源は脂肪と糖分であるため、脳を使うと非常に疲れるがそれによって身体の脂肪や糖分が消費され結果的にダイエットをしていることと同じ意味になる。特に前頭葉を使えばなお更よい結果を生むだろう。お腹に脂肪が付きやすいのは、内臓を事故から守る防衛本能と女性の場合は子宮内の赤ちゃんを危険から守るため。神様からの贈り物に無駄なものは一切ないと言うことを覚えておきたいものである。



そのまんま 宮崎県民が選んだのはそのまんま東(本名:東国原英夫)氏だった。彼は政治家としては素人である。だがプロの政治家にうんざりした県民は色に染まっていないお笑いタレントを選んだ。自民党にとっては大誤算であり、大きな痛手でもある。県民のみならず日本国民はこれまでどれだけ口達者な政治家に裏切られて来たことか。選挙の時のみ国民を神様扱いし、当選すれば手のひらを変え支援者たちの期待を大きく裏切る。議員の椅子だけが欲しくて涙さえ浮かべて歯の浮くような奇麗事を並べて国民の気を惹こうとやっきになる。選挙カーは当選に向けてまっしぐら。声は涸れ果て睡眠不足の眼が血の色に染まる。その時のまま国会へ行き、国民の代表として役目を果す議員たちが一体この国にどれだけいるだろうか?政治が一人の力ではどうにもならない事はよく解る。数の多さに勝るものはないだろうが、せめてのろしを上げること位は出来るだろう。そのまんま東氏は、これから県知事と言う笑いごとで済まされない世界で県民の期待に応えて行かなければならない。それは厳しい道程となるだろう。県知事を取り巻く県議会の役人たちを自分のペースに持ち込めるかが課題である。これまでもタレントが県知事を努めた例はあるが、青島幸男や横山ノックなど、結果を残せず政治の舞台から降りて行った。先ずは初めの一歩が大事。信念を曲げず最後まで貫き通す人こそ政治家に相応しいのではないだろうか。


相撲 大相撲初場所、千秋楽を待たずして優勝を果した朝青龍。彼の前に立ちはだかる敵なし。ライバルが存在しない中でこれだけ優勝を重ね、横綱の地位を堅守し続けるには並大抵の精神力では務まらない。朝青龍は相撲界の中では小柄な方である。格闘技は身体が大きい方が有利ではあるが、その恵まれた身体を活かし切っている選手は少ない。身体が大きい故のリスクも当然あるが、一番大切なのはバランス。心技体とよく言われるのはスポーツ選手にとって必要な要素だからであり、そのどれもが欠けても結果は余り期待出来なまま終わる事が多い。どんなに強い朝青龍にも当然弱点はある。しかしそれを補うスピード、技、精神力が彼にはある。自分の強さに甘え、稽古を怠ればそれは土俵に現れる。相撲に関わらず格闘技全般に共通する事は腰の位置にある。出来るだけ低く構え重心を下に置く。それは安定を意味するし、突進力の源でもある。それ以外に物腰の低い人、或いは柔らかい人など腰の位置でその人柄も表現される。腰が強ければ子どもを生むのにさほど苦労はしない。女性の骨盤が発達しているのはより安全に子どもを産み育てるように作られているからだと思う。朝青龍の時代はまだまだ続くであろうが、大関陣の不甲斐なさを払拭してくれるような関取の登場と横綱を窮地に追い込める力士の活躍が早く見たいものである。