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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-アップル

 iPhone5の発売を待ち望んでいたユーザーから見れば、iPhone4Sの登場は肩透かしを食った部分も少なからずあったのではないだろうか。

 然しスティーブ・ジョブズ氏の死去とiPhone4S発売のタイミングが余りにも良すぎる為、巷ではiPhone4SSがスティーブ・ジョブズ氏の頭文字であると言う噂が広まり、都市伝説の一つになりつつある。

 アップル社の歴史はスティーブ・ジョブズそのものであり、今此処でアップル社と彼について詳細を書き記す必要もないだろうが、それにしてもジョブズ氏が現世に遺した功績は言葉で語り尽くせないほど偉大なものであった。

 それ故、彼の死が余りにも早すぎる事が残念でならないし、オバマ大統領やビル・ゲイツ氏を始め、世界各国から惜別の言葉がジョブズ氏に贈られた事からも彼の卓越した人物像を物語っている。

 わたしとパソコンの出会いは約20年前に遡る。PCゲームやりたさに35万円と言う高価な買い物に手を出したのだが、それがNECのPC9801DXだった。

 CPUはi386だったと記憶している。ハードディスク等と言う便利な物もなかったし、3.5インチのフロッピーディスクをPC本体に差してアプリを起動、Windows3.1が既に存在していたが、それ自体はOSではなくアプリの一種で殆ど役に立たなかった。

 当時のPCはMS-DOSと言うOSで動かし、画面は真っ黒で発色数は16色までに限られていた。それが日本におけるPCの標準機であり、NECの独壇場であったが、エプソン等はその互換機を発売、富士通に至っては独自のPCであるFM-TOWNSを発売しNECに対抗していた。

 そのような中で高額過ぎると言われていたアップル社のパソコンにMacintosh Classic LCが登場し、金額も20万円に下がり、マックユーザーがそれに飛び付いた事は言うまでもない。

 マックが他の製品と違う所は、PCにGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)を取り入れ、マウスを使用し視覚的にPCを操作出来る点であったが、これはPCの革命と呼べるほどであった。

 このアップル社のPCに対抗するかのように登場したのが、マイクロソフトが1995年に発売したWindows95であり、この時には発売前日から秋葉原のパソコンショップに長蛇の列が出来、MS-DOSユーザーが熱狂したのは言うまでもない。

 それから数年、Windows98WindowsMe,Windows2000,WindowsXP,WindowsVista,Windows7へと進化し続けて行く訳であるが、これ等はMacという存在があったからこそ実現出来たと言ってもよい。

 Macと同様にWindowsも優れたOSに違いないが敢えて欠点を上げるとすれば、MS-DOS時代に築き上げて来た過去の遺産から完全に脱却出来ない事ではないだろうか。MS-DOSとの互換性を保つ為Windows内部にDOSは現在でも留まっている。

 パソコンはMacOSWindowsの二つが大半を占めているが、世界的シェアから言えばWindowsが圧倒的である。グラフィックの面で一歩も二歩もリードしているMacは、DTP(ディスクトップパブリッシング)作業を行う印刷会社やデザイン事務所等では欠かせないアイテムとなっている。

 パソコンは四角い筐体が当たり前だと言う固定概念を覆したのが1998年にアップルが発売したiMacである。その丸みを帯びたデザインを見た時、頬ずりしたくなるような愛らしさと斬新なスタイルに驚いたものである。

アップル社の製品はインテリアとしても通用するほど、こちら側の期待を遥かに上回る製品を次々と創りだして行ったが、それはまさに芸術品とも思えるほどに画期的であった。

 現在の主流はPC本体よりもアクセサリー的製品に主眼が置かれている気もするが、それもまたジョブズ氏の未来を見通す子どものような心を持った彼だからこその作品群と言えるだろう。

 iPod iPhone iPad iTunes MacBook Macmini MacProなどが産まれた原点にあるものは「愛」そのものではなかったのではないだろうか。

 彼の死に寄ってアップル社に陰りが見え隠れしているとしても、彼の遺志を継ぐ第二のスティーブ・ジョブズ誕生に期待したいと思う。


プールサイドの人魚姫-自転車

 わたしたちの最も身近な乗り物の一つに自転車がある。この自転車を巡って様々なトラブルや事故が多発し始めている現在、自転車運転のマナーの悪さやルール違反が急増し、社会問題にまで発展し得るその危険性を考えてみたいと思う。

 おそらく自転車に乗っている人の殆どは、自転車が車と同じ凶器になり得るとは認識していないのではないだろうか。

 たかが自転車と言えども車並みのスピードも出るし、猛スピードで走って来る自転車にぶつかれば、歩行者などはひとたまりもなく大怪我をするだろうし、打ちどころが悪ければ死に至る事さえある。

 車の運転免許を持っている人であれば、自転車が車両の一種(軽車両)である事を教習所で習っている筈であるからご存じだと思う。

 つい先日、お笑いコンビ・チュートリアルの福田充徳さんが路上で後輪ブレーキを装備していない競技用自転車「ピストバイク」で走行中に、道路交通法違反(整備不良)で警察から違反の指摘を受けたばかりである。

 このピストバイクはニューヨークのメッセンジャーが業務用に使用し始めたのが切っ掛けとなり、日本では2008年辺りから利用者が急増して行ったものと思われるが、日本の法律ではピストバイクで公道を走る事は禁止されている。

 見た目のカッコ良さと必要最低限の装備で、自転車本体の重量を出来るだけ軽くすると言う、シンプルなスタイルが若い人たちの人気に繋がっているのであろう。

 然しながら最も重要な安全面から言えば、これほど恐ろしい乗り物もないだろう。ブレーキが一つしかない、或いはノーブレーキの自転車などとてもじゃないが乗る気には更々なれない。

 日本はアメリカの文化を都合よく取り入れ、アメリカ生まれの日本育ちという代物をこれまで数多く産み出して来たが、法律までアメリカの真似をする事は出来ない。

 自転車に乗る時の禁止行為としては、傘を差す、飲酒、二人乗り、無灯火、横並びの走行、手やハンドルに荷物を掛ける、下駄やハイヒール、片手運転や手放し運転、ベルで歩行者を避ける、携帯電話、ヘッドフォンでの音楽、喫煙、犬の散歩など多岐に渡るが、約半数の人が知らないものと思われる。

自転車が余りにも身近な存在であるため、わたしたちはついその認識不足に気付かない事もトラブル多発の要因になっているが、自転車を売る側もやはり客には安全重視というマニュアルをきっちり伝えるべきであり、売りっ放しという形が自転車の寿命を縮める原因にもなっている。

 現状のまま自転車を野放図にしておけば、やがて自転車を乗るにも免許が必要になる日が来るかも知れない。そんな事態にならぬよう、道路交通規制について改めて知っておく必要があるようだ。



プールサイドの人魚姫-マニュアル

 限りなく透明に近いブルーは村上龍のデビュー作だが、東電の場合は限りなく腹黒い。隠蔽体質の抜け切らない企業はここまで面の皮が厚くなるものなのだろうか。

身内可愛さは理解出来るものの、甚大な被害を齎し続けている原発事故の責任逃れをこの期に及んで、更に隠し続ける不届き者の東電には呆れるばかりだ。

 福島第1原発事故の原因を究明するため、衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会が東京電力に再提出を求めていた「事故時運転操作手順書」は12ページで構成されており、その内の9ページ分に至っては真っ黒に塗り潰されて提出書類の体を全く成していない陳腐なものであった。

 事故原因の検証に最も必要とされる書類が真っ黒と言う事は、東電が如何にその機密性を最重要視しているかが一目瞭然である。

 黒く塗りつぶした理由について「知的財産が含まれる他、核物質防護上の面からも公表出来ない」が東電の言い分であるが、放射性物質の漏えい・蓄積で財産を奪われた多くの人達にそれが通用する筈もなく、臭いものには蓋をする的な古臭い企業体質が、電力会社という独占企業の傲慢振りを浮き彫りにしている。

 原発事故発生から半年を経過した今になっても事故対策より企業秘密が重要課題と言う、本末転倒も甚だしい企業モラルと倫理的責任の欠片も持ち合わせていない自堕落な企業に対し、貴重な税金を投入して救う必要が本当にあるのだろうか。

 経産大臣に就任した枝野前官房長官がその力量を試される時期が早くも訪れた訳だが、「こだまでしょうか」「いいえ、今度も枝野です…」にならないようその手腕を発揮して頂きたいものである。

極論を言ってしまえば東電は執行猶予付きの罪人であり、政府はあらゆる法的手段を用いて対処するべきだったのではないだろうか。

結果的に東電は黒塗りなしの操作手順書を原子力安全・保安院に提出した訳であるが、小賢しい真似事をせず、最初から素直に従っていれば、批判の矢面に立つ事もなかっただろう。或いは事故発生当初から批判の集中砲火を浴びて機能が完全に麻痺しているとも思えるし、中には証拠隠滅に奔走する輩も出て来る可能性も捨て切れない。

 その意味で早い段階から東電への強制捜査も視野に入れて、関連書類を全て押収するくらいの意気込みで臨まないと、したたかで狡猾な東電に足元をすくわれるのは政治家さんたちの方だろう。


プールサイドの人魚姫-衛星

 人類初の人工衛星が1957年にソビエト連邦によって打ち上げられてから54年という歳月が流れたが、その間に様々な国々から多くの人工衛星が打ち上げられて来た。

 最も多いのはロシア(旧ソ連)で約1400、次いでアメリカの1050、日本は意外にも3番目に位置しているがその数は前者に全く及ばないものの、日本の航空宇宙工学が如何に優れているかを実証しているだろう。

 現在、地球上にある人工衛星の数は6000個を超えており、その中で地球を周回している衛星は約3000個に上ると言われている。

 記事に添付した画像はNASAが公開しているものであり、地球の外側から見るとその過密状態が一望出来る。もしこのまま増え続ければ衛星同士の衝突が頻繁に起きる可能性も否定出来ない。

 人工衛星にはご存じの通り様々な役目がある。一般的に知られているものでは、『軍事衛星』『通信衛星』『気象衛星』『地球観測衛星』『航空衛星』『科学衛星』等がその代表である。

 人工衛星の寿命はその使用目的や周回軌道で異なって来るが、およそ10年と言われており意外と短い事に少々驚いてしまったが、最も短いものは軍事用の偵察衛星(スパイ衛星)で僅か1ヶ月だと言う。簡単に言えば燃料切れで制御不能になったものは寿命と言う事である。

 つい先日、その運用を終了した上層大気調査衛星ユアーズ(UARS)が、日本時間の9月24日土曜の正午23分から午後2時9分の間に地球上に落下した。衛星本体は大気圏突入の際にほぼ燃え尽きたようであるが、その一部の破片が燃え尽きず自分の存在を誇示するかのように落下。

このニュースは報道でも大きく取り上げられ、破片が人に当たる確率を人口密度を元に算出した結果3200分の1であると推測され宝くじに当たる確率より高いと話題になったばかりであるが、空を見上げながら歩いて電柱に当たってしまう方がよっぽど恐い気がする。

 全ての人工衛星が運用を終え落下して来るのであれば、地球上の宇宙空間に何千もの人工衛星がひしめき合うような状態は避けられるだろうが、自力で宇宙の墓場にたどり着けない衛星は地上からミサイルで破壊される。

 然しそれらは消えて無くなる訳ではない。粉砕された衛星の破片が宇宙のゴミとなり地球軌道上に存在する。その数およそ2万2千個と言われ限界点に達しているようだ。

それらの破片が現在運用中の人工衛星や今後も打ち上げられるであろう衛星、有人ロケットなどの安全を脅かす存在となっており、地球環境も大切であるが未来の地球の為にも各国が協力して宇宙ゴミを処理して行かなければ人類の進歩はそう望めないだろう。

人工衛星が単なる機械の塊と表現してしまえば、『はやぶさ』のような物語は生まれない。このブログでも紹介したように『はやぶさ』は人工衛星ではなく探査船であったが、人々の想いが込められて作られた『はやぶさ』の奇跡的な帰還はラブストーリーであったと言ってよい。

 その意味から言えば人の手によって作られ使命を持った人工衛星にもそれぞれの物語がある。宇宙空間に散らばる破片や地上に落ちた残骸を人に例えるならばそれは謂わば遺骨である。出来る事なら落下物を捜索し、丁重に葬ってやるのがそれを作った人間のけじめではないだろうか。


プールサイドの人魚姫-目覚まし


 ここ数日、パソコンがとても遠い存在になっている。いつもなら起きれば真っ先にPCの電源を入れるのだが、ベッドから起き上がる事さえ面倒に思え食事もまともに摂っていない。

 一日24時間のサイクルが大きく狂い、完全な昼夜逆転状態と相まって不眠症の傾向が続いている。朝飲むように処方されている大部分の薬が夕方ないし夜になってしまい、一日3回飲む薬が1回か2回で終わってしまうと言う、悪循環がブログ更新にも影響を及ぼし始めている。

 「砂の器に見る偏見と差別社会」と題した記事は文章が全く纏まらず、言葉の端々が断片的に紙屑のように頭の中を乱舞するばかりで、記事としての文体をなしておらず、おそらくこのままお蔵入りとなるだろう。

 ブログを書き始めて6年余り経つが、過去にこのような経験は一度もなかった。ブログのネタが無い訳ではなく、書き記したい事は山ほどあるのに文章を組み立てる気力が湧いて来ないのである。

 そう言いながらも、こうして現在の状況を説明している訳であるが、これが一つの記事として成り立つかどうかは、読者の判断に委ねるしかない。

 わたしは自分の発する言葉に拘りと責任を持っているつもりであるが、時にはそれが独り善がりになり、思わぬ形で人を傷つけてしまう事もあるだろう。

 あらゆる意味に於いて自分が弱っている時は、言葉にもスランプの時期があるのかも知れない。だから書きたい事が書けず、伝えたい事が伝わらず自己嫌悪に陥ってしまう自分がいる。

 この悪循環を早く断ち切って、気負う事なく記事を書き続ける事が出来るよう、今は「休息の時」として捉え、焦る事なく再スタートを切れればよいと思っている。

 

プールサイドの人魚姫-ピカピカ

 

 
 

誰かが磨いた

ピカピカの月が

奈落の底に

浮かんでいる

わたしは一人

夢地獄

夢が勝手に

成り上がる

 


プールサイドの人魚姫-死の町

 一匹のどじょうが辞任に追い込まれた。好支持率を得て順調な船出をした野田どじょう内閣の一角が早くも崩れ去ったのである。

 福島第一原発事故周辺を視察した鉢呂吉雄経済産業相の『死の町』表現が波紋を呼び、更には取材記者に『放射能をうつしてやる』などと発言した事も判明しており辞任は免れないものと思っていたが、10日夜、野田佳彦首相に辞表を提出し受理に至った。

 農協・旧社会党時代の経験を活かし、鳴り物入りで入閣した筈の人物が、泥鰌はおろかとんでもない鯰に化けた訳である。

 風評被害に喘いでいる福島に追い打ちを掛けるような鉢呂氏の差別的問題発言は、村八分そのものと言ってよいのではないだろうか。

 福島を苦しめているのはなにも風評被害だけではない。原発や放射能の恐怖を誇大に煽って来たマスコミの『報道被害』もまた同類なのである。

 科学的根拠も無く、健康にも全く問題がない米、肉、野菜、魚などが単に福島県産と言うだけで敬遠され、福島ナンバーの中古車さえも売れないと言うではないか。

 更には福島ナンバーの車を運転していれば『○○ナンバーお断り』の駐車場が出現したり、空き缶まで投げ付けてくる人もいるらしい。

 避難民が昼間パチンコをすれば批判され、居酒屋で一杯飲んでいれば「不謹慎」だと罵声が飛ぶ始末。避難民の心が休まる場所は一体何処にあるというのだ。

 がんばろう日本をスローガンに、国民全てでこの国難を共有し助け合う筈であり、政府もまた震災復興を旗印に前進しようとしている最中に、ドジョウの足を掬ってしまうお粗末さに呆れ果ててしまう。

 人としてのデリカシーに欠ける政治家は政治家にあらず、即刻議員バッジを外して辞職して頂きたいものだ。それともう一つ、民主党の平野博文国対委員長の『不完全内閣』発言。これについては与野党から批判が相次いだが、わたしから見れば政治家の本音がつい出てしまったという事。

 自民党時代からこれまでに完全な内閣がこの国に存在しただろうか?トップの顔がシャボン玉のように次々と吹いては消えるこの国の政治が完全なものだと誰も思わないだろし、ガス欠の不完全燃焼そのものである。

燃え尽きた総理として一人上げるとすれば小泉純一郎氏くらいのものだと思うが、但しその燃え尽き方に多少の問題はあったのだが…。

 死の町発言に対しては野田総理もかなりご立腹のようであったが、柳の下のどじょう内閣にならぬよう頑張って頂きたいものである。


プールサイドの人魚姫-ボルト


先日終了した世界陸上2011韓国テグ大会は、注目度で他者を圧倒したウサイン・ボルトの一人舞台と言ってよいほどであった。

 人類史上最速の弾丸ライナーの名を欲しいままにその頂点に君臨し続けているボルトであったが、それ故に男子100メートル決勝のフライングはまさに衝撃的であった。

 静寂に包まれるトラック、スタートラインに並ぶボルトとそのライバルたち。駆け引きはそのスタート前から始まっていた。

 固唾を飲んで見守る観客たちの視線はボルトの導火線に火を点けるほど熱かった。それが彼にとってのプレッシャーだったのか、それともはやる気持ちを振り切れなかったのか…。

 ピストル音が鳴る前に飛び出してしまったボルト、会場に鳴り響く「ボルト、フライング失格」の声、そして静寂がどよめきとため息に変わり、シャツを脱ぎ棄て天を仰ぐボルトの顔が苦渋と無念の涙へと変わって行った。

 今大会から採用されたフライング1回で失格という厳格な規則は、感覚派のウサイン・ボルトにとって裏目となる結果となった。

 他の選手とボルトの違いは勝負勘である。つまり号砲の鳴るタイミングを予測してスタートを切るのがボルトの走りであり、「稲妻」と呼ばれる所以である。

 そのフライングを打ち消すような走りを見せたのが男子400メートルリレー。アンカーのボルトは余力を残すほどの圧倒的なスピードでゴールし、世界最速の称号を不動のものとした。

 フライングを制した「堅実派」の勝利ともとれる世界陸上2011であったが、本命と目された選手が次々と姿を消す波乱の多い大会でもあった。

 この大会でメダル2、入賞5を下回らない成績を目標に掲げた日本勢であったが、ハンマー投げで金メダルを獲得した室伏広治の活躍が際立ったのみで、入賞はロード種目の4つに留まるという、大誤算の結果となった。

 前回メダリストたちの相次ぐ惨敗、期待の大きかった女子マラソンの尾崎好美は18位の結果に終わるなど、ロンドン五輪への架け橋が遠のいている。

 そのような敗北感が漂う中で、市民ランナーとして一躍有名になった男子マラソンの川内優輝選手の18位は今後の男子マラソン、特に団体競技に一筋の光明を灯すものとなっており、ロンドンオリンピックでのメダル獲得に期待が膨らむ好結果と言ってよいだろう。

 世界陸上と同じくロンドン五輪を目指す『なでしこジャパン』のアジア最終予選の北朝鮮との試合は引き分けに終わるという結果は意外であったが、世界一の称号と国民栄誉賞という重い足枷を引きずりながら戦う彼女たちの姿を見るにつけ、ロンドンへの切符は揺るぎないものではあるにしろ、その先に待ち受ける困難を『なでしこJAPAN』の一人ひとりが享受してこそメダルへの道が開けるものである。

 困難は乗り越えられる者にしかやって来ない…この言葉を全てのアスリートに贈りたいと思う。


 

プールサイドの人魚姫-バラ

 

 
 

ゴミ集積所から

拾って帰った紅い薔薇

都会暮らしのわりに

開き直れず塞ぎ込んでいる

 

頭の中で夢が膨れ上がる

茎はそれを支えきれない

叶えられない夢は

ひとひら ひとひら散っていく

 

残り少ない夢を数えて

暗い部屋の隅

語りかける水もなく

次第に乾いていく

 

悲しみは腫れぼったい

刺に姿を変え

夢を叶えることもないまま

すっかり乾ききってしまった

 


プールサイドの人魚姫-野田

 大方の予想を覆す結果となった民主党代表選。当初の予想は海江田VS前原の決選により、海江田万里氏有利との見方が大半を占めていたが、小沢元代表の影が亡霊の如く付き纏う現在の民主に嫌気がさした議員たちの思惑により、無難な人選とも言える野田佳彦氏に白羽の矢が立った訳である。

全く無能な菅総理の後始末を任される訳で、捉え方によっては「生贄」でもあるが、前者の低支持率を踏まえてみれば野田氏自身にとっても千載一隅のチャンスを与えられたと言えるだろう。

 菅元総理の退陣を示唆した6月初旬のドタバタ劇から2ヵ月を経て、漸く実現した総理退陣であったが、空き菅直人の我儘に呆れ果てながらも付き合って来た与野党なだけに、野田氏の「ノーサイド」発言には心中を察するものがある。

 嘗て菅元総理の口からも同じ「ノーサイド」が聞かれたが、火に油を注ぐ結果となり民主存亡の危機にまで発展し政治不信は留まる事を知らず、国民から突き放された民主党。

 62人目の野田新総理誕生で名誉挽回の機運を狙うが、果たして政治の神風はこの新総理を後押しするのだろうか。

 それにしても菅総理退陣のニュースより紳助引退に飛びつくマスコミ達の反応は、視聴率稼ぎをストレートに露呈した格好であったが、それだけ政治への関心度が低い事の裏付けとなってしまったのは些か憂慮すべき事ではある。

然しながら、かく言う筆者も退陣そっちのけで紳助引退に力を注いでしまい、マスコミ批判をする立場にない事は重々承知の上であるが、読者優先で記事を書いている事をご理解頂ければと思う。

 野田新体制を待ち受ける数々の課題をどう手際よく処理して行けるか、その手腕が試されるところであるが、やはり東日本大震災からの速やかな復興や、福島第一原発事故の収束に向けたエネルギー政策の見直しなどがその中心となるであろう。

 復興費用捻出の為には増税もやむを得ない状況で、それを国民や野党をどのように説き伏せて行けるか、失った求心力の挽回や、国難を乗り切るだけの指導力を問われるのは必然であるが、野田新総理がこれまでの日本の総理のように使い捨て総理と同じ道を歩まない事を願うばかりである。

PS:どじょう政治の泥臭さは兎も角、今最も深刻なのは土壌汚染。こちらの対応もしっかり念頭に置いて頂きたい。