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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-山口組

 結論から言ってしまえば暴力団は必要悪である。彼らを肯定するつもりは更々ないにしても、長きに亘り国や民間の間で暴力団を世の中から排除しようと懸命の努力が続けられて来たが、その活動虚しく社会から彼らの姿が消えた事実はない。

 その排除運動によって、解体された組織暴力団が多少なりともあるが、彼らは解体後も分裂を繰り返し新たな組織として再生する。

 何故、彼らは社会から消え去らないのか。それは彼ら暴力団を必要としている人間が少なからず存在するからである。

 例えば、政治家や警察が彼らを都合よく利用している実態がある。自分の手を汚さず何らかのトラブルを解決する時に重宝するのが暴力団。警察が事件解決に向け利用する情報屋も同類で、暗黙の了解の下で黒いビジネスとして取引が交わされるのである。

 23日深夜、突然の芸能界引退表明をした島田紳助氏のニュースが流れ、その理由が暴力団関係者との親密な関係と聞いた時、果たして引退するほどの事なのかと疑問を抱いた。

 芸能人の中には麻薬や覚せい剤に手に染め、前科を背負った者もいるがその後一定の期間を置いて芸能界に復帰し現在も活躍している人もいる。

 それを基点として今回の引退を捉えて見るならば、引退ではなく一年或いは二年の芸能活動休止でもよかったのではないかと思う。

 紳助氏の性格から言って、自分の中に疾しい事や隠し事、人に知られてはならない部分を抱えたまま、芸能活動を続ける事は自分が置かれている立場、特に人気実力を兼ね備え社会に対し影響力を持つ人間が何食わぬ顔で正義感を振り回す事に耐えられないと言った自分との葛藤があったのかも知れない。

 芸能界と暴力団の結び付きを紐解くとその歴史は古く、芸能が一般社会に娯楽として定着した江戸時代にまで遡る事が出来る。

 大よその見当はつくと思うが、ある旅芸人の興行が行われる時、先ず初めに座長が挨拶に向かう先はその町や村を取り仕切っている博徒(やくざの親分)の所である。興行をさせてもらう代わりに興行収益の一部を支払うという仕組みだ。もちろん客同士のトラブルなどで興行が邪魔されるような事があればその解決もやくざが請け負っている。

 時が流れ現代社会になってもその根底は変わっていない。わたしたち一般人の最も近くに存在するのが消費者金融(闇金融)などの借金取り立て時に大抵現れる強面のお兄さん達や『ダフ屋』である。

ある人気歌手などのコンサート会場の近くで「チケットあるよ」と野太い声を上げてチケットを売っている怪しげな人物を一度位は見かけた事があるのではないだろうか。

 エリッククラプトンのコンサートを観に行った時、友人のチケットが事前に手に入らず『ダフ屋』から購入した経験がある。そのチケット代金は当然ながら暴力団の資金源になっている。

 インターネットが普及した現代では、そのチケット等の転売が一般人でも手軽に行えるようになったネットオークションだが、売り手と買い手との間でトラブルが続出するなど、社会問題にまで発展しており、内容によっては暴力団よりたちの悪い素人が増えているのも困りものだ。

 芸能界と暴力団について古い話で恐縮だが、わたしの父が府中刑務所に服役中(19661968年頃)に知り合った暴力団幹部たちの間では芸能界についての話題が多かったと言う。

 娯楽の殆ど無い塀の中なので、一つの楽しみとして自分たちの経験や自慢話に花が咲いたようである。力道山を刺殺した村田勝志もその中の一人であるが、ある山口組の幹部は当時人気の高かった歌手の『園まり』と親しい関係にあり彼女のボディガードを務めた事があったと言う。そしてまた『こまどり姉妹』や『ザ・ピーナツ』との関係もよく話題に上ったらしい。

 父の弟であるわたしの叔父は司会業を生業としていた時期があり、各地のキャバレーやクラブで行われるショーで暴力団関係者をよく見かけたと言う。

 ある大物演歌歌手のディナーショーが開かれた時、歌が終わると同時にある男がその歌手に花束をプレゼントした。その時に握手を交わしつつ歌手がその男に小さな紙包みを渡したのだが、なんとその中身は500gの金塊だったと言う。

 後で分った事なのだが、その演歌歌手がレコードデビューした際にお世話になったのが、稲川会系の暴力団幹部だったらしい。

 暴力団について話をすると限がないのでこの辺で止めておくが、暴力団と関係のある芸能人は島田紳助氏だけではないのは確かであり、本人は気付いていなくとも、マネージャーや所属事務所などが関係を持っていたりする事もある。中には父親が暴力団、親戚に暴力団の人がいるといった芸能人もいるだろう。

 芸能界はある意味において自己申告の部分もあるので、紳助氏の引退会見に冷や汗をかいている芸能人がどれだけいることかとそちらの方が気になってしまう。

そう言えば子どもの頃によくお小遣いをくれた人斬り慎二の親分はまだ生きているのだろうか。もし達者であるならば是非お会いしたい。父の遺骨を拾ってくれたのもその親分だったから。

 

プールサイドの人魚姫-天竜

 

 
 
 

小舟 ゆらゆら

揺りかご ゆれる

寝た子 起こすな

船頭さんよ

一つ二つは 酔いけれど

三つ みなもに

陽が沈む

暴れ天竜

この川 越えて

母さま 待つ里

恋しや 我が子

寄せては 返す

船頭さんの

舵取る 手に降る

波しぶき

 


プールサイドの人魚姫-天竜川

早朝から懸命の捜索活動が続く天竜川、転覆事故発生から2日経った今でも行方不明者は発見されておらず、現場には張り詰めた重苦しい空気が川の流れに沿って漂っている。

涼とスリルを同時に味わえる夏の風物詩『川下り』、夏場ともなれば多くの観光客で賑わう山と緑の合間を縫う様に走る天竜川が、死者2名、行方不明者3名を出す悲劇の舞台になってしまうとは…。

転覆の原因について、船を運航する天竜浜名湖鉄道の会見や「第11天竜丸」に乗船していた船頭からの証言などで「船が渦に巻き込まれて岩壁に衝突した」公算が大きくなり、操船ミスの疑いも浮上している。

転覆した船を乱気流に巻き込まれた航空機に例えてみればより解り易いのではないだろうか。渦によって舵を取られ、バランスを失った船は木の葉の如く川の底に吸い込まれて行った…。

このニュース映像を見た時、その風景に身に覚えがあり、それと同時に実に懐かしい情景が浮かび上がって来たので、もしやと思い磐田の友人に電話して転覆事故現場の事を告げると、思った通りの答えが返って来たのである。

事故現場の直ぐ上の山には、わたしが中学時代3年間に渡り療養生活を送った国立療養所・天竜荘(現天竜病院)と天竜養護学校(天竜特殊支援学校)がある。

 写真の左側に見えるのが、養護学校のある浜北と天竜市二俣町を結ぶ「鹿島橋」。看護婦のEさんに付き添って貰いながらこの橋を渡り、二俣町へ買い物に行った事を思い出した。

 友人と事故原因や救命胴衣などについて語り合い「浅瀬に乗り上げた」、「ライフジャケットは日常的に着用していない」等の意見が出たが、20代後半の頃、鬼怒川ライン下りを愉しんだ事があり、その時に救命胴衣などは手の届く所にあったものの、それについて係員から何の説明も受けなかった事を覚えている。

 天竜川はいつも天竜荘の山の上から見下ろすばかりだったが、一度だけ同級生のK君から「投網」に行くと誘われて小舟に乗り天竜川に繰り出した事がある。

 10代の頃、天竜川の支流の一つ「阿多古川」の上流で川遊びに勤しんだ事もあるが、その時も小学生と思われる少年が救急車で運ばれて行った。

 天竜川とは比較にならないほど小さな川であっても、危険は至るところに潜んでいるもの。泳げないわたしから見れば水ほど怖いものはないし、足の着かないほど深い所などへはとても行けない。

 スリルを愉しむために安全が犠牲になるような事だけは避けなければならず、「第11天竜丸」の操舵を任されていた船頭が、経験の浅い初心者だった事も事故の原因に繋がっているのではないだろうか。

 救命用クッションが全く活かされなかった事や、刻々とその姿を変幻自在に変える自然に対し、人間の奢りがあったと言ってしまえばそれまでだが、自然を一生の課題として捉え、今後このような悲劇が繰り返される事のないよう、関係者は細心の注意を持って自然に臨んで頂きたいものである。

 亡くなった方のご冥福を祈るとともに、いまだ発見されていない3人が可能性として僅かでも残っているのなら、生きて救助される事を願うばかりだ。


プールサイドの人魚姫-松田


 なでしこジャパンの国民栄誉賞が決定したその一方で、一人のアスリートがこの世から消えた。サッカー元日本代表の松田直樹選手(34)の訃報は余りにも唐突過ぎて、ファンや関係者のみならず誰もが耳を疑ったが、逐次届く情報に言葉を失いその場に茫然と立ち尽くす事しか出来なかった。

 その死因がどうであれ、納得の行く説明と適切な処置が施された内容であれば諦めもつくが、急性心筋梗塞により死亡という見解は医師の判断を疑う訳ではないにしても、一抹の疑問を拭い切れないのは確かである。

 松田選手は一般人と違いプロのスポーツ選手である。ボールを追い走り回る事が仕事であるといってもよいだろう。鍛え抜かれた肉体に「病気」の言葉は全く似合わず縁がないものと思われていたが、よりによって心肺停止と言う信じ難い状況に陥り、治療の甲斐も虚しく彼の心臓は再び鼓動を始める事はなかった。

 30代での心筋梗塞は非常に珍しいケースではあるが、食の欧米化が進む現代に於いては10~20代でも血管に動脈硬化の要因になる「プラーク」が出来始める事が多い。プラークとは、血管壁の中にコレステロールなどが入り込んで膨れたもの。

 この膨れた部分が次第に大きくなるにつれて血管が狭くなる。つまり動脈硬化が進み、やがてそれが原因となって心筋梗塞に至るというもの。

 想像の域を超えないが、おそらく松田選手もこのプラークが引き金になって心筋梗塞を引き起こしたものと思われる。

 心臓病歴40年以上、数年前に不安定狭心症で緊急入院し一命を取り留めた経験があるわたしだからこそ、心筋梗塞の恐ろしさを実感出来るのだが、もし松本山雅FCの練習場にAED(自動対外式除細動器)が設置してあったならば彼は助かっていたかも知れない。それが悔やまれて仕方がないのである。

 2002年のワールドカップ日韓大会などで大活躍し、「フラット3」の一角として全試合にフル出場。日本最高のDFとして世界のフットボール界に名を馳せた彼であったが、1995年~2010年まで横浜F・マリノスに所属した後、2011年からは松本山雅FCに新天地を求め、第二のサッカー人生をスタートさせたばかりであった。

 志半ばでの急逝で、一番驚き戸惑っているのは彼自身ではないだろうか。おそらく彼の魂は今も倒れた練習場にあって、仲間たちに声を掛けながらボールを追い掛けているに違いない。

 松田選手のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、彼の死を無駄にしない為にも選手たちの健康管理の徹底、医療機器の設置などに着手して頂きたい。


※一部記事に不適切な内容の部分があった事をお詫び致します。


 

プールサイドの人魚姫-都会

 

 
 
 

息苦しい平和の匂いが

蔓延する中

多くの欲望を

埋没させて

いたるところに

巨大な墓石が峙つ

 

 

 

範疇を失くした魂が

足元から

熱い風に吹き上げられ

やがて飛びあぐねると

乾きだけが

蓄積されていく

 

 

 


プールサイドの人魚姫-高速鉄道

 日本の新幹線をそっくりそのまま外観だけをコピーしたような高速鉄道の追突事故は、加速する経済にブレーキを掛けられない中国事情をまざまざと見せつけてくれた。

 事故発生当初は落雷による天災を強調していた鉄道局の言い分は、その後大きく修正される事となり、信号設備の欠陥とその問題点を発見出来なかった事が重大事故を引き起こす要因となった事から、天災ではなく人災である事が事実上明らかになった。

 この事故での死亡者は現時点で40人とされているが、この数字についても事故原因と同様に民衆から疑問の声が上がっており、今後の調査によっては新たな展開を生む可能性は高い。

 中国の隠蔽体質は今更と言った感ではあるが、それを余りにも露骨なやり方で晒してしまう所が如何にも中国らしいと言えば納得も出来る。

 生存者の確認もそこそこに切り上げて、その場に穴を掘り車両を埋めてしまうなどという蛮行を一体誰が指示したのだろうか。事故から一日半足らずで鉄道の運転再開など、しかもその列車は満員だったというが、それも『サクラ』だという憶測も飛び交っており、日本では考えられない事故対応に疑問を通り越して怒りさえ覚えてしまうのである。

この高速鉄道にはドイツと日本の川崎重工が技術供与しているようであるが、どんなに優れた技術でもそれを動かす人間が不完全では、折角の高い技術力は活かされない。

ドイツに於いては運転手の訓練に最低3カ月を要しているが、中国ではなんと10日間でマスターさせているという。とてもじゃないが、そんな素人と変わらない人間が運転する列車には到底乗る気はしない。

 中国の国家プロジェクトである鉄道網を一手に担う鉄道省の在り方に、民衆からの不満が一気に噴出している状況を踏まえ、事故発生から数日経った28日、温家宝首相が事故現場を訪れたが、その場に立ち尽くす姿から苦渋の表情が伺えた。

小刻みに震える唇を重く開き、事故に対する徹底解明と責任者への厳重な処罰を遺族や犠牲者に約束していたが、この鉄道事故が中国に齎した影響は計り知れない。

然し、犠牲者の死を無駄にしないためにも、これを契機に民衆を力で抑え込んで来た中国の暴走にブレーキが掛り、人民による人民の為の開かれた国へと生まれ代わる機会になってくれると良いのだが…。


プールサイドの人魚姫-ノルウェー

 ビートルズの曲や村上春樹の小説でも知られているノルウェーの森を一夜にして血に染めた、爆弾テロ・銃乱射事件から数日が経ち、逮捕されたアンネシュ・ブレイビク容疑者の審理が地元の裁判所でまもなく行われる。

 ノルウェーの首都オスロ中心部での爆破と近郊にあるウトヤ島の銃乱射で、90人以上の死傷者を出した北欧テロはノルウェー史上最悪の惨事となった。

 この一報を耳にした時、イスラム過激派の犯行を連想した人が殆どだったのではないだろうか。わたしもその一人であるが、それとは別に北欧という意味でIRA(アイルランド共和軍)を思い起こした。

 犯行の全貌が明るみになるに連れ依然として憶測の域を出ないものの、アンネシュ・ブレイビク容疑者による単独犯行の公算が大きい。

 一部では共犯者が複数存在する可能性も捨て切れていないが、目撃情報などや彼自身のWebサイトから見つかった「2083 欧州独立宣言」と題された1500ページに及ぶ文書や簡易投稿サイト、ツイッターで「信念を持つ一人の人間の力は口先だけの10万人の力に匹敵する」など、犯行の動機に繋がる書き込みなどの証拠が次々と表面化している。

 平和の国というイメージが定着している北欧で、一人の青年を狂気に駆り立てたその背景には、極右勢力が台頭する欧州独特の問題点が浮き彫りになっているのも事実だろう。

 NATOへの加盟とアフガニスタン派兵、爆撃を伴う軍事介入への参加表明、内戦状態のリビアに対する空爆などといった、普段わたしたちの知らないノルウェーのもう一つの顔が今回のテロと決して無縁ではない事を物語っているような気がしてならない。

 原発事故発生以後の日本はとても平和な国とは言い難が、2008年6月8日に起きた「秋葉原通り魔事件」とこの銃乱射テロに共通点を見出すのは些か強引な気もするが、社会、文化、宗教などの差異はあるにしても、自己陶酔、自己完結、自己破壊など自己顕示欲が最も強い人間性による人格障害の範疇を出ていないのである。

 捜査、審理が今後一層進み、事件の全貌解明は時間の問題であるだろうが、これを悩める欧州の一握りの問題として片付けてしまうのではなく、世界共通の問題点として広い視野の下で知恵の結集を持って臨んで頂きたと思う。


プールサイドの人魚姫-魁皇

 なでしこJAPAN優勝で沸き返るその陰で、歴代最多の通算1047勝を土産にして一人の力士がその道に終止符を打った。

 年齢・体力から言っても、いつ引退しても不思議ではなかったが、元横綱・千代の富士の持つ大記録を目前にして意地があったのであろう。

 大関・魁皇は、その恵まれた身体と相撲界切っての怪力を持ってすれば、横綱になる素質は十分備えていたが、ここ一番という時にその身体に似合わぬ優しさが邪魔をするのか、いま一歩鬼神になり切れず涙を呑む事が多かったように思う。

 外国人力士が台等する相撲界の中で、日本人力士の大関としてその位置を維持する彼の孤独な闘いは、これからの相撲界を背負って行くであろう若い力士たちの手本であった。

 おそらく身も心も傷だらけの中で、『俺を見ろ』と言わんばかりの取り組みで日本人力士にエールを送っていたのだ。

 人は燃え尽きる瞬間が一番美しく輝いている。その燃えカスさえ残さず土俵を背にする魁皇の姿に観客も含め多くの力士たちが心の中で手を合わせたに違いない。

 引退後は年寄「浅香山」として後輩たちの指導にあたるが、第二第三の魁皇を育てあげて貰いたいものである。

 大関の地位に甘んじて来たことに後悔がなかったかと言えば、それは彼の真意を射ていないだろう。力士の誰もがそうであるように、可能性の追求こそが精進であり目標を一段ずつ登りつめて行った先に結果としての横綱が待ち構えている。

 途方もなく長い階段を登るのと同じように人生もまたこの階段なのである。荒みきった相撲界に金字塔を立てた魁皇もまた金メダリストなのかも知れない。


プールサイドの人魚姫-なでしこ

『神は乗り越えられる試練しか与えない』という言葉通りの試合内容だったが、まさかPK戦で勝敗が決まると一体誰が予想出来ただろうか。

 猛暑の続く日本とは正反対のような、少し肌寒いドイツ、フランクフルトで幕を開けた女子ワールドカップ。約5万人の大観衆がひしめく会場の雰囲気に臆する事もなく、なでしこジャパンの快進撃は始まった。

 ヨーロッパ勢が群雄割拠するサッカーにおいて、アジア勢がそこに名を連ねる事は男子サッカーでも至難の業であり、ましてや世界の頂点に立つ事など『夢のまた夢』であると思っていた。しかし、それを現実のものに変えてしまった日本女性たち。

 前回の覇者であるドイツを準々決勝で下し、勢いに乗ったチームは準決勝で強豪のスウェーデンを撃破。メダルが確定した時点で充分過ぎる活躍と成績を残していたから、決勝でアメリカに敗れても悔いはないだろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。

 ボール一つを奪い合うサッカーは危険なスポーツの代表でもあり、身体と身体が交差しぶつかり合う様は格闘技と言ってもよいほどだ。

 体格だけを取ってみれば、ふたまわりも上の白人選手の方に分はあるが、それを上回るコンパクトなドリブルとパスの連続はボクシングに例えてみれば『ジャブ』そのものである。「ジャブを制する者に世界は見える」と言われるように、なでしこJAPANをここまで成長させて来たものは、サッカーの基本に忠実であったからだろう。

 基本の積み重ねこそがスポーツの原点であり、世界に最も近い場所である。類まれな動物的直観と最後まで勝負に拘る信念を持ち合わせていた彼女たちだから達成出来た世界一。

 試合開始直後からアメリカの執拗な猛攻を耐え忍び、そして掴んだチャンスは絶対ものにするという貪欲なまでの勝負勘には脱帽するばかりだ。

 1対1で迎えた延長前半で、ワンバック選手の放ったヘディングシュートが日本のゴールに突き刺さった時、『万事休す』もはやこれまでと諦めてしまったファンは多かったと思う。

 しかしそれは彼女たちの劇的なドラマの始まりであった。残り時間が押し迫る後半にその瞬間はやって来た。

 キャプテン澤の同点ゴールは足の長さで上回るアメリカ選手の隙を掻い潜るように、一瞬早く放った技ありキック。この時点で勝負は付いていたように思えてならない。

 PK戦でゴールを大きく外したアメリカ選手の天を仰ぐ虚ろな表情が全てを物語っていた。世界王者のアメリカにとって、日本に負ける訳がないと言う思い上がりがあったかどうかは別にしても、負けられないアメリカと胸を借りるつもりで試合に臨んだ『なでしこジャパン』がアメリカを相手に正々堂々と実力で勝ち取ったW杯であった。


プールサイドの人魚姫-一人相撲

 単なる思い付きの発言が次々と飛び出し、政界のみならず産業界までも混乱の渦に巻き込む菅総理の脱原発宣言であるが、「脱・菅」が先だろうと周囲の反応は冷やかである。

 明確なビジョンと未来の展望すらまともに示せない人間が、声を荒げて原発依存からの脱却を唱えたところで、その声に耳を熱心に傾ける人がどれほどいるだろうか。

 国内のほぼ全ての原発が停止している現在においては、それに取って代わる新しいエネルギーの構築は急務であるが、震災後に於ける日本再生のキーマンとなるべきリーダーの不在は、日本の将来に混迷という暗い影を落としている。

 現実味に欠けるその場限りの無責任な総理の発言は、路線修正の滑車になるどころか、再生に向けて走り出した車に急ブレーキを掛けているようなものであり、潤滑油の役目すら果たせない政治家たちの紛糾は秩序を無くした亡国そのものである。

 国の根幹である筈の「エネルギー政策」を巡り、与野党入り乱れて紆余曲折する様は狐と狸の騙し合いを見ているようで、寂寥感さえ抱いてしまう。

 被災地にはいまだ8万人を超える避難民が肩を寄せ合い、復興への道を待ちわびているとうのに、その道筋を照らす希望の灯りさえ示せずにいる。彼らは何も理不尽な要求を訴えている訳ではない。人として当たり前な生き方を望んでいるだけである。

 国を司る政党が何であれ、トップの顔がどう変わろうとそんな事は関係なく、日本を健全でより良い国に導いてくれる明敏なリーダーであれば、それがたとえ異国の人間であっても受け入れるだろう。

 疲弊し五里霧中の真っただ中にある日本に新鮮なエネルギーを注入し、復興の足掛かりを探し出す事こそが政治家たちに求められているものである。

 菅さんの一人相撲もその辺で打ち止めにしてもらい、一億一心の気構えでこの難局を乗り切って行かなければ未来への息吹が聞こえて来ることはない。