指と指を絡ませて
足取り軽くステップ踏むの
あなたは わたしを
わたしは あなたを
抱き寄せたなら
もう 離れない
もう 離さない
そんな二人のステップは
いつしか恋のリズムに
乗り遅れ
気が付けば一人戸惑う
失恋ダンス
先にお伝えした通り『紀伊國屋書店・常備陳列』とほぼ同時期に、詩集・天国の地図の電子書籍化が進行しており、常備陳列より約二ヶ月ほどの準備期間を持って2013年5月より電子書籍販売開始となった事をお知らせ致します。
これも一重に皆様方の暖かいご支援のもとで実現したものであり、詩集出版から8年の歳月を経ても尚、詩集としての礎を保ち続けてこられた事も皆様方のお陰と心より感謝致します。
電子書籍は単行本と比べ価格的にも購入し易い金額(税込900円)となっておりますので、いまだ詩集を手に取ってご覧になっていない方は是非ともこの機会に購入して頂ければ幸いに存じます。
そして、電子版では満足出来なかった時には紙媒体での購入を検討して頂ければ甚だ嬉しく思います。
詩集購入に際して、その指標となるよう書評を列記しておきますので、参考にして頂ければと思います。(出版元の文芸社の書評ではなく碧天舎の内容と致しました。)
※電子書籍販売サイトは以下の6店舗となっております。
*まっすぐ心に響くような、率直な言葉で綴られた詩集だと感じました。奇をてらった小細工がなく、自分の胸のうちと真摯に向かい合った印象を受けます。「手術台に上がれば」は初めて書いた詩とのことですが、この一作に著者の個性が象徴的に描かれていると感じます。日常と遮断された手術台のうえで、もしかすると二度と目覚めないかもしれない恐怖を、冷静に見つめた秀作です。この詩集を通し、著者の客観的な目線を強く感じますが、それは悲しみの淵から人生を眺めるような静けさに似ている気がします。
*美しい日本語の魅力が伝わる作品です。言葉に透明感があり、心に染みるような作品です。強い感情を抑えて、静かに語るフレーズの美しさに心が奪われます。「自然よ」の「赤子が泣き止んだ後のような静寂」、「自然よ~おまえのようには寛大になれない」など、ずしりと心に残る表現、「優しさ」の「子供を寝かしつけるような優しさ」といった、表現の例えが絶妙に上手く、言葉の持つ力強さを改めて実感することができました。また、「本能」での具体性と率直さ、非常にシンプルな情景を切り取って見せる感性の豊かさなど、詩の魅力を存分に伝えています。ぜひ世に残したい一冊だと感じます。
*お父さんの死を描いた作品が、特に印象に残りました。「私が帰った時」の再会した父の亡骸の感触で、その人生を語ってしまうセンスに驚きます。悲しみが、温度を無くした体の感触を通して再現されています。同じく「父の死んだその日」も、父の体の状態を通じて著者の心情が描写され、一層の実感をもって読み手に伝わってきます。非常に個性があり、言葉のセンスが豊かな作品です。力のある作品だと思います。
*生とは、常に死と背中合わせであることを感じる作品です。生と死の境界線を垣間見たような、今ある現実から足を踏み外しそうなあやうさと同時に、その一瞬の儚さを切り取って描いたようなイメージをもちました。それだけに、生命の美しさが際立ち、何気ない日常の営みの力強さ、その尊さを感じさせる作品です。そんな繊細な情景を、非常に骨太な言葉で表現しているため、弱い脆さは一切感じさせず、力強い目線によって現実を見据え、人生を悟ったような読後感を味わうことができます。作者の詩の才気を感じます。
脳梗塞で救急搬送された時、愛猫である「タラ」の事を考える余裕など全くなかった。病室に移され病気の経過報告などを聞き、九死に一生を得た安堵感で緊張の連続だった表情に漸く笑みが戻った時、初めて家に残して来た「タラ」の事が脳裏を過った。
今回だけでなく、過去に数回入院の事態に陥った時、知り合いに預かって貰った事もあったが、そう何度も頼めるものではない事を薄々感じ取ってはいた。心不全になり掛けていた時、猫がいる事を理由に入院を自ら断った事もあった。
「猫と自分の身体をとどちらが大切ですか?」と、主治医からお叱りの言葉を頂いた事もあったが、「自分の身体が一番です」と即答する事は出来なかった。
わたしにとってみれば「タラ」は家族も同然である。それはおしなべて猫や犬や鳥などの動物と一緒に暮らしている者であれば納得頂ける筈である。
とは言うものの、脳梗塞と言う一刻一秒を争う緊急事態が発生した時は、理屈抜きで我が身の事が最優先される。二日三日家を留守にしたところで、インコなどと違い猫はそう簡単にくたばるものではないだろう。
猫と二人暮らしだった状況で、いざと言う時に頼れる者が近くに居てくれると心強いものである。幸いわたしには東洋大学に通う娘がいたので、落ち着いた頃に娘にメールをし、「タラ」の面倒を見てくれるよう依頼した。
たまたま娘が通う大学は都営三田線の白山にあったので、学校の帰りにわたしの住む西台(同じ沿線)に寄って餌と水とトイレの世話をして貰う事になった。最初の数日はそれでよかったのであるが、娘は「タラ」を自分のアパートに連れて行く事を思い付き実行しようとしたのであるが、ペット用のバッグに「タラ」を入れて運ぼうとした時、流石に住み慣れた家を出る事に不安を抱いた「タラ」が余りにも鳴いて訴えたため、娘はそれを断念し、途方に暮れながら「連れて行けない…どうしよう」と母親に涙ながらに電話で訴えたそうである。
タラがわたしと住むようになったのはわたしが離婚した5年前の事。本来であればタラも前妻や子どもたちと一緒に新潟へ行く手筈だったのだが、どうしても猫を飼えない理由があったため、わたしが引き取る事になった次第である。
そしていよいよ業を煮やした前妻の登場と相成ったわけであるが、元々タラは前妻に最も懐いており、4人家族で暮していた頃は前妻にべったりで、拾い主であるわたしはいつも無視されていた。
前妻が自分の母親を説得し、タラを引き取る承諾を得る事が出来、わたしも内心ホッとしていた部分もあった。
現在は元妻のもとでヌクヌクと何不自由なく愛情を惜しげもなく受けて幸せに暮らしているようだ。
然し、退院して自宅に戻ると、いる筈のタラがいない事を痛切に実感した。鳴き声を聞くことも出来ず、抱きしめて頬ずりする事ももう出来ないのである。僅か一匹の猫がいなくなっただけで寂寞とした思いに駆られ、それに慣れるまで相当時間が必要だったのは確かであった。
タラがいなくなったからと言って、もうペットの話題に触れないと言う訳ではない。約8年間のタラとの思い出は数多くあり、これからも折をみて記事にして行きたいと思う次第である。
今年三度目の救急搬送。救急車を呼ぶ事にもう躊躇いはなかった。1月5日脳梗塞、2月5日心不全、そして4月28日またもや心不全。奇しくもこの日は25年前に僧帽弁置換術を施行した日でもあった。
GWのさ中でもあり、到着した三井記念病院の救急センターはいつもより運び込まれる患者が少なく閑散としていた。通常であれば2,3人の若い研修医が待ち受けている筈だったが、その研修医たちはは18時で早々に切り上げてしまったようだ。
急患の連絡を聞き駆け付けた当直の医師がわたしの顔を見るなり話掛けて来た。「あら、神戸さんお久しぶりね、わたしの事覚えてる?」「覚えてますよー、忘れる筈がないです」とお互いに笑顔で挨拶代わりの会話を交わした。
4年前になるだろうか…、やはり同じく救急外来に心不全で駆け込んだ時の担当医がこのY女医であった。いつものように左腕にラインを取りながら彼女は呟いた。
「研修医たちは?」看護師の一人が応える「18時で帰りましたよ」「あっそう…GWだからね」全て一人で対応しなければならない事に苛立ちを見せながら、右手首の動脈から採血を始める。
救急隊員から症状の報告を聞きつつ、手馴れた手付きで電子カルテの内容をチェックしていた。血液検査の結果が届くと、今の状態を詳しく話してくれた。「ワーファリンが過剰に効きすぎて、いつ何処から出血してもおかしくないです…」この言葉の意味を瞬時にわたしは重く受け止めた。脳裏を過ぎったのは「脳内出血」だった。
本来であれば前回と同様にバルーンを尿道に挿入するところであるが、管が尿道を傷付けて出血する可能性が高い事から今回は見合わせる事となったが、わたしとしてはその辛さを知っていたのでほっと胸をなで下ろした。
然し、今回このタイミングでの緊急入院も脳梗塞の時と同様に、何処か神懸かり的な部分を含んでいるような気がしてならない。つまり、担当医が言った「どこから出血してもおかしくない状態」と言うのは、脳内出血のリスクがかなり高まっていた事を示唆してるからだ。
19歳の時、静岡市立病院で弁形成術を受けたが、その時に不思議な話を聞いて驚いた事がある。わたしの父はその一年前に亡くなっていたのだが、わたしが手術のため入院した時に、親戚の伯母の枕元に父が現れ、伯母にこう告げたと言う「俊樹が心臓の手術で入院しているから見舞いに行ってやってくれ…」。それは一週間続いたと言う。
伯母は余りにもしつこいので父に向かってこう言った「あんまりしつこいと行ってやらないよ」。次の日から父の姿は見えなくなったと言う。
わたしのところには一度も現れる事はなかった父であるが、この広い空の何処かで今でも見守ってくれているような気がしてならない。
CCUに二日、循環器専門病棟に1日、そして今回は4年前にお世話になった17階の一般病棟へ。迎えてくれた看護師さんたち、循環器病棟でもそうであったが笑顔で話し掛けて来てくれた。
「神戸さん以前にも入院してますよね…」「はい、また戻って来ました」新人ナース以外は殆ど顔見知りなので会話もスムーズである。
さて、医療にある程度詳しい人であれば、この胸部レントゲン写真を見てその異常な心臓を容易く見抜く事が出来ると思う。右側が5月9日、左側が28日の入院時に撮影したもの。心臓が大きく肥大している事が良くお分かり頂けるだろうか。
「神戸さんの心臓は至る所が悪くて血液の逆流も起こりかなり疲弊しています」「今回は利尿剤を増やさず食事療法と新たな薬(メインテート)の投与でここまで回復しました」。確かにそうだった。外来ではワーファリンの効果を下げる為に「ビタミンK」を点滴したほどであるが、前回の時のように「ワソラン」「ラシックス」と言った心不全治療に於ける定番の薬は一切使用しなかった。
ヘパリンの点滴はワーファリンの効果が安定するまで続いたが、それも早めに終わった。入院二日目から食事が出たのであるが、その内容に戸惑ってしまった。それもその筈でいつもの心臓食ではなく「腎不全食」だったからである。
心臓食よりも更に制限の厳しい腎不全食は、カロリー1600、塩分6グラム、それに加えて蛋白制限がある。病院で出された食事は蛋白40グラム。
中学1年の時に食べた腎臓食以来であり、最初は何かの間違いかと思ったほどであるが、心臓と腎臓は密接な関係にあり、長い期間に渡り利尿剤のラシックスを服用して来た為に腎臓にかなり負担を掛けてしまっている。
腎臓は一度悪くなってしまうともう後戻り出来ないほどデリケートな臓器である。心臓は以外とタフであり人間の臓器の中では最も丈夫に出来ている。腎臓をこれ異常悪化させない為に必要な事は負担をなるべく減らす事を心がけるしかないが、それは食事内容に大きく左右されるため、重要なポイントである。
病気の為にわたしはこれまで多くのものを諦めて来た。然しその諦めた分それ以上のものを手に入れる事が出来たのも事実である。健康は手に入らないが健康である事の素晴らしさを知る事が出来たし、病気を通して様々な人たちと出会い触れ合う事も出来た。
心臓病になっていなければ詩集を出版する事もなかったし、詩を書く事もしていなかっただろう。失ったものは確かに途方もなく大きいけれども、わたしは希望の光を常に絶やさず前を向いて歩く事を病気から教えて貰った気がしている。
常に感謝の気持ちを忘れず直向きに生きて行こうと思っている。皆さん、これからもこのわたしをよろしくお願い致します。
冬から春へと装いを変えた爽やかな風を縫って多くのアスリートたちがゴールを目指していた。気温14℃、雲一つ見当たらない晴天、走るには絶好のマラソン日和だった。
マラソンを愛する者であれば、一度は走ってみたいと思うほど、このボストン・マラソンは数ある大会の中で最も歴史の古いマラソン大会である。が然し誰もが参加出来る訳ではなく、過去のレース記録によるハードルが年齢枠ごとに高く定められており、良い記録を出さなければ参加出来ないと言う、ランナー泣かせでも有名である。
4月15日の月曜日、世界各国から約2万7千人がエントリーすると言う過去に類を見ないほどの大規模な設定の中で大会は幕を開けた。その輝くゴールに悪魔の手先が風に紛れて待ち構えている事も知らずに…。
事件が発生したのは大会がスタートしてから6時間後の午後3時過ぎの事だった。ゴール直前の観客席が設定されている歩道のゴミ箱で1回目の爆発、オレンジ色の火柱と共に爆発音が会場を揺るがし、白煙が高々と舞い上がって行く。
そしてその約10数秒後に2回目の爆発。それはランナーから見れば、ゴールより少し手前の別の場所であった。
ゴールを目前にし、笑顔を浮かべる者、手を高々と宙に向けながら、完走の喜びをを全身で表している者。それを拍手と歓声で迎えいれる観衆たち、走者と観衆が一体となって大会の喜びに浸っている矢先の事であった。
飛び交う怒号そして悲鳴…瞬時にして会場は戦場の如く修羅場と化して行った。この爆破事件を知ったオバマ大統領は「複数の爆発物によるテロ行為」と言明。
死者3名、負傷者約180名に及ぶ大惨事となったこの連続爆破テロ事件により、アメリカ全土が大きく震撼した事は言うまでもない。
死亡した3人のうちの1人は、家族5人でこのマラソン観戦を楽しんでいた僅か8歳の無垢な少年であり、家族のショックも然ることながら悲しみに暮れるアメリカ市民に与えた影響は計り知れない。
事件発生当初は情報が錯綜し、勢い余ったマスコミが「容疑者を逮捕」などと一旦報道するも、FBIが「そのような事実はない」と否定する場面などもあり情報と捜査が混乱を極めていたが発生から数日経った現時点では爆発に使われていた火薬や材料なども明確になって来ている。
然し、その内容を知る限り余りにもわたしたちの生活に身近なものだっただけに更にショックは隠し切れない。
犯行に使用されたのは圧力鍋であり、更に殺傷能力を高める為の材料として、釘、BB弾、ボールベアリングなどの金属片だった。そしてまたその爆弾の製造方法が国際テロ組織「アルカイダ」関連のウェブサイトで紹介されており、作ろうと思えば相手を選ばないと言う実に空恐ろしい状況まで見えて来ているが、裏を返せば誰もがテロリストになり得る事を証明したようなものである。
このような爆発テロ事件が起こる度に、わたしたちはイスラム過激派などと結びつけてしまいがちであるが、それは早計だと今回の事件は教えてくれているような気がしてならない。
この事件の背後関係などを調査してみても今のところ犯行声明も出ていないし、爆薬の質や量などから察するに背後に組織的テログループの存在は見当たらない事から、個人及び少数の人間が関与しているのではないかと思われる。
テロの定義はなんだ?と訊かれてても、わたしには即座にそれに見合う応えが出て来ない。わたしから見れば、「秋葉原無差別連続殺傷事件」もまた「テロ」と同類だと思えて来るのである。つまり日常の中に潜む狂気こそ最も危険極まりないテロだとも考えられるからだ。
ターゲットや場所など、そして犠牲者の数で決め付ける事は出来ないし、未遂に終わったとしても行為に及ぶまでの過程も含めてテロだとわたしは思う。
今回の事件では警備の甘さが指摘されているが、観衆も含めると100万人近い規模になる事からすれば、如何にテロ対策が困難であり、増員増強を重ねても見落としてしまうと言う「ソフトターゲット」に対する懸念が現実となって姿を現した結果なのだろう。