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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。



 [☆゚+.暑㊥お見舞申し上げます゚+.☆]´ノ∀`)ゲンキ~♪
 連日、厳しい猛暑が続いております。巷では夏休みモードに入り、避暑地でのんびり過ごしておられる方もいるのではないでしょうか。
 大衆文藝ムジカ創刊号の原稿締め切りが迫っているため、寄稿する作品が中々決まらず選定に四苦八苦しております。
 既に紹介済みの「夏休み」ですが、動画の部分を編集し直しましたので、お楽しみ頂ければと思います。
 こちらから動画が再生出来ない方は↓をクリックしてみて下さいませ。

    
             夏休み(吉田拓郎・カバー)

ギター/ヴォーカル:神戸俊樹
ギター/三好清史
パーカッション/神戸俊樹

プールサイドの人魚姫-凪


静寂が訪れた
凪の海に
一艘の小舟を出そう
その海
真ん中辺りで
わたしは
釣り糸を垂らす
君の愛を
この海に
泳がせておく事はない
竿に靡いて
君の身体から
溢れる愛を
感じとろう


プールサイドの人魚姫-夏の恋人


ひと際 かん高く

啼き急ぐ

ひねもす相手を求めて

わずか一週間の逢瀬に

すべてを捧げる

夏の恋人たちよ




 甲斐バンドのデビュー曲がこの「バス通り」だった事を、わたしは随分と後になってから知ったのであるが、セカンドシングルである「裏切りの街角」がてっきりデビュー曲だとばかり思っていた。
 1973年辺りから続々と九州は博多出身のグループが日本の音楽シーンに登場し始めたが、中でも「魔法の黄色い靴」でメジャーデビューしたチューリップの勢いは目を見張るものがあった。代表曲の「心の旅」は5ヶ月連続レコード売上1位を記録した。
 チューリップ一色と言っても良いほど、毎日「心の旅」が店、ラジオ、有線などを通じて聴こえていたほどでる。
 甲斐バンドはそんな中で約一年遅れのデビューとなった訳で、「バス通り」はチューリップの曲のようにそれ程ヒットしなかったと思う。
 甲斐よしひろ曰く、「バス通りでデビューした事で甲斐バンドが完全にフォークロック・バンド扱いになってしまった」とデビュー当時の模様を後日談として語っていた。
 甲斐バンドと言えば、日本を代表するロックバンドであるが、確かに「バス通り」だけを聴いてみると、ロック色は殆ど無く、彼の言う通りフォークロックの方により近い楽曲だろう。
 わたしは実を言うと「甲斐バンド」を余り知らなかった。では何故敢えてこの「バス通り」をカバーするに至ったかと言うと、東京で生活を始めて一年余り経った頃に出会い、付き合い始めた彼女が甲斐バンドの大ファンであったからである。
 その彼女の影響を受けて始めて「甲斐バンド」を本格的に聴くようになった次第で、洋楽・邦楽問わず音楽に詳しいわたしにしては以外だと思うかも知れない。
 そしてその彼女の最もお気に入りの曲が「バス通り」だったと言うことになるが、ただそれだけが理由でカバーした訳ではない。
 付き合い始めて3年も経った頃、彼女が突然ニューヨークに行って生活すると言い始めたのである。余りにも唐突な彼女の言葉に耳を疑ったが、大胆な発想と行動をする彼女なら「有り得ない話でもないな…」と変に納得してしまった。
 二人の仲は一体どうなるの?と疑問が沸々と湧いて来たが、わたしも一緒に行く訳にもいかず、一度決めたら後には引かない彼女の性格をよく知っていただけに、「日本とアメリカの遠距離恋愛になるな…」と一抹の不安を抱えつつ、彼女の希望を受け入れたのである。
 「神戸さん…、あたしが向こうへ行ってしまったらもうあんまり話す機会もなくなるね…」
 「日本からNYに電話したらどのくらいお金かかるんだろう…」
 「きっと、10分も話せないと思うよ」
 「………」「神戸さんの声を毎日聞いていたいから、何か歌ってテープに入れといて…」
 そして殆ど聴いた事もない「バス通り」を寝る間も惜しんで毎日聴き込み、NYへ旅立つまでに時間もあまり無かったので、まともな練習も出来ないまま「バス通り」をカバーしたのである。


プールサイドの人魚姫-アベノ

 参議院選挙2013夏の陣は、大方の予想通り自民党の圧勝で幕を閉じたが、肝心の投票率は相変わらず低く、戦後の選挙では3番目と言う有り難くない結果だった。

 国民の政治離れが加速する要因の一つが「安定しない政治力」だ。その背景に見えてくるのは、各政治家たちの統治能力の低さであるが、明治以降に始まった近代政治の中では現在が最も顕著である。

 ライバルが群雄割拠し追い付け追い越せと各人が切磋琢磨し、政治力を競い合った時代は遥か彼方に消え失せ、国民に失望感を植え付けて来たその責任は非常に重い。

 それでも、国民の半数が何かしらの期待を持って投票所へと足を運ぶのである。この国がより良くなって欲しいからこそ重き一票を投じるのだ。

 薄れゆく政治への関心を呼び戻す為、「ネット選挙」と言う新しい試みもスタートした。立候補者や政党もツイッターやフェイスブック等を利用して自身や党のアピールに余念がない様子を見ていると、政治が多少なりとも浸透し始めているのではと、新たな希望を見出す事も出来た点は評価したい。

 自民・公明の連立与党が過半数を大きく上回った事で、これまで長きに渡って続いていた「ねじれ国会」に終止符を打つ事になった訳であるが、ねじれているのは国会ばかりではなく、政治家たちの頭の中も相当ねじれており、わたしとしてはそちらの方が余ほど心配ではある。

 都議選の時と同じく大惨敗に終わった民主党は、その責任を取った積りなのか?細野幹事長が辞任すると言うお家騒動が勃発。それに追い打ちを掛けているのが菅元首相の応援問題で、勢いを全く失った政党とはこうも容易く崩れ去って行くのかと思わせるような混乱ぶりである。

 調子の良い時は何をやっても上手く行くのが人生の常であるが、調子の悪い絶不調の時こそ手綱を引き締めて理路整然と振舞うのが賢人と言うものである。

 それとは対照的に大勝の美酒に酔っている暇などないのが、与党たる自民・公明である。金魚の糞さながらに自民に寄り添う公明党だが、その役割は大きく重要である。

 自民党の暴走を抑えるのが公明党である訳で、憲法改正路線にひた走り、自衛隊を「国防軍」と位置付けし「防衛費」と称して莫大な税金を投入、安倍総理ならやりかねない事柄だけに、慎重に見守って行く必要があるだろう。

 余程のマイナス面が生じない限り、おそらく安倍政権は長期に渡って国の運営を預かる事になるだろうが然し、震災・原発事故発生から2年以上が経った今でも数多くの人びとが事故の余波に苦しみ続けている現状がある。

 アベノミクスが話題になり、その効果などを高く評価している声も聞こえて来るが、弱者を救えないアベノミクスであるならば、国民はきっちりと「ノー」を安倍総理の喉元に突き付けるだろう。

 自民党の持つ「毒」が徐々に拡がらないよう、わたしたち国民が監視官としての役割を果たして行くべきであると思う。


プールサイドの人魚姫-死体遺棄

 凶悪犯罪の低年齢化が問題視されるようになってから久しいが、10代の少年少女たちによる犯罪は後を絶たず、俄かに信じ難い耳を疑いたくなるような事件が増えて来ている。

 先日の14日、広島県呉市で起きた「16歳少女死体遺棄事件」では、県警の捜査が進むに連れて事件の真相が少しずつ明らかになって来てはいるものの、依然として不可解な点が多く謎に包まれた部分が事件の全容解明を拒むように暗い影を落としている。

 元同級生を殺害し、同県呉市の山中に棄てたと自首して逮捕された16歳少女の供述によれば、スマフォのメールアプリ「LINE(ライン)」を介して、「殺す」「殺せるものなら殺してみろ」等の激しい言葉の暴力で口論となり、その腹いせに相手を山中に連れ出し、首を絞めて殺したと言うものであった。

 然し、その後になって事件に関与したとされて16歳の少年少女5人と21歳の男を含む計6人が新たに逮捕されている。

 逮捕された容疑者たちの供述によれば、21歳の男が運転するワゴン車に乗り込み、遺棄現場である灰ケ峰まで移動し、集団で殴る蹴るの暴行を加え、死に至らしめたらしい。

 供述内容が個々により微妙に食い違う点もあり、中には関与自体を否定する者までいる。憶測の域を出ていないものの、少女たちとの間で「接客業」で儲けた金銭を巡ってトラブルを起こしていたなどと言う報道すらある。

 この「接客業」が何であったのか事件の真相究明に繋がる重要なポイントとも思われるが、何れにせよ複雑怪奇な少年少女たちの人間関係が捜査の行方を更に混沌とさせているのは確かなようである。

 殺された少女と自首した少女は、元々仲の良い友人同士だった事も判明しており、その二人が言い争う原因が何だったのか現時点では分かっていない。

 21歳の男を除く5人とも未成年、しかも僅か16歳と言う若さである。世間の一般常識に当てはめて見れば、まだ子どもとも思える年齢であるが、思春期の真っ只中、最も多感な年頃でもある。

 一見仲の良さそうな者同士であっても、心を許しあえるほどの仲でない限り、相手の奥深い胸の内まで見る事も理解する事も不可能であるだろう。もしかすると、言い争いの発端が「彼氏(交際相手)」を巡ってのトラブルだったかも知れない。

 多様化する欲と暴力の現代社会の縮図を垣間見たような事件でもあり、希薄な人間模様が生み出した後味の悪さを実感するものであったし、殺された少女は兎も角としても、この事件の犠牲者は16歳の少年少女たち全員のような気がしてならないのである。


プールサイドの人魚姫-グラス



港に降り立つあなたの影を

追ってここまでやって来た

寄り添うカモメは恋慕の証

あなた気付いてくれますか


沈む夕陽にさよなら告げて

ささやく灯は恋しぐれ

波止場の風に吹かれて眠る

恋しいあなたは夢の中


独りよがりの恋をして

想い出グラスにあなたを注ぐ

独り芝居の恋ならば

いっそこの手で終わりにしたい





プールサイドの人魚姫-ムジカ表紙

 ジャンルの壁を超えて、あらゆる分野のアーティストたちが一堂に集結。日本文学に新たな一ページが今、刻まれようとしている。

 構想10年、準備期間4年を経て漸く皆さまの眼に触れる事となった「大衆文藝雑誌 ムジカ 創刊準備号」である。

 ムジカの主宰者であり代表の「葛原りょう」氏の言葉を借りるとするならば、スタートから刊行に至るまで4年と言う長い歳月が流れてしまった事に対し、ムジカ参加者へのお詫びの念が編集後記に連ねてある。

 ムジカの船出は順風満帆とは程遠く、編集メンバー内での意見の食い違いや対立があった事も伺わせており、嵐の中での出航は苦難の連続、刊行日を公言するもその約束は果たされず、苦悩する葛原りょうの痛々しいまでの姿をわたしは見て来たが、先日送られて来た2冊の雑誌を見て「待った甲斐があった」と心の中で叫ばずに居られなかった。

 そして早速5冊の追加注文を彼にメールで送り労いの言葉を掛けた。書籍作りに関して言えば彼は素人そのものである。わたしは長い期間、印刷会社やデザイン事務所などでポスター、チラシ、書籍といった印刷物を制作して来ており、書籍作りの難しさは十分心得ていた。

 2年ほど前だったか、葛原君からムジカの刊行が遅れる旨のメールが届き、誠に申し訳ないとひたすら頭を下げる彼に対し、「妥協せず納得の出来る物を創って欲しい」とエールを贈ったものである。

 葛原君自らが主催する絶叫朗読バンド「ムジカマジカ」での活動や、それに加えて持病の悪化などもあり健康を害しながらも文藝雑誌ムジカへの情熱は衰えるどころか、益々それは執念の焔となって彼の中で燃え続けていたのである。

 ムジカ発刊の動機については編集後記に葛原りょうの言葉として詳しく述べられているが、その一部を抜粋すると、「文芸誌と名乗る書店に座を占める雑誌の読者離れに無関心ではいられず、危機感を抱いた」と言う事である。

 表現者である彼としては、このような日本に於ける文学のある意味での衰退を野放しにしておく事が出来ないと言う責任感から「ムジカ」は誕生したのであろう。

 ムジカには表紙画像をご覧頂くと分かるように、参加メンバーの名前が表記してある。その中にはベストセラー小説「オルゴール」の著者である「中園直樹」君の名前もあるが、彼はムジカの編集メンバーでもあり、葛原りょう君の良きライバル・親友でもある(ライバルかどうかは不明だが)。

 わたしの名前「神戸俊樹」の横に「勇樹」とあるのにお気づきだろうか?そう、彼はわたしの息子であるが、彼のプロフィールを参照すると、「一歳から父の存在を知らぬまま、長い年月を過ごす。様々な経験を積んだ後、2008年に父親を探す活動を始め、同年8月に再会を果たす。父親が詩人である事をきっかけに自ら作品を残して行く事を決意…」。

 息子もまた詩を書くなどと思ってもおらず、正直驚いているが「蛙の子は蛙」と言ったところだろうか。彼の作品がわたしと決定的に違う所は、彼の殆どの作品は写真と詩の融合…つまり写真詩と言う事になる。

 わたしは「ムジカ」に詩を4篇寄稿している。「石Ⅰ」「石Ⅱ」「果実」「折れたクレヨン」何れも未発表の作品である。

 大衆文藝ムジカは全国の書店で取り寄せ注文が出来る他、直接「大衆文藝ムジカ公式ホームページ」宛に注文する事も可能です。又はわたしに一報頂ければ、わたしが責任を持って取り扱いさせて頂きます。本書は著者特典として5部毎にお求めの場合は、定価4千円(1冊800円税込)のところを3千2百円にてお求め頂けます。

 是非、この機会にジャンルを超えた新しい文藝雑誌の感動を貴方も共有してみませんか。大衆文藝ムジカは季刊(年4回発行)を目指しながら、まずは編集部体制の確立を急務とし、年2回の発行を確実に実行出来るよう活動して参ります。

 尚、ムジカでは皆さまからの作品を随時募集中ですので、机の中で温めている原稿がありましたら是非、ムジカ宛にお送り下さい。

 詳しい募集要項はまた別の日にページを割いて皆さまにお知らせしたいと思っております。今後とも「ムジカ」を温かく見守って下さる事を、この場を借りてお願い申し上げます。

丘のうえ工房ムジカ

大衆文藝ムジカ公式ホームページ

ISBN978-4-9905964-0-8

C0092 ¥762E

丘のうえ工房ムジカ

定価800円(本体762円+税)


プールサイドの人魚姫-富士山

 山開きを目前に控えた富士山、世界文化遺産登録の勢いも相まって、四方の山を見下ろしに各地から多くの登山客が押し寄せる気配である。

 今年の山開きは世界遺産と言う、とてつもなく大きなお土産付きであり、普段よりも数倍バージョンアップしているだけに、富士山に祀られている女神である「木乃花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」もたいそうお喜びになっている事であろう。

 先日、除外勧告を受けていた「三保の松原」であるが、ユネスコの委員国から登録を訴える声が相次ぎ、急遽この三保の松原も富士山と対である事が認められ、世界遺産に含まれる事が決定した。

 富士山の眺望を楽しむ時、あらゆる場所・角度によってはその富士山の醸し出す雄大な美しさは千変万化である。富士山の楽しみ方は個々により異なって来るし、単体で見る方が良いと言う人も中にはいるだろう。

 見るだけでは飽き足らずその魅力に取り憑かれた登山家も数多くいるし、富士山の捉え方は様々に変化し一度足りとも同じ景色を見せない所も富士山に限らず、自然の成せる技とでも言えようか…。

 わたしの郷里である藤枝市にも「富士見平」と呼ばれる場所があり、そこは永享4年(1432年)、室町幕府の将軍・足利義教が富士山を見る為に大勢の家来を従え、駿河に下ったおりに駿府に入る前日、鬼岩寺に宿を取った。

 その時に裏山(蓮華寺山)に登り高草山(藤枝で一番高い山)越しに富士山を眺め、和歌を詠んだと言われている。それ以後その場所が「富士見平」と呼ばれるようになったと言われている。

 幼少期を藤枝で育ったわたしは、勿論この富士見平に何度か足を運び、富士山の景色を堪能したものである。

 15歳の時に養護学校を卒業した跡、高校には進学せず、清水市の「三保の松原」からバスで30分程度の所にある療養所件職業訓練の施設で約1年半に渡りお世話になった。早朝5時には起きて、施設から徒歩10分程度で久能海岸に着く為、毎朝日課に取り入れていた。

 駿河湾を挟んで東の方角には、圧倒的な迫力さえ魅せる富士山の姿が半分寝ぼけ眼の瞳に飛び込んで来る。早朝の富士山を眺めて一日が始まり、そして駿河湾の沖合いでは桜えびの小型漁船が幾つも連なって波間を往来していた。

 清水市に住んでいた訳だから、勿論「三保の松原」にも何度か足を運んでいるが、それは海水浴が目的で、富士山を眺める為のものではなかった。

 わたしは幼少の頃から心臓が悪い為、山登りは出来ない。然し、自分の命がある限り一度で良いから自分の足で富士山に登ってみたい…それが今のわたしの夢でもある。それは到底叶わぬ事と理解はしていても、一度もチャレンジした訳ではないので行動する前に諦める事だけはしたくないと思っている。

 我が故郷の山・富士山…それはわたしにとって心の世界遺産でもある。


プールサイドの人魚姫-都議選

 昨年末に誕生した第2次安倍政権だが、発足後半年余り経っても依然として高い支持率を維持したまま推移して来ている。

 大胆とも言うべき「アベノミクス」経済政策を旗印に掲げ、その効果は株価上昇、円高ストップと一見、日本の経済は持ち直して来たかに見える。

 先に行われた都議選は、この勢いに乗った安倍内閣の追い風を受けて、自民、公明とも立候補者が全員当選、そしてなんと常に4,5番手に隠れていた共産党が大躍進し、民主党を跳ね除けて野党第1党に登り詰めると言う前代未聞?の選挙結果となった。

 地方選の一つである都議選だが、規模から言えば国政選挙並である事からも、自民党は「準国政選挙」と位置付けをし、この都議選に全力を注いで来たものと思われる。

 日本の中心(首都)である東京を抑える事は国を抑える事にも匹敵する訳で、この選挙が如何に重要なポストであるかは、おそらく自民以外のどの党も把握していたに違いない。

 但し、今回に限った事ではないが、懸念されるのは投票率が半分にも満たないほど低いと言う事である。半分以上の都民がこの選挙に興味を示さなかった、或いは「諦念」を抱くと言う政治家にとって最も憂慮すべき状況は過去と比べてみても何ら変わっていないと言う事実である。

 投票率が下がれば組織票が俄然その力を発揮する訳で、そこに東京都民の意志がどれだけ反映されているのか疑問すら生じて来る。

 今回の選挙で辛酸を舐める結果となった民主党は、政権が自民党に移った時点で既に終わっていたとも言えるだろう。

 どれほど、民衆に向かってアピールしようとも、過去に連ねて来た「嘘八百」を覆す事は出来ず、民主に向けられた不信感は改善の余地なしと見受けられる。

 橋下・石原両氏が率いる維新については、共同代表である橋下氏の「慰安婦問題」が大きく影響し自滅した形となったが、それも当然の結果だろう。

 約一ヶ月後に行われる「参議院選挙」の結果も、既に見えてしまったと言う、虚しさだけが残りそうな今年の選挙に、風とともに去る民主の断末魔だけが木霊している気がしてならない。