プールサイドの人魚姫 -28ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-僕の人


君は 忘れられない僕の人

ポニーテールがよく似合う

白いうなじを見せてくれ

笑った口もと白い歯キラリ

忘れられない僕の人

くちびる囁く愛の歌


 

だめよ だめだめ僕の人

赤いリボンで目隠しすれば

小指に絡まる愛の糸

結んだ約束 解いておくれ

忘れられない僕の人

眠れぬ夜は愛の歌

 


囁く君は僕の人

長い髪を束ねて眠る

抱いて抱かれた夜が降り

朝を待つ君 涙に濡れた

忘れられない僕の人

歌っておくれよ恋蓮花









プールサイドの人魚姫-毛布

 今から26年前の1987年、わたしは火災により焼け出され住む所もなく路頭に迷っていた。僅か3万円の現金だけを持ち、頼る当てのないまま成り行き任せの上京から6年目の秋を迎えていた。

 当時わたしは、京浜東北線のJR蒲田駅から徒歩7分程度の所にある「コーポ英(はなぶさ)」と言う鉄筋5階建てのマンション301号室に住んでいた。

 大井町にある2万円の木造アパートから一気に7万円のマンションに移り、6年目の暮らしは0からスタートした時と比べれば大きく様変わりし、家財道具や衣装なども増えてそれなりのリッチな独身貴族を味わっていた。

 9月30日のその日も普段と変わらず、少し遅い朝を迎えていた。歩合制の仕事をしていたため、会社員のように時間に縛られる事もなく、請け負った仕事を納期までに収めれば事務所への出社時間などは自由に自分で決める事が出来た。

 朝のシャンプーを終え、軽い朝食を済ませ煙草を一服吸うとそのまま部屋を後にした。水道橋にある事務所に着いたのは昼少し過ぎた頃だった。

 仕事仲間と雑談を交わしながら時間はゆったりと過ぎて行った…。時計が午後4時に差し掛かろうとしていた時だった。

 「神戸さん、お友達から電話ですよ」仕事中に電話など掛かって来た事がなかった為、「一体誰だろう…?」と疑問に思いながら電話口に出た。

 その第一声は俄かに信じ難い内容だった。「神戸さんの家が全焼だって…」。電話を掛けて来てくれたのは友人の「多津子ちゃん」だった。「わたしもこれからマンションに向かうから…」。受話器の向こうで嗚咽とも思える悲痛な彼女の声が半分泣き声に変わって行く様子に返す言葉も見失っていた。

 放心状態のまま蒲田方面行きの電車に飛び乗った。自分の身の上に起こった事を受け入れるには時間が余りにも足りなかった。

 火災現場を確認していない事もあり全てが憶測の域を出なかったのは確かであったが、気休めのような言葉は一切浮かんで来ず、頭の中では「全焼」の文字が浮かんでは消えて行くばかりであった。そして容赦なく襲いかかる絶望感と、火災で焼け出され被害に合った人たちへの補償問題が現実となって更にわたしを窮地へと追いやった。

 電車が蒲田駅に着く頃、西に傾いた夕陽で空が赤々と燃えているように見えた。駅を出ると火災がどれほど酷かったかを物語るように焦げ臭い空気が鼻をついた。

 急ぎ足でマンションへと向かう。焦げた臭い以外に街はいつもと変わらぬ佇まいを見せていたが、臭いが徐々に強くなって来るに従い、絶望感と不安は更に高まって行った。

 出火元がわたしの部屋だと友人から聞いていたので、建物全体が跡形も無く焼け落ちてしまっていたらと最悪の想定も頭に入れておいたが、それを考えた所で今の自分にはどうする事も出来ないと、半ば諦めの気持ちでいたのも事実だった。

 陽が落ちて辺りはすっかり暗闇に包まれていた。あの角を曲げればマンションが見える…、胸の鼓動が緊張感で激しく踊り狂っていた。そして自分の目の前に飛び込んで来た光景に思わず我を忘れて胸を撫で下ろした。

 暗がりの中にマンションは朝と同じ佇まいを見せていた。一体この建物の何処で火災があったのか?と首を傾げるほどに静けさを漂わせ白いマンションは立っていた。その中で激しく燃えたであろうと思わせる箇所があった。

 わたしの部屋の窓の所だけが真っ黒く煤けており、明らかに出火元がそこであると主張しているようにも見えた。3階に行くと消防士が二人出迎えてくれた。そして火災の状況と消火作業などについて詳しく説明をしてくれたが、この消防士の対応に思わず涙が溢れて来てしまった。

 消防士が優しかったのは言うまでもないが、火災と言う人生に於いてあってはならない、出来るものなら絶対避けて通りたい災難に不遇にも出会ってしまった時、人はその全てを奪い尽くす炎の前で成すすべもなく泣き崩れるだけだろう。

 消防士は炎を消すのが仕事であるが、火災に遇った本人のダメージを出来る限り最小限に抑えることまでも引き受けている。消火作業にあたっては、水を使わず白い粉の消火剤で鎮火させた事は、家電製品などを出来るだけ現存させて置こうと言う気配りが、絶望の淵にある本人への希望を僅かでも残してあげたいと言う愛情と受け取れたからである。

 部屋の異常にいち早く気付き通報したのは隣人であった。普段全く顔を合わす事もなく挨拶さえ交わした事もなかったが、この時は他人の有り難さを痛感した。火災により部屋の温度が上昇し、おそらく100℃は軽く超えていたものと思われる。

 部屋の分厚い鉄のドアは熱で斜めに歪み、部屋全体は墨を塗りつぶしたように真っ黒く焦げていた。キンチョールの缶が破裂したのか天井の壁に思い切り突き刺さっており、中々取る事が出来なかった。

 その日は友人宅に泊めて貰い、次の日に蒲田警察署に出向いたのだが、そこで待っていた刑事課のデカ長は優しい消防士とは全く逆で、野太い声で思い切り怒られてしまった。

 それも当然の事であるが、出火原因は掴めていなかった。デカ長の話しでは消防車が10台も駆け付け一時騒然となりヘリコプターまで飛んだようだ。

 焼け出され、住む所もなく難民状態になったわたしに日本赤十字社(↑上の画像)から毛布が一枚届いたのは火災から数日経ってからだった。わたしの全財産はその日持っていた現金2万円と着ていた服、そしてアイワのウォークマンだけになってしまった。

 火災に遭って困っている人を援助する機関や手当など行政の取り組みなどを調べてみたが、徒労に終わってしまった。そしてその時に最も力になって支えてくれたのは友人たちだった。普段から付き合いのある仲の良い友人であったが、常に笑顔を絶やさず励まし続けてくれた友人たちには足を向けて眠ることなど出来ないほどお世話になった。

 火災に遭うのはこれで2度目…、上京して一年ほど経った頃、藤枝の実家が全焼している。この時はさほどショックを受けなかったが、幼い頃の思い出が炎とともに消えてしまったと少し感傷的になった程度であった。

 人生に於いて2度も火災に遭う不運…強運と言われ続けて来たわたしの運は不遇の時代によって培われて来たものなのかも知れない。そして蒲田の火災の後、ストレスが原因で持病の心臓病が悪化し、その半年後に余命一年の宣告を受けるに至ったのである。


プールサイドの人魚姫-かもめ


白いカモメを夕陽が染める
日暮れにたたずむ影法師
此処に来ればあなたに逢える
そんな気がして見つめた神田川
気まぐれな風が川面を滑り
想い出しぶきが頬濡らす

酔った振りしてあなたの肩に
もたれて眠れば夢の川
カモメに託した想いは何処
届かぬ夢と知りながら
背伸びして見た神田川
あなたの背中を流れ行く

揺れる想いが川面を渡り
流れの早さが時を射す
飛び交うカモメはあなたの名前
せめてもう一度だけ逢えるなら
ああ神田川
んんこの身投げ打って



※ある女性ロックシンガーがこの詩に惚れ込み、是非曲を付けて歌わせて欲しいと言う要望がありました。

その為に、急遽3番を作り作曲し易いように完成させたもの。

作詞家としてのデビュー作第一弾となりますか、お楽しみに。


プールサイドの人魚姫-もんた

 有名人の親を持つその家族は時と場合に寄ってかなり神経をすり減らす。成功している親の足を引っ張らぬよう毎日の気配りが欠かせない。それは親と子の立場が逆転しても同じ事であるが、一般の社会と違い、芸能界のようなスキャンダラスに充ちた世界に身を置くとそれは更に顕著となって現れる。

 先日、タレントみのもんたさんの次男で日本テレビ社員の御法川雄斗(みのりかわゆうと)容疑者(31)が、不正入手したキャッシュカードを使って現金を引き出そうとしたとして、窃盗未遂の疑いで逮捕された。

 事実経緯の詳細が現時点で明らかになっていない事から、マスコミ関係者が余り騒ぎ立ててしまうと事の真相が表面に出ず藪の中に隠れてしまう可能性も孕んでいる。

 彼が日本テレビのエリート社員と言う立場から見ると、罪状が窃盗未遂と言う部分も大いに気になるところであり、窃盗をするほど金銭に困っているとはとても思えない。

 家庭も仕事も飛び抜けて恵まれた環境にあり、順風満帆の人生を歩んでいた御法川容疑者…。そこに降って沸いたような今回の窃盗未遂。この事件の背景にはわたしたち一般人には到底理解の及ばない何かが隠れているような気がしてならない。

 彼にしてみれば、父「みのもんた」の存在は計り知れないほど大きかったのだろう。親の七光りを上手く利用して狡猾に振舞う政治家たちほどの神経の図太さを彼は持ち合わせていなかった。常に比較される兄の存在も彼には相当のプレッシャーと感じ取っていたのかも知れない。

 自分の方を向いてくれない親の関心を引くために、子が意図的に親を困らせる事がある。まるで駄々っ子のように親の愛を独り占めしたくなる…。大人になりきれない自立心が欠如した心のままで育ってしまった結果ではないだろうか。


母  厳しい残暑が続く9月の初めだった。福島県のある町に20代後半の若い女性が住んでいた。このさびれた温泉街にたどり着いたのは6年前。

 ある理由で生まれ故郷藤枝を飛び出したのは22歳の時だった。自分の判断が間違っていたとは思いたくない、荒れた生活に耐えられなくて幼い一人息子を残し、伯母を頼ってこの町に来たのだが、この6年間私の心を癒すものに出会う事は出来なかった。

 常に付いて回る耳の病気は、日増しに悪化して行き最近に至っては激しい頭痛を伴い私を苦しめ始めた。
 耳の治療のため、年に何回か郷里の藤枝に帰っていたが、その度に母ちゃんから「俊樹に一目だけでも会ってやったら」と言われ続けて来たけれど、どうしてもそれだけは出来なかった。
 もし息子の姿を見てしまったら私の決心は揺らぎ、元に戻れなくなってしまうのが目に見えていたので、母ちゃんには悪いけど「俊樹の事よろしく」と言って藤枝を後にして来た。

 耳鼻科の主治医三島先生には「次回外来の時、手術の日程を決めましょう」と言われたが、この半年間私は疲れ果てていた・・・。
 小さな温泉旅館の女中として働いて来たけれど、頭痛もひどくなり夜もろくに眠れない日々が続いた。精神的にも追い詰められ、将来にも希望を持てず、絶望感に苛まされる毎日。死の誘惑につい目がくらみ手首を切ってみたりもしたが、そう簡単に死ねるものではなかった。
 私の変化に気づいたのか、時々伯母が心配して相談にのってくれる事もあったけれど、解決の糸口は見つからない。耳の病気は脳にまで達していて、手術したからと言って完治する約束はなかった。もっと早くに病院にかかっていれば、きっとここまでひどくはならなかったと思う。でも今更もう遅い。
 昨夜も痛みのせいで眠れず、結局朝を迎えてしまった。薄暗い部屋の片隅に膝を抱えてうずくまり、青白い表情から生気は消え失せ、思い詰めたようにその眼はある一点を見詰めていた。
 その視線の先にある物は、丸いテーブルの上に乗っている小さな薬壜だった。死にたいわけではない、この辛さから抜け出したい、ただそれだけだった。我慢の限界だったかもしれない。辛さを耐え抜く気力がもう今の私には残っていなかった。

 一体どの位時間が経過しただろう。気が付くと私は薬壜を手にしていた。陽は高く上り、昨夜から付けっぱなしの扇風機がカタカタと音を立て回っている。生暖かい風が乱れた黒髪に当たり、額から流れ落ちる汗と重なって弾けた。それは死神が微笑んだ一瞬の出来事だった。
 大量の薬を口に放り込み、蛇口へと向かい水と一緒に喉の奥に流し込んだ。喉から食道、食道から胃へと流れ込んでいくそれらの一粒一粒が絶望の淵に立つ私を解放してくれることを願って横になった。
 薄れていく意識の中であの歌だけが木霊していた。
――どらの響きもやるせなく消えて 泣いて未練をヨー告げるのに かわいいお前にゃ何時また逢える 無事でいるならせめての便り 海のカモメに託してお呉れ 俺は待ってるぜ――
 私の背中に刻み込まれた歌。息子が毎朝歌ってくれた。私は忘れていない、今でもこの歌を思い出すたび3歳だった幼いお前の姿が浮かんでくる。
 母親失格の私をお前は許してくれますか。駄目なお母さんだったよね。お前を連れていく勇気もなくて、黙って出て行ってしまったけれど、生きていれば逢える日も来るかと思っていた。自分勝手な母さんでした。お前は生まれた時からとっても丈夫で、3歳になるまで風邪一つ引かない子だった。私がいなくとも立派に成長してくれている事でしょう。ごめんね、俊樹。お前の歌に応えられなくて。

 昭和39年9月8日、母雪子は自ら命を絶った。28歳という若さで人生に終止符を打ってしまった。この時、私は母の死を全く知らなかった。父は服役中に刑務所の中で母の死を知ったらしい。夕食が終わりテレビを見ている私を良一爺ちゃんが呼んだ。


プールサイドの人魚姫-夜の神田川


ひらりひらひら舞い散る心

夜の川へと流れゆく

涙の理由(わけ)も言えぬまま

わたしはそっと影になる


ネオン映してキラキラ光る

揺れる想いに眼を閉じた

瞼に映るあなたの影が

涙の川に流れ去る


恋に震えて眠れぬ夜を

幾つ重ねて夢を見る

涙湛えた神田川

思い出一つ消えてゆく







プールサイドの人魚姫-ムジカ平積み

 大衆文藝ムジカ創刊準備号が刊行されて2ヶ月余りが経過した。出版当初の不安は尽きる事がなく、反応の鈍さに意気消沈する日々もあった。

 文藝誌として知名度や前評判がある訳でもなく、出版物のおよそ70%を占めるトーハンや日販といった出版取次の流通ルートとは全く無縁の状態であり、ムジカをどのように拡散し読者を如何に獲得するのかと言った大きな課題を残したままの船出であった。

 ムジカ出版元の「丘のうえ工房ムジカ」は、発起人で詩人・歌人である「葛原りょう」氏の一言から始まった。

 既成概念に囚われない全く新しいスタイルの文藝雑誌を作りたい…その熱い想いの背景には「詩の回復の試み、自らの役割」と言う彼の魂の叫びがあった。

 自分たちで出版社を立ち上げ、旧態依然とした日本の出版界、そして文学界に新風を吹き込み、時代の流れに飲み込まれるが如くに読者離れ、そして活字離れが加速する現代に歯止めを掛ける「表現者」としての大いなる役目を担うものとする…。

 この呼び掛けに共感し賛同した者数十名、この中には某著名人も数人含まれており、ムジカに寄せられる期待の大きさを裏付けるものでもあった。

 然しながら具体的に事が動き始めると、予算の問題や印刷会社の選定に予想を上回る困難が待ち構えていたのである。

 ムジカ執行部内での意見の対立や、運営方針の相違などでムジカに背を向けてしまった者もいたが、荒波の中で揉まれながらも準備を整え帆を掲げ出航したムジカであった。

 葛原氏から「平積み」の知らせが届いたのは8月20日だった。日本国内では大手有名書店のベスト5に入る「紀伊國屋書店」であり、その知らせに驚いたのは言うまでもない。

 平積み経験もあり、その意味を熟知しているわたしだからこそ言える事なのだが、過去に何度か話したように、長引く出版不況に追い打ちを掛けているのは、出版界そのものでもある。デジタル製品の台頭により格安の電子書籍が流通し始めている事も大きく影響してはいるが、書店の激減は留まることを知らず年々撤退を余儀なくされており、おそらく現在に於いての国内書店数は2万軒を下回っているのではないかと思われる。

 それとは全く反比例しているのが、年間の書籍出版数なのだ。わたしが詩集を出版した8年前で7万冊と言われていたが、2012年には8万冊を超えているから驚きである。出版されたその8万冊にも及ぶ膨大な書籍が全て書店に並ぶ筈もない。

 書店に足を運べば一目瞭然であるが、並んでいるのはどれもこれも某大手出版社の本本本…。当然ながら書店は本の売上で経営が成り立っている訳で、そこに全く未知の無名の本が並ぶスペースなど皆無である。

 今回のムジカ創刊準備号の平積みに驚くのは当然の事であるが、書籍の扱いをどうするかは書店のオーナーが決める事であり、そこにわたしたち著者や出版関係者が立ち入る事は出来ない。

 ムジカ創刊準備号はポップ広告まで付いており、書店の関係者も「これは売れる」と見込んで(勿論内容重視)平積みとしたのであろう。

 周りには向田邦子、立花隆、山田太一、澁澤龍彦と言った有名作家陣の本も置いてある。ムジカの直ぐ横には芸術総合誌で有名な「ユリイカ」の姿も見える。

 現時点で平積みされている書店は以下の通り。

 紀伊國屋書店新宿本店2階、紀伊國屋書店浦和パルコ店5階。

 因みにわたしの詩集「天国の地図」もムジカ(新宿本店)と同じ階に2冊棚差しされておりました。

※大衆文藝ムジカ新聞掲載については、日を改めて記事にさせて頂きます。

 ムジカ編集部では原稿を随時募集しております。机の中で温めている原稿がありましたら是非ムジカ公式ホームページまでお送り下さい。貴方の鮮烈なる作品をお待ちしております。

大衆文藝ムジカ公式ホームページ


プールサイドの人魚姫-藤圭子

 22日正午、日米通算4,000本安打を達成した「イチロー」の偉業を伝えるニュースで沸き返っていたその矢先に飛び込んで来た一報は俄かに信じ難い内容のものだった。

 「今入って来たニュースです…歌手で宇多田ヒカルさんの母親の藤圭子さんが西新宿のマンション敷地内で倒れているのが見つかり、病院へ搬送されましたが、間もなく死亡しました。関係者によれば、飛び降り自殺を図ったものと思われます。」

 このニュースを聞いた時、わたしは8年前の記憶が生々しく蘇って来たのである。うつ病を克服し、社会復帰を果たしたばかりのわたしは西新宿にある某リース会社に勤めていた。

 昼食を摂る為に外に出てみると、青梅街道沿いにTBS、朝日、日テレ等の報道車が一直線に並んでいる光景が眼に飛び込んで来た。ただ事ではない騒然とした気配に、ビルの窓から身を乗り出して様子を伺っている人も多く見受けられた。

 会社に戻りヤフーで調べてみると「ポール牧自宅マンションから飛び降り自殺」の文字が踊っていた。当時のお笑い番組では高視聴率を維持していた「エンタの神様」にゲスト出演し、「指パッチン」を披露していたばかりだったが、仕事が減り始めた事で悩みうつ状態になりその果ての結果だった。

 人に笑いを提供し元気を与えてくれる「お笑い芸人」その本人が仕事で追い詰められ自ら命を絶つと言う何ともやりきれないニュースであった。

 そして奇しくも同じ場所、日時までもがポール牧さんの時と状況が酷似しており、偶然とは言え巷では同居していた30代男性との関係や他殺説まで飛び交い始めているようだ。

 1969年に「新宿の女」でデビューし、18歳とは思えぬ「大人の女」の魅力と心の底から振り絞るようなハスキーボイスが印象的で、まさに彼女の歌声は「怨歌」だと音楽関係者を言わしめた昭和を代表する歌手の一人であった。

 華やかな芸能界にあって、どこか影の部分も併せ持つ所なども彼女の人気を支えていた。70年に発表した「圭子の夢は夜ひらく」が空前の大ヒットとなり、一躍トップスターに踊り出る事となったが、それ以降も話題の絶えない歌手人生を送っていた。

 わたしは「自殺」と言う言葉に人一倍敏感であるが、それはわたしの母が福島の地で服毒自殺をしている影響が大きい。そしてわたし自身も過去に一度だけ自殺未遂を経験している。

 2003年の丁度今頃の季節だったと記憶している。うつ病になりかけていたわたしは、何日も眠れぬ夜の中でもがき苦しんでいた。睡眠障害はうつ病の最も典型的な症状であるが、当時のわたしはそれを病気と認めたくなかった。つまり自分は「うつ」ではないと決め込んでいたのである。

 それは病気の悪化を招くばかりで、己との葛藤の日々は家族や周囲の人たちも巻き込み、押し寄せるストレスの波に呑み込まれて行くばかりであった。

 家族全員が静かに寝込んだ深夜、処方されていた抗うつ剤と睡眠剤を水ではなくウイスキーで飲んでしまったのである。しかもストレートでコップ一杯分を一気飲みであった。

 アルコールと一緒に睡眠薬を飲む事は非常に危険を伴う事を承知していたが、眠れぬ辛さがそれを上回っており、耐え切れずにアルコールに手を掛けてしまったのである。

 芸能人仲間の間での藤圭子さんの評判は、「忍耐強い」と言う事であったが、それは日本人特有の性質で「美徳」とさえ捉えられている。然し、その裏を返せば「ストレスを内に秘める」体質と言うことになる。

 日本人の自殺者が年間3万人にも及ぶのは、この「内に溜め込むストレス」が要因の一つともなっているのではないだろうか。

 健康体であるならば、スポーツで汗をかいてみたり、好きな趣味に没頭する時間を持てればそれがストレスの捌け口となり、健康的な日常生活を送る事が出来るだろう。

 人は誰しも光と影の部分があり、普段は表向きの昼の顔、然しもう一つは人に知られたくない夜の顔。芸能界と言う世間一般とはかけ離れた別世界では、その二つの顔が顕著に現れ、時には自分自身を破滅の道に追い込む危険性をも孕んでいるのかも知れない。

 謹んで藤圭子さんのご冥福をお祈り申し上げます(合掌)。


プールサイドの人魚姫-レシピ

 わたしが初めて料理を覚えたのは小学1年(6歳)の時だった。昭和30年代の事なので、料理と言っても現在のように豊富な食材がある訳でもなく、冷蔵庫や電気釜などもそれほど一般家庭に普及していなかった。

 その日に採れた物はその日の内に食べるというのが当たり前の時代で、食べ物を残す(粗末にする)などと言うことは「罰当たり」「目が潰れる」とさえ言われており、ご飯粒の一つでさえも貴重に扱われていた。

 カレーライスがご馳走で、バナナやパイナップル等の果物は贅沢品であり、病気で入院した時などにお見舞いの品として頂くか、婚礼などのお祝い時でないと口に出来なかったほどである。

 家庭料理と言えば「おふくろの味」と一般的に呼ばれているが、「病院食は父親の味」で既に料理について触れているのでご存知の方も多いと思う。母親の味と言うものを全く知らずに育って来た代わりに、祖母や父が作る夕餉の支度を見たり手伝って来たので、「おふくろ」ではなく「親父の味」と言ったところか。

 先ず初めに覚えたのは「米の研ぎ方」だった。米を洗うのではなく研ぐ…は、「命を研ぐのと同じ」と祖母から教わり、米の有り難さを身体に教え込む意味も含まれていた。幼いわたしにそのような哲学的意味合いなど理解出来る筈もなかったが、とにかく美味しく炊き上げる為の最も基本的な事だけは理解出来た。

 そして次に覚えたのが「味噌汁」。当時の味噌は八百屋に行って、樽の中に入っている味噌を計り必要な分だけ買って来るのだが、野菜や魚介類にしても保存の効かない食べ物はその日一家団欒の卓袱台に並べられる訳で、しかも採れたてだから新鮮で味もこの上なく美味だったと思う。

 調味料と呼べる物は「味の素」くらいだっただろうか?後は鰹節に醤油で十分事足りたのである。時間に追われる多忙な現代人にとっては、利便性が最も重要なファクターになっている為、様々な冷凍食品やレトルト物がスーパーやコンビニの棚を賑わせており、各食品会社もこぞって新製品の開発や販売促進に力を注いでおり、この状況は今後も更に熱を帯びてエスカレートして行く気がしてならない。

 物が豊富に溢れ返る現代社会では、財力さえあればどんな物でも手に入れる事が出来る。家庭では食べられないような高級料理でも、銀座辺りの料亭に行けば舌鼓を打つことも実に容易い事であるが、その一方では毎日数万トンに及ぶ食べ物が捨てられている現実がある。

 食べる事は生きる事であるが、この最も必要な食に関して言えば現代人は贅沢になり過ぎそれに甘んじて来ているような気がしてならない。もう一度食事の在り方について自分自身に問い掛けてみる必要がありそうだ。

 さて、すっかり前置きが長くなってしまったが、本日の主役は「下町の台所ごはん 」管理人のマムチさんである。彼女が主婦の友社からレシピ本を出版すると聞いたのは、4月21日に「RED ZONE」で行われたライブであった。

 出版の件は記事「音楽が時空を超える時」で既に触れている為、ご存知の方も多い筈であるが、それから僅か3ヶ月でレシピ本が出来上がり、全国の大手書店に並べられている事に同じ出版経験のあるわたしとしては驚くばかりであった。

 マムチさんがいつ頃出版契約を結んだのか定かではないが、契約から書店配本まで少なくとも半年は掛かる筈なので、そのスピードに「さすが商業出版やる事が早い」と頷いてしまった。

 8月5日、三井記念病院へ行く途中に大手書店が2店舗あったので、初めにブックマート「書泉」に立ち寄り、料理本の並んでいる辺りを探し回ったが見当たらず、次に寄ったのがヨドバシカメラ秋葉原店の7階にある「有隣堂」だった。

 実はわたしあまり本を読まない質で、本を探し回るのは10年振りくらいになる。うつ病と診断された時に「うつ」関連の本を50冊ほど読み込んだが、それ以来の事でしかも「レシピ本」。詩や小説などを書いている自分としては文学系の本を読むべきだろうと思ったりするが、実用書となれば話は大きく変わって来る。

 心臓病を患い、厳しい食事制限があるわたしにとっては日々の食生活は命にも関わって来るため、非常に重要性が増して来る。この病気の為にこれまで多くの事を諦めて来たが、入院を何度も重ねて行く内にそれは更に深刻さを増して行った。

 生きる上で最も重要な食生活であるが、病気はその食事の楽しさまでをもわたしから奪い去ろうとしている。レシピ本なら色々と豊富な料理本が出版されているから、マムチさんの本でなくてもよいのでは?と思うだろうが、入退院のタイミングとマムチさんのレシピ本が出版される情報を耳にしたのが同時期だった為と、自分が欲しているレシピ本が「下町の台所」に在ったからである。

 書店の入口辺りに幾つかの料理関連の本を見つけたがその中には見当たらなかった為、書棚の各コーナーが設けてある実用書関連の中の「料理本」コーナーに行って見ると、ご覧の通り上の画像のように「マムチの下町の台所バル」と題された本が平積みされているのを発見。

 何だか自分の本が並べられているような気がして心が踊り嬉しくなった。そして1冊手に取り会計口へと向かった。

 書籍の殆どには帯と言う物がカバーの上に付されている。この「帯」は書籍を目立たせる為には非常に重要なポイント(部分)であり、料理に例えれば「隠し味」と言ったところだろう。

 本のタイトルも帯と同様に重要であり、タイトルだけで購入を決める客も多い。彼女の本の良い所はわたしたちが最も身近に感じている「台所」と言う部分。何処の家庭にも必ず「台所」はあり、人間が家族で暮らし始めた遥か昔から「台所」は家の中心として存在して来たのである。

 ひと昔前であれば「台所」は女性の神聖な領域と言われて来たが、それも今では過去の話で、現在は料理を作る男性も増えて来ており、台所は女性だけのものではなくなった。

 彼女の旦那さんもギタリストであり、そしてマムチさんも一流の女性ギタリストである事は周知の事実であるが、楽器をやる人は手先が器用だから料理も上手と単純に結び付けてしまいそうだが、器用なだけで数多いメニューを作る事は出来ない。

 料理は頭脳戦でもある。献立を考える時の女性の頭の中では家計の事から出費に関する事まで瞬時に計算されて行く。慣れと言う物もあるだろうが、それは長年積み重ねて来た経験が培ったものであり、銀座の料亭では味わえないその家の食文化そのものでもある。

 このレシピ本でわたしが最も目を引いたのは、「下町の台所流ズボラ飯④」。炊飯器で同時に調理、料理経験はあっても性格のせいなのか、殆ど役に立っていないわたしみたいな者にとっては実に有難いレシピである。

 見ているだけでも十分楽しめるレシピ本、それが「下町の台所」なのである。食生活が心を豊かにしてくれるのは昔からの事であり、ありふれた食材を利用してそれを見た目も中身も美味しく頂けるようにしてくれるマムチ流家ご飯…あなたの心にもきっと届くレシピ本。

旨っ!早っ!安っ!マムチの下町の台所 絶賛発売中。

2013年7月24日発売 主婦の友社 本体価格1300円。

ISBN978--07-289377-


プールサイドの人魚姫-花火


尽きせぬ想いを忍ばせて

夜のしじまに花が咲く

気付いた振りして見上げた空に

一夜恋しい乱れ髪


逢えぬ辛さに耐えながら

浴衣の帯を緩めたの

今夜限りの逢瀬と知って

夜に咲く花空に舞う


抱かれて知った嫉妬の色が

肌を紅く染めてゆく

あの日の夜に戻れるならば

この身燃やして花になる