ひらりひらひら舞い散る心
夜の川へと流れゆく
涙の理由(わけ)も言えぬまま
わたしはそっと影になる
ネオン映してキラキラ光る
揺れる想いに眼を閉じた
瞼に映るあなたの影が
涙の川に流れ去る
恋に震えて眠れぬ夜を
幾つ重ねて夢を見る
涙湛えた神田川
思い出一つ消えてゆく
大衆文藝ムジカ創刊準備号が刊行されて2ヶ月余りが経過した。出版当初の不安は尽きる事がなく、反応の鈍さに意気消沈する日々もあった。
文藝誌として知名度や前評判がある訳でもなく、出版物のおよそ70%を占めるトーハンや日販といった出版取次の流通ルートとは全く無縁の状態であり、ムジカをどのように拡散し読者を如何に獲得するのかと言った大きな課題を残したままの船出であった。
ムジカ出版元の「丘のうえ工房ムジカ」は、発起人で詩人・歌人である「葛原りょう」氏の一言から始まった。
既成概念に囚われない全く新しいスタイルの文藝雑誌を作りたい…その熱い想いの背景には「詩の回復の試み、自らの役割」と言う彼の魂の叫びがあった。
自分たちで出版社を立ち上げ、旧態依然とした日本の出版界、そして文学界に新風を吹き込み、時代の流れに飲み込まれるが如くに読者離れ、そして活字離れが加速する現代に歯止めを掛ける「表現者」としての大いなる役目を担うものとする…。
この呼び掛けに共感し賛同した者数十名、この中には某著名人も数人含まれており、ムジカに寄せられる期待の大きさを裏付けるものでもあった。
然しながら具体的に事が動き始めると、予算の問題や印刷会社の選定に予想を上回る困難が待ち構えていたのである。
ムジカ執行部内での意見の対立や、運営方針の相違などでムジカに背を向けてしまった者もいたが、荒波の中で揉まれながらも準備を整え帆を掲げ出航したムジカであった。
葛原氏から「平積み」の知らせが届いたのは8月20日だった。日本国内では大手有名書店のベスト5に入る「紀伊國屋書店」であり、その知らせに驚いたのは言うまでもない。
平積み経験もあり、その意味を熟知しているわたしだからこそ言える事なのだが、過去に何度か話したように、長引く出版不況に追い打ちを掛けているのは、出版界そのものでもある。デジタル製品の台頭により格安の電子書籍が流通し始めている事も大きく影響してはいるが、書店の激減は留まることを知らず年々撤退を余儀なくされており、おそらく現在に於いての国内書店数は2万軒を下回っているのではないかと思われる。
それとは全く反比例しているのが、年間の書籍出版数なのだ。わたしが詩集を出版した8年前で7万冊と言われていたが、2012年には8万冊を超えているから驚きである。出版されたその8万冊にも及ぶ膨大な書籍が全て書店に並ぶ筈もない。
書店に足を運べば一目瞭然であるが、並んでいるのはどれもこれも某大手出版社の本本本…。当然ながら書店は本の売上で経営が成り立っている訳で、そこに全く未知の無名の本が並ぶスペースなど皆無である。
今回のムジカ創刊準備号の平積みに驚くのは当然の事であるが、書籍の扱いをどうするかは書店のオーナーが決める事であり、そこにわたしたち著者や出版関係者が立ち入る事は出来ない。
ムジカ創刊準備号はポップ広告まで付いており、書店の関係者も「これは売れる」と見込んで(勿論内容重視)平積みとしたのであろう。
周りには向田邦子、立花隆、山田太一、澁澤龍彦と言った有名作家陣の本も置いてある。ムジカの直ぐ横には芸術総合誌で有名な「ユリイカ」の姿も見える。
現時点で平積みされている書店は以下の通り。
紀伊國屋書店新宿本店2階、紀伊國屋書店浦和パルコ店5階。
因みにわたしの詩集「天国の地図」もムジカ(新宿本店)と同じ階に2冊棚差しされておりました。
※大衆文藝ムジカ新聞掲載については、日を改めて記事にさせて頂きます。
ムジカ編集部では原稿を随時募集しております。机の中で温めている原稿がありましたら是非ムジカ公式ホームページまでお送り下さい。貴方の鮮烈なる作品をお待ちしております。
22日正午、日米通算4,000本安打を達成した「イチロー」の偉業を伝えるニュースで沸き返っていたその矢先に飛び込んで来た一報は俄かに信じ難い内容のものだった。
「今入って来たニュースです…歌手で宇多田ヒカルさんの母親の藤圭子さんが西新宿のマンション敷地内で倒れているのが見つかり、病院へ搬送されましたが、間もなく死亡しました。関係者によれば、飛び降り自殺を図ったものと思われます。」
このニュースを聞いた時、わたしは8年前の記憶が生々しく蘇って来たのである。うつ病を克服し、社会復帰を果たしたばかりのわたしは西新宿にある某リース会社に勤めていた。
昼食を摂る為に外に出てみると、青梅街道沿いにTBS、朝日、日テレ等の報道車が一直線に並んでいる光景が眼に飛び込んで来た。ただ事ではない騒然とした気配に、ビルの窓から身を乗り出して様子を伺っている人も多く見受けられた。
会社に戻りヤフーで調べてみると「ポール牧自宅マンションから飛び降り自殺」の文字が踊っていた。当時のお笑い番組では高視聴率を維持していた「エンタの神様」にゲスト出演し、「指パッチン」を披露していたばかりだったが、仕事が減り始めた事で悩みうつ状態になりその果ての結果だった。
人に笑いを提供し元気を与えてくれる「お笑い芸人」その本人が仕事で追い詰められ自ら命を絶つと言う何ともやりきれないニュースであった。
そして奇しくも同じ場所、日時までもがポール牧さんの時と状況が酷似しており、偶然とは言え巷では同居していた30代男性との関係や他殺説まで飛び交い始めているようだ。
1969年に「新宿の女」でデビューし、18歳とは思えぬ「大人の女」の魅力と心の底から振り絞るようなハスキーボイスが印象的で、まさに彼女の歌声は「怨歌」だと音楽関係者を言わしめた昭和を代表する歌手の一人であった。
華やかな芸能界にあって、どこか影の部分も併せ持つ所なども彼女の人気を支えていた。70年に発表した「圭子の夢は夜ひらく」が空前の大ヒットとなり、一躍トップスターに踊り出る事となったが、それ以降も話題の絶えない歌手人生を送っていた。
わたしは「自殺」と言う言葉に人一倍敏感であるが、それはわたしの母が福島の地で服毒自殺をしている影響が大きい。そしてわたし自身も過去に一度だけ自殺未遂を経験している。
2003年の丁度今頃の季節だったと記憶している。うつ病になりかけていたわたしは、何日も眠れぬ夜の中でもがき苦しんでいた。睡眠障害はうつ病の最も典型的な症状であるが、当時のわたしはそれを病気と認めたくなかった。つまり自分は「うつ」ではないと決め込んでいたのである。
それは病気の悪化を招くばかりで、己との葛藤の日々は家族や周囲の人たちも巻き込み、押し寄せるストレスの波に呑み込まれて行くばかりであった。
家族全員が静かに寝込んだ深夜、処方されていた抗うつ剤と睡眠剤を水ではなくウイスキーで飲んでしまったのである。しかもストレートでコップ一杯分を一気飲みであった。
アルコールと一緒に睡眠薬を飲む事は非常に危険を伴う事を承知していたが、眠れぬ辛さがそれを上回っており、耐え切れずにアルコールに手を掛けてしまったのである。
芸能人仲間の間での藤圭子さんの評判は、「忍耐強い」と言う事であったが、それは日本人特有の性質で「美徳」とさえ捉えられている。然し、その裏を返せば「ストレスを内に秘める」体質と言うことになる。
日本人の自殺者が年間3万人にも及ぶのは、この「内に溜め込むストレス」が要因の一つともなっているのではないだろうか。
健康体であるならば、スポーツで汗をかいてみたり、好きな趣味に没頭する時間を持てればそれがストレスの捌け口となり、健康的な日常生活を送る事が出来るだろう。
人は誰しも光と影の部分があり、普段は表向きの昼の顔、然しもう一つは人に知られたくない夜の顔。芸能界と言う世間一般とはかけ離れた別世界では、その二つの顔が顕著に現れ、時には自分自身を破滅の道に追い込む危険性をも孕んでいるのかも知れない。
謹んで藤圭子さんのご冥福をお祈り申し上げます(合掌)。
わたしが初めて料理を覚えたのは小学1年(6歳)の時だった。昭和30年代の事なので、料理と言っても現在のように豊富な食材がある訳でもなく、冷蔵庫や電気釜などもそれほど一般家庭に普及していなかった。
その日に採れた物はその日の内に食べるというのが当たり前の時代で、食べ物を残す(粗末にする)などと言うことは「罰当たり」「目が潰れる」とさえ言われており、ご飯粒の一つでさえも貴重に扱われていた。
カレーライスがご馳走で、バナナやパイナップル等の果物は贅沢品であり、病気で入院した時などにお見舞いの品として頂くか、婚礼などのお祝い時でないと口に出来なかったほどである。
家庭料理と言えば「おふくろの味」と一般的に呼ばれているが、「病院食は父親の味」で既に料理について触れているのでご存知の方も多いと思う。母親の味と言うものを全く知らずに育って来た代わりに、祖母や父が作る夕餉の支度を見たり手伝って来たので、「おふくろ」ではなく「親父の味」と言ったところか。
先ず初めに覚えたのは「米の研ぎ方」だった。米を洗うのではなく研ぐ…は、「命を研ぐのと同じ」と祖母から教わり、米の有り難さを身体に教え込む意味も含まれていた。幼いわたしにそのような哲学的意味合いなど理解出来る筈もなかったが、とにかく美味しく炊き上げる為の最も基本的な事だけは理解出来た。
そして次に覚えたのが「味噌汁」。当時の味噌は八百屋に行って、樽の中に入っている味噌を計り必要な分だけ買って来るのだが、野菜や魚介類にしても保存の効かない食べ物はその日一家団欒の卓袱台に並べられる訳で、しかも採れたてだから新鮮で味もこの上なく美味だったと思う。
調味料と呼べる物は「味の素」くらいだっただろうか?後は鰹節に醤油で十分事足りたのである。時間に追われる多忙な現代人にとっては、利便性が最も重要なファクターになっている為、様々な冷凍食品やレトルト物がスーパーやコンビニの棚を賑わせており、各食品会社もこぞって新製品の開発や販売促進に力を注いでおり、この状況は今後も更に熱を帯びてエスカレートして行く気がしてならない。
物が豊富に溢れ返る現代社会では、財力さえあればどんな物でも手に入れる事が出来る。家庭では食べられないような高級料理でも、銀座辺りの料亭に行けば舌鼓を打つことも実に容易い事であるが、その一方では毎日数万トンに及ぶ食べ物が捨てられている現実がある。
食べる事は生きる事であるが、この最も必要な食に関して言えば現代人は贅沢になり過ぎそれに甘んじて来ているような気がしてならない。もう一度食事の在り方について自分自身に問い掛けてみる必要がありそうだ。
さて、すっかり前置きが長くなってしまったが、本日の主役は「下町の台所ごはん 」管理人のマムチさんである。彼女が主婦の友社からレシピ本を出版すると聞いたのは、4月21日に「RED ZONE」で行われたライブであった。
出版の件は記事「音楽が時空を超える時」で既に触れている為、ご存知の方も多い筈であるが、それから僅か3ヶ月でレシピ本が出来上がり、全国の大手書店に並べられている事に同じ出版経験のあるわたしとしては驚くばかりであった。
マムチさんがいつ頃出版契約を結んだのか定かではないが、契約から書店配本まで少なくとも半年は掛かる筈なので、そのスピードに「さすが商業出版やる事が早い」と頷いてしまった。
8月5日、三井記念病院へ行く途中に大手書店が2店舗あったので、初めにブックマート「書泉」に立ち寄り、料理本の並んでいる辺りを探し回ったが見当たらず、次に寄ったのがヨドバシカメラ秋葉原店の7階にある「有隣堂」だった。
実はわたしあまり本を読まない質で、本を探し回るのは10年振りくらいになる。うつ病と診断された時に「うつ」関連の本を50冊ほど読み込んだが、それ以来の事でしかも「レシピ本」。詩や小説などを書いている自分としては文学系の本を読むべきだろうと思ったりするが、実用書となれば話は大きく変わって来る。
心臓病を患い、厳しい食事制限があるわたしにとっては日々の食生活は命にも関わって来るため、非常に重要性が増して来る。この病気の為にこれまで多くの事を諦めて来たが、入院を何度も重ねて行く内にそれは更に深刻さを増して行った。
生きる上で最も重要な食生活であるが、病気はその食事の楽しさまでをもわたしから奪い去ろうとしている。レシピ本なら色々と豊富な料理本が出版されているから、マムチさんの本でなくてもよいのでは?と思うだろうが、入退院のタイミングとマムチさんのレシピ本が出版される情報を耳にしたのが同時期だった為と、自分が欲しているレシピ本が「下町の台所」に在ったからである。
書店の入口辺りに幾つかの料理関連の本を見つけたがその中には見当たらなかった為、書棚の各コーナーが設けてある実用書関連の中の「料理本」コーナーに行って見ると、ご覧の通り上の画像のように「マムチの下町の台所バル」と題された本が平積みされているのを発見。
何だか自分の本が並べられているような気がして心が踊り嬉しくなった。そして1冊手に取り会計口へと向かった。
書籍の殆どには帯と言う物がカバーの上に付されている。この「帯」は書籍を目立たせる為には非常に重要なポイント(部分)であり、料理に例えれば「隠し味」と言ったところだろう。
本のタイトルも帯と同様に重要であり、タイトルだけで購入を決める客も多い。彼女の本の良い所はわたしたちが最も身近に感じている「台所」と言う部分。何処の家庭にも必ず「台所」はあり、人間が家族で暮らし始めた遥か昔から「台所」は家の中心として存在して来たのである。
ひと昔前であれば「台所」は女性の神聖な領域と言われて来たが、それも今では過去の話で、現在は料理を作る男性も増えて来ており、台所は女性だけのものではなくなった。
彼女の旦那さんもギタリストであり、そしてマムチさんも一流の女性ギタリストである事は周知の事実であるが、楽器をやる人は手先が器用だから料理も上手と単純に結び付けてしまいそうだが、器用なだけで数多いメニューを作る事は出来ない。
料理は頭脳戦でもある。献立を考える時の女性の頭の中では家計の事から出費に関する事まで瞬時に計算されて行く。慣れと言う物もあるだろうが、それは長年積み重ねて来た経験が培ったものであり、銀座の料亭では味わえないその家の食文化そのものでもある。
このレシピ本でわたしが最も目を引いたのは、「下町の台所流ズボラ飯④」。炊飯器で同時に調理、料理経験はあっても性格のせいなのか、殆ど役に立っていないわたしみたいな者にとっては実に有難いレシピである。
見ているだけでも十分楽しめるレシピ本、それが「下町の台所」なのである。食生活が心を豊かにしてくれるのは昔からの事であり、ありふれた食材を利用してそれを見た目も中身も美味しく頂けるようにしてくれるマムチ流家ご飯…あなたの心にもきっと届くレシピ本。
旨っ!早っ!安っ!マムチの下町の台所 絶賛発売中。
2013年7月24日発売 主婦の友社 本体価格1300円。
ISBN978-4-07-289377-7
参議院選挙2013夏の陣は、大方の予想通り自民党の圧勝で幕を閉じたが、肝心の投票率は相変わらず低く、戦後の選挙では3番目と言う有り難くない結果だった。
国民の政治離れが加速する要因の一つが「安定しない政治力」だ。その背景に見えてくるのは、各政治家たちの統治能力の低さであるが、明治以降に始まった近代政治の中では現在が最も顕著である。
ライバルが群雄割拠し追い付け追い越せと各人が切磋琢磨し、政治力を競い合った時代は遥か彼方に消え失せ、国民に失望感を植え付けて来たその責任は非常に重い。
それでも、国民の半数が何かしらの期待を持って投票所へと足を運ぶのである。この国がより良くなって欲しいからこそ重き一票を投じるのだ。
薄れゆく政治への関心を呼び戻す為、「ネット選挙」と言う新しい試みもスタートした。立候補者や政党もツイッターやフェイスブック等を利用して自身や党のアピールに余念がない様子を見ていると、政治が多少なりとも浸透し始めているのではと、新たな希望を見出す事も出来た点は評価したい。
自民・公明の連立与党が過半数を大きく上回った事で、これまで長きに渡って続いていた「ねじれ国会」に終止符を打つ事になった訳であるが、ねじれているのは国会ばかりではなく、政治家たちの頭の中も相当ねじれており、わたしとしてはそちらの方が余ほど心配ではある。
都議選の時と同じく大惨敗に終わった民主党は、その責任を取った積りなのか?細野幹事長が辞任すると言うお家騒動が勃発。それに追い打ちを掛けているのが菅元首相の応援問題で、勢いを全く失った政党とはこうも容易く崩れ去って行くのかと思わせるような混乱ぶりである。
調子の良い時は何をやっても上手く行くのが人生の常であるが、調子の悪い絶不調の時こそ手綱を引き締めて理路整然と振舞うのが賢人と言うものである。
それとは対照的に大勝の美酒に酔っている暇などないのが、与党たる自民・公明である。金魚の糞さながらに自民に寄り添う公明党だが、その役割は大きく重要である。
自民党の暴走を抑えるのが公明党である訳で、憲法改正路線にひた走り、自衛隊を「国防軍」と位置付けし「防衛費」と称して莫大な税金を投入、安倍総理ならやりかねない事柄だけに、慎重に見守って行く必要があるだろう。
余程のマイナス面が生じない限り、おそらく安倍政権は長期に渡って国の運営を預かる事になるだろうが然し、震災・原発事故発生から2年以上が経った今でも数多くの人びとが事故の余波に苦しみ続けている現状がある。
アベノミクスが話題になり、その効果などを高く評価している声も聞こえて来るが、弱者を救えないアベノミクスであるならば、国民はきっちりと「ノー」を安倍総理の喉元に突き付けるだろう。
自民党の持つ「毒」が徐々に拡がらないよう、わたしたち国民が監視官としての役割を果たして行くべきであると思う。