バス通り(甲斐バンドのカバー)。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。



 甲斐バンドのデビュー曲がこの「バス通り」だった事を、わたしは随分と後になってから知ったのであるが、セカンドシングルである「裏切りの街角」がてっきりデビュー曲だとばかり思っていた。
 1973年辺りから続々と九州は博多出身のグループが日本の音楽シーンに登場し始めたが、中でも「魔法の黄色い靴」でメジャーデビューしたチューリップの勢いは目を見張るものがあった。代表曲の「心の旅」は5ヶ月連続レコード売上1位を記録した。
 チューリップ一色と言っても良いほど、毎日「心の旅」が店、ラジオ、有線などを通じて聴こえていたほどでる。
 甲斐バンドはそんな中で約一年遅れのデビューとなった訳で、「バス通り」はチューリップの曲のようにそれ程ヒットしなかったと思う。
 甲斐よしひろ曰く、「バス通りでデビューした事で甲斐バンドが完全にフォークロック・バンド扱いになってしまった」とデビュー当時の模様を後日談として語っていた。
 甲斐バンドと言えば、日本を代表するロックバンドであるが、確かに「バス通り」だけを聴いてみると、ロック色は殆ど無く、彼の言う通りフォークロックの方により近い楽曲だろう。
 わたしは実を言うと「甲斐バンド」を余り知らなかった。では何故敢えてこの「バス通り」をカバーするに至ったかと言うと、東京で生活を始めて一年余り経った頃に出会い、付き合い始めた彼女が甲斐バンドの大ファンであったからである。
 その彼女の影響を受けて始めて「甲斐バンド」を本格的に聴くようになった次第で、洋楽・邦楽問わず音楽に詳しいわたしにしては以外だと思うかも知れない。
 そしてその彼女の最もお気に入りの曲が「バス通り」だったと言うことになるが、ただそれだけが理由でカバーした訳ではない。
 付き合い始めて3年も経った頃、彼女が突然ニューヨークに行って生活すると言い始めたのである。余りにも唐突な彼女の言葉に耳を疑ったが、大胆な発想と行動をする彼女なら「有り得ない話でもないな…」と変に納得してしまった。
 二人の仲は一体どうなるの?と疑問が沸々と湧いて来たが、わたしも一緒に行く訳にもいかず、一度決めたら後には引かない彼女の性格をよく知っていただけに、「日本とアメリカの遠距離恋愛になるな…」と一抹の不安を抱えつつ、彼女の希望を受け入れたのである。
 「神戸さん…、あたしが向こうへ行ってしまったらもうあんまり話す機会もなくなるね…」
 「日本からNYに電話したらどのくらいお金かかるんだろう…」
 「きっと、10分も話せないと思うよ」
 「………」「神戸さんの声を毎日聞いていたいから、何か歌ってテープに入れといて…」
 そして殆ど聴いた事もない「バス通り」を寝る間も惜しんで毎日聴き込み、NYへ旅立つまでに時間もあまり無かったので、まともな練習も出来ないまま「バス通り」をカバーしたのである。