プールサイドの人魚姫 -108ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

広島 人類最大の過ちが広島を一瞬にして焼き払った原子爆弾が投下されてから61年という歳月が流れた。実際に原爆の犠牲者となった人たちは大量の放射能に晒されながら現在でも生存しておられる方々も年々少なくなって来ているのが現状である。あの日雲一つない快晴の空に銀色のB29が悪魔を連れて飛来した。広島市の朝はいつもと変わらず平常通りの通勤風景や一日の始まりに、忙しい朝を迎えていた。夏休みを満喫している子ども達はプールや水遊びを計画していたに違いない。そしてその3日後、長崎にもう一発の原爆投下。降り注ぐ死の灰は人々の遺伝子まで破壊して行く。大量の放射能は容赦なく二重被爆の惨劇を生み出した。当時アメリカは核爆弾を3つ所持しており、一つはニューメキシコの砂漠地帯で実験済みだった。残った二つを何としても地上で実験したかったアメリカ。キノコ雲が高い青空に烈火の如く咲いた模様を眺め、トルーマン大統領は悪魔の雄たけびを上げたのだ。「我々の科学と歴史的瞬間が勝利し大成功したのだ」暗黒の紫雲下でどんな地獄絵図が起こっているかなど大統領の頭には思い付きもしなかったのだろう。それから数年後、各国で相次ぐ核実験が行われ続け、核兵器開発に膨大な予算をつぎ込み、自国の武力を誇示するアメリカや核保有国の言い訳は戦争の抑止力などと言う曖昧な定義で被爆国日本の叫びはかき消されてしまう。核を持ちたがる国は後を絶たず、イラン、北朝鮮など戦争を起こしかねない導火線を持った国にも及んでいる。戦争が生み出す悲劇、それはあらゆる兵器を使用する人間の愚かさと戦争によってもたらされる利益と人の命を天秤にかけ、武器商人と取引するテロ国家、その温床は武器を作り続ける国同士の終わりなき連鎖。もう核兵器も武器も要らない、必要のない国作り。武器を捨ててこそ真実の勇気が生まれ地球上に平和が訪れるのではないだろうか。長崎が被爆地ラストである事を願うばかりである。
カルト 新興宗教は江戸時代以降に設立された宗教団体を指すが、世界中にどれほど多くの団体が活動しているかは定かではない。その中でカルト(危険)と呼ばれる教団も数多くある。オウム真理教が日本では有名で誰でもが知る所である。さて、このところ毎日のようにワイドショーや週刊誌などに登場する「摂理」であるがこれもカルト教団と言ってよいだろう。韓国人の教祖「鄭明析(チョン・ミョンソク)」が起こした女性信者への破廉恥極まる事件が問題になっており、教団の実態が明るみに出て来るに連れ、驚くべき事実が判明されている。鄭明析は世界統一教会に在籍していた時期もあり、統一教会事態も過去に置いて問題事件を起こしているカルト的教団の部類に入るかも知れない。被害に合うのは殆どが若い女性信者であるが、言葉巧みに勧誘するその手口はトップセールス営業マンを遥かに凌ぐ「完璧勧誘マニュアル」がある。狙われやすいのは、学生でしかも頭脳明晰な女性。完璧な人間などこの世には存在しない。どんな優秀な人間でも必ず心の何処かに悩み或いは隙がある。そこに甘い汁を滴らせ、催眠術の如く誘うのである。気がつけば財布から多額の金が教団へと流れて行き、マインドコントロールされた信者たちは教団の手足となり、布教活動に専念する。宗教が悪い訳ではない、問題はそれを利用し、利益を貪る教団幹部たちなのである。場合によっては教祖も虚像の世界から作られる場合もある。人の心はとてもデリケートで弱い。そんなガラスの心を弄ぶ宗教は言い換えれば「宗狂」である
亀田 TVやマスコミが用意周到に練り上げた番組「ライトフライ級王座決定戦」亀田ファミリーを前面に押し出し、親子の絆、父親への恩返しなどと一つのドラマを作り上げて来たマスコミ。先日行われた試合は亀田興毅が主人公であり、彼の為に作られた娯楽番組であった。試合の判定を巡り多くの人たちから疑問の声が飛ぶ。試合の結果より視聴率、或いは話題性のある人物には必ずスポットが当たり、幾つものストーリーをお膳立てするTV界。ボクシングがショービジネスとして成り立ち始めたのは「鬼塚勝也」が登場した頃からだろうと思う。彼の試合も今回同様疑惑の残る試合内容が多かった。その彼自身がリングサイドで嫌な過去の試合を思い出してはいなかっただろうか?ビッグイベントともなれば大きな金が動き、利益追求型の現代では試合内容に関係なく闇のスポンサーが眼には見えない舞台の上で札束数えて踊り狂っている。彼は棚からぼた餅状態のチャンピオンベルトを貰った所で嬉しくはなかろう。腰に巻いたベルトの歴史の重さが分かるだろうか。ドラマを更に盛り上げ、亀田興毅がプロボクサーとしての誇りがあるならば、次のシナリオはベルト返上と言ったところかも知れない。何れにせよ亀田ファミリーがマスコミの犠牲になって絆が壊れてしまわないよう願っている。いや、待てよ…壊すのもドラマの内か?娯楽番組としては充分楽しませて貰ったので試合の結果はともかくとして満足している。(画像クリック)
プール もうこの国に安全と言う言葉は通じない。楽しい筈の夏休み流れるプールの下、子ども達のはしゃぐ声が一転、悲鳴に変わった。監視員の声は流れる水の中に虚しく消えて行く。危険物を発見した場合即座にプールから上がるよう促すのが監視員の仕事であり、またその場に行って危険物を取り除かなくてはならない。柵が外れている事は事故が発生する前に発見しているのだから、未然に防げた事故である。管理会社のずさんな実態がまたも明らかになるにつれ、怒りが込み上げて来るのは私だけではないだろう。シンドラー、パロマ、など会社の安全点検がおろそかになり、その犠牲として人の命が奪われて行く。類似事故が何故こうも続くのか?緩みきった管理社会は隙間だらけで、親会社から下請けへそして責任の擦り合い。誰かの命がその代償として奪われても、人の噂も75日。時が経てばニュースの片隅にも残らなくなる。回転ドアの教訓は全く活かされず、同じような事故を何度も繰り返す現代社会は安全とは程遠い危険に満ち満ちた油断だらけの社会である事は間違いないであろう。
アケボノ 敗けを幾度となく積み重ねてもK-1のリングに登る曙。リベンジと称し波に乗るチェ・ホンマンと対戦したが、リングはホンマンの一人舞台であった。屈辱のKOを味わい、その無情なリングに醜態を曝け出す。ファンの声援は涙声に変わり、ため息と沈黙が諦めの表情となりリングを去る曙の後姿に反射していた。滴り落ちる汗は涙となって勝利の女神から見放された巨体を震わせている。闘う相手は誰でもよかった。リベンジの相手はホンマンではなく自分自身だったのである。一度ならず敗けを重ねたリングはとてつもない恐怖心を抱かせる。それは丸い土俵の上とて同じであろう。横綱に登り詰め頂点を極めた者を待ち受けているのは想像を超えるプレッシャーだった。闘う相手は自分自身。己に負ければ勝負は付いたも同然。人生もそれと同じで立ち塞がる障壁が前進を拒む時があるだろう。諦めて他の道を歩むのもよいが、信念があるなら恐れず闘うべきである。人生の四角いリングで微笑む日が訪れるその日まで努力を積み重ね最大のリベンジに立ち向かう勇気を養おう。
ユリゲラー 最近流れる日産自動車のCMに懐かしい顔が現れた。1974年日本に来日し、超能力ブームの火付け役となったユリゲラー。スプーンを曲げると言う前代未聞の曲芸がお茶の間を不思議空間へと誘った。そして日本中の誰もが一度はスプーンを手にし、「曲がれ」と念じた筈である。曲がった人は自分にも超能力があったと満面の笑みを浮かべて自慢したかも知れない。日本中からスプーン曲げの達人が続々と誕生した。スプーンは元々曲がっており、材質もそれぞれで今ではそのタネ証まである。何故にスプーンなのか?当時から疑問に思っていた。それが超能力?スプーンを曲げてどうなる?天邪鬼な私の事だからインチキ臭いパフォーマンスに呆れていた。ユリ・ゲラーはアメリカの広大な土地に豪邸を構え、優雅な生活を送っているようである。超能力で油田を掘り当てたとか、FBIやCIAと関わりを持っていた等と噂されているが、真実は如何なものだろう。人間の脳には潜在的な未開発と言える部分がまだ多く眠っており、それが何かのきっかけで目覚める場合もある。眼に見えない物が見えたり、自分の周りにある電気機器が異常を起こしたりと日常生活の中で予想も付かぬ出来事が起こったりするもの。4月の半ば頃だった。腕時計のベルトが突然壊れてしまったので、修理に出したところ店員が非常に不思議な顔をして私に言った。「お客さん、何か重たい物を乗せました?」「いや、別に」「これ異常な壊れ方していますよ」「どう言う事?」「この付け根の部分ですが、数百キロの重さが加わらないとこんな曲がり方しないんですよ」私には全く見に覚えがなかった。ただ一度だけYシャツの袖に引っかかった腕時計に向かって「邪魔臭いな」と思った時があった。他にも不思議体験は幾つもあるが、電話した相手の家のPCや冷蔵庫まで壊してしまった時にはさすがに困った。超能力というものは人の役に立つ、社会に貢献出来るもの。そうでなければ単なる見世物で終わってしまうだろう。北朝鮮のミサイルを曲げてみるとか、弾道を変化させるとか、この世から争い事を無くす事が出来る力こそ超能力である。
猫バス 誰にでも在った子ども時代。それは好奇心の塊、果てしない想像力が宇宙の隅々を駆け巡る。となりのトトロは昭和30年代を舞台にした失われつつある自然の美しさ、子どもたちだけの不思議な世界が織り成すファンタジーである。一人っ子だった私は大きな自分の家が怖かった。骨董屋を営んでいた時代があったのでその名残が家の至る所に存在した。黒く煤けた神棚が沈黙の夜に私を見下ろしている。天井裏は高く昼間でも外の明かりが小さな壁の裂け目からさす程度。ネズミの足跡がうるさく、睡眠を妨げるので必死で捕まえようと幼い頭をひねりながらネズミ捕りを敢行したが、勝負はすばしっこいネズミの勝ち。だが、もっと怖ろしい怪物がそれをいとも簡単に退治してくれた。家の主「青大将」2mはあろうかと思うほどの巨大な蛇である。父はこの蛇を何の躊躇もなく手玉に取り、腕に巻きついた青大将を私に見せる。細く紅い舌が炎の様に見えていた。庭も広く樹齢400年以上の大木が多く聳え立っていた。梟が夜中に来ては啼いていた。そんな夜はトイレに行けなくて我慢した。商売柄庭の入り口にはお稲荷さんが祭られており、その後ろは戦時中防空壕だった。身近なところで多くの冒険と不思議なもののけたちに出会った少年時代。バス停で1年間父の帰りを待ち続けた僕のところに、ある日猫バスが父を乗せてやって来た。僕は懐中電灯を照らし父の顔を確認する。一年前突如消えたその時の姿のまま一言「とし坊、ごめんよ」と僕の肩を抱きしめた。「父ちゃん、もう何処へも行かないで」と心で呟き一年振りとなる父との再会に涙が潤んだ。
牛 米国産牛肉が僅か半年余りで輸入再開となった。国や政治家には安全と言う言葉の意味と重さが理解出来ていないようだ。川崎次郎厚生労働大臣の「立場上食べる」発言。国の安全管理を担う政治家の言葉とは到底思えない。不安をあおる食べては行けない物だと言っているようなもの。アメリカの傲慢な態度にも怒りを覚えるが、国のアメリカに対する態度も情けない。国と国同士の商売でもあるが、多少のリスクには目をつぶり今回は取り敢えずこれで手を打ちましょう…後は消費者任せと言う事で一件落着。アメリカ牛は確かに美味いし安い。一番復活を望んでいるのは吉野屋だったり、その人気牛丼が再開されるとなれば喜ぶ庶民も多い。それだけ愛されて来た米国産牛肉を失墜させたのはアメリカの大雑把な合理主義と手抜き管理である。自業自得と言えばそれまでだが、我々消費者の口は安全な管理の行き届いた物を選択する。疑わしい食品は牛肉だけに留まらず、ラベルを貼りかえ昨日の売れ残りを新品同様店頭に並べる偽装工作はいとも簡単に出来上がってしまう。食産業のモラル低下は消費者の食卓に危険な香りで味付けを残して行くだろう。
マイボスギャルサーに代わって始まった日テレ土曜9時の新ドラマ「マイボス・マイヒーロー」を楽しんで見ている。有り得ないような設定がまた面白いのだが、実はこのドラマ非常に親近感を憶える。父親が組長でファミリーと呼ばれるやくざの世界。私の父親は組長と言うほどでもなかったが、やはり似たような世界に生きた人だった。だから私の子ども時代は刺青を施した人たちに囲まれて育ったようなもの。しかしながら、父親らしい事は何一つして貰えず、酒に溺れた人生はたった42年で幕を閉じた。私は義務教育をまともに受けていない。劣悪な家庭環境、登校拒否、心臓病などが背景にあった。授業について行けなくなると、益々勉強や学校が嫌いになり悪循環に陥った。特に算数は大の苦手、テストのある日は憂鬱で仕方が無い。答案用紙に一通り目を通しても何処にも答えは見つからない。名前だけ書いて裏返し、余った時間は漫画の落書きタイム。テストの結果は目に見えており、いつも0点。私はいまだに分数が分からない。算数は小学3年生で時間が止っている。文章を書くのに分数や因数分解は今のところ必要ないので覚える気も無い。さて、そんな私が学級委員を2回も経験しているのである。小学6年は3学期しか出席していなかったがこれも担任の先生が影で応援し、留年と言う惨めな思いだけはさせたくないと、無理を承知で家に引き篭もっていた私を学校へ導いてくれた。出席率が3分の1あれば卒業出来るのである。地元の中学に通っても、とても周りについては行けない。その内病気が悪化し、養護学校へと転校。許された授業時間は1日4時間のみ。勉強嫌いの私にとっては好都合だった。学級委員と言えば、クラスのまとめ役、ある程度頭が良く、リーダーシップを取れる人が適していると思う。クラスで立候補者が無い場合は生徒が選出して決める。どう言うわけかその網に掛かってしまったのである。中学2年で副学級委員、3年で学級委員。頭も悪いし、リーダーシップも取れず、悪戯ばかりして先生に怒られ職員室に1時間立たされるような生徒に学級委員は務まらないだろうと自分は思っていた。担任は「神戸でよい」と笑みを浮かべながら言った。その子の将来を見据えていたのである。覆い隠された別の自分、可能性を秘めた未来への扉。勉強など出来なくても良い、頭が悪くても良い、努力する事に気が付いた時道は大きく開けるもの。苦手な物を避け、病気の中に逃げ込んでいた自分。人生を切り開くのは常に主人公である自分なのだ。今こそ、マイボス・マイヒーロー・ヒロインに生まれ変わる時なのかも知れない。

中東中東が戦火に揺れ始めた。ヒズボラ制圧に向けてイスラエル軍がレバノンに猛攻撃をしかけている。ヒズボラの拠点ベイルート市内、空爆の猛威で瓦礫の山が舞い上がる怒りの炎に包まれている。彼らの戦いに終止符を打てる者は果たしてこの地上に存在するだろうか。神さえ見捨てた終わりなき戦争、歴史を紐解けばそれはタイムマシンの扉を開き、途方もない過去へと旅をしなくてはならない。人類が誕生し最初に武器を手に入れた者、それは神から与えられた生き延びる為の知恵でもあった。弱肉強食の世界では力のみが全てを支配する。地球は人類の所有物ではないが、そこに棲む我々は自分たちの土地(家)を手に入れる為、邪魔者を排除し続けて来た。人類の歴史は戦いの繰り返し、平和を叫びながら軍隊を強化する矛盾した世界を我々は作り上げてしまったのである。やられたらやり返す、この復讐とも思える報復の連鎖。お互いが相容れぬ途方も無く高い壁と妥協を許さぬ遺伝子の構図。世界一高い士気を持つイスラエルの軍隊にはアメリカの声すらかき消される。複雑に絡み合った中東情勢、日本からは遠い国の出来事のように思えても、それがやがて竜巻となって地球の至る所に飛び火する可能性は十分にあるだろう。