核兵器はもう要らない(原爆で犠牲になった人々に捧げる) | プールサイドの人魚姫
人類最大の過ちが広島を一瞬にして焼き払った原子爆弾が投下されてから61年という歳月が流れた。実際に原爆の犠牲者となった人たちは大量の放射能に晒されながら現在でも生存しておられる方々も年々少なくなって来ているのが現状である。あの日雲一つない快晴の空に銀色のB29が悪魔を連れて飛来した。広島市の朝はいつもと変わらず平常通りの通勤風景や一日の始まりに、忙しい朝を迎えていた。夏休みを満喫している子ども達はプールや水遊びを計画していたに違いない。そしてその3日後、長崎にもう一発の原爆投下。降り注ぐ死の灰は人々の遺伝子まで破壊して行く。大量の放射能は容赦なく二重被爆の惨劇を生み出した。当時アメリカは核爆弾を3つ所持しており、一つはニューメキシコの砂漠地帯で実験済みだった。残った二つを何としても地上で実験したかったアメリカ。キノコ雲が高い青空に烈火の如く咲いた模様を眺め、トルーマン大統領は悪魔の雄たけびを上げたのだ。「我々の科学と歴史的瞬間が勝利し大成功したのだ」暗黒の紫雲下でどんな地獄絵図が起こっているかなど大統領の頭には思い付きもしなかったのだろう。それから数年後、各国で相次ぐ核実験が行われ続け、核兵器開発に膨大な予算をつぎ込み、自国の武力を誇示するアメリカや核保有国の言い訳は戦争の抑止力などと言う曖昧な定義で被爆国日本の叫びはかき消されてしまう。核を持ちたがる国は後を絶たず、イラン、北朝鮮など戦争を起こしかねない導火線を持った国にも及んでいる。戦争が生み出す悲劇、それはあらゆる兵器を使用する人間の愚かさと戦争によってもたらされる利益と人の命を天秤にかけ、武器商人と取引するテロ国家、その温床は武器を作り続ける国同士の終わりなき連鎖。もう核兵器も武器も要らない、必要のない国作り。武器を捨ててこそ真実の勇気が生まれ地球上に平和が訪れるのではないだろうか。長崎が被爆地ラストである事を願うばかりである。

