プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集 天国の地図/神戸 俊樹
¥1,260


長い闘病生活を余儀なくされてきた著者が、生きる糧とした詩作。

魂の叫びの集大成!


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 Nikon公認ニッコールクラブ静岡支部の写真展が18日大盛況の内に幕を閉じた。12~18日の開催期間中にギャラリーへ足を運んでくれた方は300人を超えた。この数字が多いか少ないかは私には分からないがクラブの諸先輩方が口を揃えて「大成功!」と語っていたので目標を達成出来たのであろう。私の友人である養護学校時代の同窓生数人、ブログを通じて知り合った方も数人が訪れれてくれ自身のブログで写真展の紹介をしてくるなどして応援を頂き感謝の極みである。同窓生とはお会いする事が叶わなかったのは残念で欲を言えば5年前の様に『プチ同窓会』が出来たら尚更の事よかったのだが…。

 一眼レフデビュー5年と言う節目にあって目標に掲げていた写真展が現実のものとなり、節目を締め括るに相応しい年となった。普段パソコンやスマフォで見ていた写真が、A3サイズの紙に印刷されるとそれは全く別次元の写真へと生まれ変わる。自分の作品でありながら客観的な視座で捉える事が出来、新たな発見に繋がるのである。それにしてもメンバーの皆さんそれぞれ固有の視点で作品を生み出すそれは研ぎ澄まされた感性の豊かさあってこそのものであるだろう。

 15日、正午の新幹線で一路静岡へ、13時少し過ぎに静岡着。ところが故郷に戻っても私の方向音痴が邪魔をした。ギャラリーは北口から徒歩7分と近いにもかかわらず、馬鹿な私は南口に出てしまい右往左往して散々遠回りし13時30分にギャラリー着。東京も暑いが今年の静岡はバカが付くほど猛烈に暑い…。背中には10キロを有に超える重たい荷物が汗塗れの私の脚を引っ張る。冷房の効いたギャラリーに着き、ホッと胸を撫で下ろしたものの心臓はバクバクで破裂しそうな息切れ。ソファで暫く呼吸を整えたのち息子とご対面。息子は訪れたお客様への対応に追われ、私と会話する時間がなく、ゆっくり会話が出来たのはギャラリー閉館後の事だった。

 そして翌日16日は藤枝在住のカメラ歴55年を超える大先輩と一緒に再びギャラリーへ。私の写真を見て「随分腕を上げたな!おれにゃあこういう写真は撮れんよ」と静岡弁丸出しで褒めちぎってくれた。ギャラリーを出た後、時間がたっぷりあったので先輩の車で日本平へ。一番高い展望台から天気の良い日であれば清水港と富士山が見渡せる筈だったのだが、空一面を灰色の分厚い雲が覆い雨まで降り出して来た。この日ばかりは運に見放された気がして、一気に疲れが出て早めにホテルに戻った。調子が良ければ17日は藤枝へ行き墓参りの予定だったが余りの疲労感に歩くのも辛いほどだったので11時の新幹線で帰路に着いた。疲れが取れるまで1週間も掛かってしまい体力・筋力の衰えを痛感した。

 

 

夜空を彩る花火の中に

あなたの影が揺らいで見える

浴衣の裾を昨日の雨で

少し濡らした私を

大丈夫?と

小さな肩を優しく抱いた

そのあなたは今

夜空の花火となって

私を見詰めていることでしょう

あの夏の日

二人の絆が途切れた時に

もう花火は見ないと誓ったのに

 

 

 8月3日、板橋、戸田で同時開催された花火大会へ行った。天候は雲一つ止めぬ晴天で空からギラギラと輝く真夏の太陽が地上を睨み付けていた。荒川に架かる笹目橋を渡り、打ち上げ会場のある戸田公園方面へと歩を進めた。絶好の撮影ポイントを確保するため、打ち上げ開始の時間より4時間前に荒川河川敷へ。その場所は2019年の花火大会の際に訪れていた事もあり直ぐ近くに救護所があったのを思い出し、さほど苦労せず見つける事が出来た。
 昨年の花火大会は皆さんもご存知の通り病院のベッドで隅田川花火大会をスマフォで眺めていた。予定通りに計画を立て「今年こそは花火を撮る!」と長年の目標を抱いてその日を待ち望んでいたのに、想像すらしなかった心停止…。病室に響いたのは花火の音より大きい看護師さんの声だった。「神戸さん、神戸さん!」悲痛にも似たその呼び掛けで私は死の淵から呼び戻されたのである。私は心臓病を患ってから「九死に一生を得」体験を何度かして来た。最初は12歳の時でやはり不整脈で心臓が止まり失神、その場に倒れ込んだ。周りに人はおらず外灯もなく真っ暗な細い道だった。どの程度倒れていたかは定かではなかったが、自分で気が付いて何事もなかったかのように自宅へ帰った。顔面を強打していたので前歯が少し欠けてしまった。傷だらけの顔を見た祖母が血相を変えて「とし、どうした!?」「転んじゃった」とあっさり返答。それから2週間ほど経ったある日の昼間、実家に帰る途中でやはり不整脈で心停止、そのまま失神。気が付くと道の端にある側溝にスッポリ嵌って仰向けに倒れていた。二人の大人(男性)が心配そうに私を覗き込んでいたが、私は「大丈夫」と言って、そのまま帰宅。その数日後に2度めの緊急入院となった。そして年月が流れ33歳の時に心不全で余命1年の宣告。最近では2013年1月に心原性脳梗塞を発症し、右半身が完全麻痺。この時、意識を失う寸前「もう終わった…」と思った。ところが幸運の女神が微笑んだかは分からぬが後遺症が全くなく10日で退院。2020年4月にはコロナ感染疑い、夥しい咳と血痰、発熱が続いた。肺のX線は真っ白だったが、何故か1週間ほどで完全回復。こうして病歴を振り返るとキリがないのであるが、昨年の心停止は恐怖そのものだった。「死」をいままで以上に実感する事となった。生きている事の尊さ、こうして写真を撮れる喜びは私の人生の全てと言ってもよい。
 花火の話題がすっかり病気にすり替わってしまったが、今回漸く花火をカメラに収める事が出来、長年の目標をひとつ達成出来た。ただ、一つ残念なのはカメラの設定を間違えてしまった事。花火を前にして興奮のあまりいつもの夜景撮影と同じ撮り方になってしまった。本当はバルブ撮影をしたかったのである…。9月下旬に都内でもう一つ花火大会があるようなので撮りに行こうか思案中…。

 

 

 16回目を迎えるニッコールクラブ静岡支部の写真展が開催されます。静岡支部は2009年設立、現在のメンバーは私も含め11人と少ない方ではありますが、Nikonをこよなく愛しカメラ歴の長いベテランカメラマンの集団です。副部長である私の息子『鈴木勇樹』は、世界からも注目を集め難易度の高さで定評のある『ニッコールフォトコンテスト』で昨年、モノクロ部門(組写真)で入選を果たしました。
 そんな息子から今年4月に静岡支部に入会して欲しいとの打診があり、私自身も静岡出身のため、快諾に至った次第です(会費は息子が負担)。支部は構成員10人を切ると存続出来ないため、私に白羽の矢が立った訳です。息子は静岡市葵区にて『パソコンサロンゆうらく』を経営、パソコンに限らずデジタル製品、ソフトなどの講師を務める傍ら、プロのカメラマンとしても活動しており、企業のWebページ制作など幅広くその高いスキルを遺憾なく発揮しております。
 今年の私の誕生日に息子から届いたメッセージを読み胸が熱くなり涙が溢れ落ちました。
 「過ぎ行くはずの風景を一枚一枚カメラで切り取る姿そのものが、まさに詩の一節です。SNSを通じて眺める事が出来る父上のお写真の数々。ただの光景を超え、心の深い感情を映し出しています。心臓病という試練の中でも、父上の強さ、決して諦めない心は、わたくしの大きな支えとなっています…。」
 息子が私の写真を認めてくれた事はこれまで、そしてこれからの撮影ライフに大きな自信を植え付けてくれるものとなりました。そして更にはニッコールクラブ支部活動の支部批評に提出した作品を担当した日本写真家協会会長である『熊切大輔』氏から『最優秀賞』に選んで頂いた事は大きな励みとなり増々精進を重ね、自分にしか撮れない新たな写真活動へのジャンプ台となりました。
 写真展については当初、参加するつもりはなく辞退したのだが、後日、息子から参加して欲しいと強い要望があったため、出品する事となった。作品数は一人4点。東京でしか撮れない作品をと希望があり複数点をデータで息子に送った。写真展を開くとなるとかなりの費用が掛かる。会場費、印刷費、額縁、マットなどなど。今回は印刷・マット代は息子が負担してくれる事となり私の出費はなし。写真は紙に印刷して初めて作品となる。アナログからデジタルに時代は変わり写真もパソコン、タブレット、スマフォなどの端末で見るようになったが、普段見慣れているデジタル画像を紙に印刷してみると驚くほど印象が変わってくる。
 印刷品質にもかなり拘りを持って接しないと希望する結果は得られないようだ。一眼レフを始めて1年も経った頃、将来、写真展を開きたいと言う願望が加わった。個人では費用が掛かり過ぎて現実的ではないが、今回の様なグループ展なら夢を実現させる事が出来る。支部員の皆様が多忙な中で貴重な時間を割いて展示会の準備を1ヶ月前から進めてくれており、頭が下がる思いである。この場を借りて「お疲れさま、ありがとうございます。」と感謝の意を込めたいと思う。
 一つ気がかりなのは写真展が開催されている期間に自分が会場に足を運べるか…。病気を抱えている手前「この日に行く」という約束が出来ない。いつなんどき「心不全」を起こすか分からないため、確実な約束が果たせないのは実に残念極まりない。
 ※静岡支部は現在もメンバー募集中のため、もしこのブログを読み部員になっても良いと言う方がおられましたらご一報下さいませ。

 

しずぎんギャラリー四季

https://www.agora-sgs.jp/shizuoka

 

 

 

 初めてスカイツリーを撮影したのは2012年8月だった。スカイツリーは同年2月に完成しているのでオープン間もない頃。友人と東京ソラマチで待ち合わせし、スカイツリーに上るつもりであったが、全国から観光客が集まっており、4時間待ちのアナウンスが…。とてもそんなに待てなかったのでソラマチの和食屋に入り食事をして帰宅。その帰り際にスカイツリーの真下からパチリと記念撮影。
 その頃はカメラ等には全く興味がなく現在の自分を取り巻く環境は夢物語のようである。今は写真撮影を中心として時間が流れている。一眼レフを始めてそろそろ5年を迎えるけれど、まだまだ覚える事は沢山あり過ぎて眼が回るほどである。今回アップしたスカイツリーはスマフォでの撮影である。最近のスマフォカメラの性能は著しい進歩を遂げており、一眼レフ顔負けの美しい写真が撮れるので驚きだ。
 日本ではi-phoneの人気がダントツであるが、私はガラケーをスマフォに替えてから一貫してSamsungのGalaxyシリーズを使い続けている。2023年5月にGalaxyS23にアップグレードして現在に至っている。カメラ性能だけを見るとi-phoneより解像度が優れているように思う。i-phoneを使った事のない私が呟いても説得力は欠けるが…。
 スカイツリーの撮影スポットは数多くあるけれど、最も人気の高い場所はスカイツリーの下を流れる北十間川に掛かる十間橋で川面に映り込む『逆さスカイツリー』は有名。写真好きの方なら一度は撮った事があるのではないだろうか。私はこの十間橋から更に歩いた所にある歩道橋の上から撮影した。確かブログにもその写真を投稿した記憶があるのだが…。スカイツリー本体と川に映り込んだスカイツリー2つの全体像を撮ろうとすると斜めの構図でないと入らなかった事を覚えている。
 スマフォで撮影していた頃の写真を見るとやたらと斜めの構図で撮りまくっていた。どうも斜めが大好きだったようである。一眼レフを始めて間もない頃はその斜め撮りのクセが抜けなくて風景写真の殆どが斜めだった(^_^;)。三脚を使い本格的に夜景を撮るようになってからよほどの事がない限り斜め撮りはしなくなった。スカイツリーは夜景のライトアップも素敵であるが、私は夕暮れに染まるスカイツリーの方が好きである。

 

 

恋も未練もみな捨て去れば

いつかあなたを忘れるかしら

移ろう季節に手を伸ばし

届かぬ想いと知りつつ待った

雨の季節が過ぎればきっと

たたんだ傘に涙雨

 

滲んだ恋は涙のせいね

流れる雫と一緒に濡れて

恋に溺れる魚になった

泳ぎ方すら忘れて独り

色づく季節にさよなら告げて

咲けどみだるる花の雨

 

ひとりよがりの恋だった

あの日あなたの背中を見詰め

せめてあなたの心に届く

花になりたい咲かせたい

例え命が枯れ果てても

命燃え尽きるまで咲きましょう

 

 

 

 

 一年前のほぼ同じ時季に白山神社の紫陽花は撮ったのだけれどその時はどういう訳か撮影意欲を掻き立てる出会いが残念ながらなかった。だが今年は違った。咲いている花は同じなのにカメラを向けると訴え掛けて来るものがあり、それをファインダーを通してビシビシと感じたのである。一球入魂ではないが、シャッターを切る時、全身全霊で被写体と向かい合う。命が宿っている生命体の美を超越した世界観を垣間見たような感触を覚えつつ、あらゆる方向から撮って行く。
 それほど広くない白山神社ではあるが、神社裏手の小さな公園の花壇にも数多く花を咲かせていた。「文京あじさいまつり」の行われる期間はおそらく来場者で埋め尽くされるだろうと思いそのイベントを避けて「まつり」の前に訪れた。期間限定で公開される有名な「富士塚」の紫陽花は撮れなかったが、日中の明るい内から日没までかなり長い時間を紫陽花の撮影に費やした。
 陽が西に沈み神社や公園に設置されている外灯が点り始め、薄暗い中の明かりを頼りにそれらの光を掻き集めて最も印象的なガクアジサイを集中的に撮影。公園内はその外灯で意外と明るかったが、気が付くと辺りには人の影も消え失せており、その夜の静寂の中にシャッターを切る「パシャパシャ」の音だけが夜の闇に吸い込まれ木霊していた。時計を見ると20時を回っており、慌てて帰宅の途に着いた。

 

 

 皆様、暑中お見舞い申し上げます。35℃以上の連日の猛暑が続きその後は梅雨が戻って来ると一気に気温が下がり、寒暖差の激しい天候で食欲も落ち何となく身体が怠くすっかり体調を崩してしまった方も多いかと思います。私もそんなひとりで体重が2キロ落ちました。体重が減るとその分心臓への負担が減るのである意味有り難い事ではあるのですが…。梅雨が明ければまた猛暑が戻って来ますが熱中症で救急搬送される方も急増しています。しっかり水分補給を忘れずこの夏を無事に乗り切りましょう。
 以前の記事で紹介した日比谷の高層ビル群の続編である。その時の目的は日比谷公園のシンボルである『大噴水』の撮影であった。公園に着いた時は夕暮れ時でまだほんのり明るく噴水の周りには多くの人がいた。噴水は水しぶきを上げ空に向かって勢い良く吹き上がっていたがライトアップはまだ始まっていなかった。ウォーミングアップを兼ねて何枚か撮影を始めつつ夜の帳を待った。噴水の向こうに見えるビル群に明かりが灯り始めた頃、それに合わせるかのように神秘的な噴水のライトアップが始まった。
 三脚は使わず全て手持ち撮影。まずは20mmの広角レンズで撮った。流れる水を撮る時はどうしてもシャッタースピードを遅くして夜景撮影のような長時間露光で撮りたくなるが今回は噴水の躍動感を重視し早めのシャッタースピードにした。広角レンズでは噴水以外に周りの風景もダイナミックに撮れるのだが、主役は噴水なので途中でメインレンズをZ40mmに変更。ライトアップの色が頻繁に変わるので連射モードを使ったため、かなりの枚数になり、バッテリーが切れそうになってしまった。以前、浮間公園へ撮影に行った際、途中でバッテリーが切れてしまい取り替えたところそのバッテリーも空だった。充電忘れと言う致命的ミスで夜景が撮れなかった苦い経験もあったので、それ以来予備のバッテリーを3つに増やした経緯がある。
 撮影中雲行きが怪しくなり始めてポツポツと真っ暗な空から雨粒が落ち始めた。と同時に噴水の周りに居た人たちの姿があっという間に消えた。後に残った私は多少の雨で撮影を止めるほどやわではないため続行。そんな気力に根負けした雨雲が気付きたらいつの間にか何処か遠くへ退散していた。それにしても真っ赤にライトアップされた噴水が私には血飛沫のように見えてちょっと怖くなった。

 

 

 

溢れ出すこの想いを

止められなくて

あなたの背中を

追い掛けていたあの頃

戻れない日々と解っていても

儚き望みに埋もれて眠れば

この花の中であなたに逢える

色とりどりに咲く花が

わたしの想いを染めてゆく

 

 

 4月の退院以降、風景写真(夜景)はほんの数枚撮っただけで、それ以外は花ばかり撮り続けていた。風景を撮らなかった理由は単に天候が気に入らなかっただけの事。花(植物)は天候にさほど左右されず雨の日でもそれはそれで情感たっぷりの写真が撮れるだろう。
 今年の梅雨入りは例年に比べかなり遅かった。紫陽花と言えば梅雨の季節を連想するし、雨の似合う花でもある。かと言って雨の日にわざわざ紫陽花を撮りに行く元気はそれほどなく、昨年と同じ時季(5、6月)に隅田公園と白山神社へ出掛けた。隅田公園の紫陽花は少し時季が早すぎたようで、公園内の撮影スポットである『あじさいロード』には僅かに咲いている程度であった。公園から隅田川テラスを散策しながら両国橋方面へ歩を進める。途中の花壇に色んな種類の花を見つけシャッターを切る。花の種類は解らないけれど多分、ペチュニア、ビオラ、パンジー等だろうと思った。
 花の撮影に限った事ではないけれど、眼に見える部分だけに因われてしまうと、その奥に潜む被写体の本質を見失いがちになる。被写体の持つ魅力を最大限に引き出すには撮影テクニックももちろん重要ではあるのだが、写真の善し悪しは構図と距離感で決まると私は思っている。花や昆虫といった撮影時に欠かせないのがマクロ撮影であるが、呼吸が乱れると思い通りの撮影が出来ない。心臓が悪い私にとってマクロ撮影は最も苦手とする分野であるが、それでもなんとかレンズとカメラ本体の性能に助けられて小刻みに震える手と呼吸を整えつつシャッターを切る。そうやって苦労しながら撮影している内に「フッ」とポエムが浮かんで来たりするのでる。

 

 

 

 

 前回のネモフィラは『青い妖精』と表現したが、今回は『踊り子』にしてみた。ライトアップされたお花畑はそこに咲く花たちのステージでもある。それは劇場でスポットライトを浴びながら踊るダンサーと同じだろう。その花の持つ魅力を如何に引き出し彼女たちをヒロインに仕立て上げるか、その作業こそが撮り手に問われる大きな課題でもある。
 舎人公園のネモフィラは昨年、初めて訪れネモフィラ畑が何処にあるのか分からず広い公園内をグルグル歩き回ってしまった。1年前に記事に上げているので覚えてくれている読者も多いかと思う。あの時は見事なまでに美しい夕陽を浴びて青い花がより一層美しさを増して咲いていた情景が瞼に焼き付いている。今回は『花と光のムーブメント』と題して、約1ヶ月間のライトアップイベントが開催されていた。
 私が訪れたのはGWに入る少し前の4月26日。GW中は多くの人たちがイベントを見に来るだろう事は予想出来たので早目に行ってみたが、それでもかなり多くの人が同じ目的を持ってネモフィラを撮影していた。何処を切り取っても人物が映り込んでしまう状態だったので、撮影ポイントを決めるのに苦労した。天候は曇りであまり良くはなかったが、ライトアップされたネモフィラを撮るのが目的だったので、明るい内はウォーミングアップ程度で済ませた。辺りに夜の影が囁き出し花畑の地面に設置された小さなLED電球が一斉に輝きだすと、園内から「ワァー、キレイ!」とどよめきの声が上がった。
 浮間公園で大活躍したタムロンの望遠レンズはこの暗い中では役に立たず、単焦点レンズのZ40mmf2での撮影となった。地面スレスレの低い位置からのアングルで、ファインダーを覗いての撮影はさすがに無理でモニターを見ながらであったが、私は眼鏡をしていても少し離れるとぼやけて鮮明に見えない。カメラマンとしては致命的ではあるが、後は勘とカメラの性能に任せシャッターを切った。
 撮れた写真を確認すると、何とも妖艶な幻想的・神秘的とも言える世界が広がっており、前回のネモフィラの時と同じように撮影の疲れもすっかり忘れて、意気揚々と帰宅の徒に着いた。

 

 

 私はかなりの方向音痴である。花音痴も相変わらずで困ったものであるが、地下鉄を降りて地上に出た時、自分が何処にいるのか分からなくなるのでスマフォのGoogleマップを頼りにし、現在地と目的地を把握する。方向音痴はどうすれば直るのだろうか?方向が分からないからと言って特別困った事がないので野放しにしているのだが、これはもしかして認知機能に問題があるのかも知れない。
 この日は日比谷公園へ撮影に行く途中で、都営三田線の日比谷駅で下車し、いつもなら真っ直ぐ地下道を進み日比谷公園の出口に向かうのだが、地上までの長い階段を見ると心臓の悪い私にはため息しか出ず激しい息切れを我慢しつつ上るのが嫌でエレベーターのある出口を探すために別の出口に進んだが、地上に出た途端「え!?此処は何処??」の迷子状態になってしまった。周りは高層ビルだらけでいつもの出口の風景とは全く違っていたため、少しばかりパニックになってしまったのだけれど、大都会ならではのビル群と青い夕空を見上げて、すかさずバックからカメラを取り出しパシャパシャとシャッターを切った。
 覆い被さるように迫って来る青白い空と雲に圧倒され、高層ビル群が今にも白い雲に呑み込まれるのではと想像させる迫力に自分の居場所はどこ吹く風となり、撮影に夢中になった。これがもし沈み行く太陽の陽射しが当たっていたらどんなにか美しい夕陽の空を眺める事が出来ただろうと少し残念な想いを残しつつ、目的地の日比谷公園へ向かった。
 風景写真を撮る時、夜景に限らず雲の存在はとても重要である。特に夏場のモクモクと空に拡がる積乱雲が好きである。だから風景を撮る予定の時は自宅のパソコンでスカイツリーやお台場などあらゆる都内のライブカメラを確認し、空模様を眺めてから出掛けるようにしている。然し、自然は生き物だから刻一刻と変化するため現地に着いた時、希望した空模様に出会えるとは限らない。希望にそぐわなかった時はあっさり諦め、何も撮らず帰宅するのだが、そんな願いの叶わなかった時の足取りは重く疲れもひとしおではあるが、次の機会を愉しみにしてレンズを磨いたりしてその日が終わる。

 

 

 

 チューリップ記事の冒頭で触れているように桜の事がよほど悔しかったのか、この浮間公園へ短期間の間に3回も足を運んだ。1回目はチューリップとネモフィラの撮影に専念。陽が西に傾き始めた頃まで撮影を続けていた。夜景を撮る予定はなかったので、それは別の日に回して公園内を歩き回った。
 浮間公園は舎人公園や昭和記念公園のように広くはないため、池の淵に沿って歩けば1時間も掛からないほどコンパクトな公園である。そんな公園内にはボランティアの人達が植えてくれたと思える様々な春の花たちを愉しむ事が出来た。数年前まではこの公園の存在を全く知らなかったが、訪問看護師さんから情報を貰い、昨年の春、初めて訪れてみた。1年前の記事でも触れていると思うので詳細は省くが、春の撮影スポットとして私のレパートリーに追加するに至った。
 ネモフィラと言えば「青い絨毯」と称されるように、広大な敷地に青い花が一面に敷き詰められ、まさに絨毯そのものである。こちらの公園にはそのようなネモフィラ畑がないため、壮観なお花畑を見る事は出来ないものの、風車を中心にして小さな花壇が幾つか点在しており、そこに少し控えめながら青い花びらを蝶の翼の様に広げて咲いている。その姿は可憐な乙女のようでもあり、他の花の邪魔にならぬよう出しゃばりもせず、微風に揺らいでいた。
 花壇は地上から少し高い場所に設置してあり、膝を着いてカメラを構えると構図的にも丁度よい位置に来るため、地面に這いつくばって撮るような事もなく、体力的にも優しい撮影となった。レンズは花を撮る時の定番 Z MC105mmではなく、敢えてタムロンの70-300mmを使用、焦点距離は150mm。望遠レンズ特有の圧縮効果により、実に柔らかく美しい前ボケ写真が撮れた。それはまるで水の中を泳ぐ「青い妖精」そのものの姿であった。
 この日はチューリップも含め納得の行く(予想以上)の写真が撮れたため、ご機嫌な足取りで帰路に着いた。話題は逸れるが、5月15日は腎臓内科と消化器内科の外来日であった。腹部エコーの検査があり、肝臓・膵臓・脾臓・胆嚢の状態を調べた。肝臓も脾臓もかなり大きく肥大していたが、治療の範疇にはないようだった。前任の担当医が3月で三井を去り、東大医学部より新たな医師が赴任して来た。肝硬変について質問したところ、前任者が言っていた「心臓病とは関係のない肝硬変」はあっさりと180度変わり、心臓疾患による「うっ血肝」で肝硬変には間違いないものの、原因が特定出来ないものではないとの事だった。
 気になる心不全の指標であるBNP値は1450と高めではあるものの、重いカメラを持って撮影に行けるため許容範囲である。クレアチニンは入院時3.6だったものが2.85まで改善していた。自宅に戻ってから水分をしっかり摂るようになったのが腎臓を守る結果として、数値に反映されたのだろう。だからと言ってむやみに水分を撮り過ぎると心不全を起こし病院へ逆戻りとなる。心臓、腎臓ともほど良いバランスを保つのがベストなのだが、これが結構難しく悩みどころである。