プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集 天国の地図/神戸 俊樹
¥1,260


長い闘病生活を余儀なくされてきた著者が、生きる糧とした詩作。

魂の叫びの集大成!


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 このポートレートは昨年10月下旬、浜離宮恩賜庭園へコスモスを撮影に行った際に撮ったもの。この時期と言えば心臓の3回目の手術も無事に終わり、退院後自宅に戻ってリハビリを続ける毎日を送っていた頃であったが、なんとしても秋桜を撮りたいという溢れ出る撮影意欲を抑える事が出来ず、無茶を承知で撮影に出掛けた。
 この時、5回目の入院がその先に待っている事など到底考えもしなかったが、正直なところ、退院1週間が過ぎた辺りから身体に異変が生じ始めていた。それはこれまで経験した事の無いような酷い息切れであった。安静にしていれば問題なかったが、ほんの少し歩いただけで今にも心臓が破裂するのではないかと思うほどの呼吸困難…。いま思えば、それは救急車を呼び緊急入院するレベルだった。
 それでも、手術は成功しているのに何故こんなに苦しいのか疑問ばかりが頭を過り、もう少し時間が経てば心臓も落ち着くだろうと、入院の事など一切考えていなかった。そんな状態の中、重いカメラを持って撮影に出掛けたのであるが、それはまさに自殺行為に等しかった。撮影中気を失って倒れなかった事が不思議なくらいである。
 都営大江戸線の築地市場駅から庭園まで普通なら徒歩で僅か7分ほどの距離であるが、数m歩いては休みとそれを繰り返しながらだったため、20分も掛かってしまった。撮影の前に呼吸を整えるため何度も深呼吸をして心臓を落ち着かせた。この時、私の心臓は重篤な心不全状態だったのは言うまでもない。心機能は20%まで落ち込み呼吸が止まる寸前だったのである。そんな身体で写真を撮ろうなどと、私はとうとう「写真バカ」になってしまったようだ。命が尽きたら大好きな写真はもう撮れなくなる…。こんな当たり前な事も重々承知で出掛けたのだから何が起こっても全ては自己責任。そしてこれは最も反省しなけければならない私の大きな欠点でもある、つまりは『わがまま』の境地。だから入院する度に看護師や担当医に酷く叱咤され、まるで幼い子供である…。
 庭園には夏の名残りがそよ吹く風に乗って花々の隙間を駆け巡っており、天気も上々で花を撮るには絶好の機会であった。こちらの眼鏡を掛けた品の良さそうなお嬢さんの前方にはおそらく彼氏さんと思われる方が一眼レフを構えてパシャパシャとシャッターを切っていた。横顔からでもはっきりと見て取れるその少しはにかんだ様な笑顔がとても素敵だったので、ピンクの花を全面に入れて私もパシャッと1枚。
 コスモスは兎も角として、普段滅多に撮る機会に恵まれない人物写真が撮れたので、息苦しさも忘れてその日は無事に帰宅。そしてその数日後に既に記事にした通り、5回目の入院となった訳である。この時の事を深く反省し、今はかなり慎重になり撮影回数も激減している。

 

 

 久しぶりのジャンクションシリーズであるが、これは昨年の2月下旬に撮影したphotoである。場所は両国JTC。昨年はご存知の通り入退院の繰り返しで撮影機会を大きく奪われてしまったため、予定通りなら都内のJCT10箇所はカメラに収める筈だったが、結果的に僅か5箇所に留まっている。その内の1つ『東雲JTC』は撮影はしたものの、天候が気に入らず没とした。
 都内全部のJTCを巡ってはいないが、現時点で私自身が最も気に入っているのがこの両国JCTである。何と言っても美しく流れる流線型の高速道路が、隅田川を跨いで走るそのダイナミックな動きのある景観はまさに大都会ならではの迫力がある。明るい日中と日没後の姿とでは同じ場所?と疑いたくなる様な豹変ぶりが余りに見事で私は大好きである。
 陽が西に傾き始めると徐々に色合いを醸し出す様は、化粧を施し変化していく女性の容姿とも似ている気がする。光の帯となったルージュが川面に映り込み、異次元とも思えるような絢爛たる物語りを紡ぎ出してくる。
 その風景をどのように切り取り表現するか、そして夜景撮影の醍醐味と言えば光跡である。それを如何に美しく魅せるかであろう。投稿したphotoそれぞれで色合いが微妙に異なるのはホワイトバランスの設定を変えて撮っているためである。因みに露出時間=15秒、絞り値16、ISO感度200。もちろん三脚を使用しての撮影である。

 

 

 

夕暮れ近づくある公園で
薔薇が静かに咲いていた
凍てつく風に煽られても
文句ひとつ零さず
風に向かって咲いていた
寒かろうに冷たかろうに
それでも薔薇は
懸命に健気な姿を見せながら
けれどもこの花
自ら流す赤い涙で
染まり行くのを
誰ひとり気づかない
薔薇が静かに
泣いている事さえも

 

 

 増上寺で紅葉美人を撮影した後、隣の芝公園へ行った。公園の入口付近に小さな丸い花壇があり赤い椿が勢いよく花開いていた。それをカメラに数枚収め、辺りを見回すと手の届く直ぐ近くに赤い薔薇が撮ってくれと言わんばかりに咲いていた。陽が西に傾き始め、光量が若干足りないと思ったので、ここは明るい単焦点レンズの出番だろうと考えたが、敢えてタムロンの望遠レンズで撮影。
 70-300mmf4.5-6.3は望遠レンズ初心者には嬉しい7万円と破格値で財布にも優しくしかも望遠レンズと言えばやたらと重いイメージがあるが、こちらはなんと580gと驚きの軽さ!ミラーレス用に作られたと言っても過言ではない。TAMRON初のZマウント対応レンズである。人気商品であるため、ヨドバシカメラのマルチメディア館には在庫が無く、新宿店から発送してもらった。今年は多分、タムロンの出番が多くなると思う。望遠レンズだからと言って遠くの物ばかり撮る必要はなく、遠近関係なく自由に撮れば良い。
 このレンズを手に入れた事でまた一歩撮影の幅が拡がったと思う。さて、鳩山会館の薔薇たちは手入れが程よくされており上品な薔薇というイメージを持った。大事にされ過ぎているせいか「箱入り娘」的な部分もある。それに比べ芝公園の薔薇は荒々しさと打たれ強い印象を与えてくれた。以前、薔薇の撮影が大の苦手で長い間敬遠して来たが、それを克服させてくれたのもやはり芝公園の薔薇だった。その意味でもこの薔薇たちには感謝している。

 

 

 この風景写真は約3年前、一眼レフのNikon D700からD810へアップグレードして間もない頃に撮影したもの。場所は竹芝桟橋、この日は東海汽船の大型客船を撮るため客船が伊豆諸島から帰港するのを待っているところだった。左の方角に視線を投げると、何やら空がピカピカと光っていた。最初は花火かとも思ったが、直ぐにそれが稲光だと分かった。
 当時は新型コロナの第1波が拡大し始めていた時期で一日100人の感染者で世間が大騒ぎっし、最初の緊急事態宣言が発せられていたと記憶している。その影響で隅田川の花火大会は中止となったが、時と場所を公開せずゲリラ敵に打ち上げを実施していた。かなりの頻度で稲妻が空を駆け巡り、発達した積乱雲も見て取れたので、これはチャンスと思いカメラを向けた。多分、隅田川の上流スカイツリーのある辺りで盛んに光っていたものと思われる。
 撮り始めは光る度にシャッターを切っていたが、それでは埒が明かず稲妻の速さに全くピントが合わなかったため連射モードに切り替え、シャッターを切り捲った。数分の間に200枚ほど撮影したと思うが、その中の1枚にこの決定的瞬間が写っていた。自然現象を被写体として撮影するには気象条件、時間、そしてよほど運が良くないと撮れない。狙ったからといって思い通りの写真となるかは、根気と時の運を天秤に掛けるようなものである。
 この時、狙いを定めた通りにピントが合い、右から左方向に走る稲光をカメラが捉えた。それは瞬きよりも早い一瞬の出来事で、私は肉眼では見る事が出来なかった。このような決定的な写真は今後、そう何度も撮れるものではないだろう。200枚の内199枚は失敗だったが、この1枚が撮れたお陰で私は至上の達成感を味わう事が出来たのである。
 自然の猛威と言えば、トルコ・シリアの巨大地震で4万人をはるかに超える犠牲者が出ており、胸が痛くなる。一刻も早い救出と復興が進み平穏な日々を取り戻す事を心から願うばかりである。この地震で亡くなられた方々のご冥福をこの場を借りてお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 鳩山会館で薔薇を撮影したその三日後、紅葉の撮影に出掛けた。場所は昨年と同じ九品仏浄真寺である。退院から僅か一週間足らずで2度も撮影に出掛けるのはかなり荒っぽい行動だったと思うけれど、撮影のタイミングを逃すまいとそれだけに心が捉われていた。撮影はある意味、麻薬的な要素を持っていると思う。
 ファインダー越しに映る被写体の世界を如何に表現するか、一心不乱にシャッターを切る。カメラと出会って生まれ変わったと言っても、それは決して大袈裟な表現ではない。自分が目指す域にはまだまだ遠く及ばないけれど、昨日より今日、今日より明日…と言った風に試行錯誤しながら思う存分、写活を楽しみたい。
 前回は24-200mmズームレンズで撮影した紅葉、今回はZ MC105mm単焦点レンズを使用した。この九品仏浄真寺は紅葉スポットとして人気が高く、見頃の時季には数多くの観光客が訪れる。仁王門を潜るとそこはまるで京都の寺院に迷い込んだかと錯覚するほど、近隣の街並みの喧騒が嘘のように静寂と尊厳が重なる様に流れる空気の中で、色取り取りに化粧をしたもみじ達の姿が出迎えてくれる。
 コロナ禍ではあるが行動制限がない中で、昨年とは比べ物にならないほど大幅に訪問者が増えており撮影にも結構気を遣った。そう言えば前回は焔魔堂の前に茶トラの猫が出迎えてくれたのだが、人が多すぎるせいなのか猫の姿はどこにもなかった。可愛い茶トラに会いたかったのにそれだけが残念であった。

 

 

 

 夜景を撮りたいのは山々なのだが今冬の寒さが余りに厳しく、寒風吹き荒ぶ凍てつく空の下に一歩踏み出す意欲も凍り付いてしまったようだ。日中は兎も角、陽が落ちると一気に気温も下がる。心臓の事を第一に考えれば寒さは大敵と承知してはいるものの、長い時間カメラに触れていないと撮影の勘が鈍ってしまうのではと一抹の不安を覚えるのも事実。
 車の運転と同じで、1週間ハンドルを握っていれば勘は取り戻せるだろうから、撮りたい物に出会ったら躊躇う事なくシャッターを切ればそのうち慣れて来るだろう。先日、久しぶりに防湿庫からカメラを取り出してみたのだが、何とも重く感じた。「これミラーレスだよなぁ?」と一瞬疑いたくなるほどの重量を感じた。つまり、それほどに筋力が落ちているのだ。ミラーレスを重いなんて一度も感じた事はなかったが、流石に撮影から遠ざかっている時間が長すぎるのだろう。だが、今は何より心臓を優先しなければならない。後1カ月もすれば春の芽吹く足音が聞こえて来るのだから。
 と言う事で、upしたphotoは2年前の8月上旬、確か箱崎辺りへ撮影に出掛けたその帰りの路で隅田川テラスを散策しつつ、撮影した東京の夜景である。隅田川を跨いで通る隅田川大橋とその上を箱崎ジャンクションから続く首都高が、大都会の高層ビル群の中に吸い込まれる様に伸びて行く様は東京ならではの景観だと思う。金色に輝く橋と高速道路!「美しい」を通り越してまさに圧巻の風景写真となった。隅田川に映り込む光の帯もこの世の物とは思えない美しさ!
 この撮影で使ったレンズはsigmaの12-24mmだったと思う。単焦点レンズでなくとも、カメラの設定次第で、レンズの特性を最大限活かした撮影が出来るものである。

 

 

 

 これほどまともにポートレート(人物)を撮ったのは始めてかも知れない。12月3日、場所は増上寺。この時、私はタムロンの望遠レンズ70-300mm(Zマウント)を取り付けている最中だった。そこへ家族連れの観光客が現れ、その中にこちらの女性がおり、紅葉を背景にして記念写真を撮り始めた。これはチャンス到来と思い、「一枚撮らせて下さい」と声を掛け、カメラを向けた。すると女性はそれを待っていたかの様に、カメラ目線で私の方に満面の素敵な笑顔を見せてくれた。
 少し緊張したのは彼女の方ではなく私で、カメラの設定も忘れて「パシャ!」とシャッターを切った。撮れた写真をその場で見せるととても喜んでくれ、SNS等に写真を投稿する事も快く承諾してくれた。
 うぐいす色の着物と紅葉の鮮やかな赤色が見事なまでにお互いを際立たせ、女性の美しさをなお一層、引き立てていた。カメラを始めて3年、これまで風景をメインにして様々な物を撮って来たが、今まで全く興味のなかった物に対し、カメラはそれを一変させせてくれた。ファインダーから覗くその世界はまるで別次元。写真は私の味気なかった人生に活力を与えてくれた。それはまさに人生のスパイス!何が切っ掛けで写真を撮り始めたのかそれも忘れてしまったけれど、私の写真人生、多分、この命が尽きるまで続くのだろう…。
 今回のポートレートで一つ残念だったのは、明るい単焦点レンズだったら、もっと鮮やかな写真が撮れただろうと思う。咄嗟の時でもレンズ選びは慎重に行うべきである…と言う教訓を得た次第である。

 

 

心の奥底に隠しておいた

欲望の種が

紅く染まりながら

実り始めて行くのを

僕は ただ黙って

見詰めていた

君の麗しき誘惑に

やっぱり僕は

勝てそうにない

 

 

 退院してまだ間もない11月24日、満を持して撮影に出掛けた。天気は雲一つない秋晴れで、青い空が私を呼んでいるかのようだった。入院中、看護師さんたちとの会話は写真の事が中心だった。「退院したら薔薇を撮りに行く」そう話しながら、退院の時期が気掛かりで、11月中旬以降になったら秋バラの見頃を過ぎてしまう…と内心かなり焦っていた。
 私のカルテには『趣味、写真撮影』と記してあるため、カルテに眼を通す医療スタッフたちの殆どが私の写真好きを知っていた。主治医は「何としてでも神戸さんに再度撮影出来る身体にしてあげたい」と、顔を合わせる度に口にしていた。
 先日の循環器外来で撮影に行った話しをすると、主治医は嬉しそうに身体全体で喜びを表現しており、その優し気な顔には安堵の色が拡がっていた。ただ懸念材料は、右肺にまたしても水が溜まり始めていた事。これが長期に渡って続けば前回と同じ心不全を招き6回目の入院は免れないだろう。
 そうならない為に、利尿薬の『サムスカ』が0.5錠追加された。後は塩分1日6g以下を徹底して守り、出来るだけ入院時と同じ生活を心掛ける事である。然し、それが中々出来ないから何度も入院している訳で…。
 さて、今回も昨年と同様、『鳩山会館』の薔薇を撮影した。やはり開花のピークを過ぎており、昨年の様な勢いのある薔薇に中々出会えなかったのは残念だったが、その中でも納得の行く数枚を撮影出来たので良しとする。電車に乗っている時間の方が長く、殆ど歩いてはおらず、病み上がりのリハビリには丁度良い撮影となった。ただ、やはり急な上り坂は想像以上にきつかった。オペで三尖弁の逆流が治ったからもっと楽に登れるかと思ったのだが、まだ術後3ヵ月、心臓は快復の途上である。焦る事はない、時間はあるのだからゆっくりリハビリを重ね元気を取り戻して行こう。

 

 Happy New Year!
 Best wishes for peace and prosperity!

 

 昨年、12月中旬頃に風邪を引き、激しい咳と発熱ですっかり体調を崩し約2週間自宅で寝たきり状態となった。夜になると咳が益々酷くなり眠れず、体力・気力を根こそぎ奪われてしまい、『うつ状態』となり食欲は無く、意欲も失せ毎日栄養ドリンク1本と時々おにぎりを1つ口に押し込む程度だった。その為、体重も1週間で5キロ落ち10代半ばの頃の51キロに突入。術後の写真をお見せしたが、その時より更に痩せ、あばら骨が浮き出てまさに骨と皮のみになった。
 病院へ行き、診察を受け然るべき治療をした方が良い事は重々承知であったが、家の外に出る気力がないのである。消化器内科と歯科外来はキャンセル、漸く咳が治まった28日、腎臓内科の外来を受診。検査データを見ると何と腎機能が若干ではあったが改善しており、担当医もいつになくにこやかであった。
 自宅で2週間、安静と保温に徹していた事が功を奏したのだろうか?『災い転じて副となす』と言う結果が無事に年を越し新年を迎える事が出来た喜びへと繋がったのだと思う。術後3ヵ月を迎え、心不全の兆候は見られず安定していると思う(ほぼ寝正月)。体重は55キロ台を維持しており、体調的には中の上辺りだろうか。昨年と同様に神社(初詣)は神田明神だが、8月に撮影した観覧車以来の夜景撮影に勘が鈍ったかピントが少し甘いような気もする。
 暫く眠らせていたsigmaの12-24mmとNIKKOR Z40mmf2の2本のレンズを使用。身体への負担も考慮し、slickのミニ三脚を使った。
 昨年はその半分を入院と言う想定外の事が立て続けにおき波乱の連続だった。今年は入院で失った分をもっともっと元気になってカメラで取り戻したいと思っている。本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

Nikon Z7Ⅱ,Mモード,WB晴天,ISO200,SS/10秒,f/14 LAOWA FFⅡ 14mm f4.0

 

 

 入院中、病状がある程度安定して来ると、酸素や点滴をしたままでも、病棟内歩行の許可が下りる。ガラガラガラと点滴棒をお供にしてリハビリも兼ねた歩行それ自体が意外と楽しみの一つとなる。歩行が出来ればシャワーもほぼOKとなるので楽しみが少しづつ増えて行く。
 そんな些細な楽しみの中に、16階の高層ビルから眺める東京の街並みもまた時を忘れる癒しの空間が存在する。東京の夜景を眺めている時、遥か東の方角に緑色に輝くリングのような形状の建造物を発見した。最初はお台場の観覧車かと思ったが、『パレットタウン大観覧車』は8月31日で営業を終え、今は解体工事が進行中だと言う。
 翌日、リハビリ中に観覧車の話しを担当の理学療法士に振ると「神戸さん、あれは葛西臨海公園の観覧車ですよ」と言うではないか。「ええっ!そうだったの?」まさかこの病院から葛西臨海公園が見えるなどと想像もしていなかったのでかなり驚いたが、やはり日本最大級の観覧車と呼ばれているだけの事はあると改めてその大きさに納得した。
 投稿した観覧車は昨年も同じ時季に撮影しているが、今回はNikonではなく私のお気に入りの1本、LAOWA14mmの中華レンズで撮影。レンズが変わると映り方も随分と変化するから面白い。そろそろ術後2ヵ月を迎えるが退院後、夜景撮影はまだ一度も行っていない。三脚を含めたカメラ機材だけでも、おそらく6~8キロはあると思う。肋骨がしっかりくっ付くまで当分の間は重い物を持たない方が良いと言われているため、本格的な夜景撮影は来年からにしておいた方が良さそうだ。然し、それ以前に無事に年を越せるかそれが心配の種である。何しろ1日の塩分制限6g以下を守らないとまた『心不全』を引き起こすからだ…。