№1にな「れ」なくてもいい
タイトルは、ある不動産鑑定士の方がお書きになった文章からの引用です。昨日「憤」について書きましたが。やはり、負けず嫌いであるとか、なにくそ!という気持ちが無いと、成長・進化は難しいのです。槇原敬之さんの歌に、「世界に一つだけの花」という歌がありますが、私は、聞いた当初から、あまり好きになれない歌です。詩を読むと、感動するし・・・・、素晴らしいなぁ・・・自分だけの花を咲かせるって、大切だよなぁ・・・と思います。しかし、槇原さん位のレベルになった人物なら、当然訪れる悟りのようなもの、そこからか、達観しすぎてしまって、いわゆる極端な道徳ソングになっているんです。未熟な人格にありがちな、いわゆる「分極志向」(注)です。本当に、№1にならなくても良いのか・・・。花を見て、綺麗だわ~、自分の花を咲かせているのね~と、脳天気に見ているのは、勝手な人間だけ。彼ら花が生きている世界は、食うか食われるか。まさに弱肉強食の世界。常に絶滅の危機と隣り合わせ。花を綺麗にするのも、いい香りにさせるのも、人を喜ばせるためではなく、生き残らんがため、子孫を残さんがため。だから、花は美しい。極限の世界で、精一杯に今を生き、やるべきことを、褒められようが、褒められまいが、淡々と実行している。そして、それは、他をけ落とし、他を枯らしてでも、自分が生き残らんとする、「憤」を傍らに抱いている。しかし、虫達と共生する花がいるように、他者への慈愛に満ちた行為も行う。この矛盾が織りなす、生への真剣さが、美しいと感じさせるのだ。私たち人間も、同じ。「№1にならなくていい・・・」と、開き直る人物を、我々は美しいと思うだろうか。この人物は成長できるであろうか。№1を目指して、血のにじむような努力をして、ここまでやっても駄目か・・・と力尽きることもある。いや、途中で力尽きる人の方が多いのかも知れない。しかし、この人達はとても美しい。甲子園で敗れ去り、泣き崩れる子供達は美しいではないですか。正しくは、「№1にならなくてもいい」ではなく、「№1にな『れ』なくてもいい」のです。この部分に、私は、槇原敬之の精神性の限界を見てしまうし、そんな彼の歌を、小学校で、みんなで合唱をしているのを見ると、とても心配してしまいます。(注)分極志向・・・大和信春先生著「心の自立」より