◇障害を通して教えられた「二者性」という生き方
先日、
ある関与先の社長さんとお話ししている中で、
生物学者であり、
和光大学名誉教授の
最首悟さん
のお話を伺いました。
最首さんは、
重度の障害をもつ娘さん(星子さん)を
育ててこられた方です。
その歩みの中から紡ぎ出された言葉が、
👉「二者性」
でした。
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◇人は、一人では人になれない
「人間」(じんかん)という言葉は、
もともと
「人と人とのあいだ」
を意味していたと言われます。
最首さんのいう「二者性」とは、
人は、
一人で完結して存在しているのではなく、
誰かとの関係性の中で初めて自分になる
という考え方です。
最首さんは、
「わたし」と「あなた」を合わせて
👉「わなた」
という言葉でも表現されています。
「あなた」がいて、
初めて「私」が存在する。
人は誰も、
支え、支えられる関係の中で生きている。
それが、
「二者性」という考え方です。
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◇植松死刑囚との対話
最首さんは、
相模原障害者施設殺傷事件の植松死刑囚とも、
接見や往復書簡を続けられました。
植松死刑囚は、
人の価値を
・「能力」
・「生産性」
で測ろうとしました。
しかし、
最首さんは、
人の価値は能力ではなく、
関係性の中にある
と問い続けました。
たとえ言葉で意思を伝えられなくても、
その人の存在によって、
誰かが支えられ、
誰かが変わっていく。
そこに、
人として生きる意味があるのではないか。
そう伝え続けたそうです。
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◇私も、長男との関係の中で変わった
この話を伺って、
私は、
長男との歩みを思い出しました。
長男が障害を持って生まれたことで、
私は、
障害を受容してきたつもりでした。
しかし、
本当は違ったのかもしれません。
私は、
長男との関係性の中で、
少しずつ今の私になっていったのです。
そして長男自身も、
私や妻、親族、
多くのヘルパーさん、
相談支援専門員、
事業所の皆さんとの関係性の中で、
今を生きています。
私たちは皆、
互いの存在によって形づくられている。
まさに、
「二者性」の世界なのだと思いました。
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◇障害者の世界は、もともと「二者性」
障害福祉の世界では、
支援を受けながら地域で暮らすことは、
ごく自然なことです。
誰かに頼り、
誰かが支える。
それは、
決して特別なことではありません。
むしろ、
人間本来の姿であり、
これが「自立」の姿だと思います。
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◇「一人で生きること」を強いられてきた私たち
一方で、
健常者である私たちは、
幼い頃から
競争社会の中で育ちます。
・努力
・自己責任
・自立(誤った意味の)
もちろん、
これらは大切な考え方です。
しかし、
それが行き過ぎると、
「人は一人で生きるものだ」
という「錯覚」を抱いてしまいます。
そして、
知らず知らずのうちに、
能力や成果で人を評価する価値観
を身につけてしまうことがあります。
その延長線上に、
「優生思想」が、
入り込む余地を生み出してしまいます。
そんなことを考えました。
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◇人は「一者」ではなく「二者」で生きている
私は、
長男のおかげで、
人は一人では生きられないことを学びました。
支える人も、
実は支えられています。
教える人も、
実は教えられています。
親も、
子どもによって育てられています。
あらゆる人は、
他の何かによって支えられているのです。
だから、
「自立」とは、
誰にも頼らず生きることではなく、
互いに支え合える関係の中で生きること
なのだと思います。
それこそが、
最首悟さんのいう
👉「二者性」
なのではないでしょうか。
強度行動障害の状態にある長男は、
ヘルパーさんの支援を受けながら、
何とか生活していますが、
立派に「自立」していると思います。
