○○○○○カジマンのブログ●●●●● -2ページ目

○○○○○カジマンのブログ●●●●●

「人間大好き人間カジマン」です。例えば「人と人との関わり」「企業と人との関わり」「仕事と人との関わり」「地域と人との関わり」といった関わり’について紹介します。「関わり自慢」のカジマンです!ブログ初心者マークと共によろしくね。

「こんな夢を見た」の文字で始まる黒澤映画がある。

このフレーズは漱石の『夢十夜』の文頭でも使われている。

 

さて、「地に足が着いてない」というのと「浮足立ってる」とは、同じ意味だろう。

実はカジマン、そんな夢をたまに見る。

焦り慌てふためき、落ち着きなくじっとしていられないような夢?何だそれ?

と思われるかもしれない。

表現を変えるとね、空を飛んでる夢なんだ。

皆さんの中にも睡眠中に空を飛ぶ人がいたりするのだろうか?

正確に言えば「跳ぶ」かな?

 

ポ〜ンと跳ね上がると、まるで無重力空間に居るかのように浮いていられるんだ。

でも重力が残っていて時間がたてば地面にまたすーっと戻ってくる。

なのでその時はまたもう片方の足で再びポ〜ンと強く地面を蹴って鉄腕アトムみたいに空中を飛んでいる夢。

 

深層心理学的に自分が何故こんな夢をたびたび見るのか考えてみた

現実逃避なのか?いやそれはないと思える。

推測するに、高校陸上部で三段跳が自分の専門だったこと…、

これは少なからず関係があるのではなかろうか。

距離を伸ばすため繰返し繰返しの空中動作のイメージトレーニング、そしてリズムジャンプの実践。

ポーンポーンポーーンを25m行ったり来たりするのね。

 

10月に出版された拙著『ホップステップキャンプ』(みらいパブリッシング)。

すでに半年経ち、さすがに売れ行きの伸び悩み状況だ。

初夏からのキャンプシーズンを迎えてここらで、ステップとして改めて宣伝しろ!

とのお告げなのかもしれない。

 

http://social-edus.net/201810bookcamp/

 

 

 

 

 姪っ子3人のうち二人が近日中にそれぞれ母親になる。両方とも男の子…ってもう判ってるんだって。カジマンのまわり身内は女性がやたら多かったりするので“男”って聞くとね、なんか「よっしゃ!」って気持ちになる。差別するつもりはないが、同性かつ下町のお祭り男に免じて男性びいきにご理解願いたいところだ。

 ふたりともすでにもう名前が決まってるそうな。経験した人なら誰もが改めて思い起こすだろう。わが子の命名にあたって、明るい未来と幸せ、成長を願っていろいろこだわったりして名前や文字にずいぶん苦労したことを。男の子名の最近のトレンドとしては、のびのびしたスケールの大きさをイメージさせる名前が多いらしい。

私の叔父さんなんか昭和3年だから“昭三”だ。死んだ親父の名前もかなりシンプルだ。

 

 自分自身子どもの頃、「なんでケイイチなの?」と聞いたことがある。

その答えは、「易者さんに見てもらった」であった。

ま、今日まで幸せに暮らせているのは、性分と頭がおめでたいこともあるが、その易者さんの鑑定が優れていたお陰なのだろう。さらに聞くと自分を筆頭にそのあと生まれた従弟/従妹らの殆どがその易者さんの命名だと知った。じゃ、きっと幸せに違いない。でもなぜか私以外は漢字三文字である。

 

 ふと気がついた。今現在…私のことを“ケーイチ”と呼び捨てで声かけする人がいなくなったことに。母親でさえ私のことを“イサオ”と呼んでいるんだ。息子の私を自分の弟だとボケちゃってるからね。何回も訂正してたけどずっとそうなんで今は同じ身内だからいいや…ってことで対応している。すでに他界したイサオ叔父さんに似ていないこともない。

 

 いまの私…。一番多い呼ばれ方は、圧倒的に公私にわたって“カジサン”だ。子ども会やジュニアリーダーには「カジサンのサンはsunなんだよ」といって表記を“かじ☀”としている。その他実家の身内から呼ばれるのは昔から“ケーチャン”である。スリランカでの協力隊仲間からもそう呼ばれることが多かった。

ブログにある“カジマン”だが、これは一部の秘密結社で今でも使われていてそう呼ばれている。あとは、青少年団体時代はカジチャンの変形で“ガッチャン”だった。

 

 変わり種に“ケー坊”ってのがある。子ども時代、学校が終わると近所の年長のお兄さん達が路地や空き地で一緒によく遊んでくれてね、私はずっとそう呼ばれてた。今でもお祭りになると引っ越したそのお兄さん方が遠くからわが町地元の神輿を担ぎにやって来る…。その兄貴分は私の顔を見ると“ケー坊”の点呼だ。

 還暦も過ぎ、しわも増え、白髪頭とヒゲ面の私を“ケー坊”と呼んでくれるお兄さん達は私にとっては貴重人だ。ノスタルジックな気持ち含めて有難い嬉しい気持ちだ。今更ながら今の周りの全ての人たちに「私に向かってどうか“ケー坊”と呼んでください!」とお願いしてもかなりの無理があるからね。

 

 

 

Kaji Keiichi

21:06 (36 分前)
 
To 自分
 

 とうとうこの日が来てしまった…と深夜のイチロー引退会見を見ていた。

 

質問のひとつに「子どもたちへメッセージを」というのがあった。耳をダンボのようにしてイチローの言葉を聞く。

やっぱりそう来たか。「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを早く見つけてほしい」「それに向かってエネルギーを注げるし、自分に立ちはだかる壁に向かっていける」と彼は言った。

 

カジマンのイチローファン歴は、1992年のジュニアオールスターゲームから始まる。入団2年目である。

途中出場した鈴木一朗が8回に決勝ホームランを打ってMVPを獲得した…その小さく載った写真と新聞記事を見た時からである。そこからイチローを追っかけ始めたのは、ささやかなカジマン自慢のひとつだ。ちなみにカジマン自慢はもうひとつある。小学校2年の時に東京上空にジェット機で描かれた五輪の輪を家の前で生で見た!っていうもの…。

 

話を戻そう。以後1軍に定着してからであるが、当時職場が東京ドームの近くにあったこともあって、日ハム対オリックスの試合を仕事が終わってからちょくちょく通った。自分は巨人ファンなんでパ・リーグのどっちを応援するってことではなく目的は単純。球場で生イチローを見に行くことだった。とりわけオリックスの守備の時間が超楽しい時間だ。なぜって球場ではライトを守るイチローの一挙一動がずーっと見れるからね。それってテレビ中継では見れないものなのだ。守備位置につくのに全力でベンチから駆けてくる。すました顔で味方の守備体系をたえず見渡している。そして、絶えずいろんな部位のストレッチや腰に手を当てて足首をくるくる回したり、時々ポンポン叩きながらグラブと会話しているのだ。2アウトでフライがライトに飛んできたら最高のご馳走ね。ササッと球際まで走り込みしっかり補球したそのボールをイチローは観客にポーンと柔らかくスマートに放り投げて、そしてまた全速力でベンチに戻ってゆくのである。それにすっかり魅了されてしまった。イチローってプロの中のプロだぁ、かっこ良すぎる!!

 

今朝、目が覚めてから書棚にあるイチローの関連本や雑誌を何冊か取り出してみた。新聞の切り抜きはもう少し整理するのは先になりそうだけど、これまでビジネス研修で何度か題材に取り上げていた彼のプロとしての姿、とよなり小学校時代の卒業文集から始まって数々のイチロー語録に加えて、今回の引退会見で語った一言一言も機会があれば引用させていただくつもりだ。

 

ひとりの野球選手が好きになって、そこにエネルギーを注いできた自分…、改めて幸せな気持ちになっている自分が嬉しかった。イチロー選手、まずはここまでの現役生活ありがとうございました。私も引き続き好きなことを追求していくよ。

 

 

 

いまから12年前、父が他界したのは2007年1月12日だった。

身体ひとつダンプ1台…土建の自営業で私を育ててくれた。

高いところから眺める運転席でのひとりの世界と依頼された仕事を誠実にきっちり全うすることによって築き上げた人間関係の中で過ごす時間が生き甲斐だったような父…。

家に帰ってくるとひと風呂浴びて汗と疲れを取って、毎晩きっちりきまった量の晩酌が楽しみのようだった。

晩ご飯も終わり、横になってテレビを見ているうちにこっくりこっくり居眠りをし始める…。

「親父、寝るなら布団入って寝なよ」そういうと「なんだ、俺は寝てないよ!テレビ観てるんじゃないかっ」そういったやりとりも日課のようなところがあった。

 

ある時、軽い車の物損事故を起こした。

補聴器をつけての運転に家族がずっと心配していたことが現実になったのだ。

その事故を期に75歳で仕事を引退した。

いや、私が引退させたのだ。「これがモノではなく人様だったどうするんだ!」

まだ仕事を続けたいという父と大声で喧嘩し、私が無理やりダンプから降ろさせたのだった。

晩年は、長い時間の散歩と図書館通いを日課にし、時にはりっぱな菊を育てるのを趣味にしていたようだが、特に親しい友人もなさそうで一気に老け込んでしまった感じの父…。

後から思えば、それなりにその分もっと積極的に親父と関わるべきだったな…と申し訳ない気持ちになった。

 

その父の葬儀の翌月が第1回目東京マラソンだった。

昔から、ボストン・ニューヨーク・ロンドンなどと一緒に東京でマラソンを成功させよう…という機運に賛同していた私は、運よく抽選でその記念すべき第1回大会で走るチャンスを得たのだ。

ランシャツの背中、ゼッケン17083の下に父の写真をペタッと貼った。

そして42.195kmの道中…、しみじみした気持ちと、形はともかく後付けで別な方法で親父に孝行しているようななんだか妙な不思議な嬉しいような気持ちで走った。

「親父!愛車のダンプでこの道もよく走ったんだろう?いまその道を、俺は走ってるんだよ。親父と一緒にだ」

 

先月十三回忌の法要が終わった。来る3月3日、また東京をぐるっと駆けてくるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝いつものように洗濯物干しに屋上に行きました。

9月まで時間差でポツリポツリと咲いてくれてた朝顔は葉っぱだけになってしまいましたが、屋上にはそのほかミントとかバジルとかのハーブが植えてあるんです。その植木のプランターの水やり用の大きな桶があるんですね。雨が降ったらそこに水が溜まるので、それを毎朝撒いています。

今朝、その桶の中の水が動いている。

見ると1匹の蜻蛉が水にハマってもがいていました。

 

私、この10月で62歳になりました。

私の今年の最大のビッグイベントは、一生に1度1冊は…、といき込んでいた著書「ホップステップキャンプ」をこの世にデビューさせることができたっていうこと!

定年退職してからの本格的書き始めから第1章第2章…と書き進めてきたんですけどね、もたもたと第3章ぐらいに差し掛かると最初の第1章の内容がすでに時代遅れになってしまっているんです。なので、また最新情報を踏まえて手を加えて…と行きつ戻りつを何度も繰り返してるうちなんだかんだ2経っちゃった。

101日初版の発行がされてからまもなく1ヶ月になります。私の知り合いに宣伝するなどしながらいまAmazonと書店にて絶賛発売中です。

 

本を書くことが目的でもありませんし、本を出したことがゴールではないのですね。これまでの多くの出会いや失敗や嬉しかったこと元気をもらえたことなどの様々な事例や経験を紹介することによって、ひとりでも多くの人から私のメッセージに共感いただき、その人たちのこころを動かして、実践者の分母を増やしたい!そして、そのことが今よりもずっと社会のプラスに繋がってゆく!の熱い思いを実現したいんです。

 

夜、地元深川の「いちばん星」というお店に1ヶ月ぶりに飲みに行きました。そしたらね、お店の焼酎の宣伝と並ぶようにして私の本の宣伝もしてくださっていたんです。しかもAmazonから販売用に本の現物もお店のご厚意で仕入れて並べてくださっているではないですか。

それでね、来てるお客さんに「著者が来た!」ってことで紹介してくださって、そのお店が急きょ本の即売&著者のサイン会みたいになりました。で、Amazonで注文くださってた本が一気に完売となったんです。

 

こんな思いがけない嬉しいことってあるでしょうか?

もがいていた蜻蛉を柄杓ですくってそっと乾いた板の上に乗せました。しばらく観察していたけどじっとして動かない。洗濯物を干し終わってふと見たら居なかった。羽が渇いたのでしょう。

今日10月25日は、「蜻蛉の恩返し」の日だったのかも?この本です。

http://miraipub.jp/lp03/

 

 

昨日の東京は久しぶりのポカポカ陽気でしたね。

絶好の外出日和…、カジマン、ちょっとわくわくした気持ちで“会社訪問”しました。

 

次の週明け101は、現役の学生さんがリクルートスーツに身を包んで朝の通勤電車、そして街で溢れかえることが予想されます。

だって、多くの会社はその日「内定式」だったりするからです。

内定を差し上げた学生さんがちゃん予定どおり元気な顔を出してくれたらほぼ来春の入社が確定!

今や学生側の売り手市場だから企業は本当に入社の意向があるかどうかこの日顔が確認できるまでは結構ドキドキしたりするようです。

 

さて、私の会社訪問は現役時代お世話になったところね。

10月末で定年退職して丸2年になります。実はそれ以後2回目なんです。当時の通勤経路そのままに駅から駅と乗り換えて旧職場方面へ。

変わらない景色もあったけど、なかった建物ができていたりで当時の風景とはずいぶん様変わりしていました。

 

今回の会社訪問の理由は、実はカジマン…、兼ねてから執筆活動をしていてね、それがまもなく発行されるのでその宣伝と購入への売り込みだったんです。

退職後から書き始めたんですが、結局書き直したり削ったりでとうとう丸2年かかっちゃった。

 

定年退職最終日、花束をいただいてね、最後に私はみんなの前でこう宣言しました。

「私はやりましたーっ!ビジネス人として会社の節目まで勤めあげることができました。この日を私は楽しみにしていたんです。

60歳以降のこれからの人生、会社以外のやりたいことが私にはたくさんあるんです。それをのびのびやってゆくつもりです。

会社を離れた後の私の輝く姿をみんなに見せたいと思っています。いや、どうかその姿をどうか見てください!ここまでありがとうございました!」

 

そう言っちゃった手前、しょぼくれてる姿は社員のみんなには微塵のかけらも、また金輪際見せられませんから…。

最後の最後にはビルの外で社員に胴上げまでしていただいてね、感無量でした。あ、泣きませんでしたよ。だって、本当に嬉しかったんだもん。

そうして会社を離れた訳なので、その後会社にはおいそれと寄りつけるモノではありませんよね。

会社訪問の1回目っていうのは、会社から声を掛けてくださった依頼に対して改めて自分のできる協力をするために…、

そして昨日の2回目はここまでの自分の近況と成果報告を兼ねた本の購読のお願いに伺ったのでありました。ちょっとウキウキ…かな?

 

オフィス内に入ったらね、懐かしい顔と笑顔にいっぱいあえてとっても嬉しかったです。

訪問の甲斐があって、役員を始め、さっそく何人かの社員はamazonを通じて予約をしてくださったようです。

 

あ、私の本ってhttp://amzn.asia/d/9qkA9Uyなんです。

みなさんもどんなものか覗いてみませんか?

 

 

 

 

 「花開く」「花が咲く」…は、これまでの努力が成果としてカタチとなって、自分の目指していたことや夢が叶う…といったプラス言葉ですよね。

1ケ月ぶりの『カジマンのブログ』なのに「花を咲かせてはいけない」とはどういうことなんだ?

元気がそがれるような耳に障るような、はたまた挑発的に聞こえるようなタイトルで申し訳ありませんです。

決して悪気があってのことではないのです。これまで気がつかなかった新しい考え方・生き方のヒントを得たような気がしたんです。

 

 例年7月の第一日曜日にね、地元深川神明宮の境内で朝顔市が開催されます。

毎年そこで1~2鉢買ってわが家の玄関の一員にしています。

でも今年は、買ったひと鉢をすぐカミさんの実家にプレゼントしちゃいました。

義父の一周忌に毎朝咲く朝顔を見てお母さんにとって心のなごみになるんじゃないかな…って思ったんです。

 その替わり…といってはなんですが、今年はね、これまで代々採取した種がいっぱいあったのでそれを植えたんです。今はあまりお目にかかれなくなったカメラのフィルムケースに入れて引き出しに永らく仕舞ってあったものです。

 

 種を蒔く、芽が出る、双葉、葉っぱが茂って、大きくなって、ツルが上へ上へと延びてゆく…「成長」そして「花が咲く」。これら朝顔が私に示してくれたすべての言葉は、まさにおめでたいプラス言葉ですよね。

今年は極端に雨が少なくて、しかも猛暑続きだったから水やりや雑草取りは、これまでなかった私の毎朝の日課となりました。

そしてキレイな花を射咲かせてくれました。

 

 さて、「花を咲かせてはいけない」は、つい先日ハーブ教室で先生に言われたことです。

わが家の玄関脇にはね、バジルも育てているんです。広がった葉っぱを採取してはミキサーにかけてバジルソースを作っています。そのバジルをね、いつまでも大切に育てたいのであれば花の咲き際、つぼみ前でカットしなさい!とおっしゃるのです。

そうすることによって茎の脇からまた新しい芽が出て、1本のバジルであってもそこからいつまで新鮮な葉を採取することができるんですよ!と。

 

 植物の宿命は、自分の子孫を残すために花を咲かせたら自分の役割はこれまで…とばかり、その後は種を残して枯れてゆく…。つまり、“花を咲かせちゃった一生は終わり”みたいな話を先生がされたので、はたと考えさせられた次第です。

 

 もっともっと自分を高めたい・磨きたいと思っている人は要注意ではないでしょうか?

「やった!とうとう花を咲かせることができたぁ!」という自覚は自己啓発意欲旺盛な人ほど、あえて封印したほうが良いのだ…と、ピークを終えてしまった朝顔から、そしてバジルから改めて学んだカジマンの今年の夏でありました。

 

 

 

 

 

火は危ないもの、ヤケドは怖いもの……。

そんなことは分かっています。

いまや私たちはキャンプに来た時くらいしか普通の…というか

自然の火を見たり、扱ったりする機会はありませんね。

キャンプ場で、火の扱い方の注意とかまどで火を作る方法とコツを教えてもらいました。

 

「かまど係は基本、長袖長ズボンを着てくること、でもチュルチュルカサカサの服は着ない。

そして軍手をするんだよ。軍手は滑り止めのイボイボのついていないヤツをみんな持ってきているね。

熱で溶けちゃうから服装や軍手は自然素材の綿とかがいいんだ。」

「さて、火が燃えるのに必要なものは3つあります。さて、みなさん何でしょう?

はい、熱と燃やすものともうひとつが空気です。そしてね、火はこの3つを絶やさないようにしながら育てるものなんだよ。

小さい火から少しずつ大きく、まさに育てるように燃やしてゆきます。

具体的には、マッチの火から新聞紙、それから細い枝、お弁当の後の割りばしも使えるね。

火が燃えているうちに少しずつ細いのから太いのに燃え移らせるようにするんだ。

それにはかまどにそういった形で火が燃え移るような置き方をしておくのがポイント。 

じゃ実際に作るからよく見ててね。

新聞紙をぎゅっとして、木はこうして斜めに立てかけてバッテンバッテンに重ねて置くと空気も入りやすい。

そうそう、火は下から上に燃えてゆくから最初はなるべく下のほうにマッチで火をつけること。

そして火がついたら、火を大きくしたいあまりに追加の木をすぐ入れたりしたくなるけど、ここは我慢も必要です。

火が大きくなる途中であまりいじりすぎるとせっかくついた火が途中で消えちゃったりするからね。

中ぐらいの木に燃え移って火が安定してきたと思ったら太いのをくべて大丈夫なんだ。

太いのに火がついたらもうかまどの火は安定してしばらく燃え続けます。で、炎の先端が飯ごうや鍋の底にあたるようにします。」

 

かまどの前で準備OK。ところが、マッチは知っていてもいまでは実際にシュッと擦って火をつけたことがない。

まず擦ることから一苦労です。シュッと擦ることができず何本もマッチをポキポキと折ってしまいます。

折らないようなるべく薬のついた頭に近いところを持つように促されてシュッとやる。

ボーッ、わっ火が付いたけどビビるなぁ~、つい手を放してしまいます。

だってこんな指と火とが近いなんてこれまで経験ないもの。

 

これ、ジュニアリーダーと子どもとのやりとりだと思うでしょう?

先週のファミリーキャンプで私と参加者のお母さんとのひとコマでした。

 

 

 

 今日東京都内のほとんどの公立小学校で「入学式」が行われました。

都内で今年97千人の新1年生が誕生したそうですよ。夕方のニュースでは高級ブランドの制服採用で注目を集めた銀座の小学校の入学式のほかにわが江東区立明治小学校の様子も紹介されていました。

明治小では153の新入生が誕生したそうで、友達1万人つくりたい!と女の子がインタビューに答えていました。

 

 わが母校の入学式にね、今日カジマン来賓のひとりとして出席させていただきました。江東区は新しいマンションが次々とできたりしてるので、嬉しいことに子どもも近年どんどん増えています。元加賀小では今春新たに139をお迎えしました。

 その139人の後ろが保護者席です。親御さんがカメラやビデオをもって入場してくる我が子の様子を撮影していました。とっても嬉しそう(*^^*)。

これから6年間ここでの小学生時代を送ることになるのですね。

 

 私の隣の席で地域の学校支援コーディネーターのひとり、習字の授業を担当しているOさんが言ったんです。

昔はほとんどお母さんばかりなのに、近年はお父さんも同じぐらいの数、つまり両親そろって出席していて男性比率が急激に高くなったって。

実はカジマン、その理由については前職の人事担当時代に関係していたのでつい物知り顔で解説してしまいました。

 

それは今、国会でもいろいろ審議されている長時間労働に関することなんです。

国の施策の一環でね。義務教育、子どもの小学校中学校の入学式・卒業式には、企業は社員に対して積極的に休ませなさい…という企業の子育て支援に関する法律があるって知ってますか?

私は、現役時代に社員の個人情報・家族状況も管理しているので全社員の中で該当者が判ります。

その社員をリストアップし、事前にその社員に対して直接こんな文書を送っていました。

 

「あなたのご子息の〇〇さんは、今春卒業式(もしくは入学式)を迎えますね。おめでとうございます。そのハレの日には業務調整をして休暇をしっかりとって家族でお祝いしてくださいね」と。

併せて、それぞれの上長にも該当者リストを送ります。そしてその結果がどうであったかを社員に確認し、データを取ってわが社ではこの取り組みに対してこれだけの達成率でしたと報告をするのですね。

90%以上の達成率でしたよ。

ちょっと前までは、お父さんは平日は仕事で出席できないのが当たり前…、従って家からは代表してお母さんが出席していたわけですが、いまは当時とは大違いです。

学校では、その調子でおじいちゃんもおばあちゃんも…となると収拾がつかないので、基本は2名以内…お父さんお母さんに限る…としているのだそうです。

 

PS)添付写真は、前回紹介した「スリランカ授業」の感想文集を今日プレゼントしていただきました。

伝えたいメッセージがしっかり伝わっていて改めて第二の故郷への恩返しができたなぁと嬉ししかったです。

 

 

 

 

今朝たまたま見たNHK再放送にユーミンがでていました。

その番組の最後のコメント…。

「私たちの故郷って、現存するこの場所…というものではないと思うんです。自分が育ったその場所の風景とか関わった人とか…、故郷というものにはその人ひとりひとりの心の中にあるものです。だから、その人の故郷は決して無くなるものではないんです」

昨日ね、実はカジマンの人生においてすごく嬉しい日でした。

その嬉しい気持ちの余韻の中でのユーミンのコメントだったので今回のブログでそれを紹介したいと思います。

 

20代の最後を私は日本を離れて青年海外協力隊の一員として、スリランカで生活をしていました。

任期を終えて帰りの飛行機の中でのことです。

離陸のために動き出してからそれまでの2年半の様々な思い出が、まさに走馬灯のように思い出されてきて眼下に広がるヤシの木を見ながら誓ったことがあるのです。それは…

スリランカありがとう。自分はスリランカに海外ボランティアの名のもとに乗り込んできたのにこれまで結局は自分はスリランカという国から、スリランカの人たちからボランティアをされていたんだなぁ。日本から来た自分に日本にいただけでは学べない多くのことを教わった2年半だったのだ。」

そう思いながら、飛行機の窓から見えるヤシの森を見ながらひっそり涙を流していました。

そして誓ったのです

「スリランカに、このご恩をどう返したらよいのだろう?そうが、この経験を自分の中だけにしまい込むことなく、日本でそれをプラスになるような形で表現してゆくことが、スリランカに対する恩返しになり、それこそ自分の人生上、とくに青春時代にスリランカで過ごしてきたという自分自身の人生の証になるのではないか?」

1986年1月、いまから32年前の出来事です。

 

いま東京都では来る2020東京オリンピックパラリンピックを前に、都内小中学校では「国際理解教室」といった名のもとに日本以外の国に目を向け、海外に対する理解促進のための授業を取り入れたりしています。

そこで、わが母校元加賀小学校の生徒にスリランカを題材とした話を紹介する場を昨日いただいたのですね。

小学校4年生と卒業までわずかという6年生が対象でした。

そもそもそのきっかけは「カジマンのブログ12月号芸術の秋」の中にあります。

日本で使われているタワシの殆どがスリランカのヤシの実から生成されていることを踏まえて、これを国際理解につなげたい…。

カジマンならではの国際理解教室スリランカ編のタイトルは…。

「わたしとたわしの国のお話」

 

カジマンプログラムで伝えたいメッセージは4つでした。

1.世界に目を向けてみよう

2.日本の当たり前と外国の当たり前とは違う

3.夢をもち夢を大切にする

4.自然と人との関わりで教えてくれるもの

 

150人近くの我が母校の後輩に対してクイズを交えながら伝えたメッセージ。

どう伝わったかな?そのみんなの感想文が後日届くんだそうです。すごく楽しみ(^^♪

カジマン、何が嬉しかったかというとね、スリランカを離陸するときに誓ったことひとつを今日は実現できましたよ!という気持ちになれたからです。

 

プログラム最後にね、スリランカにも日本の「君が代」のように国家があるんです、それを紹介します…と、スリランカ国家「母なるスリランカ」を流しました。

カジマンそれを口ずさみながら、感謝こがこみあげてきて教室で思いがけずウルッと来そうになってしまいました。

私の故郷はこの街であり、スリランカです。永遠に不滅です。

それを子どもたちに伝えたい…と思って伝えたメッセージあとの今朝のNHKユーミンのコメントだったのです。