祝!東京アラート解除。
自粛期間中13年前に他界した父との出会いがあったことも。
仏壇上の鴨居には額縁に入った親父の顔が掛けられていて、見慣れているその写真とは違った接点。
整理しようとした書類の束のひとつに父親の名前をつけた封筒がある。断捨離を期にその中身を取り出してみたのだ。茶色に変色した住所録が入っていた。
開くと父の懐かしい字がびっしり。郵便番号制度が始まる前から使っていたのだろう、摘要欄に3桁の郵便番号も追記してある。それら「あ行」のページから並べてあった。
当初からこの一冊で生涯ずっとまかなっていたらしい。住所変更したものはペンでクシュクシュと消してあって、その下にやや小さい字で書き足してあり、連続クシュクシュもいくつもある。
クセのある父の字はすぐ判る。読みやすいキッチリした字を書く人だった。カジマンは実は筆跡鑑定もできるので今更のように改めてそんな目で文字を見てみた。まさに性格通り…。そこには誠実・几帳面・職人肌の文字とその列がずらり並んでいた。
住所録の半分ぐらいは仕事関係で、子どもの頃に何となく耳にしていた会社名や個人名が連なっている。これらの殆どはこの世にもう存在していないんじゃないかな?仕事以外では親戚関係、静岡のは同窓生なのだろう、富山の母方のもあるが、すでに他界している叔父さんらの名前を見て、ああ懐かしい。生前ずいぶん可愛がってもらったっけ。
驚いたのは、そこには私の小学校時代の担任の先生の住所も書かれていた。1~3年はイト子先生、4年は西倉先生だ。元気でいらっしゃったらいいな。さらには、なんと校長先生の住所まであるではないか。個人情報の規制とは無縁の時代、筆まめだった父は、年賀状はもちろんご挨拶状や来た手紙への返信などもよくしていたのだろう。そのたびに住所録を最新のものにメンテしていたに違いない。
住所録には、晩年のスナップ写真も何枚か挟まっていた。
そういえば、シルバー人材センターに登録して東京ビッグサイト屋外駐車場で誘導係を長くやっていたんだっけ…と思い出した。
その仲間と暑気払いや忘年会の様子だ。服装が違っているので夏と冬の恒例行事だったことが判る。酒席でありながら写真に写っている父はひとつとして楽しそうに盛り上がっている感じがない。自分から積極的に話しかけるタイプではないのだ。そして集合写真はどれも最後列でしかも見事なくらいことごとく鼻から下は前列の頭で隠されていた。
息子のカジマンは、自分で言うのもなんだが、几帳面・誠実といったところからは全くといっていいほどかけ離れた性格の持ち主である。
父親くらいの奥ゆかしさを少しは受け継いでも良いかもしれない。
でも親父…。
誘われた付き合いにはNo!と言わないところ、そして「筆まめ」なところは親父譲りだと思ってるよ。
