motoのブログ -12ページ目

弱音を聞く気持ち。

入院時代の知り合いから、最近『苦しい』『どうしたらいい?』

というメールが時間帯問わず入ってくる。


気分的に苦しいとき、つらいとき、藁にでもすがりたい気持ちになるのは

経験上よく知っている。

元気な人を見て、自分もああなりたいと思う気持ちもよく知っている。


わたしも、そんな時、よくもとちゃんに連絡していた。お気に入りの

男に連絡をしていた。時間問わず。


優しい返事がくると、『つらい、死にたい、苦しい』と延々と語る。

『生きていてもいいことなんかなにもない』と不幸を佃煮にしたような

言葉を重ねる。次に返ってくる返事を待ちわびているのだ。

寂しいから、ただただ、自分のいる状況を分かってもらいたくて。


今は苦しいときやつらいときは、こうしてブログに言葉を連ねる。

愚痴を聞かされるほうはどれだけ面倒な想いをするか分かったから。


優しい言葉をかけると、自分はどれだけつらいかを相手の状況を

一切無視して語り続け、同情の言葉を求める。

同情したらしたで、『わたしはそんなに弱くない』と差し伸べた手を

引っ込める。聞かされたほうは『だからどうしたいの?』という『?』が

頭の中を駆け巡り、正直鬱陶しい思いをすることになる。


弱音を吐くそのこころに厳しいことをいってもふてくされるだけだ。

何をいっても不毛な会話が続くだけだ。無視すれば自殺をほのめかす。

わがままの極み。相手のことを考える想像力の欠如。


同属嫌悪とでもいうのだろうか、わたしはこの手の人間が苦手だ。

苦手になった、というほうがすっきりするかもしれない。

なぜなら、過去の愚かな自分を見る気がするからだ。彼女、彼らは

数年前、わたしが周囲に多大な迷惑をかけたことをそのままやっている。

そんな彼らを見聞きしただけで、体の芯から、どうしようもない、

ぐらぐらとしたエネルギーがこみ上げてくる。


『いい加減にしろ!』という相手に対して怒鳴りたい気持ち。

『なんてことをしてしまったんだ』という激しい自己嫌悪の気持ち。


そんな感情がごちゃまぜになってわたしの体を突き抜ける。

強烈な嫌悪感が体の中に走る。


苦しいとき、つらいとき、どうしようもない気持ちになって、冒頭に述べた

とおり、誰かにすがること、それは分かる。


ただ、聞かされる相手の気持ちを考えなくてはいけない。

いま仕事をしているのだから、感情の訴えをしても返事なんか出来ない

ということ、出かけているのだから、相手は出来ないということ。

もっと言えば、アドバイスしても聞き入れない相手に本気になって、

受け答えなんかしないということ。


弱さのまん中にいるときの気持ちは経験したから、

今度は、その相手になるときの気持ちを経験している。

どれだけ、正直わずらわしいか、身をもって感じている。


因果応報とはよくいったものだ。




離婚と引越

数週間後に引越を控え、本日引越屋さんの見積もりであった。


もとちゃんの部屋は現在不用品・処分品部屋になっているので

そこは見せず、キッチンとわが本拠部屋のみを見てもらう。


『こんなに広い家に独りですんでいるんですか!?』


いえいえ、男と別れまして・・・わたしも引っ越すんですよ。

隣の部屋は現在物置なんです。


『え?オンナでも作ったんですか!?』


いやいや、性格の不一致ですな。(ホモだったとはいえなかった・・・)

別れた男のことをねちねち悪口言うのは性に合わないので、このへんで・・・。


『性格の不一致ねー、わたしは子供3人いるんで離婚できないですよ』


性格の不一致というより、性癖の不一致だったんですが・・・・(いえない)

ところでお見積もり価格は?


『いやー、これからがんばってほしいということでサービスしますよ!

カチカチ(電卓たたく音)・・・ジャン!これでどうですか!』


(まあまあの割引価格)おお!(ここはわざと驚く)がんばりましたねー、

この金額でお願いします!これからいい男見つけますよ!!


『がんばってくださいね!では!』


・・・嵐のようにやってきて、嵐のように身の上話をしながら売上げをとった、

35歳営業マンなのであった。離婚したわけじゃないのだけれど、

なんとなく気分でバツイチのオンナを演じてみたわけで。


性格悪いなーー。引越価格割り引いてもらえたから、これを機に

変な嘘つくのやめよう。ありえないけど、将来本当に結婚して、離婚になったら

たぶん、今日の嘘を怨むだろう・・・と思うのであった。


さ、今日もセレネース・コントミン・リスパダールで寝よう。




擬態うつ人間

『わたしはうつだから』


そんなことを言う人間が嫌いだ。某先生が言っている、

『擬態うつ』を疑う。


わたしも最初はうつにあこがれていた。精神病にあこがれていた。

真っ白い病室、毅然とした医師、狂気の世界。


何が、何をもってあこがれていたのかは、今となっては分からない。

ただただあこがれていた。ちょっと一般人とは違う自分。そんなものに

あこがれていたのかもしれない。

太宰治の『人間失格』の世界にあこがれていた。

鎮痛剤を致死量まで飲む。怠惰な生活。自虐的な自己。

いつか自分も精神病にかかり、抗精神薬を飲みたいと思っていた。


実際、最初は『うつ』の診断をされ、今となっては統合失調の薬を飲む。

望んだことだ。分かっている。


ただ、それがいかに馬鹿げている発想だか、今になって思い知らされた。

向精神薬を飲むと、記憶力が落ちる。想像力が落ちる。

かえって人に迷惑ばかりかけることになる。いまさら思い知らされることに

なるとは思いもしなかった。一旦この手の薬を飲むと、明らかに脳が破壊される。

本当にいまさら思い知る。健康な脳に戻りたいと思っても手遅れなのだ。


あこがれていた精神病は実際は忌まわしきもので、脳を蝕む。

人格を破壊する。セックスだって何も感じなくなる。


恐ろしい病気といえばそれまでだが、忌まわしい病気と言ったほうが

すんなり落ち着く。なるものではない。


今は、太宰にはあこがれない。病気にもあこがれない自己陶酔もしない。

だから、自分で自分の事を『うつだから』という人間が信じられない。

本当の苦しみが分からないのだろう。あなたのいる場所はほんの

入り口でしかないということが分からないのだろう。優越感に浸っているのだ。

そんな人間は一生軽い抗鬱剤でも飲んで悠々自適に暮らしていくがいい。

少しでも嫌なことがあると『うつ』を主張して入院する。自傷する。

甘えの極みだ。本当の精神病なら自分が病気であることすら分からない。

分かっていても認めようとしない。


わたしはどうなのだろう。統合失調症の薬を飲んでいても、やっぱり

ほんのちょっとした神経症だと思っている。ただの自意識過剰なだけだと

思っている。精神病ではない。恐れているだけだ。


わたしは統合失調症の薬は飲んでいるけれど、ちょっと神経が参って

いるだけだと思っている。気分を楽にするために薬を飲む。


『自称うつ』は薬の多さを自慢する。自分の過去を自慢する。

いかに自分が苦労してきたかを言い合う。

正直死んでもらいたい。本当に自殺すればいい。できもしないだろうけど。


わたしはぬいぐるみと家族がいるから死なない。死ねない。


家族に見せ付けるために遺書まで書く人間がある意味うらやましい。


死にたくても死ねない人間だっているのだ。そういう人はどうやって

生きているのだろうか。


だれか、混沌と思考の固まらないわたしに声を掛けてほしい。

お願いします。