断薬による離脱症状体験記
雨だねぇ、憂鬱だねぇ。
というのは嘘で、今日は普通の日。
昨晩、セレネース1.5ミリ2錠、コントミン5ミリ1錠。
先週は薬を抜くという暴挙に出て、全く眠れない。しかも強烈な不安と
緊張感に縛られると、いかにも離脱症状な感じで大変だったのだ。
あまりの仕事の忙しさに、親愛なるひー先生にも会えず、電話相談なんか
周りの目が怖くって出来やしなかった。
んで、離脱症状と。
ひー先生は某病院にわたしが入院している時からの主治医で、
通院中はやれノートに感じた事書けだの、酒は飲むなだの、とにかくうるさかった。
入院中は当時付き合っていたもとちゃんの事や、最近病気のお陰で親密(?)
になった両親の事だのをいつも気遣ってくれていた。
てか、入院中の回診時は冗談しか言っていなかった気がしなくもないが。
本心隠して冗談ばかり言っていた所為で入院が長引いた気がしなくもないが。
あー、いつも馬鹿なのはわたしだよ。もとちゃんでも、ひー先生でもないよ。
おっと。
んで、離脱症状。
まず、眠れない。病気が最高潮に悪化している時かのごとく眠れない。
そして些細なことがとてつもない不安ごとのように感じられ、緊張し、自分は
とんでもない事をしてしまったのではないか、という強烈な不安、自己嫌悪。
死んでしまってもこのツケは返しきらないのではないかという不安。
不安の要素を挙げたらきりが無い。
んで、薬を再び飲んだら、それまでの強烈な不安が収まると。
後からネットで調べてみたら、まさしくそれは急激に体内から薬物が消えた事に
よる離脱症状だった。
怖い。怖すぎる。死ぬかと思ったよ。心臓がつぶれると思った。
もう勝手に薬を飲むのを止める事は金輪際しないと心に誓ったのは言うまでもない。
しかし、薬をいつか完全に止めたいと思うのも事実。
しばらく忙しくてのんきに病院へ行くことは出来ないけど、
そのうちチャンスを見つけたら即効適当な用事作ってひー先生の下へ行くんだ。
で、健康的に薬を止めよう。もう離脱症状はこりごりなのだ。
ちなみに、薬を再び飲むようになって、もとちゃんの顔を思い出したら、
もとちゃん、怒ってた。。。
うつ病の引き金
うつ病が広く世間に出回るようになってから、
型にはめたかのように「うつ」の診断が下った。
自分が実際にうつの診断が下る前は、なんとなく、「精神病」に
憧れを抱いていた。
少しオカシナ感じ。イカレタ感じ。ハカナイ感じ。
健康体で、見た目も激しく悪いわけじゃない。
一般的な健康だった。
壊れたのはいつだろう。
一応、会社には過労と言ってある。
でも、引き金はもとちゃんが自分の事を隠していた所為が大きい。
もとちゃんはゲイだった。
一緒に暮らしていて、しかも好きあって暮らしていた普通の男女なのに、
何も無い。セックスって鬱陶しいと思っていたけど、あまりにもなにも無くて
そしてキスさえも拒むもとちゃん。
「何かある」
そう思って、もとちゃんの部屋をのぞいた。今から思えば最低な奴だと思う。
でもその時はとにかく、もとちゃんのことを知りたかった。
詳しい手口はまだ書きたくない。今のところ書く気もない。
結果だけ言うと、100%もとちゃんはゲイ、ホモだった。
脳天を突き抜けるような衝撃というのはこういうことを言うのだと思う。
手足が震え、涙が出てきた。体の力が抜けるというのはこういうことを言うのだろう。
もとちゃんはいつもわたしに優しい。もとちゃんはいつも笑顔を見せてくれる。
だけど、それが、全て偽りだったのだ。笑ってしまう。
もとちゃんをずっと大事に思っていた感情が、あまりにも無駄で、くだらなくて、
粗末にされてしまった。
悔しいとか、怒るとかそういう類の感情は当初無かった。
ただただ、脱力。全てが虚しくなった。もとちゃんの本当の姿を知らないで
ただただ好きな感情に任せて一緒に暮らし始めた自分の軽薄さに絶望した。
絶望。
それが一番当時の私に似合った言葉だろう。
大きな挫折とでも言おうか。
こんなに苦しい思いをするくらいなら、いっそのこと、もとちゃんが死んでしまえばいい。
そうすればわたしは楽になる。楽しい思い出だけで飯を食って生きられる。
身勝手な思いがその日から毎日繰り広げられることになった。
もとちゃんは何食わぬ顔して、いつもどおりの笑顔をわたしに向ける。
騙されている振りをして毎日顔を合わせて、おどけてみせた。
騙されている振りをすることが、もとちゃんに対する唯一の反抗だった。
…あー、いやいや。まだこんな事書いちゃうんだ。
自分が嫌になるな。
今のもとちゃんはとても大事な人生の指導者。壊されてたまるか。
少しだけ、ほんの少しだけ、もとちゃんのおかげで強くなった。
今度こそうつ病のこと書くぞ~。ほな。